第17話 虹色の蝶


 空が薄暗くなりかけた黄昏時。


 自宅から五キロほど離れた高台にある古びた日本家屋の——開けっぱなしの数奇屋門すきやもんをくぐった佐渡賜さわたり たもるは、さらに屋敷の引き戸をガラガラと開く。


 すると、三和土たたきの向こう側から屋敷の主人が賜を出迎えた。


「こんばんは」


 機械的な笑みを浮かべる賜に、平安装束の——狩衣かりぎぬまとった青年は扇子で扇ぎながら口を開く。


「おお、久しいな……賜」

「長老はお変わりないようで」

「お前は少しだけ変わったか?」

「変わったのは髪型くらいです」

「まあ、元気そうで何よりだ」

「よければ、久しぶりに一杯やりませんか?」

「ああ、それは良いな」



 

 カウンターのみの、小ぢんまりとした居酒屋にやってきた賜と長老は、さっそく並んで酒を酌み交わした。


「アキ殿はすっかり綺麗になったな」


 二杯目ですでにほろ酔いの長老がそう告げると、賜はかぶりを振る。


「まだまだ子供ですよ」

「もう二、三年もすれば、大人になる」

「そうですね……成長してくれると良いですが」

「それは、中身の話か? それとも——」

「どちらもです。それより、一つお聞きしたいことが」


 それまでと打って変わり真面目に訊ねる賜に、長老は目を丸くする。


「なんだ?」

「呪術人形に対抗する方法を教えてください」

「人形に? どうしてだ?」

「どうしても欲しいものがあって……でも人形が邪魔をするんです」

「呪術人形か……札を剥がせば良い話だ」

「数がある分、キリがないんですよ」

「欲しいものというのは……あれか? 御剣家みつるぎけにある槍のことか?」

「……ええ」

「窃盗はいかんなぁ」

「窃盗じゃありません。返してもらうだけです。もともとは、俺の所有物ですから」

「で、その槍を何に使うつもりだ? 甚外じんとを追い払うためか?」

「他人に危害を加えるつもりはありません」

「だがまさか、お前が素直に甚外じんとと暮らすとは思わなかった。同情か? それとも同族意識か?」


 長老が悪い笑みを浮かべて言うと、賜はやれやれとため息を吐く。


「いきなりなんですか……そんなんじゃありませんよ」

「お前はすぐ犬猫を拾うからなぁ」

「……すみません、マッコリのおかわりください」

「そんなに呑んで大丈夫なのか? 南が心配するぞ」

「大丈夫ですよ。あの子はできた子なので」

「南をいつまで子供扱いする気だ」

「俺からすれば、まだまだ子供ですから」

「家族ごっこも、いつまで出来るものやら」

「ごっこじゃありません。家族です」

「甚外もか?」

「ええ、俺が懐に入れた以上、甚外くんも家族ですよ」




***




「こんにちは!」


 土曜日の朝。


 私、アキは再び御剣みつるぎのお爺ちゃんのところにやってきていた。


 すると、裏庭で洗濯物を干していたナディアさんが驚いたような、嬉しそうな顔をする。

 

「おや、アキちゃん。今日も来たのかい?」

「メイさんが見つかるまで、頑張ります! ……それと、昨日は聞くのを忘れてたんですが……メイさんって、いなくなる直前に何をしていたか覚えてますか?」


 訊ねると、ナディアさんは真剣な顔で考えるそぶりを見せる。


「いなくなる直前…そうだね、いつも通り買い物から帰ってきたと思ったらいなくなっていたんだよ」

「買い物から帰った直後?」

「そうそう、スマホにメッセージを残してね」

「メッセージ?」

「ああ、大した話じゃないよ。厨房に蝶がいるってね」

「蝶が?」

「それであたしも厨房に向かったけど、メイはもういなくなっていたんだよ」

「……厨房を見せてもらうことって出来ますか?」

「ああ、かまわないさ。シェフたちはまだ来ていないようだから、あたしが鍵をあけてあげよう」

「厨房って鍵がかかってるんですか?」

「旦那様が用心していてね」

「お爺さんって本当に用心深いですね」

「まあ、仕方ないんだけどね」




「——さあ、開けたよ」


 さっそくお屋敷の一階にある厨房に移動すると、ナディアさんが鍵を開けて中を見せてくれた。


「すごい! 厨房っていうか、お店みたい」


 学校の家庭科室を思い出すその広さに、度肝を抜かれていると——ナディアさんはおかしそうに笑った。


「旦那様の趣味だよ」

「それで、メイさんが最後に言った蝶ってどんな蝶ですか?」

「メイは七色だと言っていたけれど……私が厨房を見た時には、そんな珍しい蝶なんていなかったよ」

「へぇ……そうなんですか」

「アキ、気をつけて」


 今までずっと静かにくっついていたジンくんが、突然そんなことを言うので、私は目を丸くする。


「どうしたの? ジンくん」

「なんだか嫌な感じがするから」

「そっか。わかった」


 ジンくんは人間じゃないというだけあって、敏感なようだし。


 気をつけるに越したことはないよね。


 そんなことを思っていた矢先だった。


「七色の蝶なんてどこにもいな……ん?」

「アキ……どうしたの?」


 すぐ側のシンクに、キラキラした何かが浮遊しているのを見かけた。


「もしかして蝶って、これのことかな?」

「ほんとだ、蝶がいる」


 虹色の淡い蝶は、目の前をふわふわと通り過ぎていく。


 けど、ナディアさんには見えていないようで、


「え? どこだい?」

「ほら、そこに」

「何もないじゃないか。驚かさないでおくれよ」


 私やジンくんをちょっと怖いものを見る目で見ていた。


「でも、そこにいるのに……」

「アキ、もしかしたらこれ……あやかしの類かもしれない」

「あやかし? 何それ。でもこの蝶、綺麗だよね」

「アキ、それに触っちゃダメだよ」

「え?」


 ジンくんに言われた頃にはすでに遅くて、気づくと私は誘われるようにしてその蝶に触れていた。


 すると突然、部屋が光に包まれて——。


「なんだい、この光は」

「アキ!」


 目の前が真っ白になったかと思えば——次に目を開いた時、私はどこかの真っ暗な牢屋にいた。


「ここは……どこ? ジンくん? ナディアさん?」 


 周囲の様子が変わったことに狼狽えていると、そんな時だった。


「あなた……アキさん?」


 牢屋の暗がりから現れた女の人。


 ナディアさんそっくりな人がいると思えば——いなくなったメイさんだった。


「め、メイさん!? 本物?」

「……ええ」

「やった! 推し活資金ゲット!」


 意外と簡単に見つかってよかった。


 これで存分に推し活ができるかと思うと、よだれが止まらなかった。


 待ってて泰弦くん!

 

 そんな私の悪い顔を見たメイさんが若干ひきながらも、恐る恐る訊ねてくる。


「あ、アキさん、どうしてここに……」

「良かった、こんなに早く見つけられるとは思わなかった。で、これはいったいどういう状況ですか?」

「アキさんも捕まったんですか?」

「捕まった? どういうことですか? 私さっきまでお爺ちゃんのお屋敷の厨房にいたはずだけど……」

「私もそうです。それが突然、ここへ……あの蝶はなんだったのでしょう」

「え? もしかしてあの蝶って……」


 私とメイさんが蝶について話していると——そんな時だった。

 

 どこからともなく、しわがれた老人の声が聞こえてくる。


「罠にハマったのは誰だい」


 牢屋の端っこにある、鉄格子の向こう側に現れたのは、背筋がピンと伸びたお上品そうなお婆ちゃんだった。


 どことなく依頼主のお爺ちゃんに雰囲気が似ているけど、お婆ちゃんの方が厳しそうな顔をしていた。


「……誰ですか?」


 訊ねると、お婆ちゃんは甲高い声で笑った。


「あらあら、予想外のお客様もいるようだね」

「お婆ちゃん……誰?」

「お婆ちゃんじゃないよ。これからは私がご主人様だ。口の利き方には気をつけたほうがいい」

「ご主人様って……なんのことですか?」

「あんたたちにはこれから私の屋敷で働いてもらうよ」

「ええ!?」




***




 アキがどこかの牢屋に移動した直後。


 厨房に残された甚外じんととナディアは、いなくなったアキの身を案じていた。 


「アキちゃん、どこに行ったんだろうね」

「蝶に触れたから?」

「旦那様に知らせないと」

「待って」


 慌てて主人に伝えようとするナディアだったが、それを甚外が手で制した。


「どうしたんだい?」

「俺が助けに行ってくるから、お爺ちゃんには報せなくていいよ」

「助けに?」

「うん。これから俺もアキのところに行ってくるから、ナディアはいつも通り働いて大丈夫だよ」

「本当に大丈夫なのかい?」

「うん。だから、ナディアは待ってて」

「……わかったよ」


 そう言って甚外は近くに飛んでいた虹色の蝶に触れる。


 すると、再び辺りが白い光に包まれて——甚外は忽然と姿を消したのだった。




***




「ちょっとお婆ちゃん! なんで私たちがここで働かなきゃいけないの?」


 私、アキが牢屋の鉄格子を掴んで怒りの声を上げると、お婆さんは動物園にでもいるような気軽さで笑った。


「うちは人材不足でね……力の強い子を集めるために、しゅをかけた蝶をバラまいておいたんだよ」

「しゅ? 蝶を? どういうこと?」


 私がお婆ちゃんの言葉を疑問に思う中——どこからともなく少年の声が聞こえる。


「つまり、あの蝶は力のある人にしか見えないってこと?」

「そうさ……って、あんたみたいな子供までやってきたのかい」


 気づくと、ジンくんがそこにいた。


 そしていつものように落ち着き払った顔をして、私を見上げていた。


「ジンくん!?」

「アキ、大丈夫?」

「私は大丈夫。それよりメイさん見つけたよ!」

「ほんとだ」


 いきなり現れたジンくんに驚いたまま固まっているメイさん。


 その傍ら、私は拳を高く上げて吠える。


「これで私の推し活は安泰だよ。待ってて、泰弦くん!」

「アキ……推し活の前に脱出だよ」


 その私を見るジンくんの目は冷ややかなものだった。






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