第43話 金髪のヴァンパイア
「っエルザ!?」
おぼつかない足取りでふらふらと現れたエルザの姿に、アルヴァーはおもわず彼女の名を叫んだ。
行方不明となって数ヵ月。血眼になって探していた彼女の風貌は、想像していたよりもはるかにひどいものだった。
金糸のようになめらかな髪は無造作に乱れ、全身に浴びた返り血と土ぼこりが、白かったはずのスリップを汚している。
なにも履いてない素足と露出した腕に刻まれた、無数の小さな傷。
血が乾いて真っ黒に染まった細い指。
たったそれだけのことが、彼女のしでかしたことを物語っているようだった。
「ちっ、やっぱお前なのかよ……!」アルヴァーの吐息が、小さなつぶやきとなって喉の奥で響く。
「ルティス、その犬っころは任せた」
アルヴァーはオオカミに背を向けると、その場に立ち尽くしたままのエルザの正面に対峙する。
二人の視線は交わらない。
「さぁて、お前はどっちだ? エルザ」
状況はけっして楽観できない。
ダンピールには、その血筋ゆえ暴走の可能性がある。
今のエルザにヒトとしての意識が残っている確証はなく、最悪の場合、彼女をこの場で殺さなくてはならなかった。
――頼むから、まだヒトでいてくれよ。
手のひらにじんわりと汗がにじむのを感じながら、アルヴァーはじっとエルザをにらむように見つめていた。
静かに息を飲む。
張りつめる緊張感。
その場から動かないエルザの視線が、にわかに床を離れる。
顔を上げたエルザは、気だるげに頭を傾けながらぼんやりとアルヴァーを視界に映した。
うつろな瞳に生気はなく、アメシストは暗く鈍い色に沈んでいた。
「……あ、る……?」
「っ!?」
うっすらとひらいた唇が、わずかに言葉を紡いだ瞬間、糸が切れた操り人形のようにエルザの意識が途切れる。
重力に従い膝から崩れ落ちる体を、アルヴァーが間一髪のところで受けとめる。
いつからこの場所に留まっていたのだろうか。
まともに食事すらとっていなかったであろう体はひどく軽い。
薄くひらいたままの乾いた唇から、黒に染まった八重歯の先端が覗いていた。
「チッ……」
それを見なかったことにして、アルヴァーは舌を鳴らして表情をゆがめる。
「アルヴァー、エルザを安全なところへ」
ルティスの指示に短く返事をすると、アルヴァーは意識のないエルザを横抱きにして小屋を駆け出した。
それを黙って見過ごせないのはダグラスのほうである。
ルティスに向かって一歩前足を踏み出した彼は、地を這うようなうなり声を響かせる。
「娘を渡せ。そうすれば、貴様らヒトに危害は加えん」
ダグラスは静かに言った。
しかしその声色には、有無を言わせぬ威圧感が込められている。
エルザを渡さなければ命の保証はしないと、言葉の端に匂わせる。
――エルザのにおいをたどってきたはいいものの、まさかクルースニクが来ているとはな。
こればっかりは、さすがのダグラスも誤算だった。
小屋にエルザが隠れていることはわかっていた。そこがグールの棲みかとなっていることも。
どうにかクルースニクの注意を引きつけて彼らをこの場から追い返し、エルザだけを連れ帰ろうと思っていたのに、当のエルザ本人が出てきてしまったのだ。
ダグラスも内心焦らずにはいられない。
だがそれを表に出さず、彼は淡々とルティスに交渉を持ちかける。
一方ルティスも、漆黒のライカンスロープの真紅の瞳から、けっして目をそらさずに口をひらく。
「いくら気高きライカンスロープの頼みといえど、彼女を渡すわけにはいきません」
きっぱりとそう言いきったルティスは、目の前の獣に銃口を向ける。
交渉決裂。
敵対の意志を示したルティスに対して、ダグラスも低いうなり声を上げて彼を威嚇する。
「ふん、我らの見分けもつかぬくせに偉そうな。娘を渡さぬと言うのであれば、その喉ひと思いに噛み切ってくれるわ!」
次の瞬間、ダグラスは一気に地を蹴った。
鋭い爪と牙をむき出しにして、彼は真っ向からルティスに襲いかかる。
反射的に放たれる銀の弾丸。
わずかに逸れた軌道が艶やかな毛並みの先端を焦がしたが、ダグラスは意に介さぬように前足を振り上げた。
「くっ!」
一瞬で間合いを詰めたオオカミに、ルティスもおもわず数歩跳ねるように後ずさる。
ダグラスはその身をすばやく回転させると、ルティスの握っていた拳銃を尻尾の先で弾き飛ばした。
――まずいっ!!
ルティスが怯んだ隙を突いて上体を起こしたダグラスの影が、彼の視界を覆う。
遠くのほうで、壁にぶつかった銃が無機質に音を立てた。
仰向けに倒れるルティスと、彼の上に覆い被さる巨大なオオカミ。
四肢の間に閉じこめられたルティスの顔に、オオカミの生暖かい鼻息が容赦なく吹きかかる。
「悪いが、恨んでくれるなよ!」
「くっ!?」
顔面めがけて迫りくるオオカミの牙を、ルティスは咄嗟に抜いたサーベルで防ぐ。
しかし細いサーベルがライカンスロープの牙にかなうはずがない。
一瞬のうちに粉々に砕けた破片が、容赦なく彼の上に降り注いだ。
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