16. 水鏡律季は狂っている



 ――現在時刻は夜の12時ほど。私と律季くんは、すっかり慣れた夢界の中にいる。

 さきほどの「訓練を見せろ」というユウマの要求は、すなわち私たちの手の内を全て明かせということだ。それには火力を全開にして魔法を使うところを見せる必要があるが、現実世界でそんなことをしたら、たとえ暗示があってもごまかせるかどうかわからない。結局、ユウマたちと夢界で待ち合わせて、いつもの「仕事」に付き添わせることになった。

 律季くんは困るかと思ったが、「いいですねー! 二人がイチャイチャしてるとこを見せびらかしてやりましょう!」と、めちゃくちゃ乗り気だった。一緒に戦っている時間は彼にとって「イチャイチャしている」という認識のようだ。抗議する気にもなれない。


「――こんばんは。また会ったね水鏡律季」


「あ、お久しぶりですユウマさん」


 今日の「夢」は、黄土色の壁紙が貼られ、市松模様の絨毯が敷き詰められた殺風景な空間だ。天井が高く、蛍光灯が煌々と照ってとても明るい。

 互いに魔力反応をたどってきたおかげで十分ちょっとで合流できた。万一ユウマがモンスターに殺されたりしたら、誤解した教国の仲間が螢視ケージに何をするか分からない。そこはひとまず安心だ。


「……え? なんで敬語なの律季くん」


「そりゃ、まあ……仮にも炎夏さんのクラスメイトなら、俺の先輩ってことになるので」


「――はっ? なんだいそりゃ。皮肉のつもりかい?」


「いや、そんなこともないと思う……。たぶん本気よ。律季くんだし」


「どんな根拠だよ」


 ユウマは表面上こそヘラヘラしているものの、いきなりケンカ腰なあたり、前回負けたことを相当根に持っている。

 相変わらず妙にヒステリックというか、怒りどころが分からない性格だ。素でおとぼけな律季くんとは相性が悪いかもしれない。「できるだけ刺激しないように」と釘は刺してあるものの……。


「まあいい。とにかく今晩は、しっかりお前らのデータをとらせてもらうからな。テストの試験官みたいでやりづらいだろうが、こっちも仕事だ」


「確認するけど、後ろの方で見てるだけなのね? 模擬戦をやるとかではなく」


「技とか戦いぶりとかを見るのが目的だからね。君らがモンスター殺してるところを見せてもらった方が早い。言っておくけど、出し惜しみなんかするなよ?」


「いやあ……そのつもりもありましたけど、どうも今回はその余裕なさそうっすよ。今夜はかなりハードモードな感じです」


 本気で戦えば戦うほど、敵方に情報を与えてしまうことになる。できれば、だましだまし手を抜いてこちらの底を見せないようにしたいところだが――律季くんの言う通り、周囲の怪物たちの気配はかなり濃い。

 人質をとられている以上、ユウマへの「誤射」も禁物だ。とても駆け引きなどしていられない。


「KISHIAAAAAAA――ッ!」


「おっ、来たみたいだよ。

 悪いけどボクたち、夢の中はあんまり知らないんだ。君たちがちゃんと守ってね」


「くっ――業腹だけど仕方ないわ! 魔装形成フォーミングアームッ!」


魔装形成フォーミングアーム


 巨大なアリの大群みたいなのが、後ろの入口で金切り声をあげた。呼応して詠唱すると、炎が私を、黄金色の光が律季くんを、それぞれ包む。

 露出度の高い乳暖簾の巫女衣装と、パジャマに黒いマントを羽織った奇妙な格好。紙垂のついた炎の槍と、指輪状のナックルダスター。私たちバディの戦闘形態が、そこに顕現していた。


「……すげぇ量だな。道中でも何体か殺してきたが、こんなにいたとは」


「魔法使いが一か所に集まってるせいでしょうね。俺もこの物量は初めてです」


「あんなに捌ききれんの? ほとんどEDFだよ」


「……いいから黙って見てなさいよ。律季くん、撃ち漏らしたらお願いね」


「オッケーです」


 互いに背中を預けて構える、いつものフォーメーションだ。

 魔物の大まかな殲滅は私が担当し、律季くんは周囲を警戒しつつ、生き残った個体を狩る――それが、私たちの基本的な役割分担である。

 どこからどんな敵が襲ってくるか分からない夢の中では、火力よりも警戒が重要だ。この部屋は広くて明るいといっても、四方の入口や天井のダクトが侵入経路となるため油断はできない。暗がりの夢はさらに危険だ。掃除屋スイーパーになって間もないころ、ふと入った部屋の天井の端っこのほうに巨大なクモの魔物が張り付いていて、パニックになったことがある。家で起きてもゾッとする事態なのに、夢の中ではそのクモが容易に人を捕食できるサイズといえば、恐ろしさが伝わるだろうか。見落としは死とイコールなのだ。それに比べれば、真正面から姿を現してくれる分、群れのほうがまだ始末がいい。


(――今ね)


 自動車大の軍隊アリが、狭い入口に殺到し、なだれこんでくるタイミング。大技の効果が最大となる一点を見計らい、「魔装」の穂先から力を解放した。


「『穢祓けがれはらい鉾矢ほこや』」


 弓を射るようなイメージで突きを放つと、火炎の渦が正面へ走る。

 炎は入口で拡散し、直撃コースにいた70匹ほどが消し炭になった。今ので群れの三割は除去できたようだ。


「――! ユウマさん後ろ!」


「とっくに気づいてるよ。『任せてる』んだ」


 部屋の中央に陣取っているユウマの背後から、新手の魔物が飛んでくる。

 形はトンボのようだが、複眼であるはずの部位がまるごと眼球になっている、嫌悪感の強い見た目だ。けたたましい羽音をまき散らしながら向かってくるそれに、レンもユウマも背中を向けたまま平然としている。


「くっ……『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』!」


「うぎゃー!?」


 ユウマが噛みつかれる直前で、律季くんの拳がトンボを殴り飛ばした。

 顔に当たる部位にアッパーカットを叩き込まれ、細長い巨体が血をまき散らす。魔物らしい緑色の液体だ。ユウマはあわてて風でよけるが、振り向いた律季くんの顔にはべっとりと体液がついていた。


「すいません。大丈夫でしたか?」


「いや、ボクはいいけどさ……。き、気持ち悪くないの?」


「慣れました。炎夏さんみたいに遠当てができないので仕方ないです。ちょっと待てば蒸発するし、気になりません」


「い゛ぃぃぃ……!! 絶対無理だわ俺……!!」


 平然として拳の血を払う律季くんに、教国の二人も困惑を隠せない。レンにいたっては声が上ずるほどドン引きしている。どうやら二人とも虫が苦手らしく、この状況に「恐怖」より「嫌悪感」を揺さぶられていた。

 ……まあ、こうなるだろうな……。掃除屋スイーパーの仕事とは基本的にこういうものだが、何年もやっている私でさえ鳥肌が立つことはある。律季くんも当初はこの反応だったが、そこはやはり律季くんと言うべきか。持ち前の頭のおかしさで、わずか十日の間にここまで順応してしまった。


「怖かったらちゃんと自衛してちょうだい。精神的なダメージまで面倒みきれないからね」


「……うん、そうする……」


「……ちょっとナメてたわ。悪かった」


 私が群れの残りに炎を撃ちながらそう言うと、二人は素直に応じた。さっきまであれだけ余裕たっぷりだったのに、すっかり素に戻ってしまっている。律季くんはそんな彼らを横目で見て、私にテレパシーを投げた。


『――やっぱり思った通りですね。虫でこんなにビビってる人が、人なんて殺せるわけないですよ』


『……うん。どうも、そうらしいわね』


 律季くんが三日前に言ったことの答え合わせである。つまり彼は、あの時点でユウマの本性を正確に見抜いていたということだ。だから、あの時銃口に歩み寄って行けたのである。他に手がないゆえの賭けではあったが、ユウマが自分を撃たないということをある程度「信用」していなければ、あそこまで大胆な行動はできない。

 ――律季くんは、いったい何者なのだろうか。ユウマの本質を看破した洞察力も確かに凄いが、度胸が明らかに据わりすぎている。ただのおっぱい好きの変態だと思っていたのに、知れば知るほど底が見えない。「属性無視」というルール破りにも説得力があるぐらいに得体がしれない子である。


「で、これからどうするんだ。このまま陣取るのか?」


「いえ……とりあえず、場所を探すわ。ここは入口が多すぎるもの」


「え? なにそれ? 入口?」


「火力があっても撃てる方向には限界があるんで、入口が多いとすぐ囲まれちゃうんですよ。できるだけ侵入経路を絞れる場所で迎え撃った方がいいんです。通気性のいい通路とかが理想ですね」


「囲まれないようにするのはわかるが……通気性ってのはなんだ?」


「窒息対策。閉所で火を燃やしすぎると空気がなくなっちゃうの」


「……なんか、嫌なところばっかリアルだね」


 私たちは前後に注意を払いつつ、狭い部屋を探しはじめる。レンとユウマは若干戸惑いながらついてきた。

 基本的に「満月の夜」以外、掃除屋スイーパーにとって明確な目標はない。夢の中に一般人が迷い込むこともなく、人を夢の世界に縛る「主」もいないため、入るも出るもこちらの自由だ。

 ゆえに私たちの日常任務とは、魔物が増えすぎないように監視して、増えすぎた分は殺すという「間引き作業」だ。単純でキリがなく、神経を削られる仕事である。最近は魔物が増えて夢に飛び込む回数が多くなったため、話し相手になってくれる律季くんの存在に、正直救われている。


「――炎夏さん、今!」


「ええ――『セイントフレイム』!」


 表面が殻で包まれた、大型の甲虫型の魔物を見つけて、瞬時に連携を仕掛ける。律季くんが正面でおとりになり、羽を開いて腹を露出させたところを、私が狙い撃つという形だ。

 作戦が完璧に決まり、敵は叫びをあげて倒れ伏す。ユウマが「ヒュー♪」と口笛を吹いた。


「やるねえ。すっかりバディになってんじゃん。たった三日前に会った時は、見てられないぐらいガタガタだったのに」


「いちいち一言多いわね。反省して練習したのよ」


「炎夏さんはウチのマネージャーですからね。フォーメーション研究はお手のもんなんです」


「……ああ、そうか。そういやお前らバスケ部だったな」


「レンさん、なんか部活とかやってなかったんですか?」


「俺はもともとスポーツに興味なかったからな。ずっと帰宅部で、ユウマと絵ばっかり描いてたよ。それもマンガアニメの方だから、美術部も肌に合わなかった」


「うちの高校ならアニ研ありますよ。部員募集中らしいし、見に行ってみたらどうですか?」


「……ねぇレン。こいつ、なんでさっきから当たり前のようにボクらを受け入れてんの? 任務終わったら帰るって忘れてない?」


 ユウマは困惑気味でレンと顔を見合わせている。シラフでやっているのか、ペースを乱そうと意図しているのか私でも分からない。もともとワンちゃんのように人懐っこい子なのだ。――私の顔をペロペロするのは、さすがになりきりすぎではないかと思うが。


「炎夏さん、右です。あっちの狭い通路から行列が」


「いい的ね」


 『鉾矢』を通路めがけて突きだし、火炎を放射する。アリの巣駆除のように、枝分かれした通路の隅々まで炎が這った。

 解析クリアボヤンスは私より律季くんの方が上手い。アシストと索敵を彼に任せている以上、私は純粋な火力要員ともいえる。


「相変わらずとんでもない威力だねー。そのバカみたいな胸と比例してんのかな?」


「激しく同意です」


「あんたら、こんがりいかれたいの?」


 多分律季くんはいかれたいのだろうな――と思いながら言うと、彼は案の定頭をブンブン縦に振った。

 お望み通りに抱きしめながら焼いてあげると、律季くんは「ああ~~~~~っ♥」とうれしそうな悲鳴をあげて、黒焦げで崩れ落ちる。「ありがとうございます……」と満足げにぶっ倒れている律季くんを尻目に、ユウマは続けた。――なにやら、少し期待のこもったような目つきだった。


「どうやってそんな魔力を身に着けたのさ? 資料には来歴までは書かれてなかったんだけど、よっぽど過去につらいことがあったとかかい?」


「いいえ? 別にそういうのはないわよ。出力が高くなったのは掃除屋スイーパーをやってからだったけど、炎魔法自体は生まれつき使えたわ」


「……っ」


 特に何も考えず答えたが、その返答がなにやらユウマの琴線に触れたようだ。

 ヘラヘラした笑みが一瞬だけ停止し、次の瞬間から目つきに敵意がこもる。笑っているのは口元だけで、雰囲気は憎しみに満ちている。


「……じゃあ、先天的なサイキックか? お前の歳ならかなり希少だが……」


「大きな神社の娘さんなので、家庭環境が影響したって可能性はありますよ。いちおう悪魔祓いの家系らしいし。ほら、あのカッコとかモロでしょ?」


「……巫女っつうか、痴女だけどな。マジモンの本職がアレ着るとか、コスプレより高度だろ」


「そっか、生まれつきかぁ。こちとら三年訓練して、魔装形成フォーミングアームもできないのに……うらやましいもんだよ。ボクに最初からその力があれば、もっと――」


「……何もよくなんかないわよ。こんなもの」


 ユウマの陰湿な声色が癇に障った。刺激するべきではないと分かっているが、思わず反論してしまう。

 律季くんとレンは、突然深刻になった私を怪訝そうな目で見返した。


念力サイコキネシス創造クリエイションならまだしも、炎なんて物騒な使い道しかできないじゃない。当時は他にも魔法使いがいるなんて知らなかったから、『この力は知られちゃいけないものだ』って思ってたの。自分が本当はバケモノなんじゃないかって悩んで、眠れなくなるのもしょっちゅうだったわ。螢視ケージだけは魔法のことを打ち明けられたけど、あとは家族を含めて未だにひた隠しにしてるのよ。

 機関に入ってからは、町の人々を守るために役立つと思って魔法を使っていたけど……その結果教国から敵を呼び寄せることになって、かえってみんなを危険にさらしすことになった。それどころか、螢視ケージまで巻き込んでしまったわ。

 ――どう、これでもうらやましいの? 私はこんな力、最初から無いほうが良かったわ」


「ああ、うらやましいね」


 売り言葉に買い言葉。互いの相棒が険悪になっていく様に、律季くんとレンは、目を合わせたりこっちを見たりと挙動不審になっている。女同士の口喧嘩なんてどう止めりゃいいんだよ――と、二人そろってあわあわしている感じだ。


「『自分が何者か』とか『才能のせいで辛い目にあった』とか……そんなことに悩んでられる時点で、お前は幸せ者だよ天道炎夏。そういう考えに耽ってられること自体が、今まで苦労知らずだった証明じゃないか。お前は魔法の力がなくても、いい家に生まれて将来もあった。だが――世の中はお前みたいなイージーモードばかりじゃない。それこそ、魔法の力でもない限り、自由さえ手に入らないヤツもいる。

 お前、いっぺんでも想像したことあるか? 『生まれつき人生を取り上げられた』連中の気持ちを。お前らみたいな幸せ者が、なぜ要りもしない力を持ってる? その『要らないもの』を少しでも分けてくれていたら、ボクはあんな目に遭わなくてすんだんじゃないのか」


「――ッ」


 ユウマは、明らかに私を見ていなかった。天道炎夏という個人に対してではなく、彼女の言う「幸せ者」すべて――あるいは、幸運に恵まれなかった自分の過去そのものに対して、怨嗟を吐き出しているようだった。聞いていたレンが痛ましそうな表情を浮かべているのも、それを裏付けている。

 そもそも私と同年代の日本人の女の子が、地球の真裏の国の秘密機関に身をやつしていること自体が不自然なので、ろくな経緯ではないだろうと思っていたが……。

 

「自分のせいで友達が危ない目にあってるって? 当然でしょ。魔法使いのくせに教国にたてつく方が悪いんだよ。機関なんかやめてこっちについたら、狙われることだってなかったじゃないか」


「……なんですって?」


 聞き捨てならなかった。

 私は、積極的に教国に敵対しようとした覚えはない。律季くんの力を狙って、向こうがいやおうなく襲って来たから、こちらも自衛したにすぎない。機関に入ったのだって、自分の力を役立てたいという動機だ。そもそも螢視ケージやみんなは魔法使いでもない。関係のない人間を卑怯にも利用しているのは、こいつらではないか……?


「教国はボクら魔法使いにとって、ただ一つの寄る辺だ。そこ以外にボクらの居場所はない。だが、もし教国が世界征服を完成させれば、世の中は魔法使いの天下になる。すべての魔法使いたちがありのままでいられるんだ。そうなりゃ君だって、もう自分の出生だのなんだのに悩まなくて済むだろう? 

 魔法使いの自由と人権は、教国だけが保証してくれるんだ。敵対する機関は、魔法使いすべてにとっての裏切り者だ」


「……魔法使いの天下?」


 熱っぽく語るのでもなく、それが常識だという風に淡々と言うユウマは、骨の髄まで教国の価値観に染められきっていた。

 律季くんは興味深そうに聞き返す。……いけない、だまされかけている。


『本気にしちゃダメよ律季くん。まるっきりカルトの論理じゃないの』


「――ああ、そうさ。魅力的だろ? 君たちもコソコソ隠れることもなく、堂々と魔法の力が使えるようになるんだよ」


「へぇ、いいですねそれ」


『――律季くんっ!?』


「そしたら――炎夏さんは、みんなにかっこいい姿を見せられますよね」


 予想外の答えに、ユウマはもちろん、私も何も返せなかった。

 無邪気にニコニコしながらそう言った彼だが、次の瞬間、いきなり考え直したかのように首を横に振る。


「ああ、いや……やっぱりダメだ。炎夏さんのエッチな格好を他の男に見せたくねぇ。いくら『ヒーロー』でもそれは……」


「……!」


「な、なんだよそれ? ヒーロー?」


「炎夏さんって、昔っからヒーローに憧れてたらしいんですよ。町を守って人々から感謝される、魔法少女アニメの主人公に。みんなに魔法を見せていいなら、炎夏さんもその夢を叶えられるよなぁ、って……」


「ちょ、ちょっとぉー!?」


「むぐっ!?」


 律季くんだから特別に教えたが、この年になって未だに魔法少女に憧れている、というのは正直かなり恥ずかしいカミングアウトだった。

 私の夢を覚えていてくれたのはうれしいけど、よりによって敵にそれを明かされるのはあまりにもキツすぎる。私17やぞ。わかっとんのかきさまは。


「律季くんのバカ! なんで言っちゃうのよ!?」


「すっ、すみません……! でもそうですよね!? 実際町を守ってるわけだし、あとはそれをみんなに知ってもらうことさえできれば……!」


「い、いやいや……そういうこと言ってるんじゃないだろ。魔法の力があれば、なんだって手に入るって話をしてるんだよ。それこそ、おっぱいの大きい女の子だって好き放題じゃないか」


「……? どういうことですか?」


「ど、どういうことだって……言わなきゃわかんないの? 世の中で魔法が使えるのはほんの一握りだ。教国の世の中になれば、その少数の魔法使いが公然の特権階級になる。人類の残り99%になにしようが勝手だろ」


「えー? いやぁ……そういうのは興味ないかなぁ」


「なんでさ!?」


 全然話が噛み合わない。「イワンのばか」みたいになっている。魔法を万能の霊薬と妄信するユウマに対し、律季くんの考えは違っていた。


「だって俺、魔法の力があっても、炎夏さんとは付き合えてませんよ? 好きな女の子ひとり落とせない時点で、『なんでも手に入る』力ではないじゃないですか」


「えっ!? いや、だから……今はそうでも、あとあとで権力を握っちゃえば、いくらでも女の子が群がって来るだろ? なんなら無理やり言う事聞かせたっていいし」


「力を見せびらかしたらついてくる女の子なんて、しょせんその程度の人でしょ? 相手の立場や肩書で態度コロコロ変えるような人は、おっぱい揉む気もしませんよ。シリコンと打算以外の何がそこに詰まっているっていうんですか。

 そういう女性が何百万人集まっても、炎夏さんひとりの魅力にはかないませんよ。なかなかなびかせられないから彼女は最高なんです。力で無理やり言う事聞かせるなんて、それこそ何の価値もない」


 ものすごい毒舌に、レンもユウマも若干引いた。私は何気にすごい褒められ方をされてしまって、頬をかきながら顔を赤くするしかない。

 ……そうか、そんなにか。何百万人にモテるより私のほうがいいときたか……。いや、別にうれしくなんかないけどね。


「ああ――それとも、レンさんも洗脳して作ったお友達なんですか?」


「――ちっ、違うっ!! そんなわけっ……!!」


「魔法の力で何でも手に入るっていうのがユウマさんの考えかたでしょ? 人の心さえ思い通りだと。あなたには現に記憶を操る能力があるんだし、やろうと思えば友達も恋人も作り放題だ。――レンさんは、『そう』じゃないんですか?」


 ユウマだけでなく、レンも愕然として目を見開いた。律季くんは不審そうにしている。

 ……まさか、心当たりがあるのだろうか?


(……そうだ、その可能性もあるんだ。だってボクは、両親に漫画を破かれた時から記憶が飛んでるんだぞ? 気づいたら両親に暗示を叩きつけて、廃人に変えていたぐらいだ。漫画を破かれた時から、意識を取り戻すまでの間に、無意識にレンを洗脳していてもおかしくないじゃないか……)


『……だ、大丈夫だ、ユウマ。俺は昔からお前の友達だ。仮に洗脳されてたとしても、恨んだりはしねぇよ』


「でも……!」(その思い出だって、ひょっとしたら――!!)


「そう考えると怖いですよね。仮に俺が暗示魔法を使えたとして、ある時ちょっと魔がさして、炎夏さんを洗脳して彼女にしちゃったら……とか思うと、俺もぞっとしますよ。一時は満足できても、あとで首くくりたくなるでしょうね。それが無自覚だったらなおさらです。

 ――でも、大丈夫ですよ。ユウマさんは多分、レンさんを洗脳してませんから」


「……どうしてそう言い切れるのさ? 君がボクの何を知って……!」


「だってレンさんは、ユウマさんのバディなんでしょ? 頭をいじられてる人が、そうなれるはずないじゃないですか」


「――!!」


 ――なるほど、律季くんの言わんとしていることがわかった。

 きっとユウマにとってレンは、『魔法に頼らず』得た親友であるからこそ大切なのだ。ならばその時点で既に、『魔法で全てが手に入る』という論理は破綻している。本気でそう考えているのなら、レンとの仲を疑うような律季くんの言葉に動揺する理由がないからだ。友達は人形でいい、などと開き直れてはいないのである。ユウマ自身もまた、矛盾を認めざるをえないだろう。


「欲しいものをズルして手に入れたって、きっと楽しくありませんよ。ちゃんとルールを守って勝ち取るから値打ちがあるんだと思います。それこそ炎夏さんのおっぱいだって、なかなか揉ませてもらえないからこそありがたいんだし」


「――え? 長々しゃべってその着地点?」


「『簡単だから挑むのではなく、むしろ困難だからこそ意味がある』……。おっぱいを揉むためなら、俺はアポロにだってなれますよ」


「ケネディとNASAに謝れ」


「誰の胸が月面よ」


 総ツッコミである。やはり律季くんは律季くんだった。

 というか彼、そういうことを言う割に、私のおっぱいに関してはわりと強引な手段を使う気が……


「その点は、後で叱ってもらうのが楽しみだからやってるだけです。怒られて済まないような関係なら、絶対あんなことしませんよ。だから部活である程度仲良くなってからアタックしたんです」


「君のそういうところ、本当に気持ち悪いわ」


 それを言っちゃうあたりが彼らしいところだが……あるいは、それさえも計算でやっているかもしれない。あえて気持ち悪い部分をさらすことでハードルを下げる、というのはいかにも律季くんのやりそうなトリックだ。(実際、私も許容するようになってきてしまっているわけだし……)

 「てか、おっぱいといえば」とユウマが私を指さす。私を、というより――私の胸を。


「君らの合体技のデータがまだじゃないか。早く見せてくれよ」


「おっぱいといえば……? ああ、『乳揉ちちもみ技巧スキル』のことですか?」


「みなまで言わんでいい」


「……えっ、その……ここでやるの? さすがにジロジロ見られるのは恥ずかしいんだけど……」


「バカップルが乳繰り合う様なんてボクも見たくないよ。いいからさっさと済ませて。それでこの仕事も終わりだから」


「だ、誰がバカップルよ!」


「そうです! 炎夏さんはバカじゃありませんよ!?」(もみもみ♡)


「そこじゃないわよこのバカ!! ――てか、揉みながら言うなっ!!」


 なんの前置きもなく、律季くんが横から私の胸をわしづかみにしてくる。ユウマはあわててレンの両目をふさいだ。

 彼の掌から快感を与えられると同時に、胸の谷間から〝聖痕スティグマータ〟が広がる。『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』をはめた彼の手の甲に同じ文様が浮かび上がるのが、準備完了の合図だ。


「――ん……うっ♡ ふぅっ♡ あん……ッ♡」


「よし、みなぎりました。いろんな意味で」


「……知らないよ。てか、敵が見つかってない段階でやってもしょうがないんじゃないの?」


「大丈夫です。いったんチャージした魔力は、使うまで消費されませんから」


「なに? じゃあ時間経過で減衰もしないのか?」


「一時間とかほったらかしにしたらどうかわかりませんが、感じたことはないですね。しばらくはそのままです」


 私は赤い顔ではーはー言って、ユウマに目隠しされたままのレンが質問してくるというシュールな状況である。

 ……というのも、「魔力譲渡に必要な最低限」で乳揉みを止められたのは今回が初めてだ。律季くんはたいていおっぱいを揉めるチャンスにかこつけて、自分が満足するまでしつっこく責めて来る。何度注意してもお構いなしでそれを繰り返すので、「怒られるのも楽しみ」というのも本当だろう。

 ただ、連日のセクハラによって開発された私の胸は「まだ揉まれたりないよぉ……♡」と欲求不満を訴えてきていた。断じて私自身がおっぱいを揉んで欲しいわけではない。ないのだが……中途半端に揉まれると、それはそれでムラつ――もとい、ムカつく。

 どうせいくら言ったってセクハラはやめてくれないんだし、せめてムラムラさせた責任ぐらいはとってほしいというか……。いや、別に欲しいとかそういうわけではなく。おっぱいが敏感になっているだけであって私が何か感じているわけでは――そんな風に悶々としていると、律季くんがふと歩み寄って来て。


「……ちゃんとしてあげられなくてごめんなさい。明日会ったら、すぐ満足させてあげますからね」(ボソ……)


「ひん……っ♡」


 心を読んだかのように、耳元でそう囁く。それだけで背筋まで電撃が走った。

 彼の息遣いを耳たぶで感じると条件反射で気持ちよくなってしまう。……我ながら、腹立つくらいにチョロい。日を追うごとに律季くんの都合のいいカラダに改造されていくようだ。


「――おっと!?」


「ど、どうしたの……?♡」


解析クリアボヤンスで視えました。デカイのがすぐそこまで来てます」


「……なるほど、いいタイミングだね。じゃあ君ひとりでそいつをやってみてよ。それで技の強さを計れる」


「わかりました」


「……なぁユウマ、見えねぇんだが……」

 

「ボクが見てるからいいの。文句言わない」


 まだユウマがレンの目隠しを解かない。どうやらおっぱいを揉まれている現場どころか、私がちょっとでもやらしい雰囲気になってたらアウトらしい。

 警戒心の強い事だ。ひょっとして私への当たりが強いのも、レンをとられるかもしれないという警戒心が絡んでいる? まぁ同性の嫉妬なんて慣れっこだが、『まさか敵の魔法使いにまでそんな感情を抱かれるとは、私のおっぱいも罪なものだ。律季くんにたっぷりおしおきしてもらおう』

 ――あの、律季くん。勝手に人のモノローグを変えないでくれるかしら。


「……別にとらないわよ。あんたも結構かわいいし、心配しなくていいと思うけど?」


「なっ、なんのことかなぁ!? いいから身構えてなよっ」


「ええ、わかってるわ。だからあんたもいい加減、バディを解放してあげなさい」


「うう~~~~……ムカつく」


(余裕ないわねこの子……)


「――よし、そろそろだな。〝盛夏の香りエスティバル・フレーバー〟解放」


 律季くんが拳に炎をともしてすぐ、向かい側の大きな通路から巨大な魔物が現れて、羽ばたいた。外見は目測で10メートルはあろうかという緑色の蛾だが、頭の部分が人間の頭蓋骨になっており、脊椎状のトゲトゲした角が二本、眼窩を貫通して生えている。四つある翅の模様もリアルな人間の眼そのもので、それら全部と常に目が合う感じがする。


「さすが悪夢の領域。とことんキモイのばっかり出て来るよ」


「むっ、無理無理無理無理……。今までも無理だったが、アレはマジで無理だ。ユウマ、やっぱ目隠し……」


「ダメ。さすがに危ないよ」


 通路が一個しかない部屋を拠点とする戦略にはひとつ短所がある。敵の侵入経路が絞れる分、こちらの逃げ道もないということだ。夢から出るにはおよそ30秒間の精神集中が必要なので、ゲームのように死にそうになったらエスケープ……ということも不可能である。強い魔物に狙われた時は、正面から切り抜けなくてはならないのだ。


「て、天道炎夏……今すぐアレをブッ殺してくれないか。頼むわ、この際データとかどうでもいい……。

 というか、さっきからなんで虫なんだ。せめて蛾じゃなくチョウチョにしろよ。綺麗なチョウチョの方は羽をたたむのに、お前らばっかり全開にしてんじゃねぇよ……誰が蛾の羽なんか好き好んで見たいかよ……」(ぶつぶつ)


「すげぇ。レンさんの恨みつらみがハンパじゃない」


「りっ律季お前、絶対しくじんじゃねぇぞ。俺、今にも腰が抜けそうだ……」


「この段階で!? いくらなんでもビビりすぎじゃない!? ……だ、大丈夫よ。今の律季くんなら一人でなんとかするから」


「……ふうん? ずいぶん態度が変わったんだね。前に戦ったときはあれだけ過保護だったのに、もう放任主義に主旨変えかい?」


「……前の戦いに限らず、これまでの経験から悟ったことがあるの。『律季くんは、思いのままに振舞っているときが一番強い』って。

 律季くんのことは律季くんにしか分からない。私が彼を理解しきれない以上、どんな口出しも彼にとっては足かせにしかならないわ。相棒を高めてあげるのがバディの本懐であるのなら――彼を自由でいさせてあげる事が、私の義務よ。たとえ、どんなに心配であろうともね」


 ――もっとも、恋愛だけは決して譲らないけれど。

 そう心の中で付け足して、私は駆け出す律季くんの背中を動かずに見送った。髑髏の蛾めがけて助走をつけ、跳びあがって掌に炎を集める。黄色みがかった炎が彼の手の中で、直線の刃の形をなした。


「炎のFlèche enflamméeッ!」


「――GIYYッ!?」


 熱を帯びたダーツが蛾の顔面に着弾すると同時に、小さな爆発が生じた。律季くんはすかさず焦げた脳天めがけて拳を叩き込み、頭蓋をひび割る。先制攻撃をもらった魔物は、荒々しく翅をはばたかせて離陸する。バサバサと頭上を飛行する巨体が天井の電灯を遮り、再び光が差し込むと、何か細かい粉が降り注いでくるのが見えた。

 

「……鱗粉か!?」


「吸っちゃダメです! 伏せて!」


 毒性までは解析クリアボヤンスでも分からないが、体にいいはずはない。危機感を覚えたユウマが、思わず杖を取り出した時、律季くんが左目を虹色にギラギラきらめかせて飛び込んで来た。私がユウマとレンの頭を押さえてしゃがむと同時に、我がバディは固まった私たちの真ん中に入り込む。


残響鑽火セイクリッド・スパークッ!!」


 真上に向けて、『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』を連打する。虚空に花火のような小爆発がいくつも起きて、降り注ぎかけた鱗粉が消し飛んだ。

 ――残響鑽火セイクリッド・スパーク。火炎と風圧を前方に起こすことで、飛び道具を防御する技。その様はまさしく厄を払う「切り火」である。


「……なぁ。前々から思ってたんだが、お前らって……」


「……?」


「なんで、いちいち技名叫びたがるんだ? 恥ずかしいとかないのか?」


「えっ!? いや、ふつう叫ばない!?」


「いや叫ばないよ。不利になるだけじゃん」


 ――びっくりだ。魔法使いはみんな、各々で技名考えてシャウトするのが流儀だと思っていた。

 魔法を習得してすぐの頃は、辞書を引きまくって、かっこいいネーミングを考えたりする時期が来るものではないのか? 私の場合は機関に勧誘されてからだったが、その時はかれこれ三日ぐらい図書館にこもっていた気がする。

 魔装形成フォーミングアームの時に発声するのと同じで、自己暗示の効果がある分、無意味ではないだろうが――冷静に突っ込まれるとさすがに少し恥ずかしい。


「……へ? 炎夏さんって、あれが普通だと思ってたんですか? 俺も楽しいからマネしてましたけど……」


「うそ!? 律季くんもそっち側!?」


 敵に追いすがるように走りながら、律季くんがそう言った。……なんだかすごく傷つくというか、プライドがけっこうズタズタだ。

 地上で私が「ずーん」と沈み、その上空で律季くんが敵にさらなる一撃を加える。肉厚の翼に、深々と拳がめりこみ――


「はぁっ!!」


 腕を引くと同時に、殴った箇所が火を噴いた。爆破によりえぐられた翼は胴体からちぎれかかり、用をなさなくなる。

 地に伏した蛾は角や足で律季くんに打ちかかっているが、全く当たらない。逆に、律季くんの着弾のたびに爆発する拳に圧されっぱなしになっている。


「……なるほどな。同じ炎魔法でも『炎上』ではなく『爆発』に主軸を置いてるのか。扱えるエネルギー量が限られている分、一点に集中させる方が効率がいいのも確かだが……」


「重要なのは、単なる炎夏バディの猿真似じゃないということ。力そのものは借り物であっても、ちゃんと自分なりの使い方を編み出しているってわけだね」


「……切り替え早いわねあんたたち。――でも、その通りよ。

 わずか一週間で私やあなたたちと同じレベルまでたどり着いた『成長速度』。本来は使えないはずの炎属性を使える『特異な才能』。それらに慢心せず、自分の分野ではない力も扱いやすく改良する『貪欲さ』。そして――」


 私たちが目を向けた先で、怒り狂った蛾が律季くんに体当たりする。胴体に強烈な一撃が入った。地面に足を踏ん張ったまま二メートルほど押し戻され、血を吐いた彼は――しかし顔を上げた時、「そうこなくっちゃ」という不敵な笑みを浮かべていた。

 汗だくの中で、黒の右眼と虹色の左眼がワクワクした輝きをみなぎらせている。痛みさえも心地いいスリルとして味わうような、どしがたいほどに前向きな表情だった。彼のこういう一面をどう表現すべきか容易には判断がつかないが、あえて名前をつけるとしたら。


「――あらゆることをポジティブに楽しもうとする『底なしの好奇心』。私の見た限りでは、この四つが律季くんの強みよ」


 初めて夢に入った據、命からがら生還した翌日に、文句ひとつ言わず機関入りを即決した決断の速さも。そして、三日前にあやうく殺されかけた相手であるユウマに対し、再会してすぐフレンドリーな態度になれる隔意のなさもそうだ。一見命がいらないような言動だが、警戒心がないとか創造力が欠如しているとか、そういうわけではない。

 彼は自分のやりたいことに対して、どこまでも素直なのだ。魔法やユウマをすぐ受け入れたのも、根底にあるのは「魔法が使えたら楽しそうだから」「友達は多い方がいいから」という理由にすぎない。


「……並み外れた度胸の持ち主か、もしくは単にバカなだけか。いずれにせよ、たしかに有用な資質ではあるな。――だが」


「残念ながら水鏡律季には、今言った長所をすべて消し飛ばすほどの『欠陥』があるのさ」


「……なんですって?」


 「欠点」ではなく「欠陥」という言葉をユウマは使った。そこには単なる悪口ではない、重大な含みがあると感じた。 

 そんな時、律季くんが突然こちらに向かって、息せき切って走って来る。――ああ、「あれ」か。


「はぁ、はぁ……炎夏さん、『補給』お願いします! 大丈夫です、左手は一切虫に触ってませんので!」


「はいはい」


「なんなのさ、その気遣いは」(サッ)


 〝盛夏の香りエスティバル・フレーバー〟のエネルギー切れである。

 水鏡くんの『乳揉ちちもみ技巧スキル』はいわば充電池式で、回数制限がある。借りた魔力を使い切ったら、逐一おっぱいを揉んで補給しなければならないのだ。

 エロの気配を敏感に察知したユウマは、律季くんの手が私のおっぱいに触れる直前でレンに目隠しした。「うおおあっ!? ユウマ、今はちょっと……!」とレンがじたばたしている。


 ――もみゅもみゅっ♡


「よし、オッケー!」


「え? 二揉みで終わりかい?」「離せ……前が見えない……!!」


「はい。多分、あとちょっとでアイツを倒せるので」


「……へー、なるほど。魔力量そこも揉んだ回数で決まるのか」


 意味深な笑みをたたえ、ユウマがそう言う。律季くんはそれを聞く前に「迅」を使って蛾のとどめに再び向かった。


「……水鏡律季の欠点とはつまり、生まれついての『魔力量の上限』だ。補給が必要なのにも関係があるかもしれない」


「いきなりキリッとしないでよ。こっちもついていけないわ」


 直前まで姿の見えない蛾におびえていたレンが、人格が変わったのかと思うぐらい急な切り替えを見せた。

 それができるぐらいなら虫嫌いも克服できるだろ……と思ったが、そこまでは言わない。今は「律季くんの弱点」を聞く方が大切だ。


「で、『上限』ってどういうこと? 律季くん成長早いし、そのぐらいすぐに……」


「俺が言っているのは、その のことだ。魔法使いには『これ以上魔力を蓄えたらパンクする』という一定量が各々存在している。これは先天的な肉体の限界であって、鍛錬だの経験値だので変えられるものではない。

 研ぎ澄まされた解析クリアボヤンスなら、その数値までハッキリわかるんだが――律季のキャパは、異常なほどに低いんだ」


「……!!」


「具体的に言うと、教国の下っ端戦闘員を1とすると、俺が10でユウマが30。それに対して律季は、せいぜい『2.5』といったところだ。優れたセンスを加味しても、総合力では『下の上』ぐらいにしかならない。

 魔力のキャパとは、魔法使いにとってレベル上限と同じだ。つまり水鏡律季には、もう伸びしろ自体があまり残されていない。今は調子よく成長を続けていても、すぐに限界が見えて来ることだろう。なんとか『一人前の魔法使い』にはなれるかもしれないが、そこで頭打ちになるのは目に見えている」


「……まぁ、本物の天才とはモノが違うってところかな。君にしろ律季にしろ、『あの人たち』をどうにかできる器じゃないよ」


 絶望的な宣告の中で、奇妙なワードが現れる。

 ――「あの人たち」。そう言ったユウマに私は眉をしかめ、レンは血相を変えた。


「おいバカ、言うな……!」


「……だって、何も知らずに殺されるのはさすがにかわいそうじゃないか」


「……どういうこと? 説明して」


 慌てて止めてももう遅い。気が立って有無を言わさぬ私の態度に、レンも観念したようにため息をついた。「――まぁ、いいか。多少情報を漏らそうが、結果が変わるはずがないし……」と、憐憫の混じった声色。


「俺たちは下っ端エージェントとはいえ、『暗示』のからめ手がある分、対人戦闘力では相当上澄みだ。新米魔法使いであるお前ら二人を捕えるには、十分な戦力のはずだった。――それが真っ向から敗北したんだ。事態を重く見た教国は、何を思ったか……山ほど手駒のなかでも、最強クラスを奮発することにしたようだ。

 『マーレブランケ』第九席ロイ・ストリンガーと、第十席マルス・アーヴァインがこの町に来ている。失敗した俺たちの処罰を免じて、スパイとしての任務を与えたのもそいつらだ」


「……マーレブランケ? ロイ……?」

 

悪の爪マーレブランケ。総勢20万人の教国の魔法使いの中でも、最上位に君臨する十二人。教国政府を裏から操っている真の支配者であり、メンバーひとりひとりが他国の軍事力に匹敵するほどの魔法力を持った、まさしく世界最高峰の魔法使いたち。

 ――その9番目と10番目。『人形使い』と『大喰らい』が、じきじきに君たちを捕えに来たのさ」


 あまりにも脈絡のない話だった。

 十二人しかいない教国の最高戦力が、わざわざ私たちを倒すためだけに? こっちだってたった一回実戦を経ただけなのに、いきなりそんなのと戦わなければいけないのか? 教国だって機関との戦争に忙しいはずだ。なぜ私たちなどにそんな出費を……。


「律季に伸びしろがない事は僕らの調査で分かっている。なら、この先怖いのはむしろ、彼よりも君の成長だ。

 君はレンの解析でも底が見えなかった。つまり、いまだに未知数の可能性を秘めてる。初実戦という山を越えた今、野放しにしていたら厄介になることは間違いないし、もたもたしてると機関が律季を隠しちゃう可能性だってある。状況が変わる前に、さっさと『属性無視』を手に入れちゃおうってわけさ」


「お前らがどう工夫したところで、悪の爪マーレブランケにかなうはずもないが……スパイである俺たちが事前に手の内を読めなかったとなると、それだけで処罰を喰らう。今回俺たちがお前らを探ったのは、ただそれだけの理由にすぎない。

 つまり、仮にお前らが今何かを隠しているとしても、それは結末になんの影響も与えないんだ。どんな小細工を使おうが、最終的にはひねりつぶされて終わりだろう」


 事態はすでにユウマの手からも離れている。二人は今や、そのマーレブランケとやらの手駒となって動いているにすぎない。

 しかしこの二人にさえ私たちは、ギリギリの戦いを強いられたのだ。それが教国のトップ層の魔法使いなど、手に負えるはずがない……!




 ――ズン……ッ




「……よし」


「!」(律季くん……!)


「――あれ? なにやってるんですか皆さん」


 巨体が倒れる音。たった今蛾の魔物を打ち倒した私のバディは、額付き合わせる私たちに怪訝な視線を向けていた。

 重苦しい沈黙に支配された私に対し、ユウマはそれまでの会話も忘れて、平然と彼に会釈する。あるいはそれが、何も知らない律季くんへの彼女なりの気遣いなのかもしれなかった。


「……ああ、大丈夫だよ。ちゃんと見てたから」


「ホントですかユウマさん? 後半ずっと三人でしゃべってるだけに見えましたけど……」(むにゅっ♡)


 と言いながら、律季くんは私の胸に顔をうずめ、「すぅ~~~~~~~っ♥♥ はぁ~~~~~~~っ♥♥」と深く、ふっかーく息をした。両腕はだらんと下げられたままだ。直前まで魔物を殴っていた手で触れたくないという気遣いもあるが、この程度ではもう拒絶されないという確信も含まれている。正直、私もそれを気にするどころではない。

 ――どうしよう? ユウマたちに言われたことを伝えるべきか。いや、伝えたところでどうなるものでは……


「これで終わりですか? まだ見てない技があったらやりますけど」


「いや、いいよ。あとでデータを整理するから、何かあったらその時に言うよ」


「そうですか。じゃあ、俺からもちょっとお願いしていいですかね? 起きてからでいいので」


「うん? なにさ?」


「――あなたの上司に伝えてください。『おとなしく観光して帰れ』と。

 マーレブランケかバウムクーヘンか知りませんが、俺の邪魔はさせません」


 顔半分を私のおっぱいに埋めたまま、虹色の左目だけをユウマに向けて律季くんはそう言った。口調はほとんど変わっていないのに、声色の気圧だけが下がった気がした。

 上半身でよりかかり、手は一切私に触れない体勢が、逆に強烈な執着を感じさせる。しかし――


「邪魔させない? ……って、なんでそんな強気なのさ。話を聞いてたのなら、君が勝てない理由はわかってんだろ?」


「ええ、わかりましたが……それとこれと、なにか関係あるんですか?」


「……は?」


「だって重要なのは、俺が炎夏さんを手放す気がないということでしょう? 俺は必ず炎夏さんを彼女にするし、その点に変更はありません。別に負けたからって俺が炎夏さんを諦めるわけじゃないんだから、マーレブランケなんてどうでもいいじゃないですか?」


 この時、私たち三人の表情が一致した。「いったい何を言ってるんだ?」という顔だ。しかも本人は、至極当然のことを言っているかのように据わった目をしている。


「……? 諦めないって、なにか勝算があるって事か?」


「ありませんよ。でも、炎夏さんに嫌われない限りはチャンスがあるので」


「会話が成り立ってないよ律季くん。ていうか君、嫌われた時も別に諦めてなかったよね」


「いやっ……だから、そういう話じゃないんだよ。君の恋愛のスタンスとか関係なしに、負けたら炎夏とも会えなくなるって言ってんの」


「会えますよ」


「……な、なんで?」


「そりゃあ、俺が離さないからですよ。そうすれば、いつかは見つめ合えるでしょう?

 たとえどんな時でも、相手が誰であろうとも、俺はそのための道筋を見つけ出す自信がある」


「……?????????」


 ダメだ。輪をかけて意味がわからない。聞いているこっちが頭おかしくなりそうだ。

 ……もしかして、よそ見していた間に変なところを打ったのか? 私はなかば本気で心配になり、彼の頭をよしよしと撫でた。律季くんは依然私のおっぱいに顔をうずめたまま「それじゃあ、お願いしますね」と続け、ユウマも「うん……わかった」と言い残し、夢の空間から消えてしまった。納得したというより、律季くんと話すのに疲れてしまったのだろう。

 こんなふうに相手を煙に巻くことが目的だとしたら、大した話術であるが――しかし、今の流れでそれをやる意味はどこにもない。つまりあれは律季くんの本心? となると、いよいよわけがわからない。


「よし、俺たちも帰りましょうか。レイン先生に早く報告しなくちゃ」


「……そ、そうね」


 とにかく私たちがやるべきことは決まった。

 ユウマの言っていたことが真実なら相当にまずい状況。しかし、逃げることはできない。せいぜい手持ちのカードを活かして、少しでも勝率の高い作戦を考えなくてはならなかった。

 





◆あとがき





 次回、爆乳養護教諭との修行(セクハラ)回。



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