横浜したいアリス

沈黙静寂

第1話

〈お客様番号112620〉

 横浜市曙町にあるレズビアン風俗店に今日も向かう。小さい駅を出て大通りを直進、最初の角を右手に曲がれば「トレビアンA」の看板があった。控え室で入り乱れたメイクを濃い目に直して、あたしの身体を予約したリストを確認する。

 あたしがこの仕事に挑戦したのは昨年、大学に入学して直ぐのことだった。家庭環境の悪かった自分は愈々親に見捨てられ、学費不足を補う為に嫌々身体を売ることにした、という涙ちょちょ切れるケースは他人事に、純粋に性行為が好きなので働いている。男性との性交渉も経験はあるけど、女性相手の方が感度良好となるのはあたしの根からの体質なのだろう。全人類の女子が一度試した上で嗜好を見極めるべきだと思う。

 夕方五時半、一人目の客として短い黒髪を垂らす身長のあたしより小さい女の子が「……初めまして」と入店してきた。未成年とも取れる容姿はあたし達のルーズな年齢確認を潜り抜け、オーナーはニヤニヤと品定めするような視線で送った。階段を上り奥の部屋まで案内し「ここは初めて?」「はい」「こういうお店は?」「丸っ切り初体験です」と下拵えのコミュニケーションからは緊張の味がした。

「思ったより暗いですね」あたしにとっては必要無いけれど、羞恥心やら肌状態やらを補正する最低限の照明に彼女も照らされ、この店独特の空気を感じる。正直あたしのタイプかと言えば対極に位置する彼女は、あたしがちゃっちゃと脱ぎ始めるのに合わせて上下を脱ぎ、ピンクの下着一式のみへと変貌を果たす。挙動不審に片手を押さえるので家族以外に裸を見せるのも初めてと言った所だろう。

「これも、脱いじゃって良いですか……?」引っ込み思案な少女に許しを与え、薔薇色の乳頭が露わとなる。何度と無くこの場面は経験してきたけど、社会のベールを拭い去るこの瞬間が一番ドクンとくる。あたしより体積の大きいそれを前に立場を入れ替え飛び込みたくなるが、「ここに座って」落ち着いて凹形の椅子に誘導する。性器を重点的にお互いの肌にソープを絡ませた。

「ここを訪れた理由に性欲以外は思い浮かぶ?」「状況からして当然ですけど、性的に女性が好きなので一度は経験したいと思いまして」「ふぅん。何であたしを指名したの?」「何処となく安心感ある顔で、わたしの好みに一致したからです」「それは有難いね」等と話しながらバスタブに移り、半分浮かんだ正面の胸に触れてみる。彼女は何も無い横を向きながら顎を押さえ、んふっと感じる様を見せた。

 立て掛けられたマットを足蹴に、ローションで贅沢に味付けすれば快楽装置の出来上がり。生身を擦り合わせて各部位の感性を刺激すれば「あは」演技とは程遠い声が出る。「キスして良いですか?」待ち焦がれていた要求には唇を差し出し、入念に歯磨きを済ませた咥内を嘗め回した。

 時間を見計らい、ベッドに移動すればそこは快楽生産ラインの最終地だ。キスの続きを求められ、脚を鎖のように繋ぎ合わせ、裂け目を一年間磨いた技術で操作する。「き、キモチイイ、キモチイイ」彼女は壊れたように大声を繰り返し、山場を予感させた。あたしもあたしで欲の解消地点が目前へと迫る。腹部の辺りが張り出して感覚の糸が切れそうになる。

「あ、あ、あ、あ、い、イク、イク?」

 切れそう、切れる。

「死にたい!」

 叫ぶと同時に、あたしは見慣れた教室風景の中に立っていた。片肘を倒し、恋する乙女を気取って窓枠を見つめる一人称。高校生らしき男女がギャアギャアと叫ぶ喧騒を横目に、廊下を滑って階段を上る。二つ目のフロアの角に立ち、覗き込むのは懐かしき三年C組の扉だ。不審者のように見張り続け、お目当ての人影が現れた所で歓喜の一歩を踏み出す。そこで映像は途切れた。

「……んぐぅ、う、あぁ」視界が修復されて意識を取り戻す。あたしは性交渉の最中にオーガズムへ至ると、その間相手の過去の世界へトリップすることが出来る。あたしは過去の世界を便宜的に境地と名付け、労働には境地旅行を最大限楽しむという目的もあった。同じ相手だろうと過去の時点はランダムに抽出され、閲覧のみが可能となる。この能力は初めて自慰行為をした日から発現したものではなく、年齢あるいは経験回数の増加より後天的に得たものだ。証明は嘗て付き合っていた女に確認することで果たされ、夢のような妄想成分が含まれることは恐らく無いと思われる。精神疾患と言うならそれで構わないけれど、今のあたしにとっては違和感の無い身体現象だ。

「あの、大丈夫ですか?今、白目向いて死にたいと言ってましたけど」鎖骨から迫る彼女はあたしと同じ高校の出身であり、三年以上前の過去なら合法であると安心した。この辺り出身のあたしが仕事中に同郷の者と出会うのはあり得る話だが、この偶然は幸運と不運のどちらに分類されるのだろう。

「いや、今のは癖みたいなもので」序でに能力とは無関係ながら、あたしは達する瞬間に一言唱えてしまう癖がある。到達すると日常では得られない感覚に包まれ、その充足感に目線と言葉が飛んでしまう。それもまた心地良いので直す予定は全く無い。快楽と死の感覚がメタファーで接続されることでああ言った台詞が流れる。セックスは死へと向かう為の前戯ではないかと思う。だけど良かった、今回も死ななかった。

「はぁ」裸の彼女は納得を冷えた身体の外に放置する。能力を詳らかに説明するのは面倒だし、収入に支障を来すかもしれないので沈黙を貫く。ただし一人を例外として。本来は喘ぎ方の偽装こそがビジネスの本領だろうが、純粋無垢なあたしはついつい漏らしてしまうのだ。その後は体表の水分をタオルで拭いてあげ、黒革のソファにて着衣を促して後始末の作業に入った。

「実はわたし、恋人を寝取られたんです」背中から拳を握り締めた彼女が語り掛ける。

「高校一年の時、二つ上の先輩に告白して付き合い始めました。上手くいっていると思っていたのに、ある日先輩が別の女と手を繋ぐのを目撃したのです。問い詰めてみれば『新しい彼女だから』と放ったその口元に絶望しました。だけど先輩以上に、恐らく同級生である相方の女が今でも憎いんです」会話は業務と趣味に含まれるので大人しく聞けば、もしや先程の境地は修羅場の手前だったのだろうか。中継が切れて精密な確認は取れなかったけれど。

「その傷心は今でも残っているの?だからこの店で慰められようと思った?」

「未だに心の容量の約半分は縛られています。最近また一つ上の人と付き合い始めて回復途上にありますけど」

「何だ、順風満帆な人生じゃない」性依存症と鬱病を併発するあたしの波乱さに比べたら贅沢な文句を垂れていることを認識した方が良い。

「それがその彼女は束縛癖が酷くて、プライベートが侵食される毎日を送って大変なんです」

「恋愛運に見放されている訳か。そんな相手なのにこんな場所に来るリスクは計算しないの?」

「実はこの後七時半から初デートですが不貞にはならないかと思います。今宵を見越した事前演習の意味合いもありますし」

「初デートの前に初セックスですか。肝が胡坐をかいて高笑いするようね」

「ほら、セックスすると綺麗になるとか言うじゃないですか」

「即効性は無いと思うけれど」

 そんな会話で終盤五分を締め括り、階段を降りて出口まで送った。財布から顔を出した二万五千円を眺め、金遣いの下手糞な若者の将来を憂いた。ところで彼女には薄らと見覚えがあったが、果たして何処かで出会ったのだろうか。あるいは境地で擦り減った脳味噌の誤認か。七十分コースが終わった。

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