何だかエッチだろ

 そそくさと停留所を抜けると、グウ、とお腹がなった。


 時刻は夕刻前だ。昼飯を抜いたからお腹が減っている(馬車が臭すぎて、何だか食べる気になれなかった)。そろそろ空が茜色に変わっていき、やがて夜になるだろう。私は石畳の大通りを進んだ。


 まずは最も先にやらなければいけないことは、宿を探すことだ。あぶれるということはないだろうけど、良い宿は賑わっているものだ。隠れた名店というのは、実際にはほとんどないのである。


 馬車の中で少しリサーチはしたのだけど、ウッカリ忘れてしまった。途中で寝ていた所為だろうか(あるいは件の理由から、気絶していたのだろうか)。しかし、ゆっくりと街並みを眺めながら進むのもいいだろう。最悪、適当に夜を明かせばいいのだから。


 軒並みを少しずつ眺めてみると、可愛らしいフリルのワンピースが飾られた洋服店や香ばしい匂いのするパン屋、色とりどりの材料が並ぶ食品店、少し陰気な気配のする雑貨屋、ひとまわり大きな建物の宿屋……ただ同じような日常を送っている景色と、私のような異郷いきょうの者が画角に収まった時の、異物的で不慣れな雰囲気は、ある種のノスタルジックな感覚を呼び覚ましていた。


 私に明確な故郷はないのだけど、少しずつ赤くなっていく空を見上げては、どこか物淋しくなった。その感情は新しい土地に踏み入れた高揚感と確かに混じりあった。私は途中で寄って買ったキャンディをコロンと舌で転がしている。


 宿を見つけたのは程なくしてからだった。住人らしき人たちに声を掛けながら、ある程度の当たりをつけると、西区に良い宿が密集しているようだった。ただ少し値が張るところもあるらしく、その中でも最も安価なところを教えてもらった。


 逆に東区の少し裏通りに進めば、更に安価の宿もあるらしいが、そこは女性の一人旅には適さないとのこと。暗に襲われることもあるということだ。話してくれた女性は必ず西区へ行くようにと念を押した。


 そうした情報収集のもとたどり着いた宿は『木枯こがらし亭』という名前だった。外観はそれほど大きくなく、むしろこじんまりしている方だ。大通りにはあるものの、賑わっている界隈から少し離れた場所に建っていた。


「いらっしゃい」


 中に入ると、すぐに声がかかった。


「どうも。泊まりたいんだけど」


「良かったね。一部屋だけ空いているよ」


 宿の中は薄暗く、淡い照明が灯っている。


「それは良かった。とりあえず一週間でお願い出来るかな」


「ああ。お好きなように」


 受付の女性は少し不愛想だった。


「半刻ほどしたら飯を出すから降りておいで」


「わかった」


 私は部屋の鍵を貰うと、受付の真横の階段から二階にのぼった。少しほこりがかぶった特有の匂いがする。急斜面な階段をのぼりきると、大きく木が軋む音が響いた。私の部屋は一番奥にあった。


 部屋の中は質素なものだったけど、丁寧な清潔さがあった。ベッドもそれほど硬くない。窓からは通ってきた大通りが見え、空は茜色に染まっていた。余分なものはなく、ただ簡素な部屋だったけど、私は一目で気に入っていた。背嚢を放り投げ靴を脱ぐと、ベッドに寝転がった。


「ああ、疲れた」


 自分一人の空間にやってくると、途端に疲れがやってくる。しばらく旅をして分かったことが、馬車は向いていないということだ。


 協調性を持たない私は、何かを分け合うことに辟易している。このまま寝てしまいたい衝動に駆られたけど、すぐに夕ご飯の時間になる。溶けてなくなってしまう前に起き上がると、背嚢から日記帳を取り出した。


 村を出てから毎日の記録をつけている。それを先にやってしまおうと思ったのだ。とはいえ、ほとんどの事は乗合馬車に対する恨みつらみで完結した。


 食堂に向かうと、既に料理が用意されていた。そこには何人かの宿泊客が居て、興味深げに私を盗み見た。彼らを観察すると、大体が冒険者のようだった。この街に用があるのは冒険者くらいのものだ。


 今日の稼ぎの話、勇ましく魔物を倒した話、死にかけた話、エールをあおりながら、楽しそうに話している。卓上に並んだメニューは、野菜のスープと焼き魚だった。特に凝った盛り付けのないものだが、味は抜群においしかった。変にこねる必要のない素材の味だ。温かいスープに息をつきながら、そっと焼き魚を齧る。それを繰り返しながら、いつの間にかすべて平らげてしまった。


「珈琲は知ってるかい?」


 私が使った食器を片付けながら、受付の女性が言った。


「そりゃ私の好物だね。まさかとは思うけど、ここにあるの?」


「ああ、あるよ。私も珈琲には目がなくてね。客にも振舞っているのさ。なあ、どうだい。一杯いるんだろ?」


「もちろん、もちろんだとも」


 私は思いがけない偶然に声をあげた。


「ミルクはいらないからね。それだけが肝要だよ」


「ミルクなんて入れてやらないさ」


 受付の女性はミランダというらしかった。ミランダはすぐにそれを持ってきた。ティーカップの中から湯気がたちこめ、それを辿るように芳醇な香りが広がっていく。なるほど、確かに珈琲だ。


「どうぞ」


「ああ、ありがとう」


 私はそっと口をつけた。仄かな苦みが口に広がっていく。


「私はこの宿気に入ったよ」


「そうかい」


「ミランダは不愛想だけれどね」


「一言余計だよ」


 私が小さくウィンクすると、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「別にいつまでも泊ってていいんだよね」


「そりゃ構わないさ。出すもの出してくれたらね」


「では稼がないとね」


「冒険者に成りにきたんだろ」


「よくわかったね」


「ここにやってくる若者は、皆夢を見る」


「……なるほど」


「お前が魔物と戦えるとは思えないがね」


「そんなことはないさ。人は見た目には寄らないものだよ」


「それに根拠があれば、そうだろうさ」


「根拠はあるとも」


「言ってみろ」


「私は魔術士だから」


 その瞬間、周りの視線が自分に向いたのが分かった。


「冗談ではないんだろうね」


「胸元にルーンが刻んであるけど見てみる?」


「……何故胸元に?」


「私の趣味さ。何だかエッチだろ」


「よくわからないね」


 ミランダは肩を竦め、ため息は吐いた。


「まあ、そういうことなら何も文句はないよ」


「元々、文句なんて受け付けてないけど」


 きっとミランダも場合によっては私を止めるつもりだったのだろう。悪意を持つ者も多いけど、善意を持つ者も多いのだ、世の中には。


「うるさい小娘だねえ」


 ミランダはケラケラ笑いながら言うと、厨房の方に引っ込んでいった。


 珈琲を最後まで飲み干すと部屋に戻った。


 することもなく寝支度を整える。初めてのベッドや枕、飲んだばかりの珈琲の力も相まって、中々寝付くことが出来なかった。柄にもなく、少し明日への希望も感じていたのかもしれない。

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