第36話 俺たちの指揮官

◇◇◇◇◇



 クルースニクイースト支部。

 自身の執務室で静かに息を吐いたルティスは、ゆっくりとイスの背もたれに体を預ける。

 室内の空気は重たい。状況は芳しくなかった。


「ルティス、ちょいといいかい?」


 ノックとともに、隊長室のドアがひらかれる。

 色褪せた制服と貫禄あるたたずまい。鍛えぬかれた体躯はがっしりとしていてたくましく、見るからに屈強なベテラン隊員そのものである。

 支部の古株であり大先輩でもある二人の登場に、ルティスも自然と居ずまいを正した。


「ジョッシュさん、ドミニクさん、どうされました?」

「どうしたもこうしたもねぇよ! エルザちゃんにスパイ容疑がかけられてるってのは本当なのか!?」


 身を乗り出して開口一番にそう言ったジョッシュを、かたわらのドミニクが制する。

 なにもいきなり本題に入らなくてもいいだろうに。近くに誰かいたらどうするつもりだったのだろうか。

 幸い部屋にはルティスだけしかおらず、気密性の高い隊長室では室内の音が外に漏れることはない。


「さすが、情報が早いですね。……このことは、ほかには?」

「支部内で知ってるのはまだオレたちだけだ。どういうことか、説明してもらえるか?」


 ドミニクが至極冷静な声色で促す。

 二人は耳にしたばかりの情報の真偽を確かめにきたのだった。

 それは彼らにとっては、とうてい信じられるようなものではない。

 納得できる理由がほしかった。


「まずは、今回の件の発端から」


 ルティスは、事の詳細を二人に伝えた。

 エルザが現在行方不明であることは周知の事実であるが、彼女の捜索過程で浮上した情報をもとにアルヴァーを派遣したこと。

 最果ての町エッケシュタットにて、別件で現地にいた隊員がエルザを発見。彼女は隊員の制止を振り切り、不審な男とともに走り去っていったこと。


 伝えられるがままの事実を、古株の二人はただ黙って聞いていた。

 エルザが生きていたことへのよろこびと、それに反して突きつけられた事実が重くのしかかる。


「アルヴァーの坊主が、そう言ったのか?」


 ひととおりの説明を聞き終え、ドミニクは静かに問うた。

 ルティスの説明だと、エルザは自らの意志で『』ということになる。

 たしか当初の話では、彼女は『ヴァンパイアに誘拐された』という認識だったはずだ。


「いえ、実際に彼女を目撃したのは隊員ひとりです。アルヴァーは彼から報告を受けたにすぎない。ただ、その者が本部とつながりのある人物だったようで、事が大きくなっています」


 当初は内々で片をつける予定だった。

 だからこそエルザの捜索をアルヴァーに任せ、それに関する情報展開は必要最小限にとどめていた。

 にもかかわらず、事件が本部に露見してしまったのはまったくの想定外である。

 実際にエルザと接触した隊員には口外しないように釘を刺したのだが、やはりヒトの口に戸は立てられない。

 これを昇進のチャンスととらえたのか、隊員は自らの武勇伝であるかのように喜々として話に尾ひれまでつけて、無断で本部に報告してしまったのである。


「それじゃ、まだエルザちゃんが裏切ったとは言いきれねぇじゃねぇか。逃げたのだって、本人の意志じゃないかもしれねぇ」


 たしかに、ジョッシュの言うとおりである。

 ジョッシュとドミニクには、エルザが自らの意志で逃げたとはとうてい思えず、連れ去られた可能性も捨てきれない。

 咄嗟のことで抵抗できず、男とともに逃げるような形になってしまっただけなのかもしれない。


「今回の嫌疑は、本部が主導してるんだな?」


 ドミニクの言葉に、ルティスはしっかりと首を上下させる。

 エルザにかけられた容疑は、クルースニクに対するスパイ行為、および知り得た情報をヴァンパイアに漏洩し、支部へのグール侵入を誘導した罪に問われている。

 正直ルティスとしても、エルザにスパイ容疑などかけたくはない。

 それでは彼女を、裏切り者だと言っているようなものだ。


 しばし沈黙が流れ、そうしておもむろにドミニクが口をひらく。


「オレたちゃぁな、エルザがガキのころから知ってる。まだ幼かったあいつを保護したのはオレたちだからな。だからあいつは、オレにとっちゃ娘みたいなもんだ。あいつがオレたちを裏切るなんてどうにも想像がつかねぇ。少々跳ねっ返りではあるが、恩を仇で返すようなやつじゃない」

「もちろんです。わたしも、エルザが裏切ったとは思えない」


 エルザを昔から知る者たちは、彼女が裏切ったなどとは露ほども考えられなかった。

 たしかにエルザは単独行動ばかりで、はたから見れば協調性がなさそうに見える。

 だがそれ以上に、仲間からの信頼は厚い。新人の中には彼女に憧れをいだく者も少なくはない。

 単独でも任務を完遂する実力もあり、ぶっきらぼうながら部下の面倒はきちんと見る。

 突き放すようでいて、実は情に厚いのがエルザなのだ。

 それがわかっているからこそ、彼らには今回の件に関する本部の決定が納得いかなかった。


「ルティスよ、おめぇさんはどう考える?」


 ドミニクの問いに、ルティスは彼から視線をはずさなかった。


「本部の指示は『』だそうだな。だがオレたちの指揮官はおめぇだ。オレたちは、おめぇの判断に従おう」


 ジョッシュとドミニクは、まっすぐにルティスを見つめていた。

 そのまなざしは、なにかしらの覚悟を秘めているように力強い。

 ルティスは一度まぶたを閉じ、静かに息を吐く。


 どうするべきか。

 すべての判断は己に託されている。

 支部を預かる者として、本部の指示に従うのが道理であろう。

 しかし、すでに己の意志は決まっている。


「エルザ・バルテルスの、『』を最優先にお願いします」


 ルティスははっきりとそう告げた。

 誰になんと言われようと、この判断だけは間違っていないと自負している。


「捕縛、じゃなくていいんだな?」

「えぇ、彼女はあくまでも被害者です。クルースニクの一員であり、イースト支部の仲間ですから。彼女の身柄さえ保護できれば、あとはどうとでもひっくり返してやります」

「若造が生意気な口利くようになったじゃねぇか!」

「うむ、任せておけ」


 ルティスの言葉と覚悟に、ジョッシュとドミニクは満足そうにうなづいた。

 もしもルティスが『捕縛』を命じていれば、彼らはすぐにでもクルースニクを辞め、単独で敵地に乗りこんでいたことだろう。

 双方の覚悟を再確認するかのように、三人は互いのこぶしを突き合わせた。



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