老ハムスター的日々
鷹橋
私はハムスター
私はしがないハムスターである。名前は自分では発音できない。そういう設定だとご留意願いたい。元ネタの著作権が切れていることも。
日々を滑車と小屋と餌箱と給水器との往復に費やしている。無意味に過ごすのではない。ちゃんと生きていることも知っておいてほしい。糞だってそこらでまき散らしているさ。ちゃんと一年半も生きている。年老いたな私も。独白の口調もお爺さんくさくなる。加齢臭だか、一日で溜まった糞尿の臭いだか、私は判断に困るが自分では臭いと思っている。
窓の外が暗くなるといつものごとく、くたびれた飼い主殿が帰宅する。今日はやけにぶっきらぼう。 ヒールの靴は脱ぎ捨てる。ベッドに上着も脱ぎ捨てる始末。しわになるぞ。
ワンルームは狭い。私からも飼い主殿が見えてしまう。元気もなさそうだ。いつも見るエクボが見られない。面持ちが暗い。
「~♪」
飼い主殿のいつもの鼻歌とはキーが違う。三度くらい下だ。もちろん私に音楽の素養はない。勝手な推測である。
この部屋にたまに来ていた男は今日はいない。彼には相手をしてもらえたためしがない。明かりを消されてしまってはいくら夜行性の私でも見ようがない。ガタガタ音がしていた。耳障りである。私もひまわりの種を食べて堪えていた。
飼い主は「会社」という場所から持ち帰った鞄からスマホを取り出す。しきりにスマホを触っている。画面を付けたり、消したりを繰り返している。様子がおかしい。
私は夜になったし、とりあえず日課の運動に励む。滑車を回すのがルーティンの一番初め。有酸素運動のあとには筋トレも取り入れたいと思う今日この頃である。お腹が減っているからひまわりの種と固形フードがあれば最高だ。
飼い主殿も私の運動している音に負けじと鼻歌の音量のノズルをあげる。私も全力で回す。
飼い主殿が嗚咽を漏らした。ひっくひっく言っている。私も心配になって、滑車を回す。より早く。
飼い主殿がケージの前に来た。ちょうど腹が減っていた。昨日もすこし元気がなかったように思う。餌も少なかった。
要求しようと私は扉の前に陣取る。
「ハム助は気楽だね」
私が気楽……? 日々を運動と食事とトイレで忙しい私が? 大変な毎日だ。
「彼と別れちゃった」
彼というのもよくは理解できない。心の中でたまに女の子と過ごしたいと欲していた。女の子と触れ合ったことがない。育ったショップでは男子どもと過ごしていた。喧嘩は日常茶飯事。女子諸君とは関わりがない。遠目に眺めるだけだった。
私はじーっと飼い主殿を見つめる。彼女はほほえむ。エクボが見えた。
「また失敗しちゃった……」
失敗ってなんだ? この間ケージが開いていたので部屋を散策していたら、飼い主殿に捕まった。ケージにむりやり入れられた。おもしろくなかった。ああいうのが失敗か。
また私は飼い主殿を見つめる。微動だにせず。
「男運が悪いんだ。利用されてばっかり」
私は女に縁がない。皮肉として伝えたかったが、あいにくその手段を私は持ち合わせていない。もどかしいことこの上ない。
「今日は早く寝るね」と吐き捨てて電灯を消す。飼い主殿のリモコンを押したときのピッというわずらわしい音が空っぽの部屋に響く。あたりが暗くなる。男がいる時とは違う。オレンジ色だけは残っている。私からも見える。飼い主殿がベッドに倒れる。ばさっと。
「おやすみ。ハム助」
飼い主殿はぼやいてからまたひっくひっく泣き出す。呻き声もあげている。
おいおい、はやく私に餌をくれ。
老ハムスター的日々 鷹橋 @whiterlycoris
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます