第22話 知性の欠片もないやつら
「……ヴァンパイア、か……」
夜もすっかり更けたころ。
寝るタイミングを逃してしまったエルザは、ひとりバルコニーにたたずんでいた。特になにをするわけでもなく、ちょうどいい高さの手すりに寄りかかり物思いにふける。
ギルベルトにさらわれてから数日。彼女の中でヴァンパイアに対する認識が変わってきていた。これまで持っていた一方的な印象を、同居人の彼らがいい意味でことごとくくつがえしてくれているせいだ。
ヴァンパイアとて、ヒトと同じく心を持つ生き物なのである。
傍若無人で冷血非道なイメージとは異なり、彼らは実に人間味にあふれていた。中にはそうでない者もいるのだろうが、少なくともギルベルトたちに対しては心をひらきつつある自分がいるのは事実だ。
彼らがあまりにも自然に接してくるため、それぞれの立場をつい忘れそうになってしまう。
「……あいつなら、あの男のこと、知ってるのかな……?」
忘れたくとも忘れられない記憶。忘れてはならない記憶が、エルザの中に憎悪の感情をよみがえらせる。
――思い出せ。あたしはなんのためにクルースニクに入ったのかを……。
エルザはまぶたを固く閉じ、合わせた手のひらをぐっと握り込んだ。
――あいつを……、いつかこの手で必ず……!
そう心に誓った男はいったい、いまどこにいるのか。
はたまた、まだ生きているのかさえ定かではない。
唯一の手がかりは自身の記憶の片隅に残る面影と、その男がたしかにヴァンパイアであったという確信だけ。
「…………でもなぁ」
いかんせん、ギルベルトを頼らざるを得ないのが問題である。
きっと彼のことだから、エルザの問いにはきちんと答えてくれるだろうし、もしかしたらその人物を一緒に捜してくれるかもしれない。
だが問題はそのあとである。
おそらくエルザに頼られたことがうれしくて、確実に調子に乗るに決まっているのだ。
「はぁぁぁ……」
エルザが深いため息をついてうなだれたときだった。
庭の奥に広がる茂みが、不自然にざわざわと揺れていた。
――野生のキツネかタヌキでもまぎれこんだのかしら?
仮にもここは森の中である。野性動物がいてもなんらおかしくはない。
しかし部屋へ戻ろうとしていた彼女の足を止めたのは、野性動物などではない。
それはあきらかに、ヒトならざるものの雄叫びだった。
最初のひと声に呼応するかのように、それらは次々と重奏を響かせて鼓膜を揺らす。
「この声は……!」
エルザは瞬時に部屋を背にして振り返った。
バルコニーの手すりに身を乗り出して、じっ、と庭の奥、うっそうとした森の暗闇に目を凝らす。
響き渡る奇声に聞き覚えがあった。否、ここ最近は耳にすることがなかったそれは、まぎれもなくグールのものである。
「っ!!」
エルザの体に緊張が走った。久々の感覚に背筋が震える。
エルザは弾かれたように身をひるがえして部屋を飛び出すと、足早に廊下を駆け抜け、階段をすべるように駆け下りる。
庭へと続くサンルームのドアを開け放ち、彼女はウッドデッキへ転がるように躍り出た。
「っ!? グールっ……!」
庭の奥にある森の向こうから、ぞろぞろとグールの群れが湧いては屋敷に迫っていた。
「まったく、こんな夜更けになんの用ですの?」
「これだから、知性の欠片もないやつらは」
あくびを噛み殺すダグラスにかかえられてきたアリシアは、見渡した庭の状況にため息をついた。
うんざりだと言わんばかりに、ダグラスも眉間にしわを寄せている。
「ダグ、さっさと片づけてしまいましょう」
短く返事をしたダグラスの腕から、アリシアは軽やかにウッドデッキに降り立つ。
そうして彼女は、なに食わぬ顔でエルザの横を通りすぎていった。
「ちょ、アリシアっ……!」
エルザはおもわず手を伸ばして、小柄な美少女を呼び止める。
彼女はいったい、どこへ向かうつもりなのだろうか。
この先には、暗闇に包まれた庭が広がっているだけである。しかもグールが多数群がっている。
「エールザ」
不意に、エルザの腰まわりに腕が絡みつく。
背後から聞こえたギルベルトの声に首だけで振り向けば、彼はエルザを抱き寄せるようにしてくるりと体を反転させた。
強引な形で視界を庭から遠ざけられ、エルザの目に映るのは薄暗いサンルームの景色だけ。
「危ないから、エルザはここにいてね」
「な!?」
耳元でそうささやかれた言葉におもわず体ごと振り返れば、背中のぬくもりはすでに庭へと降り立ったあとだった。
「あたしはクルースニクよ!? 守られるだけなんて、まっぴら御免だわ!」
手元に銀製の武器はない。
だがこの際普通の剣でもなんでも、武器になるものさえあれば十分に戦える自信があった。とどめは刺せずとも、致命傷を与えるくらいならできるはずだ。
「……エルザ」
だが駆け出そうとしたエルザの足を阻んだのは、にらみつけるように庭を見ていたダグラスの声だった。
「案ずるな。今夜は、満月だ」
静かにそう言った彼は、ついっ、と視線を空に向けた。
真ん丸の月が、彼のルビー色の瞳に映りこむ。
月明かりに照らされて、いまにも吸いこまれてしまいそうな色合いが深みを増したような気がした。
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