六
そして迎えたバレンタインの日。
毎年のように懲りずにどこかざわつきを感じさせる教室内の男子たち。放課後、僕は眼前に見える数々の「変化」を尻目に、教室を立ち去ろうとしたときだった。
教室の後ろの入り口に見えたのは、例の後輩だった。
後輩はきょろきょろと教室内を少し見渡したのち、ついに僕と目が合う。初めてのコミュニケーションだった。
そしてそのまま後輩は、入口で軽く礼をしてから教室の中へと入ってきた。
すでに僕とのアイコンタクトは終わっていたが、机を避けながらも後輩は僕のほうへと近づいてくる。一歩、また一歩と。
茶髪のショートカットがさらさらと揺れる。
後輩は、僕の目の前で歩みを止めた。
ゆっくりと顔を上げて僕と目を合わせた後輩は、僕よりも頭一つ分小さくて、そのまま持ち帰りたいくらいだった。
ありきたりかもしれない。バレンタインの邂逅。
どこからともなく流れてきた青春の香りが、僕の鼻をかすめた。
そして、後輩は僕の目を見据えて言った。
「先輩、好きですか?」
数秒間の間があった。すぐに後輩は言葉足らずだったことに気がついて、恥ずかしげに耳を赤く染めながら訂正する。
「チョコ、好きですか?」
澄んだ声をしていた。単純に、僕はたまらなく嬉しかった。ようやく僕は後輩と話ができるのだ、報われるのだと思った。
それと同時に、心の底にとある恐怖心も芽生えた。「変化」を選択した末路を思い出して、途端に声を出すことが間違っているような気がしてくる。喉に力が入らなくなる。
それでも、僕は自分の過去と決別するため、そして僕と後輩の関係に区切りをつけるため、口の中の苦いチョコレートを、ついに噛むことにした。
「うん。大好きだよ」
会話は成立した。
はたから見ると、それが不完全であることは明らかだったと思う。だけど、僕はそんな会話でもできたことがただひたすら嬉しくて、愛おしくて、かつてないほど胸が高鳴っているのを感じた。
後輩は僕の言葉を聞いて、また頬と耳を赤くしていた。その反応を見て自分が言葉足らずだったことに気がついた僕は、訂正しようと思ってやっぱりやめた。
あながち、間違ってもないと思ったから。
ややあって、僕にボール型のチョコレートを手渡した後輩は、そのまま僕に背中を向けて、教室の入り口へと走っていった。
僕がその小さな背中を眺めていると、入り口に着いた後輩は改めて僕のほうを向き直し、口パクで「よろしく」とだけ言って、微笑みながら僕に向けて小さく手を振った。
後輩の姿が見えなくなってから、僕は教室の端でうずくまって悶えたのだった。
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