第41話 この道を往くと決めたらば
足音を忍ばせながら金ちゃんとさくらは通路を進んだ。
研究室と思しき扉の前に差し掛かると、扉の奥からは不気味な音が聞こえてくる。
二人はどちらからともなく、両開きの扉の真ん中に設けられたアクリルの窓から中を覗いた。
乾いて黒ずんだ血と、よくわからない黄ばみで濁った窓からは、台に向かってぶつぶつと何事かを呟く男の後ろ姿が見て取れる。
一心不乱に作業する男は独り言に混じって時折肩を震わせていた。
それが笑っているのだということに気付いて、さくらの背中に悪寒が走る。
「行くわよ……」
突然聞こえた声に、思わずさくらはどきりとしたが、黙って頷き前を向く。
何の研究なんだろう……?
ふとそんな疑問が頭を過ったが、今はママの救出が最優先だった。
疑問を思考の隅に押しやり、さくらは侍の後に従う。
二人がエレベーターの前に立つとひとりでにドアが開いた。
侍は咄嗟に手を刀に添えたが、エレベーターの中には誰もいない。
まるで入れと言わんばかりにエレベーターは無言のまま、口を開いて二人を待っている。
「向こうさん……どうやらこっちが見えてるようね……上等じゃない……!!」
エレベーターの天井についた監視カメラを見やって金ちゃんが不敵につぶやいた。
「待って……!! それならなおさら罠かもしれないじゃん!?」
裾を掴んで止めるさくらの方を振り向き侍は口を開く。
「それでも前に進まねばならぬ時がある……この道を行くと腹を決めたならば、後戻りはしない……!!」
「それにね……」
そう言って金ちゃんは目にも止まらぬ速さで刀を抜くと、監視カメラを叩き割って言った。
「あたし、決められた道は歩かない主義なの」
「へ……!?」
そう言うなり金ちゃんは、さくらを背負ってエレベーターに飛び込んだ。
床は踏まずに壁を蹴り、天井に向かって刀を振るう。
「この上にいるとわかりゃこっちのもんじゃい!! さくら!! しっかり掴まってなさい!!」
「嘘でしょぉおおお……!?」
丸く切り開かれた天井から外に飛び出した侍は、エレベーターのワイヤーを掴み、ぐんぐん上へと登っていった。
すると猊下でエレベーターが橙色の炎を吹いて爆発する。
「エレベーターが……」
「やっぱりあのまま乗ってたらおじゃんだったわね」
それを見て血の気の引いたさくらだったが、やがて青褪めた顔がさらに引きつり、絶叫が闇に木霊するのだった。
「金ちゃんんんんんん!!」
「何よ?」
それなのにオカマは何でも無いと言った様子でワイヤーを掴んでは手繰り寄せを繰り返している。
「火が!!」
「火?」
「火がどんどん迫ってきてるうぅううううううう!!」
ちらりと下を見たオカマの目玉が飛び出した。
行き場の無い爆炎と熱が、渦を巻きながらすぐそこまで近づいてきている。
「ぎゃあああああああああ!? あんた馬鹿なの!? 早く言いなさいよ!?」
「はぁ!? あたしのせいじゃないし!! とにかく急いで!!」
「こうなったら……
「脱兎の型!?」
「今作ったのよ!! ”
「顔文字みたいにしても全っ然、可愛くないから!!」
「メタなツッコミすんじゃないわよ!! それより振り落とされんじゃないわよ!?」
侍は両足に
膨れ上がった大腿部に気が充満すると、それを一気に解き放ち壁を蹴る。
向かいの壁に激突する寸前で、侍は身体を捻って再び壁を強く蹴った。
ゴム毬のように壁にバウンドしながら、少女を乗せた侍はとんでもない速さで、上へ上へと登っていく
壁にぶつかるたび、鉄板が大きく陥没するのを見てさくらは改めて金ちゃんの凄さを実感する。
絶対人間じゃないよ……
やがて闇の奥に天井らしきものが見えてくると、侍はワイヤーを掴んで息を整え口を開いた。
「部屋に入ったらいきなり襲ってくる可能性もある。気を抜くんじゃないわよ……?」
「うん……!!」
「それからもし……いいえ……やっぱりなんでもないわ」
さくらはその言葉に尋ね返すことはしなかった。
もしかしたら……
ママはもう……
ずっと頭の片隅から離れなかった疑念。
マフィアが律儀にママを生かしておく保証などない。
それでも……
「金ちゃん行こう……!! ママが待ってる……!!」
疑念を振り払うように、さくらは
「応……!!」
金ちゃんも漢の声で力強くそれに応じると、ドアを内側から蹴り破り、部屋の中へと飛び込んでいくのだった。
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