第20話 必要なものが多いだけ

 ギルベルトたちに連れられるがまま霧の中を抜けてやってきた市場は、たくさんのヒトでにぎわっていた。

 数日ぶりに目にするヒトの姿に、エルザは人知れず小さく息を漏らす。


「エルザ、はぐれないように手ぇつなご?」

「やめて。子どもじゃないんだから」

「えー」


 道の両側にひしめきあう店。競うように方々から響く呼びこみの声。店先には新鮮な野菜や果物が山と積まれ、惣菜の屋台から香るにおいが食欲をかき立てる。

 値切る客とそれに応じる店主の交渉が熱を帯び、どこからか聞こえてくるブタやニワトリの鳴き声が声援となる。


「お兄さま、のちほど合流でよろしくて?」


 市場の通りを少し進んだところで、アリシアはフリルのあしらわれた黒い日傘の下から顔を覗かせた。


「うん、気をつけてねー」

「ダグが一緒ですから大丈夫ですわ!」


 そう言うなり、アリシアは黒いパーカーのフードを目深にかぶったダグラスの手を引いて、人混みの中に消えていった。

 路地を突き進む日傘と背の高いダグラスを避けるようにして、人だかりが割れては元に戻っていく。


「うーん、やっぱりあの日傘は目立つよねぇ」


 黒い中折れ帽をわずかに上へ上げて、ギルベルトは小さくそう漏らした。

 言われてみれば、アリシアは日中の外出時はいつも日傘をさしているなと思いながら、エルザも路地の向こうへと視線をやる。


「……ヴァンパイアも、グールみたいに太陽に弱いの?」

「弱いってほどじゃないけど、多少の影響はなくもないかな。ちょっと体が重いとか、本来の力が出なかったりとか。けどまぁ、グールみたいに灰になるとかはないけどね」


 軽い口調で笑ってみせるギルベルトに、エルザは「そう……」とだけ短く返すと、ぐるりと周囲の喧騒を見渡した。


――知らない景色ばっかり……。


 無意識に落胆のため息がこぼれる。

 どうやらここは、エルザの知る土地ではないらしい。目に映る町の景色に見覚えはなく、場所の特定にはつながりそうにない。

 おそらくここは彼女の訪ねたことのない町か、はたまたイースト支部の管轄外ということだろう。

 あわよくばとは思っていたが、世の中そんなにうまくはいかないらしい。


――逃げるのは簡単だけど、ここがどこだかわからないんじゃ逃げようがないわね。


 すぐにでも行動に移せる状況ではあるが、地の理がなければ逃げきるのは難しいだろう。闇雲に逃げたところで、ヴァンパイアが相手となれば見つかるのは時間の問題である。


――いまはおとなしくしていたほうが身のためだわ。


 逃走に失敗すれば、それこそ屋敷に監禁されかねない。

 店先の商品を品定めしながら歩きだしたギルベルトに、エルザは黙って彼のうしろをついて歩いた。


「……前から思ってたんだけど」

「んー?」黒いロングコートをひるがえしてギルベルトが振り返る。


「あんたたちも、普通に魚とか野菜とか食べるのね」

「あははっ。さすがに俺たちも、いつも血ばっかり飲んでるわけじゃないさ」


 エルザの言葉に、ギルベルトはおもわず苦笑いをこぼした。

 自分たちにとっては当たり前の事実でも、エルザにとっては不思議な光景に思えてしまったのだろう。

 いくらヴァンパイアといえど、生き血だけをすすって生きているわけではない。基本的に必要とする栄養素はヒトと同じなのである。


「ただ、ちょっとヒトより必要なものが多いだけだよ」


 再び商品を吟味しはじめたギルベルトに対して、エルザは怪訝そうなまなざしで眉根を寄せていた。


「……なんとも、思わないの?」

「なにが?」

「……他者を犠牲にして生きること」


 目の前に並ぶ野菜を選んでいたギルベルトの手が止まる。

 彼女の表情をうかがい見れば、神妙な面持ちでギルベルトを見つめていた。

 いくつかの野菜を購入すると、ギルベルトは二軒隣の肉屋を覗く。

 日持ちするようにと加工された干し肉がぶら下がる屋台の後方で、檻に入れられたニワトリがバタバタと騒いでいた。


「ヒトだって、家畜の肉やニワトリの卵を食べるでしょ? エルザはそのとき、罪悪感とかそーゆーの、考える?」

「いや……」


 手早く勘定を済ませ、ギルベルトは視線をまっすぐに彼女へ向ける。そのまなざしはいつもの軽い雰囲気とは異なり、至極真剣なものだった。


「それと一緒だよ。俺たちにとってはさ、それはただの捕食行動にすぎない。生きていくうえで必要だからそうする。それだけだよ」


 エルザは小さく口をつぐむ。

 やはりすぐには納得できない。

 それは、彼女が狩られる者の立場であるがゆえ。


「お兄さまぁー、お姉さまぁー」

「待たせたな」


 人波に逆らって、アリシアが日傘をくるくるとまわしながら歩いてくる。満面の笑みを浮かべてうれしそうに歩くアリシアのうしろで、ダグラスはなにやら両手に大量の紙袋をかかえていた。


「あの~、ア、アリシアさん? それはいったい……?」


 妹の手にしているバスケットに目を遣ったギルベルトは、ぎこちない動作でおそるおそるそれを指さす。

 アリシアの手には少し大きいピクニックバスケット。中にはチョコレートやキャンディーなどが、蓋が閉まりきらないほど大量に詰めこまれていた。

 察するにバスケットの中身はすべてお菓子の山なのだろう。ダグラスの持つ紙袋のひとつからもお菓子が覗いていることには、気がつかないほうがいいのだろうか。


「なんですの? なにか文句でもございますの?」

「い、いや、なんでもない、です……」

「ならいいのですわ♪」


 彼女の笑顔が一瞬黒いものになったのは、きっと気のせいである。否、そうだと信じたい。

 有無を言わせぬ妹の態度に、ギルベルトは小さくうなだれた。


「終わったならさっさと帰るぞ」

「ふふっ、ダグったら、気になる食材を見つけたものだから早く調理したいのですわ」

「へー、じゃあ今夜のディナーが楽しみだね!」

「ふん。いいから帰るぞ」


 そっぽを向くダグラスに促され、みなの足が同じ方向を向く。

 エルザもならうようにして一歩踏み出そうとしたが、気をそらした一瞬に彼女の左肩になにかがぶつかった。衝撃でバランスを崩したエルザの足がよろめく。



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