第五話・「壊れた秤」

 冷静過ぎるほどに思考で目の前の獣に対処する。

 「ガルルルゥ――ッ!」

 咆哮を上げる黒い獣。

 口元にはよだれを滴らせ、鋭い眼光は獲物を強く覗いている。今すぐにでも襲ってきそうだが、こちらの様子を窺っているのか、中々襲って来ない。

 俺はそんな獣の正面に立ち、常に面を向け合うようにポジションを取る。

 野生生物に出会った時にしてはいけないことの一つに、背中を見せる、というのがある。野性生物の本能には、相手の背中を見ると攻撃的な行為をされたと認識して、自己防衛のために攻撃するという習性がある。それゆえ、どういう対処をするにしても背中を見せるという行為はしてはならない。

 まあ、がそれに当てはまるかは知らないけど。

 今のはあくまで普通の野生生物での話であり、目の前にいるこの黒い獣が同様の動きをするかは不明である。

 そもそも、何なんだ黒い獣コイツは……?

 明らかにその相貌からして普通の生物じゃない。第一、ただの突進で建物の外壁を砕くような生物そうはいない。それにそんな生物が日本の住宅街にいたのであれば、もっとニュースやらで報道されていてもおかしくない。

 考えられる可能性の一つは――「突然変異で発生した新種の生物」。

 この近くにある山は、星災の時に降って来た隕石による影響か、かなり高い放射線が検出されるらしい。もしかしたらコイツは、その放射線により変異した野生生物なのかもしれない。

 正直、これ以外の可能性は大して思いつかない。普通に考えてこんな能力を持った生物がいるのなら、もっと有名だったはずだ。でも、俺はこの十六年の生きた中でこの生物に関する話を聞いたことがない。

 飛躍した話をするなら――とかなのか?

 冷静である筈なのに出てくる発想が小学生の妄想と変わりがないが、こんなにも不思議な生物は知らない。そんな幼稚な考えが生まれるくらいに理解できない存在だ。

 「ふぅ――」

 まあいい、今は忘れろ。

 浅く呼吸をすると共に、この獣の正体について考えるのを止めた。いま答えがわかったところで何も変わらない、すぐに出ないなら今は考える必要はない。

 そんな無駄――切り捨てた方がいい。

 今は最善をくすことだけ考え、最良をいたすために動けばいい。

 ザザっとすり足で後退し、少しづつ黒い獣との距離を開けようとした、その時――

 「ガァウ――――ッ!」

 咆哮を上げて地面を蹴った。

 瞬間――視界から獣の姿が消え、黒い影が突風のような速度で接近する。

 ギリギリ目で追える程度なだけで、とても回避できるような速度じゃない。まさに〝黒い風〟とでも言うようなものが、俺の命というともしびを消そうと吹き荒れた。

 次の瞬間、目に映るのはその大きな牙。

 食い殺さんと襲い来る黒い獣――一秒先には俺の死が待っている。

 が――

 グッと右脚で地面を踏み込み、前傾姿勢になりながら左斜め前に突っ込む。獣の牙が俺に到達するより速く、その射線上から抜け、攻撃を回避する。

 「っ――」

 前に突き出されていた獣の爪が頬を切る。

 次に背後から衝突音が聞こえる。視線を背後に向けると、獣が再び建物に突っ込んだようで、背後にあった建物の外壁に穴が開いている。残念なことに今回はすぐに抜け出したようで、外壁の穴から涎を垂らしながらこっちを見る獣の姿が見えた。

 「ふぅ――」

 ギリギリ……。

 肺の空気を吐きながら安堵する。

 常人では反応できないであろう圧倒的な速度だが、事前にカウンタを使用していた俺は、辛うじてその速度に反応できて、回避することに成功した。

 頬の傷を除けば外傷はない。ただ既に限界に近い状態で再度カウンタを使用してるため、全身に酷い痛みが走っている。

 正直、今すぐにでもカウンタは切りたいが、切ったらあの獣の動きに反応できず一瞬で犬の餌になるだろう。そんな末路辿るなら、これくらいの痛みには耐えて見せる。

 り足で後退しながら、視線は獣に合わせる。

 瓦礫から這い出た獣が俺を見ながら前に出る。そこは丁度、俺がさっきまでいた位置、足元には勇夫さんの遺体が置いてある。

 次の瞬間――獣は足元の遺体に牙を向ける。


 ――ガブッメチッ!


 ブチブチッ――――メチッ――


 グチャグチャ……―――


 獣が勇夫さんの遺体を喰らい始めた。

 生々しい血肉を貪る音が聞こえ、辺りに漂う死臭が濃くなるのを感じた。獣は遺体の腹辺りを食い、臓物を咀嚼そしゃくした。

 この獣に感情の類があるのかは不明だが、遺体を喰らっている時に俺へ見せたその表情はどこか――嘲笑うような、馬鹿にしているようなものだった気がする。

 その光景を目にした俺は、瞬間――反転して

 チャンスとばかりに全力で走る。カウンタによる強化を施された今、完全に逃げ切ることは不可能でも多少の時間稼ぎはできる筈だ。この逃走中に何か手立てを考えるしかない。

 ……すみません、勇夫さん。

 チラリと背後に視線を向け、内心で謝罪する。

 ハッキリ言って俺は今あの獣に対して怒っていない。それどころか、勇夫さんの遺体に飛びついてくれたことに感謝すらしている。勇夫さんには悪いが、ここで死ぬわけにはいかない以上、その遺体は時間稼ぎのおとりとして活用させてもらう。

 全力で焔の囲う町を駆け抜ける。

 さっき見た様子からして、すぐにでも追い駆けて来るだろう。

 勇夫さんの遺体で満足してくれれば、それが一番楽であるんだが、どうもの空腹はその程度では満たされないようで、遺体を喰らいながらもその眼光はずっとこちらへ向いていた。

 可能な限り距離を取りつつ、今は作戦を考える。

 しばらく周囲の環境や使えるものを探しながら、全力で逃げていると――ふと、丘の上に立っている工事現場に視線が持っていかれた。

 あそこなら……。

 作戦を思いついた俺は進路を丘上の工事現場に変えて向った。

 少しして工事現場に到着する。

 ここは確か、少し前から大きめの建物を建てるとかで工事をしていた場所だ。既に建物の骨組みである鉄筋は組まれており、あと二三年すれば立派な建物が出来ていただろう。

 すぐさま使えそうな物などを調べ始める。時間がない、限りある時間で活路を見出すため、必死に策を練りながら調べた。

 「ふ――、なんとかなりそうだな」

 工事現場を人取り見て回り、必要な物をかき集めたところで一息吐きながら町を見た。

 ここは丘の上ということもあって町が見渡せる。

 きっと天気のいい日に見れば、さぞいい景色だった筈だ。しかし今は、倒壊した無数の建物と真っ赤な焔に覆われた地獄絵図が広がっている。

 「最低な気分だ」

 今は凄惨な光景が広がるばかりで気分が悪くなるだけだ。

 そんな風に思っていると、背後で破砕音が聞こえる。音が聞こえる方へ視線を向けるとそこには、腹を少し満たしたであろう黒い獣がいた。

 口元には血を滴らせ、次はお前だ、と言わんばかりの凶悪な表情を見せる。

 「ふぅ――……よし! やるか」

 準備は出来てる、作戦も考えた。

 覚悟は既に決まってる。あとは――全力を尽くすだけだ。

 左手に持った鉄パイプを力強く握り、迫る来る獣を視線をぶつけた。

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