第4話 邪魔だけはしないで

「うわあぁあぁぁ!? すいませんすいません! ごめんなさいっ!?」

「……は?」


 突如辺りに響いた場違いな悲鳴に、エルザはおもわず拍子抜けした。

 調査報告書によれば、町にヒトはいないはずである。にもかかわらず、路地に反響したのはヒトの言語で。


――グールじゃ、ない……?


 警戒をとかずに銃口を向けたまま、エルザはゆっくりと影に近づいた。

 雲間から、月が淡いスポットライトのように顔を覗かせる。

 ヒトのいない町に降る月光。

 照らし出したのは、情けなくも地面に尻餅をついた一人の男だった。まるで降参だと言わんばかりに、男は両手をめいっぱい前に突き出している。

 エルザの口からは無意識にため息がこぼれた。それと同時に、彼女は手にしていた銃をホルスターに戻す。


「ここは立ち入り禁止区域よ。こんなところでなにしてるの」

「え……、えぇ!? 立ち入り、禁止……?」


 とたんに男は目を丸くして、周囲をきょろきょろと見回していた。

 まさかとは思うが、この男は立ち入り禁止と知らずに区域内をうろついていたわけではあるまい。


「っと俺、迷子になっちゃて……。町には誰もいないし、うろうろしてたら夜になっちゃうし……。そしたらなんかいきなり撃たれるし」


 男の言葉に、エルザは頭をかかえたくなった。

 いったいどうやったら、バリケードと規制線の張られている立ち入り禁止区域に迷いこむというのだ。


「ったく……。町の外まで連れていってあげるから、さっさと立って」


 調査を続けるにしても、足手まといになりそうな男が邪魔だった。とりあえずは、この男を区域の外、隣の町に続く街道まで連れていくほうが先だろう。調査の続きはそれからである。


「よかったぁ~。誰もいないからどうしようかと思ってたんだ」


 エルザの言葉にホッ、と息をついた男は、ゆっくりとした動作で立ち上がり、黒いロングコートについた砂ぼこりを軽く手で払った。どうやら背は高いらしい。


「……」

「…………なに?」


 視線を感じて男を見上げれば、彼はなにかを言いたげにじっとエルザを見つめていた。

 少し長めの、銀色の前髪から覗くアクアマリンの瞳が痛いほどに突き刺さる。


「な、なによ……」


 訝しげに眉根を寄せたエルザに対して、男はふわりと微笑んでみせた。

 おもむろに、男はエルザに近づく。彼の着崩した白いシャツの襟元から覗く鎖骨が、妙に色気を帯びていた。


「ちょっと、いったいどうし」「お姉さん、がする……」

「……は?」

『ゥボァァアアアァァ!!』


 男の発言の意味を理解する間もなく、別の場所から雄叫びのような奇声が町中にこだました。

 エルザは瞬時にその方角へと顔を向けた。

 それは最初にうめき声をとらえた方角とほぼ同じである。


――こいつの気配に惑わされるなんて!


 どうやら追跡の途中でまぎれこんできた男の気配に気を取られ、目標を見誤ってしまったらしい。エルザとしてはとんだ失態である。


「チッ!」


 エルザは忌々しげに舌を打ち鳴らすと、目の前できょとんとしている男に向きなおる。

 きょろきょろとしながら目をぱちくりとさせているこの男には、危機感というものがないのだろうか。


「仕方ないからついてきて! でも邪魔だけはしないで!」

「え!? ちょ、お姉さん!?」


 そう言い捨てるや否や、エルザは声のしたほうへ向かって走りだした。

 べつに男のことは置いていってもよかったのだが、一人にしている間に別のグールに襲われでもしたら面倒だ。上に知られたらなにを言われるかわかったもんじゃない。

 特にアルヴァーは、隊長室で延々と説教を始めるに決まっている。


――そんなのは御免よ。


 あまり気は進まないが、連れていったほうが無難だろう。目に見える範囲にいてもらったほうが、万が一のときも対処しやすい。

 急に駆けだしたエルザを追いかける男の気配を後方に感じながら、彼女は区域の奥へと向かっていった。




 少しひらけたその場所は、もともとは広場か公園だったのだろうか。いまとなってはどちらでも関係なかったが、エルザは足を踏み入れた場所の光景に目を見張った。

 わずかに残る血のにおいとともに地面に転がるのは、いくつものグールの死骸である。

 腐った肉体はどれも干からびた大地のようにひび割れ、カラカラに乾ききってしまっていた。


「死骸、だけ……?」


 エルザは銃を手にしたまま、慎重に公園の奥へと歩を進めた。

 目の前でぴくりとも動かないそれを、つま先で軽く蹴って転がす。

 とたんに乾いた灰と化し風に流されていったそれに続いて、ほかの死骸も次々と形を保てずにぼろぼろと崩れていった。

 気持ち悪く肌にまとわりつく生暖かい夜風が、血のにおいとともにすべてを暗闇へと連れ去ってしまう。


「どういうこと……?」


 グールを殺せるのは、クルースニクの所有する銀製の武器か、もしくはヴァンパイアだけのはずだ。

 しかし現在、この区域に派遣されているクルースニクはエルザひとりだけ。事前調査に訪れたチームは、昨日のうちに全員帰還している。


 となれば、選択肢はひとつしか残らない。


「……ヴァンパイア、か……?」


 ぽつりとつぶやいた独り言は、静かに闇に溶けていく。

 自分しかいないはずの空間に別の誰かがいる。それがヴァンパイアなのだとしたら。

 万が一戦闘になった場合、一人では少々厳しいかもしれない。それ相応の訓練は積んできているし実戦経験もそれなりにあるが、いかんせん、いままでヴァンパイアと対峙したことは一度もないのだ。

 それはクルースニクのほとんどの隊員にも当てはまり、仮に遭遇した者がいたとしても極めて少数である。否、もしかしたらすでに生きてはいないのかもしれない。

 それこそ隊員の中には、ヴァンパイアなど架空の生き物であるかのように語る者すらいる始末だ。


「……まずいな……」

「ちょ、お姉さんっ……! 待って……!」


 否、もう一人いるではないか。


 立ち入り禁止区域に迷いこんだというあきらかな不審者は、息を切らしながら暗がりの中をこちらに向かってくる。

 エルザは距離を保ったまま、遅れながらも自分を追いかけてきた男にすばやく銃口を突きつけた。


「止まれ!!」

「お姉さん……?」

「正直に答えて」


 男がわずかに小首をかしげるのを、エルザはまばたきもせずにらみつける。


「あんたは、ヴァンパイアか?」



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