4話


 1


 十五時、お腹が鳴って、昼を食べていないことを思い出す。

「ようこそ新聞部へ!」

 破裂するクラッカー、どうしてこの教室にあるのか分からない銅鑼の音、騒がしいタンバリンにやたら爽やかなアコースティックギター。それらが一斉に教室から襲いかかって、私は何も言わずに教室の扉を閉める。何も見なかったことにしたいが、扉はすぐに開いて中から山野が飛び出してきた。

 使用済みのクラッカーを持ち、ハッピーバースデーの文字を象ったサングラスをつけて、「入賞おめでとう」と書かれたタスキをかけ、首には赤と緑のクリスマスらしいティンセルガーランドを巻き付けている。「浮かれている」という文字を人間にしたらこうなのだろうな、といった季節感も何もかもめちゃくちゃな格好だ。今さっきまで宇宙でいちばん綺麗な君と行動していたためか、下品ささえ感じてしまう。

「蜂谷先輩!待ってましたよ」

「電話からまだ一時間も経ってないけど、それ、どうやって用意したの?」

「え?ああこの格好ですか?部室に飾りとかいっぱいあるんで、そこからできるだけおめでたい感じのものを集めてみました。どうです?歓迎ムード出てるでしょう?」

 一棟三階の端が、彼ら新聞部の拠点だ。隣は倉庫代わりの空き教室だがそこも新聞部が使用しているらしい。基本的に教室を必要とする文化部は一つの部につき一部屋しか与えられないが、それでも倉庫の使用を許されているのは、ひとえにこの部活が作る新聞が以前から町で人気を博しているからに他ならないだろう。

 山野の背後から、騒がしく暑苦しい視線が飛んできている。体感温度が二度くらい上がってしまいそうで、水風呂にでも入りたい気分だった。

「新入部員が来るよって言ったら先輩たちみんな盛り上がっちゃって!あんまり使わない銅鑼まで引っ張り出してきちゃいました」

「使うことあるの?」

「ええまあ、眠い時とかに。ここで立ち話も何ですし、ささ!中へどうぞ」

 邪険に扱われるよりは歓迎されている方がありがたいとは思うが、ここまで熱烈だと気後れするどころか逃げ出したくなってしまう。部室内の全員がこちらを見ているので気づかれていないが、君がベランダの窓から鼻から上だけを出してこちらを気の毒そうに見ている。記憶喪失で、容姿の良さに鈍感な私でさえ分かる美しい見た目をしていて、七年前に遺体が姿を消した少女にそっくりで、更に正体がヒーローである君を、好奇心の化け物の巣窟である新聞部に連れて行くのは危険だと判断しベランダから聞き耳を立ててもらうことにしたが、私の味方が側に居ないというのはなかなか心細くなるものだ。

 山野に背中を押されて入った部室は、部員の暑苦しさを払拭するように冷房が効いていいる。

「全員持ち場についてくださ〜い」

 山野が言うと、入り口に固まっていた部員たちは、浮かれたパーティグッズを教室の隅に置かれた段ボールに放り込みながらパイプ椅子に腰を下ろしていく。全員が口々に何か言っているが騒がし過ぎて何と言っているのか一言も分からない。

 正方形の教室の中心に、長机を二つくっつけて作られた正方形の大きな机が置かれている。その三辺に三脚ずつ椅子が並べられ、山野を除く五人の部員はそれぞれ定位置らしい席に座り、こちらをつま先から頭のてっぺんまで観察していた。

 椅子のない一辺の前には大きなホワイトボードが置かれている。ホワイトボードは教室後方にあるロッカーの前にあり、資料や写真がマグネットで貼り付けられ、さまざまな色と筆跡で文字が書かれていた。内容は学校の七不思議で、七月七日時点の七不思議の記事を作ろうとしていた跡だろう。消しても次の日にはまた同じ状態に戻ってしまうから、そのままにされているらしいことが見てとれた。

 足の踏み場がないほど床は資料やよく分からない器具、菓子のゴミやぬいぐるみ、クッション、楽器などが転がっており、ロッカーには今までに発行したらしい新聞がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、部屋の全体的な感想としては、散らかっているな、である。

「さて、皆さん。こちら、私が最近よく話題に出している先輩の、蜂谷静音さんでーす、今日から新聞部の一員となりました。拍手!」

 山野が手を挙げると、五人が一斉に拍手をした。全校集会でも感じたことのない拍手の圧によろけてしまいそうになる。山野に手を引かれてホワイトボード前にいつの間にか用意されていた椅子に座ると、全員の視線に囲まれてしまった。幼稚園児が見学に来た時の動物園の動物たちは、こんな気分なのだろうか。

「じゃあ順に自己紹介しましょうか。三年生から出席番号順で、名前と好きなことを言っていきましょう。はい、部長から」

「待って。下の名前まで覚えられないので、苗字だけでお願いします」

「蜂谷先輩って一見大人しそうに見えて図太いですよね。そういうとこ大好き!」

 ホワイトボードの前にいる私と向かい合う位置に座っている少女が、私と山野のやりとりに「始めるよ?」と苦笑する。

「蜂谷さん初めまして。部長の田中です。部員から受け取った記事をまとめて記事にするのが主な役割かな。好きなことは天体観測。よろしくね」

 高い位置でポニーテールが揺れている。田中は自己紹介をしながら律儀に私の前まで来て、握手をして白い歯を見せた。田中が座っていた席の隣でのんびりと「次は僕ですね」と自分を指差しているのは、特筆すべき特徴のない、中肉中背の少年だ。

「三年の藤原、副部長です。僕も部長と同じで編集をしてるよ。新聞部は一、二年がネタ探しに走り回って、三年生が編集っていうのが設部当初からのお決まりなんだ。趣味は……新聞を作ることかなあ。他に趣味らしい趣味ってないかも」

 やけにのんびりとした自己紹介で、穏やかな人なんだろうなということがよく分かる。藤原はまだ自己紹介を続けるつもりか口を開いたままだったが、「次、私!」と勢いよく明るくてハスキーな声が割り込んできた。

「二年の原田です。静音ちゃんとは同じクラスだけど、多分喋ったことはないよね?さっき副部長が言ってた通り私はネタを探して記事の内容を作ってるよ。去年まで軽音部だったんだけど、中学から一緒の池田に誘われて新聞部に入ったんだ。好きなものはギター。よろしく!」

 この髪型は、確かウルフカットと呼ばれるものだったはずだ。制服の上から学校指定ではない黒いパーカーを羽織っている。髪に隠れてはいるがよく動くため耳についた沢山のピアスが見えてしまっており、校則はあまり気にしないタイプであるというのが伺えた。

「同じく二年の池田。クラスは別だからほぼ面識ないよな。写真撮るのがめっちゃ得意。よろしく」

 パーマがかかっているようにクルクルとした髪で、四角いメガネが似合っている池田はそう言って片手をひらりと振った。

 やっと半数を超えた自己紹介に私が退屈していることに気がついたのか、外にいる君が懸命に両手で動物の形を作って芝居をしてくれている。教室前方の黒板に近くて、私から遠い場所にいるのは、窓に向かって座っている二年生にバレないようにするためだろう。

 兎が窓枠を行ったり来たりしては、こちらに手を振って、時折転んでしょげたように俯いている。その兎──ではなくて、それを真剣な顔で行なっている君があまりにも可愛らしい。表情をまだあまり上手く使いこなせていない私は耐える暇もなく思い切り笑顔になってしまった。新聞部たちが「あっ楽しんでくれてる」「良かった、入って即退部は無さそう」と騒いでいる。断じて違うし出来ることならば入りたくはないが、今は受け入れてもらうことが先決であるから訂正はしなかった。

「一年生の岡田です。探偵が出てくるミステリが好きで、謎を追いかける感じが似てるかなと思って、新聞部に入部しました。とっても楽しい部活なので、蜂谷先輩も楽しんでください!」

 腰まである黒髪がまっすぐ地面に向かっている。ハキハキと背筋を伸ばして、国語の音読のお手本のような発音でそう自己紹介をした岡田は、一見大人しそうだが今までの誰よりも声が大きい。耳の奥がビリビリする。

「最後!山野です!私の好きなことはズバリ『面白いこと』で、面白ければ何だっていいんです。この新聞部を見つけた時は天職だと思いましたね。あとそうだ、苗字だけで良いって言われましたけど、山野って可愛くないんで、ぜひ乙ちゃんって呼んでください。下の名前、乙葉って言うんです」

「山野」

「いけずなんだから、も〜」

 泣き真似をする山野に、部員たちが明るく笑った。

 一見、部員の仲が良い和気藹々とした部活という印象を受けるが、それだけでは無いと断言できる点がある。部長と副部長は取材に行かないからか目立った傷はないが、明るく笑っている一年生と二年生の体が傷だらけなのだ。絆創膏や包帯は新しく購入したものでなければ服と見なされるのだろうか、腕や足、頬のあちこちに怪我を修復している跡が見えて、青紫の打ち身も酷い。山野は出会った当初から傷だらけだったが、そのそそっかしさから怪我をしていることにあまり違和感を持たなかった。しかし山野だけでないことがわかると、その異様さが見えてくる。

「二年、蜂谷静音です。好きなことは友達と話すことです」

「えっ?えへへ、私も好きですよ」

「山野のことじゃない。……痛いことは、あまりしたくないのですが、皆さん傷がたくさんありますね」

 探るようにそう言うと、部長はやはり明るく笑っている。それが包帯だらけの体を持った部員に囲まれているにしては朗らかすぎて少しだけ怖かった。私の姉に感じていたような、本質と見かけがかけ離れている違和感への恐怖だ。

「ああ、大丈夫。怪我するようなことはみんな自分の意思でやってるだけだからね。蜂谷さんが嫌ならやらなくても全然問題ないよ」

「……例えば皆さんは、どんなことをして怪我をしたんですか」

 全員が顔を見合わせて、最初に口を開いたのは原田だ。

「皆、侵略者が来る前まではちょっと無茶して野良猫を追いかけちゃって、ブロック塀から落っこちて怪我した、みたいなのが多かったけど。最近はもっぱらヒーローとこの町の気になるところを調査して怪我することが多いかなー。乙ちゃんにも手伝ってもらいながら、私はどこまでが『いつも通り』なのかを探ってるんだけど、調査の一環で見知らぬ人に殴りかかって、それで殴り返されちゃった時に、倒れた場所が悪くていっぱい怪我しちゃった。今朝怪我したとこ靴箱にぶつけてさー、傷開いちゃって大変だったよ」

 そう言って原田はカラカラと笑いながら腕の大きな絆創膏や足に貼り付けたガーゼを見せてくる。中にはまだ血が滲んでいるものもあった。

「俺も調査の途中で怪我をしたな。化け物がどれくらい硬いのか気になって、ヒーローがまだ駆け付けてない内にたまたま家の近くに化け物がきたからさ、ちょうど良いやって、包丁を刺してみたんだ。見た目はただの獣っぽかったのに毛皮にすら傷をつけられなくて、それに驚いて逃げるのが遅れて、爪で腕を引っ掻かれた。間一髪で避けたけど風圧でも人の皮膚って裂けるんだな、見事に腕が真っ赤になったよ。流石に懲りたから二度としないけどな」

 池田も続いてそう言うと、他の部員も、口々に自分の怪我の要因を話し始めた。全員、悲しみや辛さといった感情を浮かべない。どころか目を輝かせていて、傷を誇らしそうに撫でてさえいる。私と彼らの溝がどんどん深くなっていく。

 眩暈がした。この教室にいる全員がイカれている。一年生の山野があんな感じであるから予想はしていたことだが、朱に交われば何とやらだろうか、この町での唯一の娯楽であり現実逃避のツールともなっている海窓新聞を作り続けなければいけないという行き過ぎた使命感からだろうか、いやきっとその両方で、彼らはおかしくなっていた。

 しかし同時に、今の話を聞いていて確信した。この人たちは、自分の身を捧げてもこの町の謎を解き明かそうと動いている。君は喜ばないだろうし、実際、今窓の向こうに居る君はこちらから見える鼻から上だけでも分かるほど渋い顔をしているが、命知らずな彼らを利用して情報を集めるのは、君という存在を解き明かす手助けになるはずだ。

 私は腹を括って、「私も皆さんのように、新聞を盛り上げるネタを手に入れるための苦労は惜しまず頑張ります」と言うと、彼らは私に向かって嬉しそうに拍手を送った。

「早速ですが、ヒーローとこの町について、新聞に掲載したことがある内容でも、新聞部が知っていることを全て教えていただきたいです」

「良いけど……多いよ?大丈夫?」

「はい。私がもし調査済みの謎を知らずに、同じことを調査してしまうのは時間の無駄だと思うので」

「いいね、その合理的な感じ。よーし、皆!今日は全員取材は無し。元々不定期だけど、新聞の更新も今日はお休み。今までの成果、期待の新星に全部教えてあげよう」

 田中が「用意して」と部員に指示を出すと、部員たちはスマホのメモ機能を立ち上げて自分が持っている情報を開いていく。

「ありがとうございます」

「ふふ、お礼はいいよ。情報は共有してこそ、新聞部だからね」

 窓の外、君は何かを私に伝えようとぱくぱくと口を動かし、伝わらないと諦めたのか、ファイティングポーズを見せてくれた。


 1


 侵略者が海窓に降りてきたのが七月十一日。そしてそこから十一日が経った今日、七月二十二日までに発行された、侵略者に関する記事を載せた新聞は─画像データなのでこの数え方であっているか分からないが、八部だ。全て読んだから記憶している。こうして日数をあらためて数えてみると、侵略者がやってきて一ヶ月の半分も経っていないことに驚いた。夏休みなんてまだ入って二日しか経っていない。姉の腕の中で、ただ一日が過ぎていくのを見送っていただけの人生がこの一週間と少しで劇的に変わってしまって、時間感覚が崩れかけていることの自覚はあった。

「侵略者が現れてから、私たちが調査しているのは大きく分けて四つ。一つは、『町の仕組みについて』、次に『化け物について』、そして『ヒーローについて』。最後に『侵略者について』。これに沿ってお話ししていくけど、それぞれが大きく関わっているから、内容が被ってるところもある。話が長くなっちゃうから、そこは省略するね」

 田中は自分の学生鞄からパソコンを取り出すと、どこからか取り出したプロジェクターに繋いだ。一年生が黒板前にテキパキと用意したスクリーンに、青い画面が映る。それを確認してから二年生が電気を消して、遮光カーテンを閉めていく。

「あの、すみません。私、閉め切ったカーテンが苦手で。後ろの方のカーテンは開けていてもいいですか」

 私の口から出任せに池田が「おう」と返事をする前に教室後方のカーテンを開いて、外の君と目配せをする。バレないよう、ごく僅かに窓も開けた。これで声が聞き取りやすくなったはずだ。何か言われたら換気をしたかったと言えばいい。実際、この教室の空気はどこか篭っている。

「始めようか、みんな座って」

 田中がそう言うと、部員たちは机をずらしてスペースを開け、スクリーンの前に集まって、私を中心にして腰を下ろす。てんでバラバラなようで、奇妙なほど規律の取れた集団だった。進行はこのまま田中が請け負うらしい。全員分の記事の情報を頭に入れていると言うことだろうか、流石この濃い面々をまとめている部長だ。

「まずは『町の仕組みについて』。化け物とヒーローは接触が難しいから、新聞部は基本的にこの項目の記事をいちばんよく書いてる。調査中のことも含めると、今の所、大きく分けてネタは二つかな」

 スクリーンに表示されたのは平凡な海窓町の風景だ。恐らく避難用の高台から撮られている穏やかなパノラマには、今はどこに居たって目に入るドームが写っていない。この写真が撮られたのは侵略者が降り立つ前なのだろう。

「一つ目は、さっき原田が言ってた『いつも通りの基準』。蜂谷さんはどこからどこまでが『いつも通り』だと思う?」

「私は、基準なんて元から無かったんだと思っています」

 部員たちが全員こちらを向いている。好奇心に侵食されている瞳に内心怖気付きながらも、君が見ていることを支えに私は続ける。

「侵略者も言っていた通り、この町の外に出勤していた人なんて沢山居ましたし、七月七日の状態を繰り返すことで、いつも通りには過ごせない人の方が多いはずです。そんな中で『いつも通り』というルールはあまりにもあやふやです。侵略者が、町の人間が暴れたりしないようにとついた嘘なのではないかと、私は考えています」

 ついこの間、君にも披露した持論を展開すると、田中は満足したような顔で頷く。

「うん、良いね。実は私たちも同じ考えなの。だけど根拠が必要だと思わない?だから、私たちは実験したの。狼が目を開いてる時を見計らって、滅多に怒らない藤原と岡田で喧嘩したり。後はそうね……、おとなしいクラスメイトにちょっとしたお手紙を出して、町のブロック塀に落書きをしてもらったりしたっけ。とにかく、この人はこれをしないだろうなってことを、思いつく限りやった。それでも『ペナルティ』は課されなかったから、この町での行動は明確な基準を持って制限されているとは思えない。これが新聞部の結論。今日か明日出す予定の海窓新聞オンラインにも同じことを書こうと思ってる」

 おとなしいクラスメイトが、それをもらって命をかけて落書きをしようと思えるお手紙とは一体どんなものなのだろう。聞いてみたが、田中は「新聞部ってほら、情報通だから」と曖昧に微笑むだけだ。今まで、同前が彼らのターゲットになることがなくて心の底から良かったなと思う。もし新聞部に目をつけられていたらきっと今頃山本と三宅のお世話になっている。私は大いに構わないが、君はきっと悲しむだろう。

「で、次ね。『狼の瞬きについて』」

 スクリーンに、青い目が光っている狼が映し出される。

「狼の瞬き?」

「これはまだ調査中だから新聞に掲載してないんだけどね。蜂谷さん、狼の瞬きに、少しだけ規則性があることを知ってる?」

 首を振ると、隣座っていた山野が右手をピンと立てながら勢いよく立ち上がる。

「部長!私!私が説明します!」

 眉間に皺を寄せる私を見て、田中が笑う。

「このネタはね、この子が見つけてきたんだ。……じゃあ、乙ちゃんにお願いしようかな」

 山野はトタトタと足音を立てながらスクリーン前に立つと、腰に手を当てて胸を張った。そんなポーズをされても、威張ったハムスターにしか見えない。

「私が発見した狼の瞬きの規則性は二つです。一つ目は、狼が瞬きをせずにずっと目を開けてる時間帯があるってこと。日によって多少のずれはありましたが、大体が一時から六時までの間でした。私の家の前にある狼を毎晩眺めてたので間違いないと思います。」

 つまり、人間の眠る時間に、間に狼は目を開けているということになる。人間が外を出歩かない時間に目を開いたままなのはなぜだろう。狼の役割は監視とカメラマンであるはずだ。人間も化け物もいない町を監視して何になるというのだ。目を開けたままにすべきは日中ではないのか。

「次に二つ目。この町に狼って何匹いるのか気になって、一昨日の日が傾いた頃……と言っても十八時半くらいですけど、高台に登ってみたんです。狼の目は暗いとよく目立ちますからね、高いところから町をぐるりと見渡したら、狼の目を数えられるんじゃないかって。海窓、田舎ですしね。まあ実際は思ってたよりずっと多かったし。建物の影に隠れているものもあったので、数えられないやってすぐに諦めたんですけど」

 山野が夢中になって話しているのを、部員たちは笑顔で頷きながら聞いている。宛ら溺愛している幼い子供の発表会を見守っている親のようだ。

「でね、先輩。私その時、気付いたんです。あの狼たち、一斉に瞬きしているんですけど、位置によってラグがあるんですよ!」

「ラグ?」

 聞き返すと、山野は嬉しそうに「はい」と頷く。

「近くにいたらきっと気づけないくらいのズレですけどね、狼の瞬きは、ある建物の周りから順に、波紋が広がるように瞬きをしていたんです」

「ある建物?」

 勿体ぶるような語り方をする山野に焦れて先を急かすが、「まあそう慌てないでください」と常に倍速で動いているような山野に嗜められてしまった。

「海窓高校ですよ。町の中心にある市役所の駐車場ではなくて、ここなんです!瞬きの波紋の中心がここであることに、何か意味があるはずです!例えばそう、狼を制御する電波の発信機のようなものが!」

 探偵がトリックの種明かしをするクライマックスのような仕草で、山野が床を勢いよく指差すと、周りから「いいぞ!」「その調子!」と珍妙な激励が飛んでいる。この部活に本気で取り組む気はさらさらないが、形だけでも真似した方がいいのかと口を開けかけて、君が窓の外で見ているのを思い出し、やめた。空気に飲まれるところだった。

「蜂谷先輩、私、この学校に地下があるって噂、聞いたことありますか?学校の七不思議を探しているときに教頭先生から聞いたんですけど、昨年十二月、教頭先生が二十時を過ぎる頃に学校の戸締りをしていたら、地面から男の悲鳴のような声を聞いたんですって。私、そこに侵略者がいるんじゃないかって踏んでいるんですよね」

「侵略者?円盤に乗っているんじゃないの」

「んもう、先輩も言ってたじゃないですか。あの侵略者は人間のことを知りすぎてる。だから、円盤に乗ってやってきた侵略者だけじゃなくて、この町に元々潜んでいた侵略者が居るんじゃないかと私も思っているんですよ」

 山野は「今の所分かっているのは以上です。今日、もう一度高台に登って狼の瞬きを確認してから、夜の学校に忍び込んで地下の散策をします!蜂谷先輩も来ますか?」

 それは、ベランダの君に意見を仰いでから決めよう。「行けたらいく」と言うと、山野は「それ結局来ない人の常套句ですよ。でもまあ、蜂谷先輩はそんな意図で言ってないか。オッケー、了解です」と言って私の隣に座り直し、「部長、代わってくれてありがとうございました。続きどーぞ!」と手をバタバタと動かす。その騒がしい動きに特に意味はないのだろう。

 スクリーンの映像が、今度はグロテスクな化け物で埋まる。そこには姉を殺したカラスのような化け物の姿もあって、何か私のリアクションを待っているような部員たちの視線が痛い。新聞部は山野だけでなく全員がこんな感じなのかと白けた気分になるが、あいにく姉の死を悲観していないため私の表情は崩れない。顔に感情がすぐに出るらしい岡田と山野が明らかに残念そうにしているため、余計に無表情から変えない意志に力が入った。

「じゃあ次は、『化け物について』だね。これは池田が主に調査してることで、化け物のことは何でも池田に聞くといいよ」

「何でもは答えられないっすよ、部長」と苦笑する池田にニコリと笑みを向けてから、田中は続ける。

「化け物は、七月十一日から一体ずつこの町に降りてきてる。でも池田的には、どの化け物も初めて見るものでは無かったんだよね」

 どう言うことかわからず首を傾げると、池田が言葉を引き継いだ。

「円盤が地球に降り立って、日本に襲来してくるまでのテレビの中継を、俺は全部録画してたから確認したんだよ。そしたら、ところどころに今まで海窓に投下された化け物たちの姿を見つけることができた。侵略者は、化け物を使いまわしてるのか、それとも生み出せる化け物は決まっていて、レシピみたいなものがあるのかもしれない。だから次に出てくる化け物の特性とか、もしかしたら予測できるんじゃないかって思ったけど、化け物の種類がテレビで確認できるだけでも途方もなく多いし、カメラマンがすぐに命の危機に陥るから映像が乱れすぎてて、どんな能力を持ってるかとかよく分からなかったんだよな」

 化け物の出方を知っていれば君の負担がかなり減るんじゃないかと期待を寄せて話を聞いていたが、何とも頼りない結論に達してしまって気付かれない程度に肩を落とす。

「火を噴いたり毒を体中から出したり、大きさもまちまちの化け物の共通点は、まあ知ってるだろうが、人を食おうとすること。だから俺はヒーローは少なくとも侵略者ではないと思ってる。あの治癒能力と運動神経を見るにただの人間ってことはあり得ないだろうが、人間の味方であることは間違いないはずだ」

 私は「味方に決まっています」と肯定するが、「今の所はね」と田中に一蹴されてしまう。田中が走っているところを見かけたら、積極的に足を引っ掛けにいこうと思う。

「でも部長、ヒーローは昨日……いや今日、『助けて』って言ってたんだ。侵略者の仲間なわけがない。俺がもし化け物の特性を知ってて、それを俺がヒーローにそれを伝えられてたらあんな悲鳴を上げなくて済んだかもしれないんだ。何もできなくて、本当に辛かった。中継が切れた時の絶望は思い出したくないぜ」

 一気にガッと喋ったかと思えばシナシナと落ち込む池田の腕の包帯に、黒い油性ペンで「ヒーロー命」と書かれているのに今気がついた。人から見えないような内側に書くあたりに、何というか、本気と湿度を感じる。

「……とまあ、彼はヒーローのファンなんだ。だからヒーローの役に立ちたくて化け物の調査をしてる。そうだったよね?」

 田中に問われて、池田は深く頷く。外で君が感激している姿が目に浮かんだ。

「そして、『ヒーローについて』だね。侵略者説とか、化け物説とか、色々正体の考察がされてて……」

「ああ、その項目はいいです。読み込んで、一字一句間違わずに言えるくらい覚えているので。……掲載していない内容だけ教えてください」

「今の所ないよ」

「では次に行ってください」

 おそらく自分が喋る番だとソワソワしていた岡田が絶句していて申し訳なく思ったが、私は本人から話を聞いているのだ。君を理解しようとする他人の言葉に価値などあるはずがない。それに記事の中には君が傷つくようなものもあったことを覚えている。ベランダで聞き耳を立て続けている君はもうその記事を読んだ後かもしれないが、そんな話は聞かせたく無かった。

「じゃあ最後。『侵略者について』。……正直、人間への理解が深いこと以外は現状何も分かってない。今日の山野の調査次第かなあ」

 その言葉を聞いて、山野は嬉しそうだ。好奇心を満たすと同時に、人から求められているという状況がたまらなく嬉しいのだろう。聞くことは聞けたし、当初の目的である侵略者探しは山野が進行してくれそうだ。山野とだけ交流を続けていればいいかと、やはり入部を辞退する申し出をしようとした時、教室前方の扉が開く。温和そうな表情を浮かべている中年の男は部室に入ってくると、にこりと笑った。

「みなさん、今日も精が出ますね。」

 部員たちが一斉に「お疲れ様です」と挨拶をする。何を言うにも声が大きい。

「あ、先輩、またこの人誰だろうって顔してますね。一年の世界史担当の、井原先生ですよ。うちの顧問です。去年赴任してきたばっかりで、運が良いのか悪いのかって感じですよね」

 山野の耳打ちを聞きつつも私の前に差し出された手のひらを見つめる。

「こんにちは蜂谷さん。これからよろしくお願いしますね」

「はあ……どうも」

「私は古墳が好きで、この地に越してくることがとっても楽しみでした。この海窓にも古墳があること、ご存知でした?町長は堤防沿いの町並みばかり観光地として推していて古墳にはノーマークですが、だからこそ研究があまり進んでおらず、謎に包まれているのです。この地に越してきて、新聞部でその謎に迫ろうと思っていたのですがこんなことになってしまい、誠に残念です。しかし!古墳に勝るビッグミステリーを逃すなんて気はありませんからね。謎を解き明かす仲間は多ければ多いほど良いでしょう。新入部員さん、とっても嬉しいです。歓迎しますよ!」

 新聞部は顧問までもグイグイくるタイプらしい。私は諦めてその手を握ってから、部員全員と連絡先の交換をして、このまま歓迎パーティーでも始めそうな彼らを「お昼がまだなので」と言って押し留めてから部室を出た。山野一人相手するだけでも疲労を感じていた私に新聞部全員は重すぎた。

 げっそりとした顔で校門を出てきた私に、君が「お疲れ様」と労いの言葉をかけてくれたが、平時なら涙が出るほど嬉しいその言葉でも回復し切れないくらいの疲労感が肩に乗っていた。


 2


 十七時。太陽の光が灰色の雲に遮られている。「お腹は減らないけど、食べられないわけじゃないよ」という君に道中のコンビニで買った二本入りのアイスを分けつつ、同前宅へのんびり歩き、途中で猫を撫でて、上がり込んだ同前宅の白い部屋は、蝉の声が外から聞こえるだけでとても静かだ。

「同前先生は?」

「今朝、僕が化け物を倒して帰ってきたらまだ僕の部屋に居て、特に会話はしなかったけど六時ごろまで一緒にヒーロー番組のDVDを見て、その後教員の夏休みはまだ来てないって嘆きながら学校に出勤してたよ」

「ふうん。美術教師って夏休みの間は何をするんだろうね。町の外に住んでいた先生はみんな死んじゃって、それを埋める為に担当じゃない学年の授業を見てる先生も多いけど、美術教師は元々一人だから、他の先生よりは忙しくはないと思うんだけど。あの先生が部活の面倒を見るとは思えないけど、夏休み中は流石に見てるのかな」

「ええと……、分からない。同前、僕とあんまり喋りたくなさそうだから……。僕のこと嫌いではなさそうだけど、なんで避けられてるのかなって思ってた。でも理由を知ってみれば納得だよね」

 あはは、と笑う君がとても寂しそうで、こんな顔をさせている同前に腹が立ってくる。話題を逸らそうと窓の外に目を向けた。

「曇ってきたね」

「帰る途中、雨の匂いがしてたから降るかも。蜂谷さん傘持ってる?良ければ帰る時に貸すよ」

「折り畳み傘は持ってるけど、借りたい」

「同前のビニール傘だけど……」

「やっぱりいい」

 今日だけで、君の謎が更に深まってしまった。君という存在の正体を突き止めようとして、余計に悪化させてしまった気がする。きっと君も同じ気持ちなのだろう。窓の外を見ながら、途方に暮れたような表情を浮かべていた。

「……僕は、何者なんだろうね」

「君の正体が何者でも、君は君だよ。私の友達の、猫俣創助」

 それだけは忘れないでほしいと念を押すと、君は「ありがとう」と微笑む。気休めにしかならない私の言葉が、もっと君の心を守れるような鎧になれたら良いのに。そう思った瞬間スマホから着信音が鳴って、学生鞄から取り出してみると画面には山野と表示されている。

「もしもし」

「もしもし!山野です!お昼食べ終わりました?今から来れますか?」

 興奮気味な声が飛び出す。それほど大きい音量には設定していないし、スピーカーモードにもしていないのに、その声は静かな部屋に響くほど煩い。隣の君さえ驚いた猫のように目を丸くしている。

「やっぱり瞬きの中心は以前から変わらず海窓高校です!今高台から降りて、これから学校に戻って地下室を探そうかなと思っているんですが、先輩も来ます?」

 マイクのある辺りを手で押さえながら「どうする?」と小声で君に聞くと、君は真剣な顔でこくこくと頷いた。

「これから行く」

「了解です!探しながら待ってるんで、着いたら連絡ください」

 通話終了を表示するスマホの電源を切ってカバンに入れると、私と君は白い部屋を出た。玄関に向かう途中で、今日は明かりがついていない一階のあの狂気的な部屋が目に入る。

「この家は二人で使うにしても広いけど、君の部屋はあそこだけなの?」

 聞くと、君は頷いた。

「うん。二階は自由に使えって言われたけど、僕の部屋以外は何にも置いてない空き部屋だから、あの白い部屋しか僕は使ってない。一階はトイレとお風呂、台所は使って良いけど他の部屋は絶対に開けるなって言われてる」

「同前先生はどこをよく使ってるかは知ってる?」

「うーん……、家の中でもあんまり会わないし、僕はよく二階の窓から出入りしちゃうし、用事があったら同前が僕の部屋に来るから、同前がどんな風に一日を過ごしてるのか分からないけど、平日も休日もよく夜遅くまで明かりがついてるのはあの部屋だよ。他はアトリエとか画材置き場で、あの部屋にベッドとかあるのかもね」

 君が指差す「あの部屋」は、あの狂気的な創成の絵で埋め尽くされた部屋だった。自分の顔が引き攣っていくのがわかる。学校でも美術準備室で創成の絵を描いているというのに、帰っても似たような絵を描いているのだろうか。私はうまく返事をできずに、無言で玄関を出た。

 雨の匂いが強くなっている。

「蜂谷さんは、地下に何が居ると思う?やっぱり侵略者かな。どんな見た目なんだろうね」

「創成さんかもしれない」

 君は驚いたように私を見て、少し考えてから「確かに、そうかもね」と頷いた。それからはお互いに無言で、蝉の声に耳を傾けながら足を動かした。蝉たちは冬になってもこうして鳴き続けるのだろうか。一週間を過ぎても、寒さに命を落としても、七月七日で記憶が止まっていても、この世界から消えることは叶わずに次の日には目を覚ます彼らを気の毒に思う。侵略者はいつまでもこの町を残しておくつもりはなくて、蝉が寒さを感じる頃にはこの町を終わらせてしまうのかもしれないが、私たちに成す術はないだろう。

 なんとなく重い足でゆっくりと歩く私に歩幅を合わせる君と、学校に着いたのは十八時だった。空の灰色は一時間前よりも濃くなっている。校門前で立ち止まって、私はスマホを耳に当てた。

「山野」

「あ、先輩。着きました?私は今二棟一階を散策してて、今から一棟に行くので先輩も来てください。正面玄関辺りにいますね。じゃ!」

 言うや否や切られたスマホを片手に「猫俣くんはどうする?」と聞くと、君は「山野さんにはあんまり正体を知られたくないな……。かといってヒーローの姿でうろつくのも目立っちゃうし、僕は外から地下に続いてる扉とかないか探してみる。何かあったら『助けて、ヒーロー』って呼んでくれたら飛んでいくから」と笑顔を浮かべて私に背を向ける。折り畳み傘を渡そうとしたが君の足はいつも通り早く、学生鞄に手を入れようとした時には既に私の前から姿を消していた。

 靴箱でスリッパに履き替えてから正面玄関に向かう途中で、背後から勢いよく抱きつかれる。腹に回った両腕が胃の辺りを押し潰して、折角君と分けた昼食代わりのアイスが胃腸の奥から出てきそうだった。

「苦しい。やめて」

「照れちゃって!」

 嬉しそうに笑うその小動物の頭に容赦なく拳を振り下ろすと、「いたあい!」と目に涙を浮かべて離れていった。山野のせいで皺になった制服を伸ばしつつ、「地下は見つかった?」と聞く。

「まだですね。地面を舐めるように観察してはいるんですけど……」

「お腹壊すよ」

「舐める“ように”って言ったでしょ!実際にするわけないでしょうが」

 軽口を叩いてしまうのは、降り出した雨の陰気さも相まって、なんとなく、嫌な予感が拭えないからである。雨の予報が出ていたのだろう、いつも活気に満ちた掛け声を出している野球部とサッカー部はグラウンドに見当たらなくて、体育館で部活動を行なっているはずのバレー部やバスケ部の声も、雨が入らないよう窓が閉められた廊下には届かない。雨が降ってくるギリギリまで元気に泣き続けていた蝉も今は死んだように沈黙していて、雨が窓を叩く音と私と山野の足音だけが響いていた。

 私は風水や予言なんてものは信じていないし、信じる価値もないと思っている。しかし自分の直感にはそれなりの信頼を置いていた。本当は二人手分けをして探した方がいいと言うのは分かっているのだが、山野が言い出さない限り二人で行動しようと山野の隣を歩く。山野は二人で同じ場所を見る非効率さに気づいていないらしく、ただ「えへへ」と笑っていた。

 一棟一階の廊下を二人俯いて床に何か地下に繋がりそうなものを探していたが、特にそれらしきものは見当たらない。床下収納の取っ手さえ無い。分かったことと言えば、こんなに注視したことのない床が思っていたより老朽化し汚れているというどうでもいい事実だけだ。

 二棟も似たようなものだったと話す山野の言葉を信じて、今度は一棟一階の部屋の中も探してみようと端から鍵が開いている教室に踏み込んでいく。

「新聞部です、取材に来ました!失礼しまーす」

 事務室の全員が困惑したようにこちらを見ていたが、特になんのお咎めもないのは新聞部がこういう部活であることを知っているからだろう。「ここに地下があるって聞いたんですけど」と手当たり次第に聞いているのを聞きながら、私は床をじっと睨みつけながら歩いていた。

 やはり特に何もないな、と曲げていた腰を伸ばして伸びをすると、窓の外で君が濡れながら私を見ていることに気づく。事務員は数名気づいているようだったが、山野には幸いバレていない。君は私が気づいたことに気がつくと、小さく手招きをしてから窓から離れていく。私は山野に「ごめん、ちょっと用事ができた」と一声かけて、山野の文句を背中で受けながら事務室から飛び出した。

 傘をさす暇さえ惜しくて、雨に濡れながら私は君がいた事務室の窓付近で君の姿を探す。

「蜂谷さん」

 校舎に寄り添うように一本だけ植えられた、春になれば花を咲かせるはずだった桜の影から現れた君は、真っ青な顔をしてやはり私を小さく手招いた。何かを躊躇っているようなその仕草に、悪い予感が当たってしまったことを察する。

「どうしたの、寒い?」

「いや、寒くは、ないんだけど……」

 何かを言うことを躊躇している君の様子に、「何か見つけたの?」と問いかけると、君は泣きそうな顔をしながら頷いた。

「地下があったんだ。一棟の裏に」

 一棟と二棟の間には、サイエンス部という主にロボットを扱う部活動が所持しているらしい菜園がある。しかし長く使われていないようで、草木は伸び放題、荒れ放題といった具合だ。年に数回業者が整えているらしかったが、それでも誰も寄り付かない、そんな場所だった。姉が「あそこ、さくらんぼの木があって、たまに鳥が食べにきてるんだよ」と言っていたことを思い出す。君が言うにはその伸び放題の草むらに人一人が通れる程度の獣道ができており、不思議に思ってそこを辿った先に地下に続く古びた扉を地面に見つけ、力任せに鍵を壊して中に入ってみたらしい。その鍵は元からついていたものではなくて、誰かが後からつけた鎖と南京錠だったそうだ。しかも、比較的新しい。

「連れて行って。私も行く」

「でも……」

「何か見つけたんでしょう」

 君は一分ほど沈黙した後で、重たい口を開いた。

「中は真っ暗で、何にも見えなかった。でも、酷い腐臭がした。きっと何か生き物が死んでると思う。……あんまり、見に行かない方がいいかも、しれない」

 私は君が何を言おうとしているのか理解していたが、何が─誰が死んでいるのか確かめなければならないと思った。

「スマホの懐中電灯機能を使えばきっと何がいるか分かる。行こう、何かわかるかもしれない」

 君は浮かない顔をしながらも、こくりと頷いて荒れ果てた菜園へと私を連れて行った。折り畳み傘を出そうと思ったが、もう二人とも今更傘の意味がないほど濡れている。邪魔になるだけだと判断して、君が見つけた獣道を歩み、そのまま鍵を破壊された地下への扉まで進んでいった。

「開けるよ」

 君が古びた扉を開いて、私はスマホのライトを付けた。白い光に照らされた地下への石でできた階段は随分老朽化していて一棟の廊下なんて比では無い。カビと埃の臭いと一緒に鼻の奥に届いたのは君が言っていた通り何かが腐ったような激臭で、込み上げる吐き気を唇を噛んでなんとか耐えた。

 人一人がやっと通れる程度の細く暗い階段を、足元を照らしながらゆっくりと下りていく。苔が生えていたが、それは端だけで真ん中は人が通った痕跡がある。最近まで、誰かがここを昇り降りしていたということか。私がそう背後をついてくる君に言うと、君は怯えたように唾を飲み込んでいた。

 そして最後の一段を降りると、広い空間に出た。辺りを照らしてみると、かなり遠くまで空間は続いている。地面は土で、規則正しく並んだ柱に支えられている天井は暗くてよく分からないがコンクリートだろうか。この真上に、校舎があるのだろう。ライトで照らされている範囲では、柱以外には辺りに特に何も見当たらない殺風景な空間だ。しかし臭いは明らかに強くなっている。臭いの元に近づいているのだ。

「こんな空間があるなんて知らなかった」

 呟く私の横で、君が何かに気づいたようにしゃがみ、再び立ち上がったその手には赤いロープが握られていた。

「蜂谷さん、これ……」

「遠くまで続いてるね。辿ってみよう」

 足元を照らしながら、静かな地下を歩く。君が縋るように私の左手を握るので、私は君の右手をしっかりと握り返した。どんどん臭いが強くなっていく。嫌な予感も、段々と増していく。

 そしてしばらく赤いロープを辿った先、裸足の指先が現れた。肌はなんと形容したらいいのか、とにかく生きている人間ではまずあり得ないような緑色がかった奇妙な色をしていて、隣の君が「ヒッ」と悲鳴を上げて尻餅をつき、繋いでいた手が解かれてしまった。私は「大丈夫、きっと死んでる」と自分でも何が大丈夫なのか分からない声をかけてから、その全貌をライトで照らした。

 そこに居たのは私が─おそらく君も想像していた少女の顔ではなくて、口を切り裂かれ無理やり笑顔にさせられたような酷い顔をした、腐った男の死体だった。体には服だったらしいボロきれが引っかかっており、そこから露出している肌には無数の切り傷と刺し傷がつけられていて、両目には釘が刺さり、何本か欠けている指の爪なんかは一枚も残っていなかった。傷口には虫が群がっていて、あまりの気持ち悪さに君が耐えきれずに粘ついた液体を胃酸と一緒に吐き出している。私と分けたアイスだろう。私はやけに冷えた頭で、この男をどこかで見たことがないかと記憶の中を辿る。そして、私は気がついた。あまりにも顔が変形しているから確証を持って言えないが、でもこの顔には見覚えがあった。

「高木だ。これ、高木だよ。今年更生施設から出てきて連れ拐われたままの、高木の死体だ」

「ゲホ、……っう、た、高木……?どうしてここに……」

「分からない。分からないけど、ここを離れよう。立てる?」

 手を差し出すと、それに掴まって君はヨロヨロと立ち上がった。君の腰に腕を回して、来た道をゆっくりと戻る。山野には悪いが、ここは警察に任せた方が良いだろう。というか、山本の悔しそうな顔を思い出すと、そうしなければと使命感すら湧いた。

 時間をかけて階段を上り切り、扉を乱暴に閉めてから、外の新鮮な空気を思い切り吸い込む。雨は止むどころか強くなっていて、「警察に行こう」と声をかけると、君は首を振って「僕だけで行く。蜂谷さんは早く帰ってお風呂に入った方がいいよ」と力無い声で気遣ってくれる。ずぶ濡れではあるが寒くはないため大丈夫だとは思うが、君が本当に心配そうな顔をしているから私はその申し出をありがたく受け入れることにした。

「じゃあ、お願い。また明日も、校門で待ち合わせしようか」

 君が頷くのを見届けてから、私は折り畳み傘を開いて帰路に着いた。何か動物の耳がついたカッパを着た山野が靴箱で待ち伏せしていて、「どこ行ってたんですか!」と濡れ鼠の私に詰め寄ったが、私は何も答えずにその場を後にした。


 湯船に浸かって、立ち上る湯気を見送る。

 狼の瞬きは結局何だったのだろう。

 なぜあそこで高木は死んでいた?

 高木は誰に殺されたのだろう。

 なぜ君は猫俣創成にそっくりなのだろう。

 なぜ、なぜだけが宙に浮かんで、消えないまま天井に溜まっていく。

 十分に温まった体で脱衣場に上がり、姉の黄色いシャツと白い短パンを身に着ける。鏡に映る自分の顔を睨みつけても、当たり前に答えが浮かんでくるはずがなかった。

「何も分からない……」

 呟きながら、肩にかけたタオルで乱暴に後頭部を掻いていると、家のチャイムが鳴り響いた。リビングに出てみると、母が「はいはい、どなた?」と言いながらインターホンのモニターを見て首を傾げている。

「琴音、この方は知り合い?」

 モニターに映っていたのは佐々木だった。

「佐々木先生。数学の先生だよ。何か忘れ物でもしたかな」

 姉の口調を真似することに気をつけながら私も母と同じように首を傾げて、「私が出るよ」と言って玄関に向かう。鍵を開けようとした途端、ガン!と固い音がして、驚いて飛び上がる。

 ガンガンと続けて二回同じ音がして、それが玄関扉を叩かれている音だとやっと分かった時には既に玄関の鍵を開けてしまっていた。

 外側から勢いよく扉を開けられて、ドアノブを握っていた私も玄関の外へ引き摺り出されてしまう。今の時刻は確か二十時くらい。外はもう暗くなっていて、雨は止んでいなかった。

 たたらを踏んで、危うく転けそうになった私が体勢を立て直して息をついたのも束の間、さっきまでの私のようにずぶ濡れで、何も言わない佐々木に腕を強く掴まれて玄関から遠ざけられてしまう。なんだって私の訪問者は毎回こんなに取り乱しているのだ。まだ二人目だけども。「佐々木先生?どうしましたか」とたたごとではない雰囲気の佐々木に声を掛けるが、佐々木は何も言わないままだ。大股で私を引きずるように歩いていく佐々木の俯いた顔を覗き込んで、私はギョッとした。

 目を血走らせて、こちらを鬼のような形相で睨んでいた。何もかもに怯えているような弱々しい姿とは真逆の、ほとばしる殺意に圧倒される。そして同時に、私はとてもまずい状況に置かれているのだと理解した。慌てて腕を振り解こうと躍起になるが、佐々木の爪が食い込んで少しだけ肉が抉れてしまい、血が流れて私は怯んでしまった。

 連れてこられたのは、閑散とした住宅街のすぐ側、人目を憚るように気の影にひっそりと停められた、後部座席の扉が開いたままの水色の軽自動車の前だった。佐々木はまだ濡れている私の髪の毛を掴んで引っ張り、後部座席へと押し込み、私の腹の上に乗り上げて後ろ手に扉を閉めた。

「あ、あ、あなた、あなたでしょう?!」

 体重を乗せ、首を思い切り絞められて、喉の奥からひしゃげた息が漏れる。

「警察が来てた!あなたが、あなたが通報したんでしょう!」

「ぐぁ、っウ」

「ねえ、あの時やっぱり聞いたんでしょう、私の罪を、全部!」

「お、落ち着いて、ください。何があったんですか」

 荒い息を吐く興奮状態にある佐々木に私の声は届かないらしい。首を絞める腕に爪を立てて抵抗しながらも、垂れ下がった佐々木の髪で邪魔だが可能な限り車内を見回すと、ダッシュボードに入部届が置かれていた。全く海窓高校の個人情報の管理は杜撰すぎる。

「……っ、入部届、同前先生に借りたんですか」

 掠れた声でそう聞くと、佐々木は「同前先生」という言葉に反応し、見開いていた目をさらに大きく開けて、弾かれたように笑い始めた。

「同前くんの引き出しから拝借したの。彼、重要書類は全部職員室の机の引き出しに入れたまま、鍵もかけずに放置するんだもの!ああ、その中にさえ私のラブレターは入ってなかった!ふふ、毎週渡していたのに、一通も!私、本当に使い捨てだったんだわ!」

「何のっ……ゲホ、何のこと、ですか」

 気管が絞められ空気の流れが悪くなっているのが分かる。頭がぼんやりとしてきて、まずいな、と他人事のように思った。

「私、私!もう後戻りできないのに、約束だったのに……!」

 佐々木は学校に来た警察が地下室を調査していることに対してこんなに取り乱しているのだろうか。そうであるなら、その理由は一つしかないだろう。

「高木を殺したのは、……佐々木先生だったんですか?」

 私の首を絞めていた手から、突然力が抜ける。思い切り息を吸い込んで咳き込んだ私を呆然と見下ろしながら、佐々木は「あーあ、お終い。もうお終い」と繰り返し呟いた。

 そして私の頭が潰していたクッションに手を伸ばし、その下から何かを取り出した。

 暗い車内でもわかる。それは包丁だった。

 その時、私の頭の奥で火花が散った。今までの散らばった情報が、一直線に繋がる感覚。でもそれより前に、今この状況を何とかしなくてはならない。

「助けて、ヒーロー」

 私は呟く。もっと早く呼ぶべきだったと後悔したが、もう遅い。

 人間、慣れてしまうと感覚が麻痺してしまうようだ。自分の首に包丁を突き立てた佐々木を見上げながら、姉が死んだ時も私はこうして血を浴びたな、なんて呑気なことを思った。


 3


 一分もかからずヒーローの姿で駆けつけた君は、佐々木の死体に押し潰されたまま後部座席に寝転ぶ私を呆然と見下ろした。

「立て続けに死体を見せてごめん。これ、退けてくれないかな。重くて私にはどうしようもできなくて」

 君は頷いて佐々木の死体を軽々と持ち上げ、雨の降る車外に一度連れ出してから、運転席に静かに下ろし、扉を閉めた。

 車内に血の臭いが立ち込めている。もう慣れてしまった、人間の死の臭いだ。

「何があったか、聞いても良い?」

 私が血まみれの後部座席から手招きをすると、君は恐る恐る隣に座ってきた。雨が車体を叩く音が響いている。

「さっきの死体……、海窓高校の数学教師の佐々木っていうんだけど、彼女は高木の死体が地下室にあることを知っていたみたい。それで、警察によくも言いやがったな、みたいな感じで、私の家に来て私を襲ったんだと思う。結局、自分で喉を切ってこの有様だけど」

「そ、そうだったんだ……。蜂谷さん、どこか怪我はしてない?」

「うん。これ全部返り血。それより、警察に言いに行ったんだったよね。どうだった?」

「ええと……、僕は交番に学校の地下に死体があるって言った後、自分の身元を警察に伝えるのは嫌だったからすぐに逃げて、後をこっそり追って様子を見てたんだ。鑑識は居ないから詳しくは分からないけど、傷一つ一つの時間の経過が違ってて、長い間拷問を受けてたんじゃないかって山本さんが言ってた。死んだ日ははっきりとは分からないけど、そう古くない死体なんだって。とりあえず学校にいた大人全員が集められて確認されてたんだけど、その中であそこに地下室があるって知ってたのは校長先生だけで、今校長先生が取り調べを受けてる。他の先生たちは連絡先だけ控えられて、もう家に帰ったよ。でも、佐々木先生も知ってたんだね。なんで嘘をついたんだろう……」

 私の住所が書かれた入部届を眺めながら、私は唇を噛む。彼女が私を通報者だと勘違いした要因なんて、一つしか考えられない。

「……君にお願いがある。高台に登って、今どこを中心に狼が瞬きをしているのか見てきてほしい。君、この町でいちばん足が速いでしょう。……急いで、お願い」

 君は「よく分からないけど、分かった。すぐ戻ってくるから、ここで待ってて」と言って雨の降る町へと飛び出していく。私は動かない佐々木と静かな車内に取り残された私は、外で私を見ている狼の目を見つめる。瞬きをせず、私を見ていた。

 宣言通りすぐに戻ってきた君は、項垂れていた。表情は見えないけれど、泣き出してしまいそうだというのは見てとれた。

「どこだった?」

「……学校じゃなかった」

 君は、狼の瞬きの中心の場所を私に教えて、そして「何かの間違いじゃないかな」と揺れた声を出すが、私は首を振った。

「君は、まだ君の正体を知りたい?」

 君はたっぷりと時間をかけて、注意深く見ていなければ気付けないほど僅かに、頷いた。

「行こう、猫俣くん」

 車を降りて、私は君の手を取る。

 雨が降っている。傘を持っていないから、私に至っては裸足のままで、暗いアスファルトを歩いていく。でも隣に君がいて、私の手を握り返してくれるから、不快さも怖さも感じない。

 狼がそんな私たちを見つめている。私はその青色を思い切り睨み返した。


 ガリガリ、ガリガリ、玄関先まで聞こえるその音が描くのは、変わらず猫俣創成なのだろう。私は君の手を握ったまま、髪や服の水気を絞りもせずにその部屋を目指す。廊下に二人が通った後が川のように続いていく。

 高木を連れ去った小柄な人影というのは、佐々木だったのだ。彼女が好意を寄せていた相手に頼まれて、高木を地下室に押し込めたのだろう。教頭が聞いた地下からの男の悲鳴というのはきっと高木のものだったのだ。

 高木を拷問したのも彼女であるかどうかは分からないしその可能性は低いと思うが、それでも犯した罪の重さに、夜も眠れないような不安感に襲われたことは想像に難くない。元来の明るさは形を潜めて、怯える毎日を過ごしていたのだろう。

 彼女は私が呼び出された際に、話の内容を気にしていた。万一にでも、地下室に置いてきた自身の罪を掘り返される可能性に怯えていたのだろう。だから、地下室の高木の存在が白日の元に晒された時、私が通報者であると確信して、報復しようと企んだのだ。こんな町で罪に問われたって、前科が付いたって意味をなさないことに気づかないほどには、追い詰められていたのだ。

 恋心を否定する気はないが、愚かだとは思う。同じ顔をした少女の、じっとりとした視線を思い出す。明らかに己の首を絞める結果が見えていた筈なのに、そこまでして身を焚べようと思えるその感情が、私はとても恐ろしい。

「猫俣くん、恋って厄介だね」

「え?……そうかな、僕には分からない」

「厄介だよ。あんなに世界が狭くなる感情は、きっと他にないと思う」

「蜂谷さんは恋したことあるの?」

「分からない。あるかも知れないし、ないかも知れない」

 ガリガリ、ガリガリ。

 襖を開けると、やはり一心不乱にキャンバスに向かう背中があった。

 私の隣で、君が短く悲鳴を上げる。君はこの部屋を見るのは初めてなのだから当然だろう。どの創成も美しく笑っている。しかしこんなもの、所詮は遺影と同じなのだ。

「思えば、引っかかる部分はたくさんあったんです」

 ガリガリ、ガリガリ。

「私の家を知っていたのは、入部届の住所を見たからだと思っていました。しかし私の入部届は職員室の机の引き出しの中にあったと佐々木先生は言いました。重要書類は大体そこに入れっぱなしだと。猫俣くんが『助けて』と言ったあの日、あなたがここから私の家に来るまでに、それほど時間は空いてなかった。三時の施錠された学校に、入部届を取りに行くなんてこと、あんな短時間で出来るはずがありません。……住所を覚えていた可能性も考えましたが、私が美術部の部員であることを忘れていたあなたが、私の入部届をそんなに細かく覚えているわけがない」

 ガリガリ、ガリガリ。

「そして狼の中継が中断されたのに、あなたは化け物の位置を正確に把握していましたね。でもここから正反対の場所にある小学校を襲撃していることなんて、どうやって確認したんですか。月明かりと弱い街灯しかない田舎の暗闇の中、あんなに遠くまで見えるものですか。あの時、双眼鏡や遠くを見れるものは持っていませんでしたよね、どうやって確認できたんですか」

 ガリガリ、ガリガリ。

「この町のこと、全部見ているみたいですね。町中に監視カメラをつけて、それをずっと、見ているような」

 ガリガリ、ガリ。

「狼は夜、瞬きをしません。なぜなのか不思議でした。だって夜中の方が人間は活動的であるはずです。でも夜中に瞬きをしないのは、それを管理する侵略者が、眠っているからなのではないかと思いました。侵略者はこの町の人間の中に紛れていると考えていました。人間として自然にふるまっているのなら、昼は瞬きをして、夜は眠るはずです。つまり狼が目を開いている時、侵略者の瞼は下りているのではないでしょうか。あなたは部屋に篭ることが多いですから、猫俣くんが戦っている間目を瞑っていても誰にも気づかれなかったでしょうね。……猫俣くんが助けを求めた時に映像が途切れたのは、静観できなくなって目を開いてしまったからですか?」

 ガリ、ガリ、ガリ。

「山野は学校を中心にして狼が瞬きをしているから、狼を司る何かが、学校にあるのだと考えていました。しかしそれは、学校に留まっているわけではなかった」

 ガリ、ガリ。

「見ていたんでしょうけど、さっき猫俣くんが確認してくれました。……今の狼の瞬きの中心は、ここです」

 ガリ。

 鉛筆の音が止んで、同前は床にそれを放ると、椅子から立ち上がって振り返った。

 長い前髪に隠れているその目は青く光っている。

「でもまあ、正直どうだっていいんです。先生が狼の目を統べる何かを持っていようと、どうでも。私が知りたいのは、猫俣くんが知りたいことだけ。同前先生、教えてください。猫俣くんが何者なのか」

 狼の目と、同じ青色だ。

「いいぜ、どうせ滅びる文明なんだ。冥土の土産に聞かせてやるよ」

 そう言って、侵略者は薄く笑った。

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