廃墟好きのカノジョ

高田正人

第1話



 前野縁(まえのゆかり)は俺からすれば、クラスの不思議な女子でしかなかった。

 背が高めで、スレンダーで手足が長い。少しクセがある短めのヘアスタイルで、かなり美人の顔は無表情で何を考えているのか分からない。

 特に深海みたいな瞳が印象的だ。見つめられたら吸い込まれそうな雰囲気がある。

 俺は本郷敬一。ホラー映画が好きなだけでごく普通の日常を送っている。



 俺が高校の昼休みに、新作映画「廃嘘」の批評をスマホで見ていた時だった。

 紛らわしい題名で、よく「廃墟」と間違えられている。若者たちが無断で入った心霊スポットの廃墟で怪異に遭遇し……という内容だ。

 評価は中の下だ。俺は大抵のホラーは楽しめるので、実際に見ようか迷っていた時だ。


「そこ、鶴ケ崎市にある廃墟だね」


 いきなり後ろから声をかけられた。

 俺が振り返ると、前野縁が立っていた。じっと俺の手元を見ている。スマホには「廃嘘」の映像。朽ちた建物の前で茫然と立つ主人公が写っている。


「知ってるのか?」

「俳優は全然知らない。でも場所は一目瞭然」


 そう言って前野は、自分のスマホの画面を見せてきた。それは確かに「廃嘘」の舞台となった建物の画像だった。


「前野さん、自分で行ったの?」

「うん。私、廃墟マニアだから。これとか見て」


 言われて俺は彼女のSNSを見てみた。確かに廃墟の写真がたくさんアップされている。ホラー映画のロケに使えそうな場所もある。


「本郷君はこういうの好き?」

「俺はホラー映画が好きなんだ。でも、あれってよく廃墟が舞台になるだろ? だから廃墟が好きって気持ちも分かるかも」


 言ってから俺は、安直だったかな、と思った。廃墟マニアって廃墟の静けさや人が居た証を楽しんでいるだろうから、下手なことを言ったかもしれない。


「嬉しい。私の周り、分かってくれる人いないから」


 だけど前野は嬉しそうな顔で笑った。それから一歩俺に近づく。


「ねえ、よかったら今度一緒に行かない?」

「行くってどこに?」

「廃墟。西原病院って知ってる?」

「危なくないか?」


 いきなり誘われて戸惑う俺だったけれども、前野は心持ち胸を張った。


「大丈夫、ちゃんと許可は取ってある。危険なことをして周りに迷惑をかけるのは駄目だよ」

「まあ、確かにそうだよな……」

「一人で行くのも飽きてきたから。本郷君さえよければ、二人で行こう?」


 無防備とも思える前野の誘いに、俺はついうなずいていた。



 そして一週間後。西原病院に行く日になった。

 山の中腹にある病院で、療養施設としても使われていた場所だ。記念館にする計画が何度か立ち上がっていて、未だに解体されていないらしい。


「楽しみだね」


 ガタガタと揺れるバスの中で、隣に座る前野が話しかけてくる。高校ではいつも一人でいる前野が、今日は活き活きとしていて別人のようだった。

 やがて目的のバス停に着いたので降りる。

 鬱蒼とした林の中の道をしばらく行くと、古びた病院にたどり着いた。朽ちた門にはかすかに「西原病院」の文字が。


「うわあ……これはすごいな」


 俺は改めて全体を見上げる。これは夜来たら怖い。

 ホラー映画だったら霊安室とかを覗きに行って、怪奇現象に遭遇するんだよなあ。

 俺の考えを前野は察知したらしい。こっちを向いて念押しする。


「危険だから奥には入れないよ。何度も言うけど、ルールを守って安全に見るのがマナー」

「分かってるって。中に入ろう」


 俺は前野と一緒に病院の中に入る。病院内は薄暗く、ひんやりとしていた。埃っぽい臭いが鼻をつく。前野が先に歩き出したので、俺も遅れないようについて行った。


「こういうのを昔患者さんが使っていたんだね」


 前野が指差す先を見ると、ベッドや点滴台が並んでいる。そのどれもがぼろぼろになっていた。

 横目で前野を観察すると、目を輝かせて周囲を見渡していた。趣味に熱中している時はこんな感じなんだなあと、新鮮な気分だった。

 廊下を歩いていると階段が見えてきた。


「ここをみんな上り下りしてたんだね」

「あ、二階に行けるんだ」


 けれども前野は首を左右に振る。


「だめ。二階は危ないから入れない。ほら」

「本当だ」


 確かに、階段はロープで封鎖されていた。


「信頼されて許可が降りたんだから、ここから先は絶対行かないよ」

「ああ、もし事故でも起こしたら二度と入れないからな」

「そういうこと」


 俺は、廃墟に無断で入って大怪我を負った人のニュースを思い出す。あんなことになったら大変だ。


「じゃあ、引き返すか」

「そうだね」


 俺たちは戻って広いロビーを見て回る。そこには大きな柱時計があった。針は止まり、ガラスも割れている。それでも前野には宝物に見えるらしく、夢中で写真を撮っていた。


「怖くない?」


 俺は改めて聞いてみた。


「全然。本郷君は?」

「俺はちょっと怖いな。幽霊なんていないって分かってるけどさ」

「何かあったら守ってあげる」


 前野の言葉に俺は笑うしかなかった。


「それ、普通男子が女子に言う台詞だろ」

「そうかな?」

「そうだよ」


 そう言いながらも俺は少し嬉しかった。

 その後も一通り廃墟の雰囲気を堪能してから、俺たちは外に出た。太陽の光と木々の緑が目に眩しい。


「今日は楽しかった。また行こうね」

「ああ。ホラー映画の舞台に自分で行くとは思わなった」

「いい体験でしょ」


 前野は俺と行く廃墟探索が気に入ってくれたようだった。

 ちなみに、記念に撮った病院の前でのツーショットを後でよく見たところ、窓に人の顔みたいなのが映っていた。やめてくれよ。



 こうして俺は時々前野と休日に出かけて、廃墟を見て回るようになった。きちんと前野は持ち主や市町村に許可を取って、安全な範囲だけを決められた時間にだけ見ている。

 そんなある日のことだった。

 俺たちはその日、笠原ロープウェイという廃墟に行く予定だった。けれどもあいにくの雨、それも豪雨になってきたので諦めて帰路についた。


「さすがにひどいな、この雨」

「困ったね」


 お互いを雨から守るようにして道を歩く。前野は俺にぴたりと肩を寄せてきた。

 結局、俺たちは使っていない別荘の軒下に入ってしばらく雨宿りすることにした。


「頭拭いてあげる」


 前野は自分のタオルで俺の肩や頭を拭いてくれる。


「じゃあ、お返しに俺も」

「うん」


 俺がタオルで頭を拭いてやると、前野は目をつぶってされるがままになっている。なんだか、雨が降ってきたので家に飛び込んできた飼い猫みたいだ。

 前野の距離感はいびつだ。普段はそっけないのに、突然こっちのパーソナルスペースに入ってくる。ますます猫っぽい。

 俺たちは別荘の玄関にもたれかかりながら、とりとめもない話をした。前野と一緒に廃墟の掃除をしたこと(持ち主に依頼されたので)、流行っている漫画のこと、『ホーンテッドシャーク』『ギャラクシーシャーク』『アポカリプスシャーク』三部作のこと――。

 ふと隣を見ると、前野は「なんでサメ?」という顔をしていた。俺は我に返る。


「すまん。サメ映画はマニアックだよな」

「ううん。面白いよ」


 前野がほほ笑んでくれたのでほっとした。けれども、そこで会話は途切れてしまう。雨はまだ激しい。


「ねえ、本郷君。私、ずっと思ってたんだけど」


 俺は耳を傾ける。「サメってあまり人を襲わないよ」って言ってくるんだろうか。


「私たちって、付き合ってるように見えるかな?」


 予想をはるかに上回る発言だった。朝目を覚ましたら、隣にサメが寝ていた気分だ。


「いやいや! 廃墟に行くくらいで恋人になれるんだったら世の中の男女はみんなカップルだし! 周りだって別に俺たちを見て『あ、カップルだ』だなんて思ってないって! きっと!」

「必死だね」

「ぐっ……」


 前野の深海のような瞳がじっとこちらを見ている。


「私と付き合うのは嫌なの?」

「嫌じゃないけど……いきなりすぎない?」

「そう。じゃあ別にいい」


 前野はあっさり引き下がると、玄関にもたれて雨を眺め始める。やっぱり前野の距離感は独特だ。急接近したかと思ったら、一瞬で離れる。


「本郷君、やっぱりちょっといい?」

「うん、どうした?」


 サメ映画の話に付き合ってくれた前野に、俺もとことんまで付き合う気になっている。どうせ雨が小降りになるまで暇だ。


「……試してみる」


 そう言うと、前野は身を起こして俺に寄りかかった。こちらを見上げたまま、前野の手が俺の手を握る。滑らかで冷たい手だった。


「前野?」

「じっとしていて。すぐに終わるから」


 そう言って前野は、まるで心音を聞くかのように耳を俺の胸に押し当てた。深呼吸している。


「前野君、私にキスしてみて」

「は?」


 前野は自分の頬を指さした。


「ここに」


 そう言って、前野は俺の肩をつかんでぐい、と引き寄せた。


「ほ、本当に?」

「ほっぺたに軽くでいいから」

「あ、ああ……」


 前野が願うなら――俺は覚悟を決めた。前野の肩に手を置いて、顔を近づける。いよいよ唇が頬に触れようとしたその時。顔に前野の手が当てられた。

 ……あれ?


「やっぱり駄目。恥ずかしい」


 前野は顔をそらしてしまった。すりよってきた猫を撫でようとしたらパンチされた気分だ。ひょっとして、俺はからかわれたのか?


「まあ、前野がそう言うなら……」


 でも、前野の方から「キスして」と言ったんだから、断るのも前野の自由だ。もやもやは残るけど、女の子の気持ちは尊重したい。


「ごめんね。からかったわけじゃないんだ」


 前野はするりと俺から離れる。ようやく雨が小降りになってきた。


「行こう。これなら予定の電車に間に合うよ」


 笠原ロープウェーにはまた今度行こうね、と前野は今までと変わらないフラットな調子で言った。

 俺は何も言えずに、傘をさした前野の後に続いたのだった。



 後日。

 午前の授業が終わった。俺はパンと牛乳を買って教室に戻ると、前野が自分の机で弁当を食べていた。一人ぼっちなのを気に病む様子は全然ない。


「前野」


 俺が近づくと、前野はペットボトルのお茶を飲んでから「本郷君」と名前を呼んでくれた。


「隣、座る?」

「いいのか?」

「うん。昼休みが終わるまでそこ、空いてるから」


 俺は前野の隣に座り、パンの袋を開ける。


「前野は弁当持参なんだな」

「うん。お母さんが早起きして作ってくれる」

「へえ。毎日食べるのが楽しみでしょ」

「私、結構大食いなんだ。あんまり太らないけど」

「そりゃ羨ましがられる体質だな」


 カレーパンを食べながら、俺は前野の弁当をちらりと見る。もう結構食べ終わっている。大食いと言うより早食いだ。


「食べたい?」


 前野が鶏のから揚げを箸でつまんで俺の口元に突き出した。「あ~ん、して」と言わんばかりの表情だ。

 さすがに周りの視線が気になる。でも断ると前野の好意が……


「い、いただきます……」


 俺は覚悟を決めてから、差し出された唐揚げを食べた。濃いめの味付けがいい感じだ。


「うん……おいしい」

「よかった。お母さんに伝えておくね」


 前野はちょっと嬉しそうに言う。

 こんな感じに、俺たちはずっとつかず離れずの関係だ。


「本郷君が、焦るタイプじゃなくてよかった」


 前野が箸を置いてそう言う。


「焦る?」

「そう。私、人との距離感ってよく分からないから。こうやって、くっついたり離れたりして、一番納得できる位置を探してる感じ」

「ソナーみたいだな」

「変なたとえ。でもそうかも。焦らないでね。私、もどかしいくらいじゃないと無理なんだ」


 前野は自分のSNSに廃墟の写真を投稿しているし、同好の士はネットには多いだろう。でもリアルでは誰とも関わらない。俺だって、前野とこんな関係になるなんて思っていなかった。

 本当にちぐはぐな距離感だ。



「そういえばさ」


 俺は前から知りたかったことを聞いてみることにした。


「うん」

「前野ってなんで廃墟が好きなんだ?」


 直球の質問に、前野はしばらく考えていた。「言って分かるかな?」と自問しているように見える。


「――『箱庭』みたいだから」


 ややあって、前野はぽつりとそう言った。昼休みの教室は騒がしいのに、その言葉ははっきりと聞こえた。


「箱庭?」

「心理療法の一つ。砂を敷いた箱の中に、動物とか人間とかのおもちゃを置いていくの。その配置とかで、作った人の心の中がある程度分かるみたい」


 前野はこともなげにそう言った。心理療法と聞いて、前野が変わり者扱いされている現状を思う。もっと幼かった時は、どんな扱いだったんだろうか?


「やったことがあるのか?」

「昔……両親に連れて行かれて、ちょっとだけ」


 前野の表情は変わらない。でも、わずかに瞳が曇ったような気がした。俺の動揺を前野は感じ取ったらしい。


「私は正常だよ。趣味が変わっているだけ」


 かすかに悲しそうな顔になった前野を見て、俺はすぐに口を開いた。


「大丈夫だよ。前野の頭がおかしいとか、俺は絶対思わないから」

「どうして?」


 真顔で前野はこっちを見る。俺は少し緊張しつつ自分の考えをまとめた。まるでスピーチの授業だ。


「……俺も昔からホラー映画が大好きだけどさ。やっぱり親や周りから『不健全だ』とか『悪趣味だ』とか言われるんだ」


 俺はホラー映画を無理強いして見せたことなんて一度もない。こっちは相手の趣向を尊重するのに、中にはこちらの趣向なんて関係なく人格批判をしてくる奴もいる。

 前野はこの疎外感を分かってくれるかも――とひそかに期待したんだけど。


「私も少しそう思う。この前見たあれは怖すぎたから」


 ……残念ながら、前野もホラー映画否定派だった。


「ああ、『地獄の人肉フルコース、悪魔のチェーンソーショー』」

「すごく怖かった。夢に出そう」


 前野がむすっとした顔になった。

 以前前野が「本郷君のおすすめに挑戦してみる」と言ってくれたから一緒に映画館で観たんだけど、途中で前野が目を見開いたまま硬直してしまったので慌てて連れ出した。


「とにかく、普通の人と好きなものが違うだけで、生き方まで否定されるのが嫌なのは分かるんだ。俺がそうだからさ。だから、前野が箱庭療法を受けたとか、廃墟が好きだとか、それだけで変な奴だって思わないから」


 同病相憐れむ、ということだろう。前野はしばらく俺をじっと見ていたけど、急に目を逸らした。


「本郷君」

「ん?」

「かっこいい。胸がキュンってした」


 よく見ると前野の頬が赤い。前野が赤面するのは初めて見たかもしれない。


「あ、ありがと……」


 俺は平静を保ってそう返した。いきなりの前野のストレートな言葉は、想像以上にクリティカルだった。



 それからも、廃業したホテルの庭を見たり、誰もいない遊園地の写真を撮ったりする日々が続く。こんな前野を知っているのは俺だけだ、と思うと特別な感じがした。


「ここ、好きなんだ」


 その日、前野は俺を廃工場に連れて来た。建物の鉄骨は錆び付いていて、残っている機械類も赤錆の塊になっている。


「ずっと前から一人で何度も来てる。一番最初に来た廃墟かもしれない」


 前野は建物の一ヶ所で立ち止まった。屋根の一部が壊れて陽光が差し込んでいる。コンクリートが割れて、盆栽のように植物が育っている。

 まるで、機械文明が滅んだ後の荒廃した惑星で、一つだけ残ったオアシスみたいだ。


「もうじき取り壊されるんだ、ここ」

「え?」


 前野は無表情のまま淡々と続ける。


「入る許可を取りに市役所に行ったら、そう言われた」

「そうか……」


 まあ、当然だろうな。

 廃墟がきれいな廃墟のままなんて珍しいだろう。前野はこうやって廃墟との出会いと別れを繰り返してきたんだろう。


「ここは、私の箱庭」


 そう言って、前野は口元に笑みを浮かべる。


「いつまで経っても、私の箱庭は穴が空きっぱなしなんだ」


 人形みたいに空っぽな笑いだった。俺はいたたまれなくなって口を開いた。


「前野」

「何?」


 何を言えばいいのか分からないことに、口を開いてから気づいた。次に俺の発した言葉は、無意識から浮かんだ言葉なんだろう。


「映画、撮ってみないか? お前が主演で、俺が撮影するんだ」


 前野は一瞬だけ驚いた顔をしてから、ぶんぶんと首を左右に振った。


「絶対に嫌」


 いや、そこまで全力で否定されるとは思わなかったぞ。


「なんでだよ。トラウマでもあるのか?」

「……呪われたり殺されたり食べられたりするのは嫌」


 そっちかよ。俺は叫んだ。


「ホラーなんか撮らねえよ!」



 俺が前野を主演にして撮ると言ったもの。

 それは自主制作の映画ですらない、ただの動画だった。

 一週間後、俺はスマホを構えて廃工場の入り口に立つ前野の前にいた。


「OK、始めるぞ」

「うん、緊張する」

「リラックスして。いつも通りでいいから」

「難しいこと言わないで」


 そう言いつつも、前野は素直に応じてくれる。


「はい、スタート」


 俺の掛け声と共に、前野が廃墟を歩き出す。この動画を見る人に、自分が好きだった廃墟を案内するかのように。

 錆び付いた機械。無人の事務所。がらんとした車庫。前野は愛おしむかのように見ていく。俺はそれの記録に徹している。

 なぜこんなことをしようと思ったのか分からない。俺はいつの間にか、前野の箱庭の住人になっていたのだろう。

 ここは――前野の世界だ。

 そして最後は、あの盆栽のような場所だった。破れた屋根から差し込む陽の光が、廃工場の中で育った植物を照らしている。前野はしゃがみ込んで、じっと見つめている。

 このやっと育った生命も、取り壊される時に失われてしまうんだ。

 前野の目は、それを悲しむでもなく惜しむでもなく、ただありのままを見つめていた。

 俺は充分に時間をかけてその全てを記録してから、撮影を終えた。

 何かが、はっきりと終わる感覚があった。



 結局、俺はその動画をネットにアップロードしなかった。動画は編集したものを前野に渡して、それで終わりだ。

 でも、俺は満足していた。あの廃工場がなくなっても、動画はこの世に残るからだ。

 前野は相変わらずクラスの中で浮いている。深海みたいな瞳も変わらない。

 でも、ある日のことだった。下校途中で前野は俺に言ってきた。


「本郷君」

「ん? どうした前野。どこか行きたい廃墟とか見つけたのか?」

「違う。今度はここに行こう」


 前野が見せたスマホの画面には、廃墟の正反対、つまり今大人気のテーマパークのパレードが写っていた。



 どうして、と聞くのも野暮だったので、俺は次の休みの日にそこに出かけることにした。どう考えてもこれはデートだ。

 前野の格好も、今日はロングスカートで女の子らしい格好だった。


「今日の私、可愛い?」


 テーマパークの入り口で、前野は真顔で俺に聞いてきた。


「可愛い、って言うよりきれいだよ」


 歯の浮くような台詞だ。前野が平然と聞いてきたので、赤面させたくてそう言ってみた。


「そう」


 とだけ言って、前野はチケット売り場に歩いていく。それだけ? 俺はちょっと意地悪して聞いてみる。


「照れた?」

「照れてない」


 俺が回り込もうとすると、前野もこっちに顔が見えないように回る。やっぱり照れてるみたいだ。うん、きれいだけど可愛い。



 一緒にパレードを見たり、スローなアトラクションを前野と一緒になって楽しんでいると、あっという間に時間が過ぎていく。

 もっとも、前野はジェットコースターには頑として乗ろうとなかったし、お化け屋敷には近づこうともしなかった。


「ごめんね。私はここで待ってるから、本郷君は一人で行ってきていいよ」


ベンチに座る前野はそう言ったけど、俺はすぐに首を横に振った。


「いいよ。どうせなら今日は一緒に楽しみたいからさ」

「ありがとう。優しいね」


 うっすらと笑った前野が見られたから、俺としてはお化け屋敷に行く以上の収穫があった気がした。

 そんな前野が「今日は絶対これに乗りたかった」と言って推してきたのが、観覧車だった。

 ゆっくりと視界が広がっていく中、俺の向かいに座った前野は口を開いた。


「本郷君、今日はありがとう。ううん――今までありがとう」


 改まってそう言われて俺は驚いた。


「今までって――前野、どこかに引っ越すのか?」

「なんで?」

「なんか改まっていたからさ」

「引っ越さないよ。でも、はっきり言っておきたかったから」


 前野はせっかくの絶景を一切見ないで、俺だけをしっかり見据えていた。


「ずっと――探してた。私の穴の空いている箱庭を、埋めてくれるものを」


 箱庭。心理療法で使う、心の形を映し出す小さなジオラマ。もしかすると、前野はその箱庭療法で、かえって心の中に自分だけの箱庭を作ってしまったんだろうか。だとしたら、その療法は間違っていたんだろう。


「親は私が普通に生きていればなんでもいいみたい。でも、普通って何? 私は普通じゃないの? いつも『あんな危ない所に行くのだけはやめなさい』って言われてきた」


 俺も前野の両親の気持ちが分かる。女の子が廃墟巡りなんて危ないと思うのは当然だ。だから、前野はいつも許可を取って安全な場所にしか行かなかったんだろう。


「当てつけで廃墟に行っていたのか?」

「それもある。でも、私はずっと廃墟が好きだった。あの、誰も知られずに壊れていくところが。特にあの廃工場が好きだったんだ。でも、もうあそこはない」


 普通とは何か、なんて問いに俺が答えられるわけがない。俺だってホラー映画が好きだと言えば「変わった映画が好きだね」と反応される。

 俺と前野はどこか似ていたんだろう。


「でも――本郷君が映像として残してくれた」


 前野の伸ばした手が、俺の手に重なった。温かい手だった。


「私のことを理解しようとしてくれた男の子が、私と一緒に私の好きな場所を残してくれたんだ」


 それが、前野の求めていたことだったんだろうか。理屈っぽく否定するのではなく、ただ受け入れて一緒の時間を過ごすことを。


「私の箱庭に空いた穴を、本郷君が塞いでくれたの」


 前野が俺に顔を近づける。何か言う暇もなく、そっと前野は俺の頬にキスをした。柔らかな感触だけが残響みたいに残る。


「お礼、したかった。……迷惑だった?」


 ようやく、俺は口を開いた。完全に前野のペースにはまっている。


「まさか。めちゃくちゃ嬉しかったし、どきどきした」


 なんとかそれだけ言ったけど、前野は満足しなかった。


「私にもして」

「は?」

「してほしい」


 ぐいっ、とまた前野が顔を近づける。心持ちこっちに自分のほっぺたを寄せている。


「前キスしようとした時、直前で止められたんだけど」

「今度は大丈夫。もうもどかしい思いはさせないから」


 俺は身を乗り出して、前野の頬に手を添えた。前野が目を閉じる。柔らかそうな頬と綺麗な首筋がよく見える。

 意を決して頬に唇を押し当てた。顔から火が出そうだったけれど、前野は目を閉じたまま満足そうに「うん」とだけ言った。

 何かが、静かに満たされる感覚があった。



 イメージする。

 廃墟を模した箱庭に、ポツンと置かれた人形のような前野を。

 そこには誰もいない。一人きりだ。

 箱庭の底には穴が空いていて、ずっと砂が落ち続けている。

 さらさら、さらさらと。

 いつか前野もそこに落ちてしまうだろう。

 前野の周りには様々なものが置かれていく。でも、どれもその穴を塞げない。


 ――落ちる前に、落ちてしまう前に。


 一枚のポスターが上から落ちてきた。

 B級ホラー映画「廃嘘」のポスターだった。



 たまたま、俺は前野の心に空いた穴を埋めることができたのかもしれない。それがどんな穴なのか、どうして空いたのか、そもそも穴なんて空いていたのか。何も分からないままだ。

 それでもいい。今更確かめるのも恥ずかしいけど、俺たちは付き合っていると言っていいんじゃないだろうか。


「なあ、前野」


 俺は映画館の前で前野に話しかける。


「何? 本郷君」


 最近前野はおしゃれをするようになった。元々前野はちょっと中性的な美人なので、着こなすと同性に人気が出そうな感じになるのが面白い。


「怖いんだったら、やめてもいいぞ」

「ううん、平気。本郷君と一緒に見るって決めたの」


 そう、前野は再びホラー映画に挑戦すると言い出したのだ。今回の映画は「デッドセクター」。SFパニックホラーだ。クリーチャーが人に寄生するシーンが相当グロいらしい。あえて今回俺は批評を一切見ていない。


「割とやばいらしいけど……」


 ホラーマニアの俺の言葉に、前野が唾を呑んだ。けれども、すぐに不敵な笑みを浮かべる。


「怖くなったら、本郷君にぎゅってしがみつくから大丈夫」

「もしかして……それが狙いだった?」

「さあ?」


 まあ、これはこれで嬉しくはある。俺たちは並んで映画館に入っていく。

 変わった趣味の人間同士、きっと俺たちはパズルのピースみたいにピッタリとはまっているんだろう。

 悪趣味だとホラーを非難する奴に言いたい。悪趣味でも、時にはこんないい巡り合わせがあったりするんだぞ。



 肝心の「デッドセクター」は――完全無欠のクソ映画だった。

 中盤からシナリオや映像にひどい手抜きが見えて、ため息をつきたくなる惨状だった。

 前野は俺に抱きつけなかったことが残念だったのか、珍しく不満を顔に出していた。

 じゃあ、次は何を観に行こうかな。

 今度こそ、期待通り前野が本気で怖くなるような奴にしないとな。


[終]

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廃墟好きのカノジョ 高田正人 @Snakecharmer

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