5

 いつもより自転車をしまう速度が遅いような気がする。いつもよりドアノブが重いような気がする。

 それもそうだ。いつもの状況じゃないのだから。

 このいつもより重い感じのするドアを開けたら、きっとおそらくメイビー、彼女がいる。まさかじゃあ帰ってなんて言えないだろう。

 まったく困ったことになった。どうしようか……。

 未だにドアの前で決めあぐねていると、勝手に扉が開いた。いや、扉は勝手に開かないから、おそらく家の中にいる彼女があけたのだと思う。

 とっさのことで体が動かず、ドアが私のおでこにあたってしまった。


「わ、ご、ごめん! まさか目の前にいるなんて」


「大丈夫だよ。それより遅くなってごめんね」


「それはいいのだけれど……本当に中に入っていいの?」


 本当は嫌なんだけど。とてつもなく遠慮してほしいんだけど。

 先ほど彼女を不快にさせてしまった手前、そんなことも言えない。それにこのままだと本当にただ言い訳に利用したみたいになる。私はそんなことのために彼女と付き合ったわけではないんだから。


「さすがに家に招きいれておいて、帰れっていうほど非道じゃないつもりだよ」


 と、取り繕いつつ笑顔を浮かべる。

 彼女は戸惑いつつも口元はにやけているが、疑念は解消したいらしい。


「でも別に今日は約束してたわけじゃないわよね?」


「じゃあ帰る?」


「う……帰らないけど」

 

 帰ってもよかったんだけど、とは言わない。

 私の部屋には案内できないから、とりあえずリビングへと行くよう促す。


「だ、誰もいないのね」


「うん。私以外都内のほうにいるから」


「へー……って、え?! じゃあ一人なの?」


「不定期で家事手伝いさんがくるよー」


 高校に入ってから、家族は都内に引っ越してったため、長らく一人で過ごしていた、というわけではないが少なくとも三年は帰ってこないだろうし時期に慣れるんだろう。というか、慣れざるをえないというか。

 とりあえずお客様にお茶を用意するべく、冷蔵庫を見るもあいにく切らしていた。コーヒーという洒落たものもない。そもそもこの家に来客を想定していなかったため、お茶菓子というものがなかった。


「ごめん、お茶もコーヒーもないや。水でいい?」


「おかまいなく」


 とはいうものの、かまわなくてはいけないのが日本人。2つのコップに水を注ぎ、ソファに座っている彼女の前に置いた。私も彼女の隣に腰をおろす。

 彼女はありがとう、というと一口水を飲んだ。私もとりあえず一口。


「よければなんだけど……今日は晩御飯一緒に食べない?」


「え?」


「前にもいったけど、私もっと梛木さんのことが知りたいわ。それに――」


 彼女は恥ずかしそうに顔を赤くし、ふいとそらした。


「さっき大人気ない態度をとってしまったし……お詫びに晩御飯ご馳走したいなって」


 彼女は彼女なりに思うところがあったらしい。悪いのはむしろこちらの方だというのに。


「私こそ、変なこといってごめん」


「ううん、むしろ秀王くんのこと話せる機会ができてよかったわ。中学生の時、秀王くんとのこと誤解されること多かったから」


 少しずつ暗くなっていく彼女の表情から察するに誤解されてよかったことなんてなかったのだろう。

 私は色恋沙汰でもめたことはないから、よくわからないけど……。


「だからその……とにかく、梛木さんにだけはそういう勘違いしてほしくないの」


「うん」


「私……梛木さんにだけなの、こんな気持ちになるの」


「うん、わかった、わかったから」


 ずい、と横にいる私に勢いよく顔を近づけてくる。

 このままだと、ダムが決壊したかの勢いで話続けそうなので、ぴしゃりと止める。


「高瀬さんの気持ちはわかった。私も無神経なこといってごめん」


 あまり付き合う、ということに対して深く考えてこなかったし、向き合わなかってこなかったからいざこうなるとどうしていいかわからない。

 ひとまず、彼女と自分の温度差がまだまだ激しいということははっきりした。


「ね、ねぇ」


 近い距離の中、彼女は顔をふせる。


「その……だ、抱きしめてもいい?」


 ちょっと待て。なんか発情し始めたぞ。

 思わずびっくりして、言葉を失ってしまった。そうか、恋人はこういうこともするのか……。


「いいよ」


 びっくりしたけど、私はあの時感じた熱の正体を知りたい。

 私がいいというとは思わなかったのか、彼女のほうもびっくりしている。

 彼女は意を決したのか私をそっと壊れ物を扱うかのごとく抱きしめた。私はどうしたらいいんだろう。抱きしめ返すのが正解なんだろうか。わからない。答えが、わからない。

 抱きしめられたときふわっと彼女の香りがした。いい匂いだと思う。鼓動が伝わってくる。平常時にこの速さだったら間違いなく病院にいったほうがいいんだろうなと思うくらい。こんなことを考える余裕があるくらいには。

 ――あの時の熱が、ない。なにも感じない。


「ありがとう」

 

 耳元でお礼を囁かれる。初めてのことで、心臓が跳ね上がった。驚いたという意味で。

 一瞬、ぎゅっと力を強めたような気がしたが、離してくれた。


「こ、これでわかってくれたなら嬉しいわ」


 彼女は私に顔を見せないようになのか、後ろを向いてしまった。

 でも、今の私にはそんなことどうでもよくて。もしかしてもう知りたい答えを得ることはないのか?


「どうかした? やっぱり嫌だった……?」


「……ううん、なんでもないよ」


「そう? せっかくだし、もっと色々お話しましょ!」


 この後のことはあまり覚えていない。なんか色々と話したような気がするけど、上の空だった。

 話しているうちに結構時間がたったらしく、そろそろ彼女は帰るらしい。


「今日は一緒にご飯食べられなかったけど、次は一緒にご飯食べようね」


 彼女は嬉しそうに笑う。私も笑みを浮かべる。

 

「梛木さんのことを知れてよかった。またね」

 

 そういって私の手を握ってきた。彼女は積極的だ。だがそんな積極的なところに今日は救われた。

 何故なら手を握られたときにほんの少しだけ、あの時の熱を感じたような気がした。握られた手を見ながら、私は思う。まだ違ったと諦めるのは早計かもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る