第33話 無理やりなんて最低

「お姉、さま……!?」


 驚愕するアリシアの声が鼓膜を揺らす。

 体に違和感を覚え、エルザは敵の腕を払いのけた自分の手を見遣る。

 たしかに己の腕である。

 ただ、短かったはずの爪が鋭利な刃物のように鋭く伸びていることを除いては。


 まるでヴァンパイアだと、頭の片隅でそう思った。


 長く伸びた爪の先端から、赤黒い血がしたたり落ちる。


(これなら、戦える……!)


 正直、急激な自分の体の変化に頭はついていっていない。

 しかし今はそんなことをいちいち気にしている暇はなかった。

 敵はまだ目の前にいる。

 エルザはおもむろに立ち上がると、自分たちを狙うグールに向かってその爪を振りかざした。




「二人とも無事!?」

「ええ、お姉さまが守ってくださいましたから」


 いつの間にか駆けつけたギルベルトの声に、エルザはふと我に返る。

 目の前の敵を狩ることに無我夢中で、記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 気がつけば、辺りには静寂が戻っている。


「ですが、少々血を流しすぎましたわね。ダグ、帰ったら、少し分けてくださいませね」

「ああ」


 ヒトの姿に戻ったダグラスの腕にかかえられながら、アリシアは彼の顔に頬を寄せた。

 いくらグールごときがヴァンパイアの敵ではないとはいっても、多勢に無勢。

 ヒトよりスタミナがあるアリシアでも、さすがに疲労感が否めない。

 静かにまぶたを閉じたアリシアは、疲労と安堵からか小さく息を吐く。


「よくがんばったね、アリシア」


 妹の頭をなでるギルベルトも、心なしかほっとしているようである。

 グールさえ退けてしまえば、あとは無事に家に帰るだけである。


「……エルザ? 大丈夫?」


 ギルベルトは、一歩うしろに立つエルザを振り返り、わずかに腰を曲げて彼女の顔色をうかがった。

 うつむいたまま微動だにしないエルザは、ぼんやりとした表情で自身の手のひらを見つめたまま。

 その指先は、グールの腐った血で赤黒く染まっていた。


「あ……ギル、あたし……」


 エルザはゆっくりと顔を上げる。

 アメシストの瞳が、不安げに揺れていた。

 あふれんばかりの涙が、瞳に映したギルベルトの姿を震わせる。


 長く伸びた鋭利な爪。

 素手で肉を切り裂く感覚。

 指先にまとわりつく生暖かさ。

 記憶にない戦いの形跡と、それを物語る手のひらの血痕。


 あまりにも想定外のできごとに、エルザの心が置いてけぼりになっていた。

 なにもかもが急すぎたのだ。

 小さくひらいた唇が言葉を紡ぐ前に、エルザの体は膝から崩れ落ちる。

 すぐさま抱き留めたギルベルトは、そのまま彼女の体を横抱きにした。


「っと、危ない危ない。急に覚醒しちゃうからビックリしちゃったー」


 ぐったりと彼に身を任せているエルザは、どうやら急激な体の変化に耐えきれず気を失ってしまったらしい。


「……エルザがヴァンパイアとしての能力を有していても不思議はない」

「むしろ当然ですわね」

「だが……」


 ダグラスとアリシアが、互いに顔を見合せたのちにギルベルトを見遣る。

 なぜエルザのヴァンパイアとしての覚醒が『今』だったのか。

 それをギルベルトがわからないはずはない。

 むしろ彼こそが原因の一端なのだから。


「ははは~……」


 ギルベルトは妹と友人からの痛いほどの視線をごまかすように、苦笑いしてみせた。


「……お前、まさかヤったのか……?」

「ちょっと言い方! 少し味見しただけですぅー」

「大して変わらねぇだろ」


 ダンピールの覚醒のメカニズムを知るダグラスは、訝しげにギルベルトを見遣った。

 ルビーの瞳がいつもより細められているのは、きっと気のせいだと思いたい。


「お兄さま!? 無理やりなんて最低ですわよ!」

「だから違うって!」

「なにが違うんですの!?」


 どうやら妹の追及からは逃れられそうにない。

 ダグラスの腕にかかえられているおかげで兄を見下ろすアリシアは、ここぞとばかりに問い詰める。


「お兄さまのせいじゃなきゃ、どうしてお姉さまが覚醒するんですの!?」

「それはまあ、俺のせいではあるんだけど」

「ほらご覧なさい!」

「お前ら、兄妹ゲンカはあとにしてくれ」


 ため息をつくダグラスに、兄妹は「ケンカじゃない!」と同時に叫んで、さらに彼をあきれさせた。


「とりあえず帰るぞ。こんなところに長居は無用だ」


 血のにおいに誘われて、またグールが集まってきては厄介だ。

 ため息とともに歩きだしたダグラスに続いて、ギルベルトも帰路につくためきびすを返した。


 枯れた枝を踏む足音だけが、静寂に包まれた森の中でやけに響く。


「……お兄さま」


 ダグラスに抱かれたまま、アリシアがうしろを歩く兄を静かに呼ぶ。

 まさかまだ真相を追及されるのかと警戒するギルベルトだったが、どうやらそうではないようだ。


 彼女の声色は至極冷静で、それでいてどこか不安そうに震えている。

 ダグラスの首にしがみつくように腕をまわして、アリシアはまばたきもせずにじっと兄を見つめた。


「…………お母さまに、感づかれましたわ……」

「そう……」


 つぶやくように告げられた言葉に、ギルベルトは短く相づちを打った。



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