第39話 ダンピールの小娘
茂みが揺れ、低いしわがれ声とともに男の姿が月下にさらされる。
すらりとした背格好と、ゆったりとした優雅な歩み。
オールバックにしたグレーの長髪が、細くひとまとめにされた首のつけ根から軽やかに揺れる。
モノクルのレンズに反射した月明かりが、男の表情をよけいに妖しく演出していた。
黒光りするステッキを手に、男はニヒルな笑みを浮かべている。
男の一挙手一投足からは、紳士的な気品がにじみ出していた。
汚れることを知らぬ革靴が、足元の腐った肉片をぐしゃり、と踏みつぶした。
「おやおや……。なにやら騒がしいと思えば、我が
「俺はあんたのこと、父親だなんて思ったこと一度もないけどね」
「悲しいものよ。我が妻ダニエラも、お前に会いたがっていたぞ?」
わざとらしく目を伏せた男から視線をそらさずに、ギルベルトはこれ見よがしに鼻で嗤ってみせた。
「いまさらなんの用? グールけしかけてまであんたが屋敷に来るなんて、珍しいこともあるもんだね」
訝しむギルベルトの視線もなんのその。
男は屋敷のほうを仰ぎ見ると、次いでギルベルトに視線を戻してクツクツと喉を鳴らした。
「ふん、知れたことよ。父親が娘の誕生日を祝いにきて、なにが悪い?」
「っな……!?」ギルベルトはおもわず息を飲んだ。
あまりにも予想外のできごとに、脳内の処理が追いつかない。
ギルベルトは無意識に、屋敷のある後方を振り返っていた。
「はっはっはっ! まさか手籠めにしておきながら、知らぬと申すのか?」
嫌な汗が噴き出て背中を伝う。
ギルベルトは目の前の男をにらみつけた。
男が次になにを言おうとしているのか、聞きたくないと思いながらもその場から動けない。
耳をふさぐなり力ずくで男を黙らせるなり、方法はいくらでもあるはずなのだ。
しかし真実を知りたいという気持ちが、相反する感情となってせめぎあう。
ギルベルトは男をにらみつけたまま、爪がくい込むほどにこぶしを握りしめた。
「ならば教えてやろう」モノクルの奥で、男がスウッ、と切れ長の目を細める。
「あのダンピールの小娘はな、わしがヒトの女に孕ませた、まぎれもない我が娘よ!」
「っさまあぁぁあああぁぁっ!!」
「エルザっ!?」
口角をつり上げながら言った男の声をさえぎって、ひとつの叫びが響き渡る。
それはよく知った彼女のもので、しかし聞いたことのない声色で。
刺々しい殺意に満ちた声とともに灰のベールの向こうから飛び出してきた影を、ギルベルトは反射的に腕の中へ閉じこめた。
「くっ!? 離せ!」
「エルザ! だめだ!」
彼の腕を振り払ってでも男に向かおうとするエルザを、ギルベルトはその腕にかかえるようにして食い止める。
事情がなんであれ、エルザを男のもとへいかせるわけにはいかなかった。
「殺してやる! 殺してやる殺してやる殺してやるっ!!」
エルザの叫びが辺りにこだまする。
忘れたくても忘れられない男が、目の前にいる。
記憶の奥底に封じこめたはずの下卑た笑みは、エルザの中でくすぶる黒い感情を増大させるには十分すぎるほどだった。
周囲の草木がざわめく。
凍てつく憎悪に満ちた瞳を向けられた男は、それすらもあざ笑う。
まるでみずからに向けられた明確な殺意が心地いいとでも言うように、男は天を仰いでクツクツと喉を鳴らしていた。
「エルザ! 行っちゃだめだ! エルザっ!!」
「ちっ! 離してったら!!」
制止の声を無視して暴れようとするエルザを、ギルベルトは強引に自分のほうに向かせる。
彼女のアメシストの瞳が、真っ赤に染まっていた。
憎しみのあまり、エルザは無意識のうちにヴァンパイアの力を行使しようとしている。
「エルザ、ごめんっ……!」
「っ……!?」
視線同士がぶつかった瞬間、細められたアクアマリンが妖しくきらめいた。
芯を抜かれたように、一瞬でエルザの全身から力が抜けていく。
深くて暗い穴の底に落ちていく錯覚が、エルザのまぶたを重たくする。
「ぎ、る……、な、で……」
まさか彼が、再び自分に対してインタフィアレンスを使うとは思ってもいなかった。
そうまでして彼は復讐を止めたいのだろうか。
震える声がこぼした言葉に、ギルベルトは哀しげに目を伏せるだけ。
脱力し膝から崩れ落ちたエルザを、ギルベルトは軽々と横抱きにする。
「はっはっはっ! 愉快愉快」
「うるせぇ、黙ってろ……!」
ギルベルトの鋭い視線が、有無を言わせず男に突き刺さる。
眉間にはしわが寄り、こめかみに血管が浮き上がる。
目の前の男に対する憤りを、ギルベルトは奥歯を噛みしめることでぐっとこらえた。
「ただの戯れに、なぜお前がそうも怒る必要がある? あぁそうか、堕ちたのはお前のほうか。これは愉快」
男の笑い声が、ひどく癇にさわった。
「まぁよかろう。今夜はこれにて失礼するよ。せいぜい、大事にすることだな」
抑えきれぬ嗤いに口元を歪ませながら、男はゆっくりときびすを返した。
ギルベルトの殺意など意に介さず、落ち着いた足取りで霧の立ちこめる闇の中へと消えていく。
静寂の中で吹き抜けた風が、灰もろともすべてを闇の向こうへと連れ去っていった。
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