ダレカの地上絵
風船葛
第1話
底冷えのする夜だった。手袋をしているのに指先がしびれ、吹きつけてくる風は容赦なく体温も気力も奪ってゆく。前かごに入れた荷物が重いこともあり、俺はさっきから少々イラつきながら、踏みつけるようにペダルを漕いでいた。
「寒い」
記録的な寒波らしい。こんな時は家で毛布にくるまっていたいものだが、そうも言っていられない事情がある。
深夜の住宅街をゆっくりと流す自転車は、凍てつく空気をまともにくらっていた。いっそのこと風を切って走りたい衝動に駆られるが、こればかりは抑えるしかない。パトロール中に全速力で駆け抜けてどうする。
「寒い」
今日何度目の呟きだろう。町内会特製「防犯パトロール」の文字が踊るベストは、車の光は反射しても風は防いでくれないようだ。せっかく恥ずかしいのを我慢して着ているのに。
町内会の役割分担は希望を出すことができるが、この防犯パトロール担当はひたすらに人気がない。だから毎度希望する俺がほぼ不戦勝となる。他の人からしたら物好きだと思われているだろうが、俺にとっては都合が良い役だった。
そんなことを考えていたら、ふとペダルを漕ぐ足が止まった。何やら物音が聞こえたのだ。
「……いから、そっち」
「大丈夫だって」
話し声も聞こえる。俺は自転車を止めて疑惑の場所を覗いた。
そこは住宅街にぽっかりと開いた空き地で、そこそこの広さがあった。一軒家の跡地程度といえるだろうか。その中央付近に据えられたランタンの明かりに、三人分の影が怪しく浮き上がっている。
「誰か、いるんですか」
人影がびくっと跳ねて固まった。警戒しながら近づいてみると、全員が若い女性。まだ未成年かもしれない。
「何してるんだ」
沈黙。全員が目を逸らすので、正面から懐中電灯で照らしてやった。
「ひいっ」
一人目、ポニーテールが微妙な悲鳴を上げる。
「まーぶーしーいー」
二人目、編み込みヘア。その反応は寒波以上に俺を苛立たせた。
「まーぶーしーいーじゃなくて。今何時だと思ってるんだ」
「二時です」
三人目、ショートカットが言い切った。俺は腕時計を確認する。
「午前二時十三分」
「へぇ」
「……私有地への不法侵入容疑で現行犯逮捕」
再び全員の肩が跳ねた。
「ひゃあっ」
「されたくなかったら、大人しく答えなさい」
そもそも俺は、ただの防犯パトロール中のおじさんだ。この国では一般市民にも逮捕権があるらしいが、そんな面倒なことをする気はない。その前に警察を頼る。
さっさと通報しようかと思ったが、いちいち反応が面白いので少し猶予をやることにした。それにしてもこの状況は何なのだろうか。
「空き地で何やってるんだ、こんな時間に」
「み」
「サークル活動です」
何か言いかけたのはショートカット。それにかぶせてきたのは編み込みだ。
「ほう、サークル活動」
「虫の声を録音してまして」
「こんな真冬に?」
嘘つけ。目でそう言ってやったら、編み込みは目を逸らした。そのまま仲間に助けを求めている。
「冬眠中の虫の寝息を!」
ショートカットが横から言った。黙って続きを待ってみたら、大人しく口を閉じた。さすがに寝息は無理がある。
「身分証見せなさい」
こうして、大人しくなった三人の身元が判明した。全員大学生だというので学生証も確認する。
俺は内容を記録し、空き地一帯を見て回った。長年放置された地面は穴だらけで歩きにくい。
「深夜にこんなとこ来ない方がいいよ、危ないから」
地面を見ながら説教しておく。はあい、と素直な声がハモって聞こえた。その直後だった。
どさっと音がして、何かが地面に散らばった。ショートカットが何か落としたのだ。
「あ」
立ちふさがる編み込みを無視し、その足の間から後ろの「何か」を照らす。ロープ、スコップ、それから角材。
「虫の、声を、録音?」
「これで穴掘るんですよ。こうやって」
不自然に角材で穴を掘るポニーテール。スコップ使えよ、というツッコミはさておき、犯罪の匂いしかしない。
無言でスマホを取り出す俺を見て、号令をかけたのは誰だっただろうか。
「逃げろっ!」
とりあえず腕を伸ばして手近なショートカットを捕まえた。
「わーん」
「ほら、君たちも来なさい。本当は何やってたんだ」
サークルです、とぽつりと言ったのは、捕まったままのショートカット。
「まだ言うか」
「ミステリーサークル」
「は?」
戻ってきたポニーテールが右手を上げ、俺の前に立つ。
「ミステリーサークルを作ってまわるサークル、略してミステリーサークルです」
堂々と宣言する心情がよく分からないが、そこは置いておこう。作って回る、と言ったか。
「何件やった」
「あー」
口を開いたまま詰まるポニーテールに、ショートカットが言う。
「十三個目だよ」
他二人の溜息が聞こえた。
「こらぁ! この前三丁目に出来た謎の犬の絵、あれも君らの仕業か」
「猫です!」
「あんたちょっと黙ってて」
ショートカットがむくれて黙った。
「何の地上絵かと思えば。他人の土地に勝手に入って、これは犯罪だぞ」
「誰もいないじゃないですか」
「持ち主はいるの、どっかに。で、何でまたこんなことを」
言葉を探している二人と、もごもごしている一人。つつくならこっちだろう。
「君は何か言いたそうだね」
ショートカットがこくんと頷く。その様子を見たポニーテールが言った。
「あ、さっきあんたが喋るなって言ったからだ」
「もういいよ」
素直だ。やっとお許しをもらったショートカットが、胸を張って言った。
「そりゃあ、UFO呼ぶためですよ」
そんなの決まっている、とばかりに言い切った。
さて、俺はどうしたものだろうか。頭を掻きながら考えていたら、不服の声が上がる。
「ほら信じてない」
「だから言っても無駄なんだって」
まとも組まで加勢に入った。本当にどうしよう。
ショートカットは何も言わない俺に、軍手を外して見せた。露わになった左手は緑色で、不気味に光っている。
「私、別の星から来て迷子になった宇宙人なんです。見つけてもらうにはこれしかないんです!」
「サキ、秘密。言わないって約束したでしょ」
編み込みの慰めるような言い方に、ショートカットが泣きそうになる。
「だって、だって。帰りたいんだもん」
このしんみりした空気をどうしろと言うのだ。対応に迷う俺は、ちらりと手の中のスマホに目を向ける。
「せめてこれだけでも最後までやらせてください!」
「いや、あの」
落ち着かせようとする俺の前で、ショートカットが頭を下げた。
「お願いします!」
ポニーテールがその肩に手を置く。
「もう帰ろうよ」
「そうそう。今日は無理だって」
設定を維持したまま、まとも組が今度はなだめに回った。それでもショートカットが言いつのる。
「あなたは家に帰れなくなった子供の気持ちが分からないんですか。広い宇宙の中で子供を探してる、親の気持ちが分からないんですか!」
「あの、ちょっと」
「もう十年も待ってるんですよ。なのに、なのに迎えに来てもらえない寂しさ、分かりますか!」
「いやだから、あのさ」
見かねたポニーテールがショートカットにデコピンした。やっと静かになったところで編み込みが言う。
「ごめんなさい、さっさと帰りますから、今日だけは見逃してもらえませんか」
結構な目力に見つめられて、俺は小さく息を吐いた。最後に一つだけ聞いておこう。
「君ら、ミステリーサークル描けば本当にUFOが来ると思ってるのか」
「当然です」
その言い方は何だ、と一斉に責められる。
「いや、逆じゃないかと思ってさ。ミステリーサークルって、既に来たUFOが描き残して行くものじゃないか」
「あ」
二人の声が見事な和音を奏でる。一人は声も出せなかったようだ。
「今日だけだぞ」
捨て台詞みたいに言って、俺は奇妙な団体に背を向けた。何だかとてつもなく疲れた気がする。
「良いですね、帰るところがあって」
背中にショートカットの声がぶつかるが、俺は振り返らなかった。もういい、状況は大体分かった。
咎める者のいなくなった空き地で、残った三人が顔を見合わせていた。
「助かった、のかな?」
「ぷはぁー!」
盛大に息を吐いたのはポニーテール。そのまま空気が抜けたようにしゃがみこんだ。
「上手くいったね、あんたの宇宙人迷子作戦」
「最初聞いたときは絶対に失敗すると思ったのに」
「えっへん」
ショートカットが腰に手を当てて威張っている。
「あれは信じたんじゃなくて、ヤバい人だと思われただけでしょ」
「えー。ひどい」
俺がまだ隠れて見ていると知ったら、彼女たちはどんな言い訳を披露してくれるだろうか。ちょっと聞いてみたい気もするが、今は我慢しておこう。
「その手、塗るの大変だったでしょ」
「そうでもないよ」
荷物を片付けながらのお喋りが聞こえる。
「でもさあ、いつまでやる? 本当に二十個達成目指す?」
編み込みがスマホを見ながら言った。画面をスクロールしている様子が分かる。
「やろうよ。そうしないと」
「賞金もらえない、でしょ。何でそんなに金欠かねぇ」
ポニーテールが呆れたように言う。画面の確認を終えたらしい編み込みもスマホをしまった。
「まだちゃんと載ってたよ。ミステリーサークルを二十個作ったら賞金百万、こんな書き込みしたの誰だろうね」
その声には苦笑が混じっている。
「でも本当なんでしょ。実際に百万もらった人いるらしいし」
「我ら賞金ハンターサークル、こういう活動こそ本命でしょ!」
ショートカットだけはやる気満々だ。
「帰ろっか。あー、また偽の学生証作らなきゃ」
「じゃ、私こっちだから」
「それぞれ気を付けてね」
そうして人のいなくなった空き地は、ただただ静かで広かった。近づいてくる足音の主は、中央で待つ俺に気づかない。
「諦めない。絶対に――」
「よう。お帰り」
足音が止まる。俺が灯した懐中電灯の明かりは、暗闇の中で強烈に彼女の目を射抜いた。
「なるほど。賞金ハンターか」
「いや、えっと」
「なかなか考えたもんだな」
仲間を巻いて戻ってきたショートカットは、俺の姿に戸惑いを隠せない様子だ。
「いいんだ」
にやりと笑った俺を見て、彼女は怪訝な顔をする。
「あの書き込みしたの、俺だから。手伝いに来た」
自転車から持ってきた荷物を漁る。まったく、サバイバル用の折り畳みスコップは重くて仕方ない。
「ただ、追記した部分をちゃんと見てないだろ。作る図柄は指定したはずだ」
スマホで書き込み画面の追記部分を表示して見せる。
「やるなら正確にやってくれよ」
じゃないと本当にただのミステリーサークルになってしまうじゃないか。防犯パトロールに見せかけて、いちいち夜中に手直しして回る俺の身にもなってくれ。
「あの猫は皆が勝手に描いただけで」
「通じる文字で書かないと、迎えは来ないぞ」
「そんなの分かって――」
彼女の目が大きく見開かれる。
「帰りたいんだろ。ほら、一緒に掘れよ」
丸い目が見つめる中、俺は角材で下書きを始めた。手袋と袖の間から手首が見えてしまうのは、この際気にしないことにする。どうせ緑色に光っているだけだ。
「俺は二十三年、帰れなくてね」
ダレカの地上絵 風船葛 @ultramarine
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