19話 エレノアの憂鬱


 今日は厄日か何かなのか?

 高く澄んだ青空をぼんやり眺めながら、エレノアは思った。

 ここはさっきまで滞在していた街の外。

 ドラゴンの尻尾攻撃で吹っ飛ばされ、運がいいのか悪いのか、ため池みたいな場所に落ちて、びしょ濡れになった。

 池から出てなんだか悲しくなったので、エレノアは草の上に寝転がって現在に至る。


「勇者は頭がおかしいし……」


 思い出しただけでも寒気がする。

 まずはあの勇者、何を言っているのか本気で理解できない。

 まさにクレイジー。

 全身全霊でクレイジーを表現したら、きっとあんな風になるに違いない。


「戻りたくない……」


 勇者が怖すぎる。

 魔王ロザンナも怖いけど、そっちはまだ理解できる。

 そう、ロザンナは純粋に怖いのだ。

 強者として、支配者として、いつでもエレノアを殺してしまえる。

 だから怖い。

 一方、勇者はクレイジーだから怖い。

 その上、執拗に尻と頬を叩いてきた。

 他の攻撃を一切、行わなかった。

 それも意味が分からない。


「勇者怖い……」


 ブルブル、っと震えたのは濡れて寒いからではない。

 とはいえ、ずっとここにいるわけにも、いかない。

 エレノアは最後のヴァンパイアクイーンとして、堂々としなくてはいけない。

 種族の繁栄はエレノアの手にかかっているのだ。

 そのことを思い出して立ち上がる。

 そうすると、街の方でドラゴンがブレスを吐いたのが微かに見えた。


「あのドラゴンは、油断さえしなければ戦えるが……」


 そう、あのドラゴンは勇者や魔王に比べたら大したことない。

 弱くはないけど、エレノアでも十分に戦える程度の強さだった。

 それなのに、エレノアは吹っ飛ばされてしまった。

 油断、不注意、怠慢。


「どうやら、わたくしは旅団長になって少し傲慢になっていたようだな」


 これからは真摯に鍛錬しよう、と心に決める。

 アルトに修行を付けてもらうのがいい。


「ああ、でも、砂浜で日焼けしてこいって言われたらどうしよう……」


 想像すると涙が出る。

 グスン。

 アルトの修行は、聞く限り常軌を逸している。

 弱点である聖属性魔法を覚えたり、弱点である太陽で肌を焼いたり。

 どちらも下手すれば死亡する。


「あ、ブレス2発目……」


 エレノアはとりあえず、街の方へと歩き始めた。

 しかし足取りは重く、トボトボと歩いた。

 歩く気分じゃないな、とエレノアは空を飛ぶ。

 そうすると、ドラゴンのブレスが跳ね返された場面が見えた。


「……リフレクトシールド? あんな高度な魔法、アルト様だろうなぁ……」


 自分のブレスで弱ったドラゴンの首を、勇者がバッサリと斬って落とした。

 エレノアは視力がいいので、見間違いではない。


「……勇者、やはり恐ろしい相手だ……。ロザンナとどっちが強いのだろうか……」


 逆に言うと、ロザンナと張り合う程度の強さ、ということ。

 好意的に見て、アルトの足下程度の強さ。


「ドラゴンの血は美味しいのだろうか?」


 ふと、エレノアはそんなことを思った。

 そして、一度考えてしまったら涎がジュルリ。

 エレノアは血液には目がない。


「吸わねば!!」


 エレノアは急いで街に戻ることにした。



「……大聖者様……」聖女が引きつった表情で言う。「あなた様は、何者なのでしょうか?」


「その死体になったドラゴンとも」魔法使いが言う。「因縁があるようだし、人間じゃないのよね? 妖精族……なのかしら?」


 騎士と武闘家もジッと俺を見詰めている。

 そんな見るなよ照れるじゃねーか。

 じゃなくて。

 俺は少し考えてから、正直に話すことにした。

 最悪、攻撃されたら逃げればいいし、なんならニナが助けてくれるだろう。

 ニナの方を一応、チラッと確認すると、俺を見てコクンと頷いた。


「俺はヴァンパイアだ」


 そう言うと、ニナ以外のご一行がポカンと目を丸くし、口を半開きにした。

 そして数秒沈黙したのち、聖女が半笑いで言う。


「またまた~。そんな冗談が聞きたいわけじゃ、ありませんよ。ヴァンパイアが【全体完全ヒール】なんて使えるわけ、ないでしょう?」


「場を和まそうとしたのよね?」魔法使いも半笑いで言う。「ヴァンパイアは絶滅したじゃないの」


 ウンウン、と武闘家と騎士が頷く。

 いや絶滅してねーよ!

 ここに最後の男性体である俺がいるじゃねーか!

 ついでに、最後の女性体であるエレノアもいるので、俺たちは繁殖可能。

 とはいえ、これ、信じてもらえそうにないな、と俺は速攻で諦めた。

 人類の中ではヴァンパイアは絶滅した種なのだ。

 ニナから説明してもらうか、と俺はニナに視線を送る。

 ニナがコクンと頷く。

 みんなの視線がニナへ。


「この人はね」


 ニナがゆっくり歩いて俺の隣に移動した。


「あたしの村の領主様でぇぇす!! 実は知り合いでしたぁぁ!!」

「「ええ!?」」


 驚きの声を上げたのは、ニナの仲間たちと、ついでに俺。

 ヴァンパイアであることを肯定して欲しかったのだが?


「魔剣ライトニングをお前に与えたあの!?」と騎士。

「お前が戦闘技術を習っていうあの!?」と武闘家。

「勇者が結婚したいって言ってたあの!?」と魔法使い。


 俺は確かに、ライトニングを与えたし、戦闘技術も教えた。

 魔王軍の奴らがいなくて良かった。

 いや、もちろん、いないと分かっていたからニナに委ねたわけだが。


「ニナ、それから諸君」


「ん?」とニナ。


 他のメンバーの視線が俺に向く。


「あのな」俺が言う。「俺とニナが友達なの、エレノアには内緒にしてくれ。エレノアってのは俺の娘な。あと妖精女王にも内緒な」


 エレノアとの関係は、もう父娘で通してしまおうと思う。

 説明すると面倒だし。

 未来のお嫁さん、と言ってロリコン扱いされるのも嫌だし。

 俺の軍団の旅団長、と言って魔王軍所属なのも明かしたくないし。

 幸い、ニナは俺がヴァンパイアだと知ってるので、同じくヴァンパイアであるエレノアを娘と設定するのに無理がない。


「アルトがそう言うならぁ、いいけどぉ」


 ニナは特に理由を聞くこともなく、同意。

 俺への信頼というよりは、ニナが細かいことを気にしない性格なのだ。

 他のメンバーは理由を聞きたそうだったが、ニナが了解したので渋々引き下がった。

 と、ニナが俺に身体を寄せてきた。

 なんだ?

 子供の時みたいに抱っこして撫でて欲しいのか?

 身体を寄せてくる時は、だいたいそうだった。


「イチャイチャするなぁ!」


 突如、空から降って来たエレノアが俺とニナの間に降り立った。


「ちょっとノアちゃん! パパとママは夫婦なんだから! イチャイチャもするよ!」


 んん?

 俺がいつお前と夫婦になったよ?

 いや、待てよ。

 俺はエレノアのパパという設定で、ニナはエレノアのママになりたいんだよな?

 そうすると、自動的に俺はニナの夫ということになる。

 ニナの中では。

 うーん、なんだこれ。


「貴様っ! いつアルト様……父上とそのような関係になったのだ!」

「こらノアちゃん! 言葉使い!」


 ニナが右手を振り上げると、エレノアが急いで俺の背中に隠れた。

 ビビり散らかしている、というか完全に虐待されている子供のムーブ!

 最後のヴァンパイアクイーンの威厳は欠片も見当たらない。

 まぁ、まだ子供だし仕方ないか。


「父上、本当なのですか? 本当に勇者と夫婦になったのですか?」


 ウルウルとした瞳で、エレノアが俺の腰に抱き付き、そして俺を見上げる。


「事実ではない」と俺。

「そんなっ!」とニナ。


「それ見たことか!! ふははは! 貴様はわたくしの母ではないし父上の妻でもない!」


 エレノアは左手で俺に抱き付き、右手でニナを指さして言った。


「ぐぬぬ……ぐぬぬ……」


 ニナが半泣きで俺を見詰める。

 ちょっと可哀想かな?

 ニナ的には、まぁお遊びの範疇だろうし。


「ねぇ、家族漫才はもういいから……」魔法使いが溜息混じりに言う。「これからのこと、話し合いましょうよ。ケイオスのことや、魔王軍との共闘について」


 騎士が強く頷く。


「あたくしは大聖者様の正体が知りたいですが……」


 聖女はまだ納得していないようだ。

 ヴァンパイアでニナの村の領主って言ったじゃん!?

 まぁ、ヴァンパイアの方は信じてくれないみたいだが。


「そんなことより、ドラゴンを食べてもいいですか父上!」


 キラキラとした瞳でエレノアが言った。

 ああ、俺も食うつもりだったから問題ないさ。

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