第34話 どちらでもない存在
その日のうちに目を覚ましたエルザを迎えたのは、ギルベルトではなく妹のアリシアだった。隣にはダグラスの姿もある。
「アリシア? ケガはもういいの?」
気だるそうに上体を起こしながら、エルザはそっとアリシアの頬に手を伸ばした。
うっすらと傷痕の残る柔肌は、いつもよりずいぶんと青白い気がする。
「平気ですわ。ダグに少し血をわけてもらいましたから」
「けど傷痕が……」
そう言って表情を歪ませるエルザに、ダグラスは大きな手のひらを彼女の頭に乗せた。ギルベルトとは違い、彼の手はじんわりとあたたかい。
「案ずるな。数日もすれば、痕も消える」
「本当に?」
「あぁ。ライカンスロープの血は、ヴァンパイアの治癒力を向上させるからな」
ヴァンパイアからは『不死の血』なんて呼ばれていると言うダグラスの横で、アリシアはそっと目を伏せる。
「そのせいで、ライカンスロープは数を減らしてしまったのですけど」
「気にするな。お前が悪いわけじゃない」
眉間にしわを寄せるアリシアの肩を、ダグラスが寄り添うように抱き寄せる。
「おれのことより、今はエルザだ」
その言葉に反応したのは、エルザのほうだった。
まさか自分に話が向けられるとは思っておらず、彼女は「え?」と短く声を発して首をかしげた。
「わたしは、ケガなんて」
していないと言いかけたところで、アリシアがその続きをさえぎる。
「今回のこと、混乱しているのは、お姉さまのほうかと」
アリシアのまっすぐな視線に、エルザはすぐに言葉を返すことができなかった。
今は元どおりの長さに戻った爪を、エルザはあらためてまじまじと眺める。
あのときよりは冷静になったものの、自分の体に起こった変化を理解できていないのは事実だった。
「お姉さまの体について、わたくしからきちんと説明させてください」
そう言ってアリシアは、イスの上で居ずまいを正した。
「ダンピールであるお姉さまの体には、ヒトとヴァンパイア、ふたつの血が流れています。それはすなわち、両方の特性を持ち合わせている、ということでもありますの」
姿形はヒトと変わりなく、日常生活において吸血行動を必要としないのはヒトの遺伝特性によるものだ。
一方で、ヒトよりも高い自己治癒力はヴァンパイアの特性である。
「そして、今回お姉さまの体に起こった変化」
「ヴァンパイアみたいだとは思わなかったか?」
ダグラスの言葉に、エルザは無言のままうなづく。
長く鋭く尖った爪。
それはまるで、グールを狩るときのギルベルトそっくりで。
「命の危険にさらされたことにより、もともとあったヴァンパイアの血が本能的に目覚めたのでしょう」
「だけどグール相手に戦うのなんて、クルースニクじゃ当たり前で、いままでこんなことは……!」
「いままでは、無意識に封じられていただけだ。ヒトの中で生きるために」
ダグラスの言葉が重たく胸にのしかかる。
ヒトにとってダンピールなど、暴走すれば簡単に捨てられる存在でしかない。
ヒトの中で生きるためには、ヒトであらねばならない。
あらゆる生態系を利用し、独自の繁栄を続けてきたヒトは、自分たちと異なるものを認めないからだ。
ならば今回の変化は、ヒトから離れ、ヴァンパイアと生活していることによるものなのか。
「お姉さまの変化の発端は、お兄さまにあります」
「それって、どういう……」
「お前、ギルとキスしなかったか?」
ダグラスの指摘に、エルザはおもわずうろたえた。
どうしてダグラスが知っているのかと問いただすわけにもいかず返答に困っている間にも、みるみる顔に熱が集まる。
「もう、ダグ。そんな聞き方」「事実だろ」
あきれるアリシアをよそに、ダグラスは「さっきギルがそう言った」と肩をすくめる。
気を失ったエルザを看ている間に、男だけでなんの話をしていたのかと思えば。
「ともかく!」
アリシアは小さく咳払いすると、視線を泳がせたままのエルザに向き直った。
「少なからず吸収したであろうお兄さまの唾液を介して、お姉さまがもともと持つヴァンパイアの遺伝子が刺激されたのです」
「混血というのは、どちらでもない存在だ。良くも悪くも影響を受けやすい。血でもなんでも、ヴァンパイアの体内から分泌されたものを吸収すれば、その身はヴァンパイアに近づいていく」
「言い方を変えれば、どちらにもなれるということですわ」
アリシアはこてんと小首をかしげて笑ってみせる。
彼女の笑みはなにを意味しているのだろうか。
「えーっと、つまり、ヴァンパイアと交わればヴァンパイアに。ヒトと交わればヒトに。ってことで合ってる?」
エルザの問いに、ダグラスは「そうだ」と短く断言する。
「まぁお前が混血であるということに変わりはない。要はどちらの特性を選ぶか、ということだな」
「どちらの……」
エルザは無意識に二人から視線を遠ざけていた。
無言が重たい。
部屋には時計の秒針が刻む音だけが響いている。
「もしも」アリシアの声に、エルザは彼女を見た。
アリシアのグリーンガーネットの瞳が、まっすぐにエルザをとらえている。
「お姉さまが変化を望まないのであれば、わたくしとダグが責任を持ってお兄さまを止めます」
無理に自分たちに合わせる必要はない。
変化を望まなくてもこの関係は変わらないと、そう続けたアリシアの笑顔がどこか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「ギルには接近禁止令を出してある。ゆっくり考えるといい」
「決めるのはお姉さまですから」
そう言われたのが三日前。
あれからギルベルトは本当にエルザの前に姿を見せることもなく、気配すらも感じない。
ダグラスとアリシアにこっぴどく叱られたらしい彼は、おとなしく部屋に引きこもっているそうだ。
「ヴァンパイア、か……」
裏庭に面したバルコニーで夜風に当たりながら、エルザはぼんやりと夜空を眺めた。
――自分の体のことなのに、知らないことばかりね……。
そんなこと誰も教えてはくれなかったし、おそらくヒトはそこまでの知識を持ち合わせてはいないのだろう。
エルザは自嘲気味に笑いながら、今は短くなってしまった自身の爪を眺めた。
「~♪」
無意識にメロディーを口ずさむ。
幼い頃、眠れぬ夜に母が歌ってくれた子守唄。
優しくも哀しげなメロディーは、夜空に静かに溶けていく。
ひんやりと冷たい夜風が優しく頬をなでていく中、ふわり、と背中をぬくもりに包まれる。
誰か、など確認する必要はない。
包みこむように重ねられた手が、いつもよりあたたかく感じるのはなぜだろうか。
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