第26話 きみにしか頼めない
◇◇◇◇◇
クルースニク
穏やかな午後の日射しを背に浴びながら、ルティスはまばたきもせずに机上を見つめていた。
そこに広げられたひとつの報告書。
それが、彼の中に違和感と疑念をいだかせている。
――エルザ……。
彼女が誘拐されてから、すでに三ヶ月が経過していた。
幸い、まだ彼女の遺体が見つかったという報告はない。
だが一方で、生きているという確かな情報もない。
部下の中からは、すでにあきらめの声が漏れていることも承知している。
そんな中、各地からもたらされる雑多な情報のひとつとして埋もれていたそれを拾い上げたのは、まさに運命としか言いようがなかった。
――支部を預かる者として、すべての情報を鵜呑みにすることはできない。だが……。
どんなに信憑性が低いものだとしても、ルティスはそこに、わずかな希望を見いだせずにはいられなかった。
ふと、ルティスは何度も読み返した報告書から視線を上げる。
廊下から、せわしない様子で駆ける足音が近づいていた。
「ルティス! 目撃情報が出たってのは本当か!?」
勢いよく開け放たれたドアから、アルヴァーが息を切らしながら駆けこんでくる。そのまま彼は、一直線にルティスに詰め寄ると、執務机に両手をついて身を乗り出した。
あまりの勢いに、机の上のインクボトルがカタン、と揺れる。
「とりあえず落ち着きなよ、アルヴァー」
「んなこと言ってる場合かよ! なんでお前はそんなに冷静なんだ!」
そうまくし立てるアルヴァーに対して、ルティスの顔には自然と笑みが浮かんでいた。
「本当にきみは、自分の気持ちに正直だね」
それが彼の長所でもあり、時には短所になりうる部分でもある。とはいえ、正直ルティスはそれをうらやましいとさえ思っている。
「で!? あいつは!? エルザは見つかったのか!?」
ルティスの返答を急かすアルヴァーは、焦りとも興奮ともつかない複雑な表情をしていた。
ルティスは静かにひと息つくと、先ほどまで眺めていた報告書を机上でトントン、とまとめる。
「まだ断定はできないんだけどね」ルティスは、まっすぐにアルヴァーに視線を返した。
「ほぼ、間違いないと思う」
その瞬間、アルヴァーのエメラルドの瞳が輝いたように見えた。
わずかに口角を上げた彼が、視線だけでルティスに先を促す。
手元の報告書に目を移したルティスは、中から一枚の地図を取り出した。
「場所は『エッケシュタット』、最果ての町だ」
ルティスが指し示したのは、地図の端。
「グールもめったに出ないような、あんな辺鄙な町に?」
アルヴァーですら、年に一度訪れるかどうか。
グールの出没情報もほとんどないため、常駐している支部の隊員も必要最低限にとどめているほどだ。
訝しむアルヴァーに、ルティスは力強くうなづいてみせた。
「そこの市場で、よく買いものに来る兄妹がいるらしい。全員いつも黒い服装をしているらしいんだけど、最近どうやら、家族が増えたらしく」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺たちが捜してるのはエルザと、あいつをさらったヴァンパイアだろ? なんでどこぞの兄妹の話が出てくんだよ」
ルティスの説明をさえぎって、アルヴァーは率直な疑問を口にする。
捜索しているのはエルザの行方であって、見知らぬ家庭の近況ではない。正直いまは、そんな話はどうでもいい。
「まぁ最後まで聞いてよ」ルティスは微笑みを浮かべながらアルヴァーをなだめる。
「その新しい家族っていうのが、『金の髪に紫の瞳をした女性』らしい」
ルティスの言葉に、アルヴァーはおもわず息を飲んだ。
「まさか……、それがエルザだってのか?」
「まだ確証はないけれどね。けど、紫の瞳は先天性の色素異常によって起きるものだ。そうそう生まれるもんじゃない。つまり、その女性がエルザである可能性は、高い」
淡々とそう言うルティスに対して、アルヴァーは考えこむように眉間にしわを寄せた。
――たしかに、エルザみたいな紫の瞳は珍しい。俺もあいつ以外に、あの目を持ってるやつは知らない。となれば……。
詳細を調べてみる価値は十分にある。
火のないところに煙は立たぬと言うし、万が一見つからなくてもなんらかの手がかりくらいはつかめるはずだ。いまはどんなにささいな情報でも惜しい。
「……ルティス、その調査、俺に行かせてくれ」
「もちろんだ。きみにしか頼めない」
まっすぐに自分を見つめるエメラルドの瞳に、ルティスは大きくうなづいた。彼ははじめから、この件をアルヴァーに一任するつもりでいたのだ。
「幸い、近々町で祭りがあるらしくてね。ヒトが集まる大きなイベントだ。例の家族も、きっと来るだろう」
「人混みの中からエルザを捜し出せってか?」
「ふふっ、アルヴァーなら簡単だろう?」
ルティスは手早く報告書を革のファイルにはさむと、アルヴァーに差し出す。
「七日だ」ファイルを手渡すのと同時にルティスが言う。
「七日で、なんらかの結果を持ち帰ってほしい」
「必ず」
互いにもっとも信頼する友の言葉に、ルティスとアルヴァーはどちらからともなく挑戦的な笑みを浮かべる。
「アルヴァー、頼んだよ」
ルティスは祈るような気持ちで、執務室を出ていくアルヴァーの背に向かってそう言った。
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