第11章 朱莉(あかり)と光莉(ひかり)

第1話 白髪の老婆

 私は、通常は刑務所のカウンセラーをしているが、今日は、精神病棟に来ていた。そして、患者を見た時、言葉を失った。


 患者は30歳ぐらいの女性と聞いていたが、白髪でやせ細り、ベットの上で骨だけのような姿で横たわる老婆のような姿だったからだ。


 ベットの上で、点滴を打っており、息をしているかわからないほど、正気がない。


 部屋では、風がくるたびに揺れる白いレースのカーテンがたなびき、白い壁の中で、人間が生きているという気配が全く伝わってこない。虫一匹いない感じだ。


 死体が、ここに安置されているのかとも思ったが、逆に、この部屋は明るすぎて、そんな場所ではないとすぐに気づいた。


 そう、ここでは時間が止まっているんだ。窓から入ってくる風だけが、時間を感じさせるものであり、それ以外は、真っ白で、何もないみたいに感じる。


 この患者は、娘が誘拐され、警察に助けを求めたら、犯人から約束違反だとして娘が殺されたらしい。それも、娘は首を切られ、生首が箱に入って送られてきたとのことだ。そして、まだ犯人は捕まっていない。


 警察に届けたことを悔やみ、娘が亡くなったのは自分のせいだと悲観して、この姿になったと聞いた。おそらく、何も食べることなく、立つ力もなくなって、病院に運ばれたのだろう。そして、気を病んでるとして精神病棟に搬送されたのだと思う。


 旦那さんは、この患者の看病疲れと、彼も自分のせいで娘が亡くなったと悲観し、電車に飛び込んだと聞いている。電車に轢かれた手には、娘の靴が握り締められ、腕からちぎれて手だけなのに、硬くて外すことができなかったそうだ。


 確かに、苦しいのだろう。でも、この人のせいじゃないんだから、なんとか、正気を戻し、元の姿に戻ってほしい。


 私は、まず、ハーモニカで、単音を根気強く聞かせた。外で何かが起こっていると気づかせるために。


 根気強くやっていると、しばらくして、音が鳴ると、時々だが、微かに指が動くようになった。これを繰り返し、時々は、車椅子に乗せ、日の当たる外に出たりもしてみた。肌から、外気の暖かさが伝わるように。


 半年ぐらい、根気強く対応していると、やっと最近は、私に笑顔を見せてくれるようになったんだ。でも、顔は笑顔のままでも、いつの間にか、涙が流れている。そして、笑った唇が震えていたりする。


 どれだけ、悲しみがこの人の心を蝕んだんだろうかと、見るたびに辛くなった。


 そして、横で子供の絵本を朗読することすることにした。何度も。そうすると、ねむねむごろんという絵本を読んでたときに、気づくと、患者は、私のことをずっと見つめていた。静かな目で。


 その目には、感情が感じられず、遠くまで透き通った水晶のような目に見えた。私を見ているのかもわからないほど、遠くを見つめている。でも、確かに、私を見ているようだ。


 そこで、何回も、この絵本を読んでいると、いつの間にか、また目は窓から外に向けられていた。そこで、いろいろな絵本を読み聞かせ、気に入った本は飽きるまで読み返し、そして次の本にいくというように、患者の興味をひこうとした。


 さらに3ヶ月ぐらい経った頃、患者は、手で箸を持ち、お粥を自分で食べることができるようになった。その姿を見て、私は、涙が出たんだ。


 そして、私に何か喋ったのが見えた。何かと耳を近づけてみると、私の手を握りたいと、かすれた声だったが、そう聞こえた。そして、どうぞと私は、手を差し出したんだ。


 患者は、私の手を握り、目をつぶって下を向いた。そして、顔を上げて、笑顔いっぱいに私を見た。聞き取れないほどの声だったけど、ありがとうと言って。

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