がんばれの言葉が嫌いになった日

まる。

がんばれの言葉が嫌いになった日

いつからか、〝がんばれ〟の言葉が嫌いになった。


 「何かを達成するには、頑張るしかない」「頑張るのは当たり前」

「遊んできたから明日から頑張れるね」なんて言葉、昔は気にもしなかったのに最近は敏感に反応してしまう。軽く流せないほど疲れているのか、聞き飽きたのか分からないけれど心にモヤモヤが溜まる。

社会人二年目。熱い日差しが続く毎日から突然涼しい風が吹き始め、秋を感じるここ最近。みんな大好きお芋のスイーツや旬の栗を使ったモンブランなど、どこもかしこも同じ商品に見えてしまう。秋に旬の食べ物は基本好んでいない為、楽しみはどの季節よりもない。午前の仕事を終え休憩に入る。ランチには必ず外に出て、外の空気を吸うようにしている。二十歳の頃にこの世のものをすべて食べた気がすると母にぼやいた。母は少し笑って「分からないな~」と言いお肉売り場を眺めながら今日の夜ご飯について考えている。家族の為に四六時中ご飯のことを考えている。二十歳で食べたいものがないなんてこの先どうなるんだと、残りの約六十年のことを考えるとこの先がつまらなく思った。そんなことを思い出しながら都会のオフィス街を歩く。

「この間同じ職場の方から教わった韓国料理にでも行ってみようかな」ランチ千二百円の文字が大きく目に写ったが、その時間と空間を買っていると思えば気にならなかった。やけに親切な店員さんは、椅子を引いて席に案内しゆっくり選んでいいですヨと流暢な日本語で話す。石焼ビビンパを頼むと店員さんはオーダーを後ろにとばす。センター分けの髪型の三十代前半くらいのお兄さんが自分で注げばいいお茶を注いでくれたり、何度も様子を見に来てくれる。初めてのお店の使い勝手が分かっていないのを察知している。なんだかお姫様になったみたいと大げさなことを考えながら、後ろの男子大学生四人グループの話が聞こえてきた。かわいいの?という言葉を連発している人の声とそれに応え笑っている声が聞こえる。アイドルの話かと思えば、同じ大学の学部の女の子の話をしているみたいだ。自分がいないときにこんなに話のネタにされるのは気持ち悪いしちょっといやだなと自分のことみたいに考えてしまう。アツアツの石焼ビビンバが出てきて、コチュジャンをたっぷり入れると美味しいヨと教わりその通りに入れ半熟の卵と具材を混ぜた。韓国特有の銀色のスプーンにバランスよく乗せ口に運んだ。「かっら…!」と慌て水を口いっぱいに含みサラダを頬張った。完全にやり過ぎた。味はいいのに私が白い部分をなくすくらいにコチュジャンを入れたせいで、おいしいより辛さが勝ってしまった。もう一度よくかき混ぜさっきより念入りにフーフーして、いざ。

 お腹が満たされ口の中がヒリヒリする中休憩が終わり仕事に戻る。まだ暖房を付けるには早い時期だと思うのだが十年目の愛先輩は素早い動きで暖房の電源と温度を設定した。事務と言っても医療事務な為、ずっとパソコンの前に座っているわけではなく小走りで動くこともある為、皆パンツスタイルが多い。その中愛先輩だけスカートに肌色のスパッツを履いていた。パンツ姿を見たことがないことからおそらく、スカートしか持っていないだろう。だからいつも自分の都合だけで暖房を管理していた。それに文句を言う人たちはいないし、不満に感じている人たちは全員辞めていったと風の噂で聞いた。その噂を聞いてからこの職場には愛先輩が魔物かもしれないと気づき始め、私の心と身体にじわじわと異変がでてきた。


街の明かりはクリスマスの照明に変わり赤いタータンチェックのマフラーやサンタと子犬がレンガの家の前で雪を眺めているスノードームが売られていている。今年も終わりが近づいていると共に私の心も終わりに近づいていた。休日の夜には必ず自分の部屋のベッドで泣いてから寝るのがルーティンになっていたし〝行きたくない〟〝もう頑張れない〟〝怖い〟誰にも届かない小さな声は毛布に吸収され浅い浅い眠りについていた。寒さで鼻につんと痛みが走った。平然を装い食パン一枚食べようとすると目頭に熱いものを感じた。それでもいつも通り軽くメイクをして髪をセットしてダウンを着て電車に乗る。味方のいない職場は地獄そのもので嫌なことが何度もフラッシュバックされる。ついこの間二歳年上の先輩が辞めてしまった。それに関して特に相談されていたわけではないが、帰りにアイドルの話をしたり職場近くの美味しいお店を教えてくれたり話しやすい存在だった。そんな貴重な存在がいなくなってしまったのは私の心にも大きな穴が空いてしまい、クリニックも貴重な人材がいなくなってしまい先行きが怪しくなった。詳しい事情は分からないがここ最近、愛先輩から無視をされ続けありがとうございますやすいませんと言っても目も合わせてくれないらしい。そうしたら周りの人たちまで必要最低限の会話しか発してくれなくなったらしい。月に何回かメンタルクリニックに通い薬を処方されなんとか仕事をしていたが十一月末をもって退職した。周りの人たちは自分が次のターゲットになりたくないがために、その人を売ったのだ。まるで子どもの頃のいじめそのものだ。この令和の時代に大の大人が集団いじめ。上司に相談してもあと一週間様子をみてから伝えるからと言うだけで結局それは実行されなかったと。一生懸命頑張って働いたお給料が診察料と処方箋料に取られる。そんなの悔しすぎると自分のように悔しくてしょうがなかった。せめて私だけでもその人の味方でいてあげたかった。そのパワハラ魔物がいても。それから気の強い愛先輩の話を上手く聞けなくなった私は言葉数が減りなんて返していいか分からなくなった。私が悪いと思っているのと言わんばかりの表情で「とりあえずミスせず仕事してさえしてくれれば誰でもいいのに」と話しかけられそうですねとしか返せなかった。その返答が気に入らなかったのか、前からパワハラの候補に上っていたのか分からないが、次のターゲットは私になった。

 悪くない人が体調を壊し会社を辞めざる負えなくなり、嫌がらせを続けるようなパワハラが何年もそこにいつ続ける。そんな理不尽な社会にあらがえばあらがうほど体力や精神をすり減らし徐々に身体に異変が生じ正気ではいられなくなる。体調不良で簡単に休めたらいいのにって軽く言って傍を離れる奴。私にあえて関わらないように無視する奴。軽く大丈夫なんて言ってくる奴。色んな奴がいるそんな日々がまた始まるんだと思うと足取りが重くなる。

 ターゲットが私になって二カ月が経った。毎日毎日懲りずにパワハラモンスターはやってくる。始業時間の二十分前から誰がやると決まってわけではない仕事を始める。花に水をやるためベランダに出ると、二月の厳しい風が頬に強く突き刺さる。風に揺られているのは花びらではなく枯れ葉、に水をやり二週間前まではチューリップの芽がすくすくと成長していたはずなのにこの頃は一ミリも伸びていない。枯れ葉に水をやった後は、全ての空調機をスタートさせ、加湿器に水を入れる。入社して約二か月を経った頃、一度だけ空調機に電源を入れるのを忘れてしまった日がある。私はそれに気づかず、必要なカルテやメッセージが書かれた書類をパソコンで入力していたとき、始業時間ギリギリに出勤してきたパワハラモンスターは私に怒鳴り散らかした。「新人が癖付けてやらないとダメに決まってんだろう、ありえないだけど」。と言い放ち休憩室に戻って行った。患者さんがくる受付開始時間にはまだ十五分以上ある為、その時に気づいていれば今日はそつとなくいられたのに今日は一日空気のような居ても居なくても存在しなくてもいい扱い決定だ。早く今日が終わればいいのにと心の中で呟く。昔にあった出来事がまた起こるなんて思わなかった。新人だからやって当たり前。新人にお礼を言わないのが鉄則。そんな風習がここには続いている。なんとか断ち切ることはできないか社会人三年目になっても変わらずある問題。何とかしてポジティブな自分を出すが最近それも効かなくなり作業ロボットと化した。〝もう誤魔化せないレベルなんだ〟と身体が訴えていた。


夢をみないで熟睡できたのは仕事を辞めると思い切った翌日だった。仕事に行くことに限界という限界を迎えた私の見た目は頬が削られ部屋着の首の少しあいたトレーナーから見える鎖骨ははっきり現れ体重が五キロは減っていた。心身健康だった頃の体重は標準体型から美容体重からモデルさんの推定体重になっていた。始めは痩せたことが嬉しくてデニムパンツの試着でMサイズとついでにSサイズももって試着をした。ウエストはSでもいいくらいちょうどよかったが、丈が長いほうが足長効果が期待できるためMサイズを購入した。あの頃はまだ嫌なことを流せていてダイエットに成功と思い込んでいたがそうではなかった。今思うと食事に気をつけ運動をしていたわけではなく、精神的な問題から食事が喉を通らなくなった。食べる量が減り食事の時間が楽しいとか美味しいとか何も感じなくなっていた。人は一日に一万個から六万個の考えごとをするらしい。しょうもないことから大真面目なことまで色々と。その内の八十パーセントはネガティブな思考らしい。仕事に行かなくなった日から様々なことを深く考えるようになった。それだけ時間があり体調を回復するには良い機会なのかもしれない。睡眠だってちゃんととれるようになった。パワハラモンスタ―が夢に出てこないし、歯を食いしばって寝なくていいし熟睡ってこんなにも頭がすっきりして物事が前向きに考えられるんだ。夢でも嫌な奴がでてきて休む暇も与えてくれない日々とはお別れだ。しばらくはやりたいことを一通りして、自分の好きを仕事にするか仕事とは切り離すか考え世の中には数え切れない多くの仕事があることを知るチャンスだと思って職を探していこうと思う。頑張れって自分を追い込む言葉ではないことに気づいた私は、自分に頑張れって呟いていた。頑張ってた自分がいたんだと。これからは今までの人生経験〝まだ二十四年しか生きていないけど…!〟や個人的に面白かったエピソードを気まぐれに更新していこうと思う。

未来の私へ。頑張ったあとのご飯は美味しい?


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