第50話 明王山


 

 ドーン……ドーン……と爆発音にも似た音が狭い通路に響き渡る。

 

 その度に、鰐淵の機械化腕サイバネアームと生身の肉体の接合部から、腰から生えた機械化尾サイバネテールの接合部から血が滲む。

 

 微粒構造金属ナノメタルの盾は何度となく原型を失っては再生を繰り返し、形状記憶合金といえど、その形は歪に変わりつつあった。

 

 骨が軋んで……

 

 ドーン……

 

 身体がバラバラになりそうや……!!


 ドーン……


 姉さん勝ったやろか……?


 ドーン……


 兄貴……

 

 

 衝撃と痛みで飛びそうになる意識の中、鰐淵の脳裏に様々な映像が浮かんだ。

 

 金ちゃん、さくら、闇医者の源、オカマバーの面々と、記憶は過去へ過去へと退行を続けていく。

 

 それは繰り返さる衝撃音と、緊張状態の脳が生み出すある種の退行催眠の様相を呈して、鰐淵の身体を置き去りに、意識を過去へと運んでいく。

 

 

 國松のおやっさん……


 なんで血まみれで笑っとんねん……

 

 兄貴、絶対認めへんけど泣いとったな……

 


「お前が弱いせいネ……!!」

 

 盾の向こうで誰かがそう言った。

 

 

 弱い……?

 

 ワシが……?

 

 國松のおやっさんと兄貴に出会うまで負け無しのワシが弱い……?

 

 記憶はさらに遡り、相撲部屋の光景が蘇る。

 

 そこには土にまみれた同門力士達が、怯えた顔で鰐淵を見上げていた。

 

 

 ほれ見い……!!

 

 ワシは無敵やった……

 

 明王山の名に恥ひん鬼の強さやった……

 

 そのワシを……

 

 相撲連のアホどもは……

 

 

「甲羅に引き籠もったお前みたいな弱虫必要ないヨ……!! さっさと退くイイ……!!」

 

 

 ドクン……


 鰐淵の記憶がさらに暗い過去へと沈み込んだ。


 気がつくと、あたりは自らの糞尿が作り出す泥沼の底に変わっていた。





 ここ……ワシの部屋か……?


 そうや……

 

 強さに溺れて調子こいとったワシは……

 

 酔ってる隙に相撲連の連中に闇討ちされた……

 

 それで腰砕かれて……自分の足で二度と立てんようなったんや……

 


 鰐淵が視線を下半身に落とすと悪臭を漂わせるオムツ姿の自分が見えた。

 

 それと同時にジュクジュクと爛れた股間から、痛みと痒みが襲ってくる。

 

「おい……!! 誰かおらんか!? 介護のオバハン!! おるやんやろ!? こっちはちゃんと金払っとんやぞ!? ちゃんと仕事せんかい!!」

 

 しかしカーテンの閉ざされた薄暗い部屋には、人の気配がない。

 

 静まり返った部屋の中、鰐淵の脳内を底知れぬ恐怖が襲った。

 

 い、嫌や……

 

 このままここで自分の糞にまみれて死ぬんは嫌や……

 

 女もワシのこのザマ見て消えよった……

 

 ワシは……

 

 ワシは……

 

 ……

 

 

「おい? お前が元明王山か?」

 

 その時、男の声がした。

 

 青褪め涙と鼻水を垂らしながら顔を上げると、玄関に黒服を着た眼鏡の男が立っている。

 

「誰やワレ……? 何の用や……?」

 

「俺は黒澤ってもんだ……お前に美味い話を持ってきてやった」

 

「ワシの力士時代の金狙っとんのか……帰ってくれ。これから一生介護のオバハンに貢なアカン大事な金や……お前みたいなんにくれたる分はびた一文あらへん……!!」

 

「鬼の明王山も地に落ちたもんだな……お前、本当にそれで満足か……?」

 

「何やと……?」

 

「俺等みたいなハグレモンは、弱くなったら終いだ……誰も見向きもしやしねえ……お前もそうだろ? 弱いお前には取り巻きの一人も残っちゃいねえ……」

 

「それくらいにしとけよ……? ボケが知った口叩いとったらドタマぶち抜くぞゴラァぁあ!?」


 鰐淵は枕の下に隠した44口径を向けて叫んだ。


 しかし黒澤は一ミリも表情を変えず鰐淵に歩み寄ると、胸ぐらを掴んで叫び返す。


「撃てるもんな打ってみろ!? この腰抜け!! てめえはこのままババアに金搾り取られて惨めに生き続けるのか!? 後生大事に金を抱えて怯えて暮らすのか!? ああん!?」

 

 鰐淵は力なく手を降ろして大粒の涙を流し俯いた。

 

 やがて肩を震わせながら顔を上げると、黒澤に言う。

 

「ワシはどうしたらいい……?」

 

「俺に付いて来い……腕の良い機械化サイバネ技師を知ってる。有り金はたいて、その砕けた腰を作り直すんだよ……?」

 

 その時、眼鏡の奥でギラつく笑みを浮かべる黒澤を見て、鰐淵の身体に雷に打たれたような衝撃が駆け抜けた。



 

 そうや……

 

 ワシはこの時兄貴に救われたんや……

 

 せやから……


 もう一回自分の足で立ったあの日…… 


 この命も身体も……


 全部兄貴の為に使うって決めたんや……!!


 

 

「ぬぅおららああああああああああ……!!」

 

 鰐淵の機械化機構が激しく蒸気を吹いた。

 

 血の混じった赤い蒸気があたりに充満する。

 

「ワシはもう……引き籠もりの弱い自分やない……!!」

 

「ワシは兄貴を守るんじゃ……!!」

 

「姉さんも、お嬢も、オカマバーも、ワシが一人で守るんじゃぁああああああああ……!!」

 


 

「お涙頂戴いらないヨ……!!」

 

「くだらないネ……!!」

 

「次の一撃で……」

 

「終わりにするヨ……」

 


 盾の向こうでただならぬ気配が渦巻いている。

 

 来る……

 

 今までと比べ物にならん一撃が……

 

 鰐淵は歯を食いしばり、機械尾を地面に刺し直した。

 

 さらに深く身を屈め、前傾になってその時に備える。

 

 

黒糸無双ヘイシァンウーシァン破城大砲ポウチェンダオポウ

 

 

 左猴の右手から伸びる無数の黒糸の先には、全身を黒糸で覆われた鉄球のような右猴が身を丸めている。


 左猴は右手を後方に振るった。 


 すると鉄球と化した右猴が、伸縮自在の微粒構造金属のワイヤーを通路の最奥限界まで引き伸ばし帰って来る。

 

 風を切る轟音と、通路を根こそぎにするような突風を伴って帰って来る。

 

 

 迫りくる空気の断崖が、すでに鰐淵の身体を吹き飛ばそうと牙を向いていた。

 

 必死に堪える鰐淵の血管がブチ切れ、目からは血の涙が流れ出る。


 

 来る……!!


 本家の攻撃がきよる……!!



「兄貴ぃいいいいい……!! 國松のおやっさん……!! 力をくれぇえええええええ……!!」

 

 

 鰐淵が叫んだその時、耳元で声がした。

 

 

「おうよ……!!」

 

 

「おやっさん……!?」

 

 振り向いた先にあったのは不敵に嗤う黒澤の姿だった。

 

「馬鹿野郎が……!! 無え浅知恵絞って下らねえ作戦立てやがって……!!」

 

「兄貴……!!」

 

「絶対防御なんだろ? 死にそうな顔してねえで気張りやがれぇぇええええ……!!」

 

「ぐぅ……がってん……」

 


 べそをかく鰐淵の右手と身体を黒澤はがっしり掴んで支えた。


 同時に二人は前を向き怒号をあげる。



「かかってこいやぁぁああああああああ……!!」

「かかってこんかいぃいいいいいいいい……!!」

 


 刹那、凄まじい衝撃波があたりを埋め尽くし、通路は砂埃に覆い尽くされた。

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