第33話 無理やりなんて最低
「お姉、さま……!?」
驚愕するアリシアの声が鼓膜を揺らす。
体に違和感を覚え、エルザは敵の腕を払いのけた自分の手を見遣る。
たしかに己の腕である。
ただひとつ、短かったはずの爪が、鋭利な刃物のように鋭く伸びていることを除いては。
まるでヴァンパイアだと、頭の片隅でそう思った。
長く伸びた爪の先端から、赤黒い血が滴り落ちる。
――これなら、戦える……!
正直、急激な自分の体の変化に頭はついていっていない。
しかし今はそんなことをいちいち気にしている暇はなかった。
敵はまだ目の前にいる。
エルザはおもむろに立ち上がると、自分たちを狙うグールに向かってその爪を振りかざした。
◇◇◇◇◇
「二人とも無事!?」
「えぇ、お姉さまが守ってくださいましたから」
いつの間にか駆けつけたギルベルトの声に、エルザはふと我に返る。
目の前の敵を狩ることに無我夢中で、記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
気がつけば、辺りには静寂が戻っている。
「ですが、少々血を流しすぎましたわね。ダグ、帰ったら、少し分けてくださいませね」
「あぁ」
ヒトの姿に戻ったダグラスの腕にかかえられながら、アリシアは彼の顔に頬を寄せた。
いくらグールごときがヴァンパイアの敵ではないとはいっても、多勢に無勢。
ヒトよりスタミナがあるアリシアでも、さすがに疲労感が否めない。
静かにまぶたを閉じたアリシアは、疲労と安堵からか小さく息を吐く。
「がんばったね、アリシア」
妹の頭をなでるギルベルトも、心なしかほっとしているようである。
グールさえ退けてしまえば、あとは無事に家に帰るだけである。
アリシアの傷も、ライカンスロープであるダグラスがいればすぐに治癒するだろう。
「……エルザ? 大丈夫?」
ギルベルトは、一歩うしろに立つエルザを振り返り、わずかに腰を曲げて彼女の顔色をうかがった。
うつむいたまま微動だにしないエルザは、ぼんやりとした表情で自身の手のひらを見つめたまま。
その指先は、グールの腐った血で赤黒く染まっていた。
「あ……、ギル、あたし……」
エルザはゆっくりと顔を上げる。
アメシストの瞳が、不安げに揺れていた。
あふれんばかりの涙が、瞳に映したギルベルトの姿を震わせる。
長く伸びた鋭利な爪。
素手で肉を切り裂く感覚。
指先にまとわりつく生暖かさ。
記憶にない戦いの形跡と、それを物語る手のひらの血痕。
あまりにも想定外のできごとに、エルザの心が置いてけぼりになっていた。
なにもかもが急すぎたのだ。
小さくひらいた唇が言葉を紡ぐ前に、エルザの体は膝から崩れ落ちる。
すぐさま抱きとめたギルベルトは、そのまま彼女の体を横抱きにした。
「っと、危ない危ない。急に覚醒しちゃうから、ビックリしちゃったー」
ぐったりと彼に身を任せているエルザは、どうやら急激な体の変化に耐えきれず気を失ってしまったらしい。
「……エルザがヴァンパイアとしての能力を有していても不思議はない」
「むしろ当然ですわね」
「だが……」
ダグラスとアリシアが、互いに顔を見合せたのちにギルベルトを見遣る。
なぜエルザのヴァンパイアとしての覚醒が『今』だったのか。
それをギルベルトがわからないはずはない。むしろ彼こそが原因の一端なのだから。
「ははは~……」
ギルベルトは妹と友人からの痛いほどの視線をごまかすように、苦笑いしてみせた。
「……お前、まさかヤったのか……?」
「ちょっと言い方! 少し味見しただけですぅー」
「大して変わらねぇだろ」
ダンピールの覚醒のメカニズムを知るダグラスは、訝しげにギルベルトを見遣った。
ルビーの目がいつもより細められているのは、きっと気のせいだと思いたい。
「お兄さま! 無理やりなんて最低ですわよ!」
「だから違うって!」
「なにが違うんですの!?」
どうやら妹の追及からは逃れられそうにない。
ダグラスの腕にかかえられているおかげで目線の高さが同じ兄を、アリシアはここぞとばかりに問い詰める。
「お兄さまのせいじゃなきゃ、どうしてお姉さまが覚醒するんですの!?」
「それはまぁ、俺のせいではあるんだけど」
「ほらご覧なさい!」
「お前ら、兄妹ゲンカはあとにしてくれ」
ため息をつくダグラスに、兄妹は「ケンカじゃない!」と同時に叫んで、さらに彼をあきれさせた。
「とりあえず帰るぞ。こんなところに長居は無用だ」
血のにおいに誘われて、またグールが集まってきては厄介だ。
ため息とともに歩きだしたダグラスに続いて、ギルベルトも帰路につくためきびすを返した。
枯れた枝を踏む足音だけが、静寂に包まれた森の中でやけに響く。
「……お兄さま」
ダグラスに抱かれたまま、アリシアがうしろを歩く兄を静かに呼ぶ。
まさかまだ真相を追及されるのかと警戒するギルベルトだったが、どうやらそうではないようだ。
彼女の声色は至極冷静で、それでいてどこか不安そうに震えている。
ダグラスの首にしがみつくように腕をまわして、アリシアはまばたきもせずにじっ、と兄を見つめた。
「…………お母さまに、感づかれましたわ……」
「そう……」
つぶやくように紡がれた言葉に、ギルベルトは短く相づちを打った。
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