第34話 DEBUG


「あたしの目になってちょうだい」


 真剣な表情でそうつぶやいた金ちゃんを、さくらはほんの一瞬考え込んでから見つめ返す。



「三分ちょうだい……!!」



 さくらはそう言うと視線を上げた。


 

 そこかしこにノイズが入った歪な世界がそこには広がっている。

 

 改めて眺めると、それは電子の海の中で見た色蚯蚓いろみみずを彷彿とさせた。


 

 電子空間を現実にした……?

 


 試しに壁に手を触れてみる。

 

 しかしそこにあるのは確かに存在する現実リアルな質感だった。

 

 

 ぬめぬめとした肉の壁。

 

 しかしどこか嘘臭い、悪意を孕んだ肉の壁。

 

 

「ふぇふぇふぇ……無駄じゃよ。この桃源郷から逃れる術はない……!!」

 

 

 奥から語りかける腐果老の言葉がさくらの耳にキィーン……と響いた。


 その瞬間、何も無い空間に、分子と分子の間の虚無に、電気的な不純物が生じる。

 


 この感覚……



 さくらの類まれなるハッカーとしての才が、不可視の不具合バグを感じ取る。



 これって……バグの気配……!?


 

 幾度となく繰り返してきたシステムに生じるバグの修正。


 その時の感覚を呼び覚ましながら、さくらは辺りに目を凝らした。


 すると見えないはずのコードが、微細な腐果老の遺香が、そこかしこで悪さをするイメージが脳裏に浮かぶ。



 電子の世界ではシステムに干渉してバグと戦ってきたさくらだったが、現実の世界に干渉するこのバグを取り除くことなど出来ない。



 何らかの方法で腐果老が現実にまで干渉して……


 意図的にバグを引き起こしているとしたら……



 そうであるなら、現実に干渉する術を持たないさくらが取るべき方法は一つだった。



 自分の目をアップデートする……!!


 さくらが唯一干渉できる自分というデバイス。


 腐果老に毒された歪みと嘘を見抜く目を構築する。



 こうしてさくらの脳は歪んだ世界を修正デバックした。


「よし……!! これなら……ひっ……!?」

 


 しかしそこに映し出されたのは、さらなる地獄の景色だった。

 

「どうしたの!?」

 

 さくらの異変を感じて金ちゃんが不安げな顔をする。

 

「ひどい……この肉の壁……全部……」




……」

 


 さくらの目の前に広がる損壊した屍の壁。


 その中のの腐乱した目がギョロリとさくらを見据え、思わずさくらは顔を背けた。

 


 その言葉と仕草で侍の顔にも暗い影が差す。

 



「余り物じゃよ」


 唐突に腐果老の声が響き渡った。


「拙僧とDr.喜島が織りなす至高の研究のな……廃棄物の有効活用と言っても良い!! ただ棄てるだけでは儂の心も痛むでな……ぐふぇふぇふぇふぇふぇ!!」



「あんた最低だよ……!! この人殺しの変態野郎!!」


 金ちゃんの背中から飛び降りんばかりの勢いでさくらが叫んだ。


 しかしそれをみた腐果老は嗤い声をあげる。


「カッカッカッカッ……!! 何を言うかと思えば人殺しの変態とな? ならば問うが、そのオカマと儂の何が違う? 拙僧が見るにそのオカマも……随分血に塗れているようじゃがのう? おまけにオカマの変態野郎とくれば……儂と同類ではないのかね?」



「それは……」


「ふぇふぇふぇ……答えられまい。どうやらお嬢ちゃんには儂の術が効かぬと見たが、結果は同じよ……!! オカマは嬲り殺され、お嬢ちゃんの脳は儂のもの……!! お喋りはこれにてお仕舞い! 貴重な時間が一秒でも惜しいでな……!! 鵺ぇええええ!!」





 ひょぉおおおおおおお……!!

 


 老人の声に呼応するように鵺が啼き、再び攻撃が再開されるも、侍はその場を動かない。

 

 振り下ろされる爪が迫りくる刹那の時の中に、鍔鳴つばなりの音が二度響いた。



 パチン……パチン……

 

 

 目を瞑ったさくらの背後で、ぼとり……と鈍い音がする。

 

 慌てて振り向くと、そこには切断された鵺の前足が落ちていた。

 

 

 きぃぃいいいいええええええええええ……!!



「このコは本物?」 



 鵺の悲鳴が木霊する薄闇の通路で、侍の凪いだ声が異質な響きとなって浮き上がる

 


「うん……でも、背中に回復薬のタンクを背負ってる……」

 

「わかった。頼んだわよ。あの外道は……」

 

 

 

「此処で斬る……」

 



 そう零すと、侍は奥で構える腐果老を睨みつけた。


 飛虎と戦った時よりも、冷ややかで、それでいて溶岩のような怒りを内包した侍の氣が、ビリビリと大気を震撼させる。

 

 

 その眼は怒り狂う龍の如し……



 黄金の瞳に睨まれ、先刻まで余裕の笑みを浮かべていた腐果老の背中に、ぞわ……と寒気が駆け抜けた。

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