@白い結婚の契約ですね? 喜んで務めさせていただきます
uribou
第1話
「ジニー、僕は君を愛そうとは思わない」
本日私の夫となったアッシュビー伯爵家の嫡男ユージン様がそう仰った。
特に意外ではない。
ユージン様に平民の愛妾がいらっしゃることは把握していたから。
「驚かないんだな?」
「いえ、そういうこともあり得るかと思っていましたので」
「さすが才女として名高いジニーだな」
ユージン様がぎこちなく笑う。
才女というのは満更お世辞でもないと思う。
私は貴族学院を次席で卒業したから。
でも世の中は厳しいのだ。
いくら成績がよくても、ホルスト男爵家という貴族の端くれでしかも女とあっては、役人になっても出世は望めない。
先立つものがなければ事業も起こせない。
目の前にそそり立つ壁の高さに憮然とした。
結局どこかに嫁ぐしかないんだなあ、と無力感を感じていた折だった。
名門伯爵家の令息ユージン・アッシュビー様から、婚約の申し込みをいただいたのは。
名門伯爵家と新興男爵家では家格が段違いだ。
どう見ても裏があるだろうとは思っていたが、家族も喜んでいた縁談だ。
相手が遥か格上で断わりづらいということもあった。
ユージン様はちょっと私好みのいい男だったし。
一度くらい婚約、そして結婚を経験してみるのもいいかと考えたのだ。
「もう少し詳しくお話をしていただけますか?」
「実にいい。いや、騒がれるかと思って覚悟していたのだ」
私が騒ぐことを考慮に入れなければいけないような内容か。
ため息を吐きたくなる。
いやいや、これも経験だ。
なるべく有利な交渉にせねば。
「僕にはテルマという愛する人がいてね」
「はい」
「可憐で美しい人なんだが、残念ながら平民なのだ。アッシュビー伯爵家の嫡男たる僕とは身分が釣り合わない」
たかが男爵の娘である私とも釣り合ってませんが?
「ジニーとは二年間の契約をしたい」
「契約、ですか?」
「要するに君は対外的に僕の妻の役割を演じてもらいたい」
「……つまり白い結婚、という理解でよろしいですか?」
「そうだ」
正直驚いた。
初婚で白い結婚というのはほとんど聞かない話だからだ。
愛されていないことは薄々感じていたが、跡継ぎくらいは産まなければいけないのかと思っていた。
「二年後に離縁することになる」
「はい」
つまりアッシュビー伯爵家の令息ともあろう者が、初婚で貴族の令嬢を娶らないというのも体裁が悪いということらしい。
自分で令嬢と言うのも何だけれども。
二年間子ができなくて離婚というのは一般的なことだ。
また子のできた愛人を正妻に繰り上げるのも、これまたよくあること。
そして相手が高位の貴族であるほど揉めた時面倒だから、男爵家から嫁を取ろうと考えたんだな?
ようやく理解できた。
「慰謝料の名目で、最低これだけ払おう」
あれっ? 思ったより大きな金額だぞ?
離婚後に割と大きな商売ができそう。
「君が理想的な妻を演じてくれるほど、アッシュビー家にとっては名誉だ。かつ奇麗に身を引いてくれれば、社交界でおかしな噂が出ることもないだろう。満足できる結果ならばさらにボーナスを出そう。どうだい?」
「喜んで妻役を務めさせていただきます」
伯爵家嫡男に相応しい妻を演じる。
ということはつまり、社交に勤しめということだ。
アッシュビー伯爵家をバックに人脈を築いたり、私の顔を広めたりできるのか。
しかも頑張るほどボーナスがもらえる?
二年後に事業を起こすことを考えると、夢みたいな条件だなあ。
愛されないのは大きなマイナスではあるけど、トータルでは悪くない。
「言い忘れていたが、君に指一本触れないことと白い結婚であることの証明書にサインすることは、ユージン・アッシュビーの誇りにかけて誓おう」
「大変結構な条件です。精一杯努力させていただきます」
◇
――――――――――ユージン視点。
二学年下のジニー・ホルスト男爵令嬢については、貴族学院時代から知っていた。
男爵家という低い家格にも関わらず優秀な成績だということで、教師からその名が挙がることがあったからだ。
同学年に王太子殿下の婚約者であるフランシスカ・グルベンキアン侯爵令嬢がいたので次席に留まっていたが、忖度なしならおそらく首席であっただろうと、まことしやかに囁かれていたものだ。
本来なら男爵家の令嬢など歯牙にもかけぬのだが、テルマと運命の出会いをしてしまうと話は違ってくる。
僕はアッシュビー伯爵家の嫡男、テルマは花屋の娘。
どう考えても結婚などムリだ。
愛人として囲えばいい?
それは純粋な愛なのだろうか?
悩んだ末に一計を思い付いた。
テルマと再婚すればいいのだ。
子ができず離縁した後に、子のできた愛人を正妻に据えることは珍しいことじゃない。
では初婚は誰と?
僕はジニー・ホルストに狙いを定めた。
家格は低いが彼女の優秀さがあれば両親を説得できる。
またジニーほど賢ければ、僕の思いを理解してくれるのではないか?
僕のエゴだとは理解している。
ジニーを婚約者とし、そして妻に迎えた。
形だけの。
結婚した日の夜、ジニーに僕の目論見を話した。
声が震えないように。
ジニーに否定されたら終わりだ。
どうだろう?
ジニーは極めて冷静だった。
泣き出したり声を荒げたりせず、頷き、前向きに努力すると約束してくれた。
よかった、通った!
ジニーは仮の妻として完璧だった。
もちろん男爵家の娘だから、最初は高位貴族の知り合いなどなかった。
それこそ学院の同級生以外には。
しかし僕の妻として、アッシュビー伯爵家の嫁として、徐々に人脈を広げていった。
積極的に社交をこなすだけでなく、慈善事業にも精を出し、アッシュビー伯爵家の評判を高めた。
また父上の領政まで手伝っていた。
完璧過ぎるだろう。
その内、アパレル事業をやってみたいと言い出した。
『しかし、もう一年で離婚するのだろう?』
『商売のノウハウを得たいのですよ。規模は小さくていいのです。もしうまく行くなら、そのままアッシュビー伯爵家の事業として継続していただければよろしいですので』
父上の手伝いが余裕で務まるくらいだ。
ジニーに経営の才能はあると思う。
でも商売はまた別物なんじゃないか?
ジニー自身に服飾に関する特別な技能があるわけじゃなし。
しかしジニーは僕の妻役を完璧に務めていた。
仮に小さな商売に失敗したからといって何だというのだ。
アパレル事業をやりたいという望みを許可した。
ところが最初三人雇って始めた店が、今では従業員が二〇人以上になっている。
店のいい噂もチラホラ聞くようになった。
『すごいじゃないか』
『いえいえ、まだ小さい店ですよ。需要がありますから、今後も大きくなるでしょう』
『いいのか? 君は経営を離れて』
約束の二年が経つ。
ジニーに慰謝料を払い、離婚することになる。
微笑むジニー。
『いいんですよ。私はいただく慰謝料で小物やアクセサリーの店を起こそうと思うんです。今までの服飾店と相乗効果のあるような』
ああ、それならともに繁盛するという目論見か。
よく考えているのだなあ。
『……一つ、心配があるんです。引継ぎを終えてもう私の店ではないのにこんなことを言うのは、本当に差し出がましいと思うのですが』
『何だい?』
『後を任せるマークのことです』
マークは家令の息子だ。
僕がまだ小さい頃から知っていて、目端の利く男だと思っている。
『能力に問題はないだろう?』
『はい。ただ急いで成果を求め過ぎるきらいがあるのです。ユージン様の言うことなら聞くと思いますので、御注意願います』
『わかった』
といっても急速に存在感を増し始めた店だ。
今の通りでいいということだな。
ジニーと離婚することを両親に報告したら、大層驚かれた。
一見うまくやっているように見えていたに違いないし、寝耳に水だろうから。
ジニーを惜しんで引きとめようとしていたが、ジニーは笑って言った。
私には子供を産めませんのでと。
僕が抱いていないのだから当然だ。
幸い真実の愛テルマとの間に長男を授かっていた。
またテルマはジニーから淑女のマナーを教わり、二年間でそれなりに社交界で通用するくらいにはなった。
ジニーは去ったが、大丈夫だと思っていた。
思っていた……だけだったのだ。
問題が発覚したのはテルマが最初だった。
テルマは堕落した。
『あら、ジニーさんがいなくなったんですから、息抜きくらいさせてくださいな。子育ても大変なんですからね』
乳母も養育係もいるのに、子育てが大変なもんか。
テルマはぶくぶくと太っていき、着られる服がなくなった。
そこで知ったのだ。
あれほどセンスがいいと思っていたテルマの装いが、ジニーによって組み立てられていたコーディネートであったことに。
ジニー自身がいつも地味な格好だったから気付かなかった。
テルマを華やかに見せようという意図があったのか。
ジニーの深慮に感嘆した。
醜く太り、身に付けつつあったマナーを放り出したテルマ。
僕はどこに真実の愛を見たのだったか?
気付かぬ内にジニーとテルマを比較してしまっている自分自身に愕然とした。
『家計費が増えている?』
『はい』
次に明るみに出た問題は、家令から発せられた言葉だった。
あれほど活発に活動していたジニーがいなくなったのに、何故家計費が増える?
『三ヶ月前と比べて四割増しほどになっております』
『わからない。どうしてだ?』
『ジニー様は非常に倹約されておりまして、例えばハーブや果物を庭師とともに自作されていました』
ハーブティーでのお茶会、土産にフルーツを持参するとかか。
なるほど、安く抑えられそうだ。
ジニーのセンスと話術があってこそだろうが。
『慈善バザーでも自作のものや、後には服飾店の訳あり品を出品されたりしておりました。当家の家計には全く響かなかったのでございます』
『そうだったのか』
『またジニー様は、服飾店の収入を社交につぎ込んでおられました』
『えっ?』
つまり後半一年は私費であれだけの社交をこなしていたのか?
『考えられない。離婚後のために蓄えているのかと思っていた』
『人脈は大事だからと、笑っておられました』
『どこまで……』
『は?』
『いや、何でもない』
どれほどできた女性だったんだ、ジニーは。
『おまけにテルマ様の……』
家令は口を濁すがわかっている。
箍の外れたテルマは贅沢だ。
いや、それでも僕の見たところ、アッシュビー伯爵家嫡男の妻であれば許せる範囲ではある。
ジニーと比べてはいけないのだろうが……。
逃がした魚の何と大きかったこと。
さらなる問題として、服飾店の不調が伝えられた。
『何故だ、マーク』
『それが……』
ブランド価値を上げようと、値上げに走ったらしい。
利益率の向上を図ったのか。
わからなくはない。
商品が好調に捌けているということは、商品価値の割りに安いことを意味するから。
『全品一割値上げしたところ、途端に客にそっぽを向かれてしまいまして』
『たった一割のことで、か……』
ジニーが言っていた。
マークは急いで成果を求め過ぎるきらいがあると。
これのことだったか。
思わず唇を噛む。
『元の価格に値下げしろ』
『はっ? 客が離れた今、価格を下げると赤字が膨らんでしまいますが……』
『宣伝を打って客を呼び戻せ』
『はい』
しかし客数は戻りきらず、低空飛行のようだ。
たった数ヶ月なのに。
世評の恐ろしさを知った。
とどめに父が倒れた。
ジニーほど呑み込みの早い者はいなかったので、父上もつい頼ってしまっていたらしい。
ジニーが去っていっぺんに増えた仕事量に、老いた父が耐えられなかったようだ。
僕は今、慣れない領政に消耗している。
ああ、ジニー。
君がいてくれたら。
◇
――――――――――半年後、商業ギルドにて。ジニー視点。
やはり商売は厳しい。
信用は大事だ。
いい場所や協力者を確保するのに手間取り、半年も経過してしまった。
アッシュビー伯爵家の看板がない私なんて、まだまだだなあ。
ようやく新店開店の目処が付き、商業ギルドに申請に来たら、おかしなことになった。
「ジニー嬢、結婚してくれ」
ええと、私はまだ二一歳だけれど、離婚した身で『嬢』と呼ばれるのは図々しくないかしら?
商売で生きていこうと思っていたのに、本当に人生はわからないものだ。
ちょうど居合わせた王太子妃のフランシスカ様が、どういうわけか興奮なさっている。
「お兄様、素晴らしい決断力だわ!」
「ええと?」
「ジニーさんの優秀さはわたくし、よく知ってるもの。ああ、グルベンキアン侯爵家に取り込めるなんて最高だわ!」
そう、フランシスカ様の兄で、グルベンキアン侯爵家の跡継ぎであるコーネリアス様に求婚されているのだ。
いや、コーネリアス様が奥様を亡くされたことは知っている。
でも私は男爵家の娘に過ぎないし、しかも一度結婚に失敗しているのに。
「家格が違いますよ。私にコーネリアス様の妻は務まりません」
「そんなことはない!」「そんなことありませんわ!」
「私はもう、結婚なんて諦めていたのですけれども」
「再婚するならジニー嬢のような、バイタリティーのある女性と決めていたのだ!」
「ジニーさんの力を貸してくださいませ!」
ええ?
グルベンキアン侯爵家の兄妹がこんなに暑苦しいとは知らなかった。
高く評価されているらしいのは嬉しいけれども。
「ジニー嬢の始めようとしている事業にも十分配慮する!」
「わたくしも協力いたしますわ!」
殺し文句来た。
グルベンキアン侯爵家と王家なんて、これ以上の後ろ盾はないではないか。
もう周りの皆さんから私が注目されてるし。
「では、よろしくお願いいたします」
「ありがとう、ジニー嬢!」
ものすごい拍手の中、コーネリアス様に抱きしめられる。
「む? 大丈夫か、ジニー嬢」
「い、いえ。驚いただけです」
男っ気のなかった私には刺激が強いなあ。
「そうよ、お兄様。レディーは優しく扱うものなの」
「ジニー嬢、失敬した」
「王家と実家にはわたくしが報告しておきますわ。お兄様はホルスト男爵家に」
「うむ!」
展開が早い!
開業申請は……いつでもいいか。
もう成功は決まったようなものだし。
◇
――――――――――その日の夜、グルベンキアン侯爵家邸にて。
嵐のような一日だった。
午前中に商業ギルドに行ったらコーネリアス様と運命の出会いがあり、午後には結婚していた。
何という早業。
お互い再婚ということもあるけれども、できる男は形式に拘らないんだなあ。
「ユージン様とは白い結婚だったのです」
寝室で初めてなのだと白状し、ユージン様のサイン入り証明書見せると、コーネリアス様に妙に喜ばれた。
結婚していたのに閨事について何も知らず、申し訳ないなあと思っていたのだが。
解せぬ?
コーネリアス様が私を腕枕しながら言う。
「ユージン殿が平民の後妻を迎えたことは知っているが……」
「初婚で平民の女性を妻とすることは難しかったようです。私との結婚は最初から二年間の契約だったので」
「言ってくれればよかったのに」
「言えませんよ」
アッシュビー伯爵家と私の恥になることだ。
いかに商業ギルドでよく顔を合わせるコーネリアス様であっても言えるわけがない。
「しばらく君に会えていなかったろう? どうしたのかと思っていたら離婚したという話が聞こえてきて」
「気遣わせてしまっていましたか。すみませんでした。新事業のことで奔走しておりまして」
「今となれば苦戦していたと想像できるな。離婚後だと難しかったろう?」
「難しかったです」
服飾店での実績と資金があれば、アッシュビー伯爵家のバックがなくともスムーズに開店できるものと思っていた。
甘かった。
コーネリアス様の言う通り、年若の女というハンデは大きかった。
勉強になったとも言える。
「では最近のアッシュビー伯爵家のことは?」
「社交界から離れていましたので、ほとんど何も。知っているのは、私の手がけていた服飾事業が傾いたということくらいです」
優秀なスタッフ達だったのに、こんなに早く経営状況が悪くなるとは。
おかげで調子が悪くなったから事業を放り出したと思われて、私の方にとばっちりが来た。
それもまた私の新店の交渉が進まなかった理由の一つだ。
「まともじゃ老舗に勝てませんので、ニッチと低価格を狙った店だったのです。理由もなく値上げして、見限られたみたいですね」
「ハハッ、跡を継いだ店長の理解が浅かったな」
マークはあまり私の言うことを聞かない人だったから仕方ない。
「……店を買い取りたいですね」
「む? 落ちた評判を取り戻すのは難しいぞ?」
「スタッフを引き取りたいのですよ」
「ああ、なるほど。人材は宝だからな」
やはりコーネリアス様はわかってくださる。
人材は重要なのだ。
「アッシュビー家では伯爵が倒れられてな」
「えっ?」
お義父様が?
いえ、もう義父ではないのだった。
「大方君が抜けて仕事が滞ってしまったからじゃないか?」
「……かもしれません」
「社交界では自業自得という見方が広がっているんだ」
「と言いますと?」
「アッシュビー伯爵家の評価を一人で高めていた君を追い出して、マナーも付け焼刃の平民が後妻だろう? 傍から見れば何をやっているんだ、となるわけさ」
わからなくはない。
あっ、では服飾店の経営悪化も、アッシュビー伯爵家の評価が下がったことが一因?
尚更スタッフが可哀そうだ。
「だから店を買い取ることはおそらく可能だ。しかし立て直せるか?」
「いえ、買い取った店舗で私の計画していた小物・アクセサリーの店を始めます」
「ほう?」
「そして逆に新店予定地だった場所で、引き取ったスタッフとともに新しい服飾店をスタートします。両店で新しいトータルコーディネイトを提唱します」
「なるほど、新たなブランドか。服飾店を立て直すより簡単だな」
「機材とスタッフを移動させれば、そう出費も増えませんしね。ただ運転資金が全く足りなくなってしまうのですよ」
「わかった。俺が出資しよう」
「ありがとうございます!」
よかった、これで旧服飾店のスタッフを救える。
開業申請を後回しにして正解だった。
「ジニー」
「あっ……」
「夜は長いぞ」
「……優しくしてくださいませ」
「うむ」
コーネリアス様に抱かれる。
今まで一人でやってきたけれど、これからは頼りになる夫がいる。
そう思うと、急に嬉しくなった。
今後ともよろしくお願いいたします。
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