世界一美しい景色
カリーナ
The Beautiful World
グラナダで夕日を見た事がある。韓国人の友達、エマと、冬の2月上旬頃、グラナダの小さな丘から夕日を見た。
私が思う、今までの人生の中でいちばん美しい景色である。
21歳の頃単身でロンドンに滞在していた。その頃、人間関係が上手くいかず、むしゃくしゃとした気持ちや若さ特有のやり切れない思いがいくつも混在していた。
そんな中、そうだエマに会おうと思ったのである。
オープンで、革新的なエマ。強く美しい、ヘビースモーカーのエマを見ているととても元気を貰える。
ロンドンで出会った彼女とは何度か食事をしたりクラブで遊んだりしていた。
長期の休暇を取っていて、次はグラナダへ行くからと行ってしまったのが1月か年末くらいである。
Whats Appでその後も何度もやり取りをしていたがふとエマに会いたくなった。
2月の寒いロンドンに飽き飽きしていたのかもしれない。
何となくふと思い立って、来週グラナダへ行くねとメッセージを送った。
いきなり迷惑では無いだろうかとつくづく思ったが、エマの方も長い一人旅に退屈していて大変嬉しいとの事だった。
大慌てでライアンエアーの格安チケットを取り、エマと同じ安ホテル……もといドミトリーのような宿を予約した。
当時、ドイツでもこのような形態の、すなわちひとつの部屋に2段ベッドが4つくらい置かれている大部屋に泊まっていたのでなんら臆することは無かった。
しかし考えてみれば、ひとりで航空券を取り、それも来週の予定で海を越え国を跨ぎ、インターナショナルフレンドに会いにいくだなんて、18歳の日本で退屈している私が聞いたら卒倒していたであろうことだ。
なんて自由で……生きるって素晴らしいことなんだと感じた。
出発の飛行機の時間がいやに早かったので、夜中の3時くらいにルイシャム付近のアパルトメントを出たのを覚えている。まだまだくらい夜中の中をバスに乗り、ヒースロー空港へと向かった。
そんな夜中にもかかわらず、人々が町中で大騒ぎをしているのをバスから見ることが出来た。本当にお祭り騒ぎだった。
若者たちは何やら被り物をして、酔って(これは通常のイギリス人の習慣なのだが)、集まって、川沿いで騒いでいた。
ヒースロー空港に着く頃、そうか今日がEU離脱のその日だったと思い出したのだ。
3時間ほどのフライトでスペインに着いた。
ロンドンとはうって変わって暖かい気候で、何よりも日差しが特別最高に思えた。
ロンドンの冬は寒い。よく調べると気温は日本の冬の方が圧倒的に寒いのだが、ロンドンは日差しがとにかく見つからない。
太陽の光に当たれないこと、日照時間が少ないことはこんなにも人を陰鬱とさせるものかと当時の私は思い知らされた。
日本にいた頃から明朗快活な方では無かったが、暗い、鬱屈とした気持ちがより身体全体を蝕むようだった。
例えば、日本にいた頃、ハーラン・エリスンの本など、こんな話ばかり読んでいては気が滅入って仕方がないと思って、少し読んでは敬遠することを繰り返していたが、ロンドンに滞在して、冬を過ごしてまもなくした頃、どうしてもエリスンの本が読みたくなった。
陰鬱な気持ちがより陰鬱な空気を求めているのだと自分の変化に驚いた。
ともあれ、そのまま暗い空気に引きずり込まれるのも悪くは無かったが(おそらく私の性分ならそれに適応していただろう)、久しぶりに見る暖かな日差しは本当にありがたかった。
バスの中からの景色を楽しみ、エマの泊まっているドミトリーへと向かった。
束の間離れていただけだが、数年ぶりの再会のように喜び合い、近くのカフェで食事を取った。
エマもその頃、人間関係にむしゃくしゃする部分があり、2人でさんざん喋りたおした。
女の子2人、異国の友達と、ヨーロッパの暖かな日差しを浴びながら、カフェで思っていることを全て話す。
そんな時間が私をとても解放的にさせてくれた。
日本では全くシーフードを食べられないが、そこではエマが頼んだとびきり大きいシーフード料理を少しシェアしてもらった。
名前も知らない、日本では絶対に食べない貝の1種を食べた。
味はほとんど思い出せないが、幸い腹を壊すことは無かった。
少し散歩した後、クラブに行こうとエマが言った。
せっかくスペインに来てまでする事がクラブだろうかと思ったが、そもそも私は日本では絶対にクラブに行かない。
薬とその他の愚かなことが横行しているという強い偏見があるからだ。
しかしエマはオープンで、韓国にいても他の国にいても、夜はクラブで飲んだり踊ったりすることが大好きだった。
私が日本でクラブに行かない理由を告げると、"友達といたら大丈夫よ"とあっさり返ってきたのでロンドンでもクラブに数回遊びに行った。
上記の理由から私は日本でクラブに行くことは無いが、クラブ自体には興味があった。
そう、"ライ麦畑でつかまえて"を読んだその時から。
ライ麦畑でつかまえてではクラブでの描写がいくつかある。
無論アメリカにいるホールデンをそのまま、時代も性別も違う私がロンドンで感じられるとは思いがたいが、少しでもあの"The Catcher in the Rye"でホールデン・コーフィールドが感じていたことや見ていた景色を知りたいと思っていたのだ。
そういうわけでやはり私たちはグラナダでもクラブへ行った。
観光しようにもシエスタの文化なのか、夕方頃はほとんどの店が閉まっていたのも理由である。
夜になるまでのんびりと近所を散歩し、近くにあるイケてるクラブをGoogleで探した。
日が落ちた頃にレストランで食事を取った。
有名なスペイン料理……らしきものを食べた。鍋のようなものに色んな食材が入っていた。
具材はともかく、何よりも味が塩辛すぎて驚いたのを覚えている。
メニューには様々なカクテルが記載されていて、ジンだけでこんなにも種類があるのかと興奮した。
同じレストラン内に日本食のバーのようなものがあり、職人がスシを握っていた。
"Karin,スシがあるわよ"と言われたが全く食べれないので見るだけに留まった。
15分ほど歩いたところのクラブに入る。
ロンドンでもそうしたように、列に並び、パスポートを見せ、荷物を預け、爆音の中に飛び込む。
全体的に暗い。
耳をつんざく爆音と、幻覚のような照明たち。
適当に踊り、適当に飲み、考え事を全てやめて適当に知らない人たちと会話する。
結構暗いので、自分が日本人であること、21歳であること、女性であること、自分を型に嵌める全ての分類から解放される気持ちになる。
酔いがまわる中、頭の片隅にホールデンコーフィールドを思い浮かべながら、2件目のクラブに向かった。
くたくたになって、クラブを出たのは2時を回っていた。
バスも電車も全部終了していたので歩いてドミトリーまで帰った。
3時前に真っ暗な大部屋に入り、個室のシャワーをあびる。
"2段ベッドで寝たことがないから、上で寝たい"という私のわがままを聞いてくれた。
そろそろと重い体を2階に運び、そしてすぐに寝落ちた。
午前中に起きられるはずもなく、正午くらいに起床する。
驚くほど顔が浮腫んでいたがそんなことは気にせず、適当に化粧をしてドミトリーのロビーにあるカフェで朝食を取った。
アサイボウルとカフェコンレチェ。最高に美味しかった。
やはりぷらぷらと散歩をして、ダラダラと日中を過ごした。
結局アルハンブラ宮殿にも行かなかった。
喋って、お土産にハンドクリームを買って、スペイン特産らしい少し大きめの扇子を買った。
扇子は自分用に、エマに色や柄を選んでもらった。
地元の人の間では有名な丘があると言う。そこに登って夕日を見ようということになった。
気温はそんなに高くなく、カーディガンを持っていっていたくらいだが、丘を登っていると少し暑くなってきた。
自分の影がはっきりと前を歩いている。
あとどのくらい登ればてっぺんに着くのだろう。
私は富士山を登ったことがある。
歩くのは嫌いじゃない。脚には自信がある。
20分ほど登っただろうか、唐突に踊り場のような、拓けた場所に着くことが出来た。
人々がそこに座ったり、立ったりして写真を撮っていた。
おそらくここが夕日の名所なのだろう。
私達もそちらへ行ってみる。
柵などは一切なく、今まで登ってきた岩階段を、簡単に見下ろすことが出来た。
日本の六甲やビルの屋上から見える夜景とは全く違う。
その岩のゴツゴツとした、映画で見るようなヨーロッパ特有の地形、日本の屋根瓦とは全く違う海外の家々。
それらを一望することが出来た。
言葉にならないくらい夕日は美しかった。
こんなに綺麗な夕日を、こんなに穏やかな気持ちで見たことがあるだろうか。
ジブリ映画の背景シーンのように、ゆっくりと目線を左から右へと送っていく。
本当にどこもかしこも綺麗で、どこに何があるかなんてなにひとつ知らなかったけれど、私は確かに自由で、この美しさを胸に刻み込むことが出来た。
高校生の頃、J・Kローリングがこんなメッセージを発信していたのを覚えている。
"まだあなたが見たことの無い美しい景色がこの世にはたくさんある。だから今は辛くても、判断を早まらないで。"
といった内容だったと思う。
その日から、その美しい景色とはなんなのだろうと考えいた。
富士山頂から見た日の出も美しかった。かなり疲労は溜まってたが。
フロリダの空も美しいと聞く。いつか見てみたい。
私には、まだ見たことの無い美しい景色が世界にはたくさんあって、見たい景色がたくさんあって、そして今間違いなく、人生でいちばん美しいと確信できる夕日を目の当たりにしていた。
自分の写真など人生でほとんど撮らなかったが、さすがにこれは収めておきたいとエマに何枚か取ってもらった。
なんてポーズをする訳でもなく、ただ私が座っていて、その後ろ姿とグラナダの景色を。
いつになっても、いくつになってもこの夕日が私の頭の中から離れない。
世の中には辛いことがたくさんある。
ただ生きるというのはあまりに残酷なことなのである。
そんな世の中をひとり、強く足を踏ん張って生きる際に
心にひとつの美しい景色があるとだいぶ変わってくるのではないかと思う。
最後に
私がこうして、美しい景色について書きたくなったのは
本当に感動した夕日だったこと
J・Kローリングのツイートをかつて見て、心が救われたこと
そして根底に、10歳の頃に母から貰った"星の王子さま"という愛読書があることが大きいと思う。
今改めて読んでみる。
素晴らしい本である。
何度読んでも違う感じ方をする。
サン・テグジュペリにとっての、いちばん美しくいちばん悲しいアフリカの砂漠の景色。
私は旅行が好きだ。ヨーロッパだけでなく、アジアもいくつか訪ねたことがある。
未だ、アフリカの砂漠へは行ったことがない。
いつか行きたいとロンドンにいた頃もそう思っていた。
私ももうほとんど大人になってしまった。
大切なことを目で、数字で換算するようになるだろう。
箱の中のヒツジなんてとうに見えない。
それでも、自分の中の美しい景色を忘れずに生きていたいと思う。
私の中にこのグラナダの夕日がある限り、私という人間はキラキラと輝くだろうから。
全てから解放された、自由なエマとの数日間の旅行は私を素晴らしい人間にしてくれたのだから。
今年10歳になる従兄弟にこの本を譲ろうと思う。
私はもう何度も読んだから。
そして私がいつか、それを読んで子供たちが元気づけられるような作品を書きたいと思う。
世界一美しい景色 カリーナ @Carina
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