猫の部屋

「それじゃあ、あたしの部屋に来る? そこの口入屋があたしの家なんだけれど、そこにもあたしの部屋があるのよ。徹底的にあたしの無実を証明して頂戴な」

 言い出したのはおふただった。

「それじゃあ、遠慮なく調べさせてもらうとしようかな」

「私も行くから!」

「お好きにしなさいな。心配でしょうからね」

 おふたはクスクスと笑った。

 馬鹿にされた事は分かっても何故だか理由が分からなくて、私は言葉を飲み込んだ。

 馬鹿にされるのは嫌いだ。誰でもそうだとは思うが、私は特に嫌いだ。昔から姉に馬鹿にされ続けてきたから、今さら他人にまで馬鹿にされたくはない。

 姉には、私が江戸に降りる事は話していない。言ったら会いに来るに決まっているから。

 江戸で人間として暮らして姉は変わったと他の蛇たちは言うが、私は信じない。信じて裏切られたら辛いのは私一人だからだ。

 それに、変わったからって許せるわけではない。あの日、姉が壊した箱は二度と戻っては来ないのだから。馬鹿にされた日々は消えやしないのだ。

「おさくちゃん?」

 ふいに雪平に顔を覗き込まれ、私は思わず赤面する。

「な、なに?」

「いや、返事がなかったからさ。考え事かい? よかったら聞こうか」

「結構よ」

 私はプイっと顔をそらし、ずかずかと口入屋に正面から入っていく。

 朝からの騒動を見ていたらしい店主が「どうぞ、お好きなように」と私たちを見送ったのだが、何故か私だけが止められた。

 店主は雪平たちがいなくなるとグイっと猫の顔をして近づいてきて、ふぅっと私の顔に煙草の煙を吐く。

「けほっ、けほっ。何ですか」

「あの男、謎解き屋さ。人間だろう」

「だ、だから何だって言うんですか。おふたさんだって人間の男を二人も誑かして」

「猫はいいのさ。そういうものだからね。男も女も、猫は人間たちを誑かして有意義に遊んで暮らすのさ。でも蛇は駄目だ。蛇は真面目過ぎる」

「ただ仕事を手伝っているだけなんだから、言われるような事は何もありません」

「そうかね。蛇は狡猾だからねぇ。何の理由もなく周りをうろつくとは思えんが」

「それでも、あなたには関係ありません」

 私は腹が立って睨みつけると、店主は口だけで二ッと笑う。

「そうだな。今はな。いいか、あいつには関わるな」

「なんで、そんな事を言われなきゃいけないんですか」

「蛇は狡猾で支配的で、真面目過ぎるからさ。いいか? とにかく、もう関わるなよ」

「そんなの、私の勝手です」

 私はそう言って背を向けた。すると、背後で店主が「なんだ。もう手遅れか」と呟くのが聞こえた。

 私はその話の意味に気付かないふりをした。そんな事、言われるまでもなくあってはいけない事だからだ。そんな訳はない。だから私は、雪平の隣にいてもいいのだ。

 しかし、言われた言葉の中で一つだけ理解できるものがある。

 蛇は支配的。それを私はよく知っている。山でずっと、私は母と姉の支配の中にいた。蛇は先ず、家族を支配する。自分の思い通りに動かそうと画策するのだ。

 母に言われた事がある。どんな蛇も、支配欲には抗えないと。だから私は、ずっと自分の中にある支配欲に抗ってきた。他人を支配する事はできないのだから。

「お、やっと来たか。何の話だったんだい?」

 呑気に雪平が聞く。

「別に、たいした話じゃなかったから」

「そうかい。さぁ、おさくちゃんも根付を探すのを手伝ってくれよ」

「いいけど、ここから?」

 その部屋の中には、長持が三つもあったのだ。布団は敷きっぱなしだし、こっちにも鏡台がある。巾着に可愛い桃色の茶碗に、桶に熊の置物にと、とにかく散らかっている。

「だから人手が欲しいんだ」

 雪平は自嘲気味に笑う。

 その姿を美しいと思った。この人は胸板の厚い美人だ。黒々と艶のある髪に、切れ長の目は優しく細められ、大きな手が頼り甲斐を表現している。

 たぶん、女たちにも人気があるのだろう。蛇長屋でなければ奥さん連中もキャーキャー言っていたに違いない。

 それなのに、この人は着流しをだらしなく来ているだけで見てくれにはまるで頓着しない。本当にもったいない人だと思った。

「じゃあ、私とおさくはこっちの長持を調べるわね」

 おふたが私の肩をつかんで引っ張った。

 何だろうと思って長持の蓋を開けてみると、そこには子供用の着物に草履に毬、その他あれやこれやが入っていた。これを人間に見られたら言い訳が面倒だという事だろう。

 つまり、おふたの化ける姿は一つではないのだ。優秀な化け者の中には時折そういう、姿をいくつか持つ者がいる。私なんかはこの姿を維持するのがやっとだけれど。

「ねぇ、さっき父さんに怒られたんでしょう? あの人、そういう人だからね」

「知らない」

 私たちは長持の中をあさりながら、小声で話した。

「雪平さんていい男よね。あの筋肉、どうやって鍛えたのかしら。ただの謎解き屋が持っているはずのない筋肉よ。刀を差したって様になると思うわ」

「あんな優しい人に刀なんて似合わないよ」

「あら、それもそうね。使えない力なんて持っていない方がいいものね」

「そんな事より、ちゃんと探してよ。さっきから私ばっかり仕事してるみたい」

 文句を言うとおふたは私の耳に口を近づけ「雪平さん、私が狙っちゃおうかしら」と囁いた。慌てて顔を見ると、訳知り顔で口角を上げる。

「たくさん男の方がいるみたいじゃない。もう十分でしょ」

「何人いたっていいじゃない。多い方が楽しいわ」

「何で雪平さんなのよ」

「だから言ったじゃない。あんな美丈夫なかなかいないわよ」

 そう言っておふたは、わざとらしく舌なめずりをする。

 取られたくない。そう思った。

 さっきの店主の言葉が思い起こされる。関わるなと、何度も念を押した。そして言ったんだ。もう手遅れだと。

 そうだったのだ。私はもう手遅れだったのだ。

 私の物では決してないのに、取られたくないと思ってしまう。その理由なんて分かりきっている。顔が赤くなるのを感じる。

 どうしたらいいのだろう。人間相手にこんな感情を抱くなんて。

 私は頭を抱えたい気持ちでいっぱいで、仕事が手につかなくなってしまったのだった。


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