【短篇】僕の生きる世界

笠原久

第1話 神さまに会った日

 神さまと初めて会ったのは、小学五年生の冬のことだった。


 その日、翔太はいつものように廃れた神社に向かった。もうすぐ三月に入るというのに、まだまだ寒い。


 正直、凍えそうで、翔太はあまり外出したくなかった。


 だが、家にいるわけには行かない。今日は母が家にいるからだ。できるだけ、顔を合わせたくなかった。翔太がずっと学校を休んでいるからだ。


 もともと、翔太は学校が好きではなかった。特別頭がいいわけでもなく、運動ができるわけでもない彼にとって、学校は楽しくない場所だった。


 そして、いじめが始まって――もっと楽しくない場所に変わった。それだけだ。


 母はただ、学校へ行け、とだけ言った。担任も同じだった。


 とはいえ、さすがにいじめられて……という理由があると、強引に連れていくような真似はしない。


 それが、翔太にとってはありがたかった。


 もともと、翔太はこの学校に通う予定ではなかった。


 小学校に上がる直前に両親が離婚し、母親に引き取られ、急に田舎の――バスがまともに運行していない場所で暮らすことになった。


 学校へ行くのはつらかった。


 小学五年生になった今でも、小柄な翔太の足では片道だけで五〇分近くもかかる。それでも楽しい場所ならうきうきで通うだろうが――残念ながら、翔太にとって学校は愉快なところではなかった。


 もっとも、人付き合いはもともと苦手であったから、どこの学校へ行こうと大差なかったようにも思える。だが、なにしろ遠さに辟易してしまったのだ。


 特に、翔太はずっと体調が悪かった。


 夜、眠れないのだ。たとえ十時前に布団に入っても、まるで眠気が来ない。十一時すぎ、十二時すぎになっても眠れず、一時近くになってようやくうとうととしてくる。


 そして睡眠不足のまま、寝ぼけ眼で朝、叩き起こされる。


 腹痛にも悩まされた。しょっちゅうお腹が痛くなる。耐えられないほどではないが、つらかった。母親に頼んで病院に連れて行ってもらっても治らない。


 そのうち母が「また?」と呆れ顔で言い、「ちょっとの痛みですぐ大げさに言うんだから」と露骨にうんざりした顔をするので、そのうち翔太は痛みを訴えなくなった。


 眠れない点も同じだ。母親に言っても、まともに聞き入れられない。運動しないから眠れないのだ、と切り捨てられて終わる。


 だから、あきらめた。治らない――そう、治らないのだろう、永遠に。


 翔太にとって、朝は特に憂鬱だった。眠りが足りない。しかも学校へ行かなければならない。行きたくないと訴えても、母は決して聞き入れない。ぐずっていると車に乗せられ、学校まで連行される。


 そして、バスにも悩まされた。時刻表どおりに発着しないのだ。


 特に帰りがひどかった。十分十五分くらいのズレなら翔太も気にしない。だが、さすがに三十分四十分待ってもこない、下手をすると一時間以上も待ちぼうけを食らうとあっては、うんざりして怒りすら湧いてくる。


 それで余計に、通学する気が失せた。


 学校へ行っても、そこまでクラスメイトと仲がよいわけでもない翔太は、ずっとひとりで過ごしていた。


 一時的に会話の弾む相手ができることもある。だが、そういった相手もやがては翔太以外の人間と遊ぶようになるだけで――むしろ孤独を深めた。


 片田舎に建てられた母の実家でもそうだった。


 翔太は母と、二階建ての倉庫を改造した家で暮らしていた。まわりは田んぼと畑と林と……民家はいくつもあったが、同年代の子供はいなかった。


 いても仲良くなれたかは、はなはだ疑問だったが。


 母は、翔太に時間を使うことを惜しんだ。彼女はいつも忙しいと言って、翔太がかまってもらおうとすると「ゲームでもしてなさい」「マンガでも読んでなさい」と言った。


 実際、母は忙しそうであった。


 いつも自分の兄や姉(翔太から見て、おじおばに当たる)や隣近所の大人と世間話に興じ、遠方の友人と長電話をする。特に一番仲のいい母の姉とは、よく一緒に買い物に出かけた。


 翔太は、いたたまれなくなって、廃れた神社に通いつめた。母のまわりにいるのは、どうにも場違いな感じがしてしまうのだ。


 学校にも家にも、居場所がなかった。


 それで廃れた神社に来て、何時間もぼうっとしている。廃れた、といっても人がいないだけで神社そのものは綺麗だった……雑草はぼうぼうに生えていたが、冬になると草も枯れる。


 翔太は、その日も神社までやって来た。そしていつものように境内でぼうっとしていようとすると――突然、上から声が降ってきた。


「本当にここにたどり着けるんだな」


 見れば、神社の屋根に男が上っている。十五歳くらいだろうか。小学生の翔太にとって、ずっと大人に見えた。


 それで、どうしても警戒してしまう――自分の思いどおりにならないと怒鳴り散らしたり、ぐちぐち文句を言ったりする学校教師と何度も遭遇して(もちろん教師全員がそうではなかったが)、翔太は油断ができなくなっていた。


「警戒されてるな」


 屋根の上の男は苦笑いだった。


「まっ、こんなとこに待機してるやつなんて怪しさ爆発だし当然か」


 男は軽やかに屋根から飛び降りる、まるでマンガみたいに。何メートルもの高さで、普通だったら怪我しそうなのに男は無傷だった。


〔なんだろう、この人……?〕


 翔太はなんとなく、男が只者でないような気がした。


 今の動きだけでなく、近くで見ると……なにかおかしい。翔太は疑問を持つと同時にくしゃみをした。一瞬、寒さを忘れていたものの、強い風が吹いて翔太は震える。


「風邪引いちまうか」


 男が言った途端、寒さが消え去った。突然、春が――いや夏が来たようにぽかぽかと暖かくなる。それで気づいた。男はあまりにも薄着だったのだ。


 長袖シャツ一枚にズボン……翔太が上から下まで真冬の服装で固めているのに、男の出で立ちはあまりにも季節外れだった。


「これで寒くないか?」


「なにを、したんですか?」


「見たとおり――いや見てもわかんないなこれ」


 男は困った顔で、ごまかすように笑う。


「体感したとおり気温を調節したんだよ。二十五度くらいにしてみたけど、どうだ? 湿度もだいたい五〇パーセントってとこだが」


 なにを言ってるんだろう――と思ったが、事実として境内は暖かくなっている。目の前にいるのは、普通の人間ではない。


「あなたは……ここの神さまですか?」


 そうとしか思えなかった。こんな芸当ができる存在は、ほかに思いつかない。男は――神さまはきょとんとしたあと、大笑いした。


「違う違う! 俺はただの人間、退魔師やってるんだよ。ほら、ゲームとかマンガとかで知らないか? 悪霊退治とかやってるんだ。今のはその応用」


 いわゆる霊能力ってやつさ、と神さまは笑みを浮かべる。


「名前訊いていいか?」


「あ、えと……赤崎翔太あかさきしょうた、です」


「俺は鏑木修一かぶらきしゅういち。で、ものは相談なんだが翔太……ちょっと退魔師をやってみないか?」


 修一と名乗る神さまは、ニッと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る