乳揉技巧とユウマの闇 その2



 ――くに♡ くに♡

 律季が空中でリズムよく指を曲げるたびに、その拳を覆う炎の勢いが強くなる。


「『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』の特性は、炎夏さんのおっぱいを揉むことで、炎魔法の力を一時的に借り受けること。当然一人だと真価を発揮できない。

 俺はその弱点を、この乳揉ちちもみ技巧スキル聖痕スティグマータ〟で克服した。直接触れることなく、紋章を介して炎夏さんのおっぱいを揉むことで、遠隔での魔力供給を可能とする技……言うなれば、俺と炎夏さんのってとこです」


 意趣返しのごとくユウマの表現を拝借パクり、律季はレンを毅然と睨んだ。

 ……が……なぜかレンとユウマは睨み返してこない。それどころかドン引きだった。シリアスな雰囲気を演出したつもりだったのに、かえって律季の方が肩透かしを食らってしまった。


「……えっと、どうしたんですか? 二人ともそんな顔して……」


「どうしたもこうしたもねぇよ! なにが乳揉みスキルだバカかお前は!?」


 当然のツッコミであった。

 そんなふざけた名前の技と、今から真剣に戦わねばならない身、レンは声を裏返して抗議する。


「数日に及ぶ訓練の成果ですよ。おっぱいを揉んで高めた魔法の技巧スキルと、おっぱいで炎夏さんを感じさせる技巧テクニックが身について生まれたこの技。もとより俺の能力はマジメなもんじゃない」


「……訓練? そういえばこの前、『思い切り乳繰り合う』とか言ってたけどまさか……」


「ええ。察しの通り――。おっぱい揉んだら強くなれました」


「どんな有言実行だッ!」


 関西伝統のどつき漫才のごとく、レンが律季に蹴りをかます。

 それはレンにとって、律季のギャグ世界観に飲まれることへの抵抗でもあったが――律季はそれを見切ってかわし、炎をまとった拳をふりかぶる。 


「!」


「そこだ、〝夏空サンライト〟――」


 レンは驚愕に赤い目を見開いたが――それもそのはず、律季は自然体がそもそもふざけているだけであって、本人はこの戦いでは一度も冗談を言っていない。この場合レンとユウマは、勝手に揺さぶられた気になって自ら心を乱したにすぎない。


「〝ソニックエッジ〟!」


「ッ――〝残響鑽火セイクリッド・スパーク〟!」


 隙をさらしたレンを、ユウマが風魔法で援護する。律季は出しかけた攻撃技を直前で防御に切り替え、焔を纏った拳を上向きに半回転させ、虚空に向かってパンチの連打を撃った。

 炎の壁が律季の前方に出現し、風の刃が弾かれる。一拍遅れて熱風が吹き荒れ、ユウマとレンをたじろがせた。


「この前に比べると、出力が弱くありませんか? ユウマさん。

 部屋の中だからですか? 物を壊したくないからですか? ――いいや、そうじゃあない。単にもう力が残ってないだけだ」


「……なるほど、キミはそう思うのかな?」


「ええ――でなきゃ真っ先に『カレイドスコープ』を撃ってくるはずだ。俺もそれにどう対処するかが問題だった。あんたがどれだけ文月先輩に入れ込んでるか知らないけど、『友情の証』とやらは高くついたらしいですね。まともに戦うこともできないとは」


「ッ、ほう……! ルーキーのくせして、ずいぶんと調子に乗ってくれるじゃないか……!」

 

 額に青筋を立て、ユウマが再び杖をかざす。今度はレンの援護ではなく、同時攻撃で畳みかけるためだ。

 左から風魔法、右から『迅』をかけたレンの跳躍が、律季へと襲い来る。室内にはこの面攻撃を回避できるほどのスペースはなく、先ほどの連打技で撃ち落とすことも不可能だ。


「『堅』」


 律季は両腕で顔面をかばい、半身の姿勢で攻撃が当たる面積を減らして、防御強化の術である『堅』を全身にかけた。かまいたちの刃に切り裂かれ、いたるところから鮮血が飛び散る。律季は一瞬だけ痛みに顔をしかめたものの、負傷をいとわずその場を動かなかったおかげで、レンに対応する時間ができた。


「何ッ!?」


「調子になんて、乗りたくても乗れませんよ……」


「――レン、避けてッ!」


「そして今度こそだ! ――〝夏空燦爛サンライト・ハート〟ッ!」


「がぁ……ッ!?」


 動揺して攻撃が出遅れたレンに向かい、律季は全力のストレートを繰り出す。黄白色の光の軌跡が宙に描かれ、高速の拳がレンの腹に突き刺さった。


「――お前ッ!!」

 

「させるか、念力サイコキネシス!」


「あ……っ!?」


 血相を変えて、クールタイムなしに杖を振りかけたユウマより早く、律季のもう片方の手が杖を差し伸べた。

 先日の光景の再現の如く、ユウマの杖が握る右手ごと跳ね上がる。魔法の出を潰されたユウマと、ボディブローをまともに喰らったレン。すぐに行動に移ることはできなかったが、律季も追撃はしてこない。にらみ合いの沈黙が部屋に流れた。


(……こ、こいつ……強い……!)


(……能力だよりかと思ったが、この数日でしっかり基礎技能を身に着けてやがる。杖も握ったことなかったド素人が、これほど……!)


 律季は「ふーっ、ふーっ……」と、深呼吸して興奮を抑えつつ、虹色のきらめきが乱舞する目で二人を睥睨した。

 遮光カーテンから漏れたほのかな日光が、彼を背後から照らしている。闇色のマントを身にまとい、右手に炎を、左手に杖を帯びたその姿は、プロのエージェントをして警戒させる凄みがあった。


「なるほど――天道炎夏が留守にした理由がわかったよ。ボクたちを油断させた上で、成長したキミをぶつけるためか……」


「……そういう腹積もりも、無くはありませんでした。でも俺たちの目的はあんたらを倒すことじゃない。あくまで文月先輩やみんなを守ることが最優先だ」


 部屋の隅で倒れた螢視に視線をやると、律季の瞳の輝きが翳る。


「それがこんなことになったんじゃ、ひっぱたかれるだけじゃ済まないだろうな。……申し訳ありません、文月先輩。全部俺のせいです……」


「大丈夫だよ。螢視ならちゃんと戻って来るって」


「さっきからなんなんですか、その根拠のない自信は?」


 律季は頭が痛くなる気分だった。話を聞く限りだと、螢視を昏倒させた術式は、一度かかってしまえばユウマ自身にも解けるものではないらしい。つまり、ここで二人を叩きのめしたところで、螢視を救うことはできないのだ。


「俺としては正直ハラワタ煮えくり返る思いですが、これ以上戦っても意味無いし、近所迷惑です。おとなしく文月先輩を渡してください」


「やーだね」


「ッ……レンさんは? 見た感じ、そんなに乗り気じゃなさそうだけど……」


「俺はユウマの味方で、附属物バディだ。こいつの意志を裏切ることはない。――忘れたのか? 水鏡律季。俺たちがやってるのは、ケンカじゃなくてなんだぜ」


「あんたらは無関係の人を巻き込んだ。そういうのは、俺たちの辞書だとテロって言うんですよ。正しくもない拳をいつまでも振り上げて。結局引っこみがつかないだけでしょう?」


「対話は無意味だと言っているんだ。主張は勝った後にするんだな」


 杖を持つ手が互いを向いた。これが西部劇の早撃ちならば一瞬の差でユウマが勝っていたが、今の彼女に律季を仕留める余力はない。――無論、依然として『捕縛』指令が生きている以上、律季を殺すわけにはいかないのだが。


「『ウィンディー・デイ』!」


「!? か、風……ッ!?」


 魔法発動に身構えた律季は、その足元から防御姿勢を崩された。かまいたちの斬撃が来ない代わり、四方八方からの強風が彼の体を叩きつけて、無理やり体幹を揺さぶって来る。


「『ソニックエッジ』より高燃費だ。普段は扇風機がわりになるぐらいだけど、閉所ならこういう使い方もある。――レン、やっちゃって」


「ああ」


 足元はぐらつき、しっかり握らなければ杖が吹き飛ばされてしまうほどの乱気流。律季が転倒しないよう必死になる中、レンは風の流れを完璧に読み切り、むしろ追い風として迫ってきた。さすがのコンビネーションだ。


「オラァッ!!」


「がは……ッ!」


 風の勢いに加えて『剛』を乗せた棍が、律季の胴体を横から殴った。律季は体をくの字に曲げて吹き飛び、壁際にあった作業机に叩きつけられる。衝撃で引き出しが壊れ、中にあった紙の束が風圧で舞ったが、頭を打った律季にそんなことを気にする余裕はなかった。


「あ……!」


(! しまった……!)


 レンとユウマが、机から飛び出したその紙を見て凍り付く。そこは二人にとって、損傷してはいけない場所だったのだ。

 なぜ追撃してこないのかと一瞬疑問を抱いた律季だが――考えている余裕はない。頭の中で火花が散り、涙目になりながらも力を振り絞って、痛む体中に『迅』をかけた。

 優先して攻撃すべき対象は定まっている――『乳揉ちちもみ技巧スキル』再発動。律季は指を『むにゅっ♡』と曲げて、拳に炎夏の火を灯し、紙の霧の中を突撃した。ユウマのような搦め手がない律季は、ここで勝負が決めねば負ける。もう後がない故の、捨て身の特攻だった。


「おおおおおおおッ!!」


「待て! 水鏡律季、今は――!」


 ユウマは律季の動きに対応できていない。「入る」と思ったが――ユウマの体に攻撃が突き刺さる直前、律季の拳が何かを貫いた。

 『バリィッ!』と破裂音がする。舞っていた紙のうちの一枚が、真ん中を『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』に突き通され――そこにびっしりと描き込まれた鉛筆描きの漫画も、無惨に破壊されていた。


 ――その光景が、ユウマの眼前に『過去』をフラッシュバックさせる。


(……!? なんだ……?)


「――あ……ああっ……ああああぁぁぁぁぁ……」


 律季の拳に宿った炎が、中心を破かれた漫画原稿に燃え移り、黒く焦げていく。その一部始終を見せつけられたユウマの瞳が、みるみるうちに焦点を失っていった。予想外の事態に攻撃を止めた律季は、その瞬間に全てを察する。

 

(まさか、これって――)


「――うあ゛あ゛あァァァァアアアアァァァァァ――――――――ッ!!!!!」


 風がぴたりと止み、漫画の原稿がはらはらと落ちる。次の瞬間、ユウマの絶叫が耳をつんざいた。

 凄まじい形相を浮かべた彼女が、杖を持たず素手で律季につかみかかって来る。『』――。本能的に危機を察知した律季が拳を引っ込めて退いた。

 そしてその勘はどうやら正しかった。律季を外したユウマの掌を、その先にあった壁が受け止めると――触れた場所から黒ずんだ染みが滲み、そこにあったあらゆるものをドス黒く侵食する。まるでバケツ一杯のインクをぶちまけたかのような惨状。カレンダー、壁一面、床までもがあっという間に黒一色に染まり、『それ』が倒れ込んだ螢視に触れようとした時――


「水鏡律季ッ! ――こふっ」


 レンが跳躍し、彼の体を拾い上げた。緊迫した表情で律季に近寄り、螢視の身柄を渡してくる。咳を受け止めた手に吐血していたが、あまり意に介していないようだった。


「逃げろ」


「――は?」


「戦闘どころじゃなくなっちまった。早くそいつを連れて逃げろ!」


 そう語るレンは律季の顔を見ていない。壁に手をついたきり、黒一色に染まった領域の中で、頭を両腕で抱え込んでへたりこむユウマを全力で注視していた。

 しかし、床の上に散らばった漫画の原稿だけは、白い紙の色を保っている。レンも片足が黒くなった床の上にあるが、問題はなさそうだった。

 

「あいつから出てる黒いのに触れるな。特に文月螢視には絶対に当てるなよ。魔法使いじゃない奴は廃人になる」


「一体どうなってるんですか? やっぱり俺があれを破いちゃったから……」


 既にレンに害意はないようだ。火と〝聖痕スティグマータ〟を消し、『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』を装着したのみの手で、律季も素直に螢視をおぶる。


「グズグズしてる暇はねぇ! 急がなきゃ部屋中がこうなる! 早く出ろッ!!」

 

「は、はい! わかりました!?」


 意識不明の螢視を連れ、ほうほうの体で逃げ出す律季。土足で突入したので、そのまま部屋の外へ駆けていく。

 際限なく周囲を黒く染めるあの『現象』は、部屋の外にまで影響するのではないか? その懸念はあったが、今の最重要は螢視を助け出すことである以上、律季はすたこらと建物の外へ逃れることしかできなかった。




「――ひっく、ひっく……レン……」


 すっかり真っ黒になった部屋の中、死んだ眼を見開いてすすり泣くユウマを、レンは胸の中に抱いている。

 床の上に散らばった原稿たちは、突き破られた一枚を除いてすべて無傷だった。


「……あいつ、あれだけ慌ててたってのに、一枚も漫画を踏まなかったな……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る