39.卒業する男たち


 卒業式当日、蓮は早めの時間に着くようにバスで大学に向かった。雲が多い空だが、日が差すと暖かさを感じられる春らしい陽気だ。蓮が式場である大ホール入口まで歩いていると、大きな体の山下が目に入った。


「山下さん、お久し振りです。スーツ似合ってますね」


「おう、青山、久し振りだな。俺はそんなに似合わないと思ってるよ」


「そんなことないですよ、すごく格好いいです」


「女の子に言ってもらいたいんだが」


「今は性別にとらわれない時代ですよ。気持ちはわかりますけど」


 二人で軽口を叩き合っていると、山下が急に神妙な顔つきになった。山下の視線の先には、あの時さくらが座っていたベンチがある。


「ここ、だなぁ」


「ここ、ですね」


 式が開かれるのは、かつて国際スピーチコンテストが開かれた大ホールだ。山下が例のベンチに座り、蓮もそれに倣って隣に座った。


「結局ナツミちゃんには最後まで無視されっぱなしだったわ」


「山下さんってけっこう一途ですよね」


「まあな」


 「ナツミちゃんがおまえばかり見てて悔しかったから原稿も女の子も取ってやろうと思った。むしゃくしゃしてやった。今では反省している」という供述を山下が事後にしていたのだが、蓮はナツミちゃんについてはうろ覚えだが顔がわかるという程度で、他に何も知らないまま卒業することになる。


「僕はナツミちゃんどころか、そういう浮いた話はないまま卒業……そして今後も全く出会いがない職場……何故か新たに知り合いになる人は男性ばかり……」


「……おまえも苦労してるんだな……じゃねえよ、この鈍感野郎が。出会いが全くないくらいでちょうどいいわ」


「ひどっ!」


「そんなんだから、俺みたいなやつとしか仲良くなれねえんだろが」


 山下が後頭部をさすりながら話す。これは、彼が何かに対して悪いと思っている時の癖だ。蓮は明るい口調で話し始めた。


「あー、そういえば最後まで他の人たちに遠巻きにされてたなぁ。最初から話しかけてくれてたのは山下さんだけでしたよ」


「話しかけてって、俺、嫌味ばっか言ってただろ」


「そう、山下さん頭いいから嫌味の内容がいちいち図星でキツくて……口悪いし……さすがに僕も腹立てたりへこんだりしてましたね」


「うっ……悪かったよ……」


「でも、他の人は遠くから悪口言うか嘲笑うか無視するかだったから、それだと言い返しにくくて。あのコンテストの控室の時みたいに、山下さんに雑に話しかけられて、挨拶して、って、そういうのもできなかったんですよ。あれ一応会話になってたでしょ」


「……まあ、確かに」


「山下さんは僕が女の子に人気があるって言うけど、二年生後期からは、男女問わず誰からも話しかけられたことはないんです。ひそひそ付きで指差されたことなら数知れず、ですけど」


「え、嘘だろ? 誰からも?」


 山下は本気で驚いているようだ。蓮も、このことについては意味がわからない。ひそひそするなら声をかけてきてほしかったと、今でも思っている。


「誰からも、です。必要なこと以外は。それに、一年生の時に雑談してた人たちとも、距離ができてしまって……。だから瀬川先生に、山下さんと一緒に叱ってくださいって頼んだんです」


「あ、あれ、おまえの差金だったのか。にしても、わざわざ叱られることもなかっただろ」


「一緒に、っていうのがポイントなんですよ」


「ふぅん、そういうものか。あのあと俺ら何か話したよな? こいつけっこうおもしろいなと思ったんだ、あの時」


「話しましたね。僕は、誰かと会話できたっていうのがうれしかったです」


 その時のことを思い出し、蓮は柔らかく微笑んだ。蓮にとってはあの何気ない会話が本当に楽しかったのだ。


「……そうか。もっと早く普通にしゃべってればよかった。ごめん」


「そんなのいいんですよ」


 素直に謝る山下の方を向いて横に首を振り、蓮は言葉を続ける。


「山下さんの愚行をきっかけに策略を巡らせた結果、僕の大勝利だったってだけです」


「……悪党の参謀じゃねえか」


「上司が相当な悪党なのでちょうどいいですね」


 白井の悪どい笑みを思い出し、きっとこれから何度も見ることになるのだろうと、蓮は苦笑いを浮かべた。


「ああ、バイトしてたところに就職だっけ? 俺は普通に就活してたけど」


「あ! そういえば山下さんどこに就職したか教えてもらってない! 何で!?」


「えー、そこで怒るのか……就職できたってことは報告したろ? 白井商事ってところだよ。まあいわゆる商社ってやつだな」


「白井……商事……? って、あの都心ど真ん中の、どでかい高層自社ビルの……?」


「そうそう、それ。奇跡的に採用されたわ。スーパーミラクル」


 山下の就職先は、白井の次兄の会社だった。全くの偶然で細く繋がる糸ができたことに蓮は目を細める。


「僕、そこの姉妹会社です。超小さい卸問屋ですが」


「へぇー、姉妹会社……って、おまえが超小さい会社に就職? おまえが?」


「はい、そうですけど」


「……逆スーパーミラクル……」



**********



 卒業式が終わりホールの外に出ると、山下から「何でおまえが答辞読まねえんだよ」とクレームが入った。何故か蓮が読むものだと思い込んでいたらしい。


「三年間しかいなかったんですよ、僕。向いてないでしょ」


「いいだろそんなの。優秀なんだからさ」


「そう言われてもオファーも来なかったし、優秀な人は他にもたくさんいるしなぁ」


「答辞読んでたら、このあと飲みに行っておごってやろうと思ってたのに。『よしよし、偉かったな』って」


「……お酒、飲めないんですよね……」


「あれ、そうだっけ? あー悪かったよ、そんなにしょんぼりすんなよ、ったく最後までおまえは」


 式を終えた卒業生たちが一斉に出口に向かって歩く中、話しながら二人で建物の外へ出ると、山下が何かを思い出したらしく突然「そうだ!」と大きな声を上げた。


「今度一緒に流行りの店行こう!」


「えっ? 流行りの店?」


「スイーツの」


「それだとお客さん女性ばかりですよ?」


「まあ、ちょっと勇気いるけど……がんばって行きたい、と、思ってる」


「がんばって……? デートの予行練習ですか? 何かわかんないけど、この間行ったお店のモンブランおいしかったからそこにします?」


「モンブラン……一人で行ったのか? ああ、姉ちゃんと?」


「いえ、上司とです。おもしろかったですよ、見た目がいい人なので周りの女性が……あ! まさか!」


 蓮が気付いた時には既に、すぐ横を歩いていたはずの山下が早足になって数歩先を進んでいた。追いかけようとするが、走り出した山下の足には追いつくことができない。


「おまえ勘よすぎ! ゼミ室行ってるからな!」


「ひどい! 置いていくなんて!」


 この一年半、山下はいつも蓮の前を歩き、時には走っていた。それは最後でも変わらなかった。彼が乱暴に「ほら、行くぞ」と声をかけて振り返ることはもうないのかもしれないと思うと、正面に見える山下の姿がだんだんにじんでいってしまう。それが悔しくて、蓮は走りながら手で涙をこすり目を大きく見開いた。

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