一章:ヴァーゼアル領に向かって
第9話:風歌う、その路で
ガタゴトと馬車が揺れる。
エリオン王国の中部、リベレス川へと流れ込むヒエーエル川に面する王城から出発し、早三日。僕達は順調に北上していた。
今乗っている馬車は貴族用なのでそれなりに中は広いのだが、気密性が高いせいか、少し熱が籠もってしまっている。
その暑さに辟易したのか、同乗しているリッカがいきなり上着を脱ぎ始める。もはや下着同然の姿になりつつ彼女だったが、
「あ、こら、リッカ様! 暑いからって脱ぐな脱ぐな!」
絶対についていくと言ってきかなかった侍女のレアが慌ててそれを止めた。
僕はリッカのそういう行動に慣れつつあるので、とりあえず目を逸らし、外を景色を眺める。一面の小麦畑が風で揺れていて、風が可視化されている。
何とものどかな田園風景だ。ああ、綺麗だなあ……そういえばさっき、谷間が一瞬見えていたなあ……。
「うるさいぞ、レア。暑いから服を脱ぐのは当然だろう」
「脱ぐにもほどがある! いつも言ってますけど肌を見せすぎなんですってば! どこに布きれ一枚でこれから治める領地に向かう人がいますか! 大体リッカ様には次期王妃としての自覚がですね――」
くどくどとレアがお説教をかますが、リッカに聞いている様子はなく、ソッと僕に耳打ちしてくる。
「……こいつはいつもこうなのか」
眉間にシワを寄せるリッカの顔を見て、僕は思わず笑ってしまう。せっかくの可愛い顔が台無しだ。
「そうだよ。僕も幼い頃からずっと怒られっぱなしだ」
「むー、その矛先が私に向いてしまったか」
「僕は最近、優等生だからね」
「低地のやり方は好みじゃないんだが」
なんて会話していると、レアがニコニコしながらリッカの手を掴んだ。
その目は決して笑っていない。
「好み――の問題ではありません。エリオン王国第一王子に嫁いだからにはこちらの流儀に従ってもらいます。いいですね?」
「……はい」
誇り高き
侍女は強し。
「はあ……ようやく最近、殿下が心を入れ替えて王族らしくなってきたというのに……」
口をへの字にしているリッカに上着を着せながら、レアがため息をついた。
「あはは、苦労を掛けるね、レア。でも暑いのは事実だから窓を開けようか。丁度いい夏風が吹いているよ」
「ですが、万が一、矢でも飛んできたら危険では」
レアが言うことはもっともだ。平時なら確かに窓を開けて移動するリスクはあるだろう。野盗も出るしね。
しかし。
「その心配はないんじゃないかなあ……」
僕は窓を開けて、吹き込む風で髪が揺れるのを抑えながら、馬車の周囲を見回した。
この馬車の前後を物資や荷物を載せた別の馬車が走っていて、それを守るかのようにウォリス率いる近衛隊と――青白い毛皮の、子牛ほどの大きさがある狼に乗った者達が、武装して並走している。
あれこそが、
当然、その全員がリッカの部下であるヴロスアングの者だ。
この厳重な警備の中、流石に襲ってくる野盗はいないだろう。
あの狼達――魔狼ヴォルクは、馬と比べると行軍速度も高くかつ持久力があり、鼻も耳も利いて、機動性にも長けている。
それだけを聞くとかなり優秀に思えるが、ヴォルクは天雪山脈より北にしか生息しておらず、飼い慣らすことは不可能とされていた。しかしなぜか
もちろんリッカもその例に漏れず、共に育ったヴォルクがいる。
「やあ、護衛ご苦労さん――ラセツ」
僕はこの馬車にぴったりと寄り添い、周囲を警戒している一際大きな
彼女こそがリッカの相棒であるヴォルク、ラセツだ。
しかし彼女は僕の呼び掛けに対し、少し横目で視線を送ると短く吼えるだけで、すぐに警戒態勢へと戻っていく。
なぜか――〝用もないのに声を掛けないで〟と言ったように聞こえた。
……いや、まさかね。
「相変わらず嫌われているなあ」
苦笑しつつそう独り言をすると、
「ラセツは軟弱な男が何よりも嫌いだからな」
それを見ていたリッカがニヤニヤと笑う。
「悪かったね、軟弱で」
「だから、少しは剣の稽古をしろ。いっつも手紙ばっかり書いて」
「おや、リッカは知らないのか? 外交も内政も、マメさが肝要なのさ。〝ペンは剣より強し〟、だよ」
僕が得意気にそう言うと、リッカとレアが顔を合わせて、同時に首を傾げた。
なんやかんや、この二人は結構仲良しだ。
「知らん。聞いたことがない。レアは知っているか?」
「……私も初めて聞きました」
この世界の言葉じゃないし、知らないのも仕方ない。
「ま、それはともかく、暇が出来たらちゃんと練習するさ」
「なら、私自ら稽古をつけてやろう」
リッカが不敵に笑う。きっとめちゃくちゃ厳しいんだろうなあ。
「お手柔らかに頼むよ……」
「任せろ」
まあ体を動かす程度なら、悪くないだろう。ただまあ僕は知っているのだ。
この世界でも近い将来には……剣が廃れていくことを。
「しかし、馬車の旅というのは退屈だな。ヴォルクに乗れば二日で済む距離なのに」
ゆっくりと通り過ぎる外の景色を見て、リッカがため息をつく。
「君達の行軍の速さは素晴らしいけど、それに僕達がついていけないよ。荷物もあるし」
「荷物か……ヴォルクはあらゆる面で馬より優秀だとは思っているが、唯一、あまり重いものは運べないという欠点があるからな」
流石はヴォルクを使いこなす一族だけあってよく分かっている。ヴォルクは確かに優秀だけども、人以上の重いものを載せたり引いたりするのは苦手なのだ。
「こういうのんびりした時間も悪くないさ。ヴァーゼアル領に着いたらやることが沢山あるからね。それにもう領内には入っている。あと少しの辛抱だよ」
「のんびりした時間……ね。それがつまらん。我々
「その心は?」
「我々と同盟を結ばなかった場合のエリオン王国の未来だよ」
「なるほど……言い得て妙だ」
平和ボケ、と言ってもいいかもしれない。平和にかまけて色んな部分が疎かになった結果――民が死ぬ。民が死ねば国も死ぬ。
「心配しなくても、平和にかまけるつもりはないさ」
「分かっている。ただ愚痴を言っただけだ」
リッカがそう言って、プイッと顔を逸らす。
あの祝賀会で出会ってから、今日に至るまでそれなりに彼女と接する機会はあったが、なんとか愚痴を言ってくれるレベルまでは親しくなれたようだ。
当たり前だけども、結婚して同じ城で暮らすからと言って、四六時中一緒にいるわけじゃないし、むしろ会っていない時間の方が多い。
寝る部屋も別なので、少しホッとした部分と残念な気持ちがなかったとは言わないけども。
まあいずれにせよリッカとは同盟がある以上、仲良くやっていくしかないのだ。
彼女は男みたいに喋るし、とても貴族的とは言えない言動ばかりだ、だが幸いにも性格も頭も決して悪くない。さらに外見はもっと悪くないので、僕としては喜ぶべきところだろう。
なんて考えていると、窓から顔を出していたレアが口を開いた。
「あれ、なんか前が騒がしいですね」
「ん?」
レアはそう言うけど、周囲の兵達が警戒しているわけでもない。
しかし、リッカの行動は早かった。
「ちょっと見てくる!」
「え? あ、ちょっと待っ――」
彼女は僕の制止も聞かず馬車の扉を開き、まるでそうなることが分かっていたかのようにすぐ外で待機していたラセツの背へとひらりと乗り移る。
そのまま俊足で前へと走っていく彼女の背を見て、僕はため息をつくしかない。
護衛対象が行ってどうするんだよ……。
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