第4章 悪夢は突然やってくる
第37話 ごめんあそばせ
それから数日、エルザは実に穏やかな日々を過ごしていた。
あれ以来変わったことといえば、ギルベルトとともに就寝するようになったことくらいだろうか。
いままでもそういったことはあったが、それは彼が勝手にベッドに侵入していただけにすぎないし、当然起きた瞬間に追い出していた。
しかしそうしなくなったのは、気づけば彼といるのが当たり前になったからだろう。
ささいなことではあるが、二人にしてみればそれは大きな変化であるし、捕食する側とされる側、ただの同居人という関係性ではなくなった証拠である。
「…………いないとか、珍し……」
ベッドから身を起こしたエルザは、室内をぐるりと見回してそうこぼした。
いつもは当たり前のようにそばにいる彼が、エルザに声もかけずに外出するなど珍しいこともあるものだ。
「部屋にでも戻ってるのかしら?」
ドアの向こうのギルベルトの自室に思いを馳せながら、エルザはかんたんに身支度を整える。
ギルベルトが朝から姿を見せないときは、たいがいなにかを企んでいるときだなと思いながら、エルザは金のドアノブに手をかけた。
「お姉さまダメです!」
「へ?」
エルザが廊下に顔を覗かせた瞬間、待ち構えていたようにアリシアが目の前に現れた。
気配を感じ取れなかったせいか、ひどく驚いたエルザは一歩後ずさる。
「アリシア、心臓に悪すぎる……」
「あら、ごめんあそばせ♪」
あまりのエルザの驚きように、アリシアは黒いドレスの裾をつまんでこてんと小首をかしげた。
そのしぐさはいつ見ても、可憐な美少女そのものである。
「それより! お姉さま今日は部屋から出ないでくださいまし! 夕方、お兄さまが迎えにきますわ! 食事はダグが運んできますから安心なさって!」
「ちょ、アリシア!?」
一気にまくし立てるアリシアに押されて、あれよあれよという間にエルザは室内に押し戻されてしまった。
一方的に言いたいことだけ告げられて、ドアはピシャリ、と閉められてしまう。
直後に響いたカギのかかる音に、エルザははたと我に返った。
嫌な予感がする。
すぐさまドアノブを引いたが、案の定ドアはガタガタと音を立てるばかり。
「……外からカギかけられた……!」
押せども引けども動かないドアを前にして、エルザは小さくため息をついた。
どう考えてもこれは完全に監禁である。
屋敷に来て初めてのことに戸惑いつつも、すぐにエルザは気を取り直してひと息つく。
「どうせまた、なにか企んでるんでしょ」
アリシアに言われたとおり、部屋でおとなしくしているのが得策だろう。
いまさら悪い状況にはならないはずだ。
それは楽しそうな笑顔でドアを閉めたアリシアの表情からもあきらかである。
エルザがくるりと体の向きを変えると、ベッドサイドのテーブルに置きっぱなしになっている本が視界に入った。
書斎から拝借してきたそれは、数日前から読みかけのままにされている。
「夜だとギルが邪魔してきて進まないのよね」
部屋から出れないのであれば、それはそれでいい機会である。
エルザは分厚い本を手に取ると、窓の近くのソファに腰を下ろした。
◇◇◇◇◇
「エールザ♪ おまたせー、って機嫌悪っ」
「……ふん」
陽も陰り、外の空気が夜のそれに変わりはじめたころ。
ようやくギルベルトがエルザの前に姿を見せた。
大げさなほどに開け放たれたドアから大股で入ってきた彼は、その手にずいぶんと大きな箱をかかえている。
だがにこにこと満面の笑みを輝かせるギルベルトに対して、どうやら部屋のあるじの機嫌は芳しくないらしい。
それもそのはず。
部屋に監禁された挙げ句、一日じゅうほったらかしにされたのだから、エルザが怒るのも無理はない。
先ほどなぜかヘアメイクを施しにきたダグラスに理由を聞けど、「ギルに聞け」とあしらわれてしまう始末。
しかも彼は、なぜか甘ったるいにおいを漂わせていた。
「はい! エルザにプレゼントー♪ とりあえずこれに着替えて?」
訝しげに目を細め、エルザは無言でギルベルトを見遣る。
今にいたるまでなんの説明もないことへの抗議のつもりだったが、当の本人にはまったく悪気はないらしい。
楽しそうな笑みを浮かべながら、ギルベルトはかかえてきた白い箱をエルザに押しつけた。
そうして、自分も着替えてくるからといそいそと部屋をあとにしたのである。
いったいなにがしたいのだろうか。
「……いい加減、誰か状況を説明してくれない?」
彼らが自分勝手に事を進めるのは今に始まったことではないが、やはりそれはそれでおもしろくない。
とはいえ、いつまでもこうして突っ立っているわけにもいかず、エルザは受け取った箱の中身を確認することにした。
箱にかかったクリーム色のリボンを引き、ゆっくりと蓋を持ち上げる。
ギルベルト行きつけの仕立て屋の名称が刺繍された薄い布をめくれば、一着のドレスが視界に飛びこんできた。
全体に繊細な模様が刺繍された黒のビスチェ。ウエスト部分から流れるように広がるゴールドのサテンスカート。
その上から幾重にも重なりあう漆黒の薄いレースが、サテン生地の光沢を慎ましやかにする。
「もしかして、これを取りに……?」
どおりでエルザになにも告げず、彼は一人で出かけたわけである。
思わぬ贈り物に、自然とエルザの頬もゆるんだ。
「これじゃ、怒るに怒れないじゃない」
目尻を下げながら小さく息をついたエルザは、さっそくドレスに袖を通す。
やわらかくなめらかな肌ざわりが、それだけで上質な生地であることを物語っている。
幾重にも重ねられた軽くしなやかな生地が、ふわり、と美しく広がった。
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