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 約束の十分前に到着したというのに、演劇部現副部長、緒賀さんはすでに待ち合わせ場所にいて、スマートフォンに視線を落としていた。同学年で面識もあるらしい琉夏さんが声をかけると、彼は慌てたように顔をあげて、

「わざわざ演劇部の休みに合わせてもらって、悪かったね。俺に話せることは、なんでも話すから」

 緒賀さんは黒縁の眼鏡をかけた細面の人物で、自らクーデターを企てそうな雰囲気ではまったくなかった。誰かに似ているような気がして記憶を精査してみると、中学三年のときの担任が浮上してきた。受験直前の面談の際、杠葉高校志望か、杠葉ね、と果てしなく曖昧な態度を取りつづけ、受かるとも受からないとも、挑戦すべきとも諦めるべきとも最後まで明言しなかったのを覚えている。上田先生、いまどうしていることやら。

 文芸部から取材を申し込んでおいて立ち話もどうかということで、私たちは手近な喫茶店へと移動した。琉夏さんは即座にお気に入りのパフェを注文したが、緒賀さんはブラックの珈琲だけを頼んでいた。

「生徒会にも伝えたことではあるんだけどね。澤城さんの他の部員に対する態度が、ちょっと酷いんだよ」カップを片手に、彼は語りはじめた。「大道具が完成したその日に、やっぱり作り直せと騒ぐ。届いた衣装が気に入らないといってはまた騒ぐ。出来栄えとは関係なしに、自分の好みかどうかで判断してるとしか思えないんだ。正直、みんな疲れちゃってるんだよ」

「ちなみに、どんなのがお好みなわけ?」と琉夏さん。「やっぱ派手め?」

「派手も派手、いっそけばけばしいくらいのほうが、澤城さん的にはいいみたいだね。造形は思いっきり極端、色はくっきり。客席まで下りて行ってハイタッチするファンサービスが大好きで、毎回やりたがる。脚本に関してももちろん、物凄く細かく干渉する。いちばん疲弊してるのはたぶん、脚本の真野さんだな」

「真野――知らない。二年?」

「いや、一年生。演劇部には何人か脚本家がいるんだけど、澤城さんは真野さんじゃないと駄目だって。彼女、上級生の指示に逆らえないタイプだから、澤城さんにとっては都合がいいんだろうね」

 このときになってようやく、重たげな前髪で目元を隠した女生徒に思い至った。真野千織さん。クラスは違うが選択科目が同じ工芸で、週に一度だけ遭遇している。必要最小限しか言葉を発さず、その声も非常に小さく、体格もまた小柄な人だ。演劇部所属だったとは。

「脚本の腕は確かだよ。くどくど説明しすぎない、草地に一輪だけ咲いた赤い花が善意を象徴してるとか、そういう演出が本当は得意で。これはいま彼女が執筆中の『バイバイ、ビューティフル』の一場面」

「でも澤城には没を食らった?」

 緒賀さんは苦々しげに頷き、「もっと誰にでも分かるような演出にしろって。具体案があるのかって訊いたら、科白にすればいいでしょ、だって。あんまりだと思ったな」

 私のなかの澤城さんの評価は暴落した。エキセントリックだが演劇の才能に満ち溢れた名優、という期待含みで抱いてきたイメージが崩れ、「身勝手な美女」へと再構成されていく。いや外見の麗しさだって才能には違いないのだが、それだけに留まらない奥深さを秘めた人と思い込んでもいたから、この緒賀さんの話は単純にショックだった。

「どうしようもない奴」私とは対照的に、やたら琉夏さんは嬉しそうだった。「さすがだよ澤城、私の見込んだ通りの女だ。そういう横暴が重なりに重なって、演劇部はいよいよ反逆の狼煙を上げることにした、と」

「流れとしてはね。だけど言っておきたい。みんなが俺を担ぎ上げたわけじゃない。なによりまず俺が耐えられなくて、周りに声をかけたんだ。だから首謀者は俺だよ。もし今回の件が上手くいかなければ、責任はぜんぶ俺にある」

 へえ、と琉夏さんが唇を窄めた。「立派じゃん。人望を集めるわけだ」

「そんなんじゃない。倉嶌さんだって、もし演劇部にいたら厭でも分かるよ。誰かがやらなかったら、部が丸ごと崩壊する」

「あの、緒賀さん」私は小さく右手を挙げて発言した。「なぜ部長を辞めさせるっていう、難しいアクションに出られたんですか。みんなで辞めて、同好会を立ち上げることもできますよね?」

 彼は吐息交じりに、「生徒会の楠原さんにもそう言われたよ。だけどね志島さん、正式な部活動と同好会とじゃ、扱いに歴然とした差が出るんだ。同好会には部室もないし、学祭での発表枠も取りにくい。俺個人ならともかく、他の部員たちまで不自由を強いられるのは道理に合わない」

 もっともだ。どうやらこの緒賀さんは、柔和そうな面差しとは裏腹の、堅固な意思の持ち主らしい。

「そういう思いがいっさい通じないのが、楠原って人間だからね。あいつは冷酷なんてもんじゃない。生徒会に期待するのは無駄だよ」

「君ら、生徒会の依頼で動いてるんじゃないの?」

「まさか。余所は余所、うちはうち」琉夏さんが怪しげな笑みを浮かべる。「ともかく、ありがとう。参考になったよ。できれば脚本の真野さんにも話を聞きたいんだけど、可能?」

「今すぐ? 呼んだら来てくれるとは思うけど」

「いや、あとでいいや。来週のどこか都合のいいときに、文芸部に来るように伝えといて」

 分かった、と言い残して緒賀さんが席を立った。愚痴を聞いてもらったから、と三人ぶんの代金を置いていこうとしたが、これは私が断固として拒否した。琉夏さんはやり取りを横目に、ただ黙ってパフェを食べていた。

「――どう思った?」ふたりきりになった途端、肩を寄せるようにして琉夏さんが訊いてきた。

「人格者だな、と。リーダーの資質は澤城さんよりずっとあると思います。どっちかと言われたら、私は迷いなく緒賀さんについていきますね」

「緒賀が澤城より百億倍まともだってのは同感。他に気付いたことは?」

「ええと――」私は言葉を探した。「――後輩思いの、いい先輩だなと」

「同じじゃん。もっとこう、核心に迫れるような像は見えてこなかった?」

 私はまたしばらく考え込んだのち、「真野さんを気にかけてるな、とは。状況をよく把握してましたし。書いてる脚本のことも」

「なるほど、なるほど。それで?」

 にやついた琉夏さんの顔を眺めるうち、私ははたと、「新作の『バイバイ、ビューティフル』はいま執筆中だって言ってましたよね。澤城さんに文句を付けられることがないよう、緒賀さんが入れ知恵してるのかも。つまり脚本は実質的にふたりの合作。ふたりはそれだけ親密で――もしかして付き合ってる?」

 自分の発見に昂奮していた。仮にそうなら、まったく別の物語がイメージできる。

「クーデターの発起人は、実は真野さんなんじゃないでしょうか。緒賀さんは恋人を守りたくて、自分が責任を負うと申し出た。高校の部活のためになんでそこまでって不思議だったけど、彼女のためなんだったら理解できます」

「どう、どう」まるで猛獣使いのように、琉夏さんが両手で制止の動作をする。「ストーリーとしてはこのうえなく明瞭だね。だけど違うと思うんだよな。的を外してるというか、狙うべき的がそこじゃないというか」

 勢いを削がれてしまった。相変わらず、煙に巻くような発言ばかりする人である。

「的が違う――ひとまず最初に戻って考えますね。そもそも部長がなにを見出そうとしてるのかにヒントがあるのかな。目黒さんが求めてるのは、演劇部のクーデターの真相。楠原さんは手続き的な不備さえなければ物語がどうであっても構わない立場。私は目黒さんに同調です。では動かないと決めたら梃子でも動かない倉嶌琉夏が、今回なぜ重い腰を上げたのか」

「そんなの決まってるじゃん」と彼女は快活に笑った。「澤城への私怨だよ。ただの我儘女でした、なんて生温いのじゃなくて、あいつにとってもっと都合の悪い物語を突き付けてやりたい。あいつに泣きを見せたい。ついでに楠原の鼻を明かしてやれれば言うことなしだね」

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