第三話 二度目の目覚め
仄かに暖かい空気と肌をさする風。
体全体をふんわりと包み込む布の感触。
どれもがとても懐かしいような気がして、
規則正しい呼吸が、空間に漂う僅かな薬品の匂いを深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
無意識に体を浮かせて寝返りをうち、小さく喉を鳴らす俺に、透き通るような声が掛けられた。
「あっ、もしかして起き……!? ちょ、ちょっと待ってください。えっと、えーと……」
ごそごそ、と。慌てた様子で荷物を探り始めた優しげな声音が、するりと耳朶に滑り込んでくる。
その高い声質と、薄く開いた視界に見覚えのある長髪が泳いだことから、声の主が女性であると分かった途端、頭の中で何かが弾けた。
煙に包まれた記憶が鮮明になっていく感覚。
爽快感と共に、自分が一体どんな状況になっていたかを思い出す。
確か……、
・起きたら森。しかも遭難してる。空腹で倒れそう。
・歩いてたら美人キターーーッ!
・黒斗を大きな樹木にシュゥートッ!!
という感じだ。だいたい合ってる。
さらに現在の状況を察すると、
・たぶん寝具の上で寝てる。
・何故か首の痛みが無い。
・薬品の匂い渦巻く謎の室内にいる。
という感じだ。これは訳が分からない。色々と必要な過程を飛び越えている気がする。
「はっ!?」
自身の置かれていた状況をうとうとしながら分析し、今更過ぎる自問自答で一気に目が覚めた。
驚きと戸惑いを込めて跳び起きる。
寝起きでもすぐ分かるほど、視界に木と蔦と草ばかりだった森の面影はどこにもない。
清潔感溢れる、白を基調とした椅子や机が置かれている一室へと変貌していた。
見上げた天井は見た事も無い結晶が浮遊しており、室内を照らす淡い燐光を放出している。
視界の右端。木枠の窓の外が真っ暗であることから、随分と時間が経ってしまったようだ。
あれから何があった? 俺は緑の絨毯の上で気を失っていたはずだ。
なのに、今は真っ白なシーツが敷かれたベッドの上。
「……」
…………ちょっと落ち着こう、頭が痛くなってきた。
以上の観察結果から推測すれば、ここは学校の保健室や病院の個室をイメージさせる場所だと思った。
道理で安心感があるわけだ。まあ、安心できるといっても、ほんの数秒ほどで消えてしまったが。
なぜかというと、ここがどこか分からないからだ。
“森で気絶したはずなのに、目覚めたら見知らぬ部屋に寝かされていた”など、下手な言い訳よりも説得力がない。
こうも簡単に環境や事態が変わるのも考えものである。
俺の低スペック脳みそじゃ、現状分析だけで精一杯だ。
(おおおおちけつんだ俺⁉︎ 平静に、そう、心を静めて……そうだ、円周率を数えよう。そうすれば巡り巡って明鏡止水の境地に達する事が出来るかもしれない。円周率なんて覚えてないけどな! ……し、しし仕方ない。掛け算だ、掛け算をしよう!)
パニックにならないために心を落ち着かせ、頭を冷やすために円周率ではなく、二桁の奇数と偶数の掛け算を数え出そうとしたところで、
「あの……」
控えめな、しかし確かに聞き取れた声に首を動かす。
「身体の具合はいかがですか?」
「あなたは……いや、あなたが天使か」
「へっ……?」
そこにいたのは俺が森で遭遇したあの美女本人であり、その冷然な麗しい容姿と首を傾げて微笑を浮かべる声のかけ方のギャップが、とても心にキュンとくる天使だった。
その姿は頭にフードのような帽子をかぶり、手入れの行き届いた学校の制服にも似た衣服で身を包んでいる。
急いでかぶったからか微妙にずれた帽子。
そこから滑り出ている翡翠の髪が、衣服を歪めて山をつくり、存在感を発している胸部を彩っていた。
麗しい容姿とこちらを気遣うように見つめる瞳に、頼り甲斐のある近所の優しいお姉さんという印象が感じ取れる。
だが人の話を全く聞かず、思い止まったが止める事ができなかったストレートな感想を述べた俺に、頬を赤らめながら、女性にしては長身な体を仰け反らせる仕草を見せた。
そのせいで揺れる双丘に目が奪われてしまって男の子的には目に毒なんで物理的に押さえてもらえると非常に助かるのですが眼福なので良しとしよう。
「え、えっと、その……」
美女は両手を胸の前で組み、困ったように顔を背ける。
そのせいで不自然に造形を変える胸に視線が釘付けになったが、なんとか途中で顔に向けることに成功した。
「あ、すいません。身体の方は大丈夫です、はい」
焦った素振りであるが本来の問いかけに答える。
名も知らぬ美女はそれだけ聞くとぱぁっと明るい笑顔になった。ふ、ふつくしい……。
「ああ、よかった……。運び込んだ時は首が怪しい方向に曲がっていたものですから」
「おっと? よく生きてたな俺」
頑丈な体でよかった。
産んでくれた母さん、ありがとう。
「一応、魔法と薬草で治療したので痛みは残っていないと思います」
そう言われて首を触ると包帯が巻かれており、どうやらそれに薬草が塗られているらしい。
どうやらあの消毒液のような匂いはこの薬草から漂っているみたいだ。
ひんやりとしているから、湿布的な医薬品ポジションという事だろう。
それよりも魔法って言った? 魔法って言ったよね? 心踊るよね?
なのに俺はもしかして初めて魔法を受けたという瞬間を見逃してしまったのではないか?
……あっ、イレーネのあれも魔法か。
じゃあ二度目に受けた魔法は見れなかったというわけだ。
ちょっと残念。というか、
「運び込んだ? あなたが?」
「はい」
それよりショックを受けたのがこの美女の発言。
自慢じゃないが、俺の体重は一般から見ると結構ある方だと思う。
見た目から察するに、彼女は華奢な体つきをしている。
とても俺を担いで運ぶという行動が出来そうな人には見えない。
なのに彼女は結構自信満々に、俺を運んだと言っているのだ。
こうして俺がこの部屋に寝かされていたという現状を見る限り、彼女の言葉を信じるしかないのだが……なんというかこう、複雑な気持ちになる。
「えっと……少し、お話を伺ってもいいですか?」
額を押さえて落ち込んでいる俺に美女が……、もう女神でいいや。
女神が前のめりになって顔を近づけてくるけど胸が強調されているのでそこに視線がいっちゃうから少し離れてほしくありません。
「なんです?」
うん、クールになろう。少し落ち着け。
いくら好みの女性の前だとしても紳士で
そんな事は許容できない。人として、男として。
ましてや目の前の女神はあの意地悪な転送をしてくれた女神とは違う。
この女神は長い背丈に豊かな胸、そして綺麗と可愛らしいを持ち合わせた笑顔が素敵な『超絶崇拝されるべき美人No. 1』だと俺は個人的に思っている。
異論は認めない。
イレーネは、まあ、短い背丈に貧相な胸、子供っぽくて無邪気な笑顔が似合う『俺の妹にするならこんな女の子No. 1』だと俺は思っている。
異論は……察せ。
とにかく、今は恋愛ゲームのごとく選択肢を選ぶ場面だ。
集中しなければなるまい。不機嫌にさせないように、好感度上げるためのナイスな言動をするために。
だから俺は堂々と、女神を正面に見据えた。
「私を見て、どうも思わないんですか?」
胸に右手を当てて首を傾げ、少し声を大きくして、意を決したようにそう聞いてきた。
……おかしな事を聞く人だな。
思う思わないって、俺から言わせてもらえばあなたがとても魅力的な女性であるとしか思えない。
口には出さないけどな!
「いや、特に何も」
「でも、見たでしょう? その、私の……」
えっ、待って。俺が結構苦労して言葉を探して、平然を
なに? よく同人誌とかである『寝てる間なんかしちゃった』みたいな展開なの?
そうだとしたら恥ずかしさと後ろめたさと
「私の、耳を……」
ずれた帽子を掴んで定位置に戻しながら、美女は俯うつむいてそう言った。
耳……あぁ、はいはい。 あのエルフ耳ね。
別に俺のテンションが有頂天に達したってこと以外は本当に何も思ってないけど、なんか言った方がいいのかな……?
とりあえずベッドに乗り出してこっちの上半身に近づいてくるのはやめてください。
髪の毛から漂う甘い香りと、絶妙な角度から見える目じりに大粒の涙を溜めているあなたに萌えそうです。
いかん、この状況どうにかせねば。当たり
「初めて見たのでなんとも言えないですよ」
「初めて……?」
か細く呟き、小ぶりな唇をぽかんと開けたと思ったら、何故か再び口を
しかも自然な流れで眉間に小さなしわをつくりながらとか、なんかもう、もうっ!
「えっ、と……?」
「……」
やめてー! これ以上近づかれると
どどどどうしよう? 擬音で表すと「じーっ……」とか聞こえてきそうなくらいご機嫌斜めみたいな表情なんですが!?
い、一体俺が何をしたというのです? ここ、こんなの思春期の男子には拷問ですよ!?
ま、まさか、選択肢を間違ったというのか……。安全な選択肢を選んだのがそんなにダメだったのか。
しかも事あるごとにその綺麗な瞳に見つめられると心を見透かされてそうで恐いし、もし見られてたとしたら恥ずかしいってレベルじゃない。
黒歴史不可避だ。おヒゲの機動戦士とそのお兄さんが張り切ってしまう。
それと若干密着してるから柔らかいのが当たってる。当ててんのよ! じゃなくて、当たっちゃってるのよ! になってるから。
「……本当、ですか?」
「は、はい」
ここで
上目遣いからの泣き出しそうに震えた弱々しい声。
怖がっているようにも聞こえるその声に、どうしようもなく保護欲を駆り立てられたからだ。
ああ、もう……、あざとい。そしてさりげない。
こんなの耐えられん……!
くっ、だがここで己を支配しないと、彼女の好感度が下がってしまう可能性がある……っ。
し、静まれ頭を撫でようとする俺の右腕ぇ……!
というかさ、こんなの見せられて自分の理性に
俺のそんな心の声が聞こえたのか、ようやく女神はベッドから離れてくれた。
心なしかその顔は安堵に満ちている。
無謀な行動を阻止した俺に拍手を贈りたい。首の皮が一枚つながるとはこういう事なんだろう。
危なかった……。
「そうでしたか……。すいません、急に問い詰めるような事を……」
「大丈夫ですよ。なんか俺の方に原因があったみたいですし」
平常心を取り戻した女神天使は申し訳なさそうに頭を下げた。
丁寧に背骨を九十度曲げ、されど真っ直ぐ垂直に伸ばした完璧なお辞儀だ。
今まで類を見ないほど計算された綺麗な姿勢。
失礼な行動をしたと認め、
俺はその姿勢を崩さない女神天使を気遣いながら、冷静さを取り戻した内心で深く息を吐く。
どうやら危機は去ったようだ。俺の理性的な意味での危機が。
「いえ、そういうわけではなくてですね……」
ピリリリッ……ピリリリッ……。
女神天使が取り
彼女は急に表情を改めると、こちらに一言入れてからから背を向けて、装置を操作し始める。
背を向けているので何をしているのかわからないが、ちょうどいい。
少し情報を整理しよう。
(まず一つ目、“俺はなぜ、彼女の言葉が理解できる?”)
そもそもこうして会話が成り立つ時点でおかしいとは思っていたが、彼女に対応するためにひとまず頭の片隅に置いておいた疑問だ。
異世界と言うからには日本語が共通語というわけではないだろう。
こちらの世界にある言語がどういうものかは分からないが、少なくとも青色たぬきにこんにゃくをもらった記憶は無い。
したがってこの疑問が生まれたのだが、これに関しては二つほど心当たりがある。
一つはイレーネが俺に特別な処置を施ほどこした可能性。
転送時のあの魔法の一部分にそういう能力が備わっていたか、その前の会話で俺に気づかれないようにそうしていたか。
どちらもありえそうではあるが、俺は次の可能性が有力だと思う。
それは俺の中にある世界の因子によって、言語能力が書き換えられた可能性だ。
あの魔法に転送のためだけの力しか備わってなかったとしたら、あとはこれしか考えられない。
イレーネは俺のことを『この世界の因子を取り込んだ人間』と言っていた。
もしかしたら俺の年齢を基準とした言語能力に、世界の概念とやらが自動的に合わせてくれたのかもしれない。
ご都合主義と言われたら
というより、そうでなかったら今ごろ俺は
一つ目の推測はこれでいい。次だ。
(二つ目、“あの異常な森について”)
あの森は素人目に見てもおかしな部分が多かった。
動物も虫も見当たらず、断面に透明な粘着物が付着した倒木がいくつかあった場所が点在していただけ。
人の立ち入った形跡もなく、俺の知らない何かが存在していたかも分からない。
体の芯まで震え上がらせるようなあの殺気の正体も、現状では説明不明。
これだけ挙げれば異常と言っても過言ではないだろう。
さらに言えば、俺があの森で倒れていたのも理由が不明だ。
何かの干渉によって本来の転送地点に行けなかったか、もしくは本当にイレーネの手違いであそこに寝かされたか。
どれだけ段階を踏んだ考えがあったとしてもやはり推測の域を出ない。判断材料が少なすぎる。
そして最後。
(三つ目、“ここ、どこ?”)
普通に考えれば、俺が目指していた巨壁の内側にあると思われる医療施設だと思うんだが……、それ以外さっぱり分からない。以上。
(ふぅ……)
長い時間、ツッコミとボケを一人で繰り返したような疲れが頭痛として響いてきた。
まずい。半分が優しさで出来ている薬を飲むか、それとも女神天使を見て気分を穏やかにしないとまた倒れてしまいそうだ。
前者はこの世界にあるか分からないから、必然的に後者を選ぶ事になるのだが。
壁に背中を預けて、横目で彼女を見る。
「はい……、彼は目を覚ましました。……外傷は完治していて、会話もできます」
液晶画面に顔を近づけて誰かと話しているようだ。
俺は視線がぶつかり合わないように辺りを見回すフリをしながら、会話の内容をきちんと把握する。
盗み聞きは趣味ではないが、漏れ聞こえてしまったものはしょうがないだろう。
「外見的特徴を考慮すれば、
アマテラス? わんこ?
何を話してるかも相手が誰かも分からないが、俺が聞いたところで警戒するようなことでもないか。
「……え? 直接こちらに、ですか? ……分かりました。では、これで」
前言撤回、警戒させていただく。
話の流れ的に考えて、ここに誰かが来る。
しかし、もし森の件とやらについて問い詰められたとしても、話せる事は少ないから役に立つとは思えない。
それに、俺は人間観察とトレーニングとゲームが趣味のただの一般人だ。
勝手にあらぬ疑いをかけられるというのは気持ちのいい話ではない。
……だとしたら正直に話したほうが身のためだろうか。
そんなことを考えていると、女神天使は最後に一言二言話した後、画面から目を離し、こちらに向き直った。
「すいません……急ですが、学園長があなたに面会したい、と」
「学園長……?」
先ほどの会話相手が、学園長ということなんだろう。
それは別になんとも思わないが、今の時間帯で会いに来るのか?
ますます警戒心が強まるんだが、どういうことなの?
ここって学園なの? もう分からないことだらけで処理が追いつかない。
誰でもいいから助けてぇ!
「よっと」
脳内処理の遅延が始まりかけた時、窓の方から気軽な声が聞こえた。
反射的に俺は顔を向けた先で、その姿を視認する。
窓枠に足を掛けた状態で室内を確認する、小柄とも大柄とも言えない体躯。
窓の外からするりと侵入してきた人物は、短く切り揃えられた桃色の髪を弾ませ、俺を視界内に捉えたかと思うと近づいてくる。
さっきの声と体格から女性であると判断した俺は、この人が学園長だと考えて、なるべく冷静でいることにした。
俺が女神天使の胸を見慣れてしまったからだろうが、桃髪の女性の胸はあの胸に比べたら小さく、強いて言えば平均的であると言える。
彼女はベッドの横に移動すると、睨んでいるともとれる細目で俺を値踏みするかのごとく見つめてきた。
その奥の真意を計り知ることはできないが、
「へぇ……」
「!?」
その瞬間。
俺は目の前の人物に対して思っていた、この人も美人だなぁという
人が出せるとは考えられないほどの威圧が、いつの間にか一つ一つの動作に含まれている。
恐れを抱くのと同時に、身構えてしまう。
黒いスーツに身を包む人間離れした容姿がそれに拍車をかけている。
俺に向けられる表情に含まれた圧倒的恐怖は、長年生きてきた者にしか生み出せない凄みを持っていた。
人の持つ本能的な恐怖を直接揺り起こし、俺のトラウマを思い出させる。
黒光りのGを撃退するための技を会得したあの時。
全身を毛虫で埋め尽くされた遠い昔のある日の事。
動物園のライオンに追いかけ回された生命の危機。
ありとあらゆる不利的状況の記憶が想起され、全身の震えが止まらなくなる。
穏やかな笑顔のはずなのに、薄く延ばされた口角から覗き込んでくる犬歯が不穏な輝きを発していて、心臓が跳ねた気がした。
伸ばされた両手を拒むこともできず、声を発することもできず、接触を許してしまう。
頬に色素の薄い手が迫り──ギュムッ。
「むふふ〜」
「──みょ?」
一変して意地悪で楽しそうな笑みを浮かべた女性は俺の頬を掴んだ。なぜゆえ?
女性にしてはかなり冷たい手が上へ下へ右へ左へ動くたび、情けない奇声をあげてしまう。
というかなんで急にこんなことされてるの? シリアスが音を立てて崩れ落ちたぞ。
あれか、この世界の挨拶の一種なのか。
だとしても突然すぎるわ。
「な、何やってるんですか学園長!? というより窓から入ってこないでください!」
「いいじゃない、こっちの方が近道だし。それにこれはただのスキンシップよ。あなたもやらない? 意外と柔らかいわよ」
「い、いや、私は遠慮します……」
スキンシップでこんなことされたら俺の正気度ごりごり減るわ。いや、現在進行形で減ってる。
話し方的にもなんか気さくな人っぽいけど、なんで俺はこんな目に遭ってるんだ?
しかも学園長ともあろうお方に。
微笑みを崩さないから本当に揉みたいだけなのかもしれないが、だとしても初期好感度が高いと思う。
うーん……とりあえず、頬を揉まないでいただけるとありがたいんですが、そのあたりどうお考えでしょう?
「そんなこと言って〜、本当は触りたいんでしょ?」
「ですから……!」
「気にすることないわ。彼だって満更でもないようだし」
無視ですか、そうですか。
確かに満更でもないけど気にするわ。
「それと、もう勤務外時間だからそんな
「き、勤務時間外だからといって、気を抜いている訳にはいかないので……」
「硬いわねぇ……。そんなんだからいつまで経ってもヘタレなんでしょ〜?」
「……うぅ」
やっぱこのままでいいです、この二人の絡みがとてもニヤニヤできる。
やっぱり美女は最高だぜ!
「ほらほら」
「……」
「まったく……少しは慣れときなさいよ」
「……っ」
あの、女神天使略してメガテンがもう泣きそうになってるんですけど。
どうしたらいいの? 俺はこのまま弄られてればいいの?
学園長の言葉に声を詰まらせてるだけで場が一向に進展しねぇ。
仕方ない。ここは俺が一発、気の利いた発言をすればいい。
俺は左手でメガテンを手招きし、近づいてきた彼女にこう告げる。
「?」
「……ふぉろーみー」
「……?」
ちくしょう掴まれてるせいでちゃんと発音できなかった! だが、これで意図は伝わったはずだ。
メガテンは顔を赤くしながらもじもじと指を絡ませ、数秒間目をつむると、飛びつくように頬を握ってきた。
ちなみに学園長は彼女の行動を察したのか、いつの間にか俺から離れて傍観している。
というかメガテンさん、結構大胆ね。その動きでも激しく揺れてるから目が行っちゃうよ。
何にとは言わないけど。
「わぁ……」
「みぇみぇ」
学園長とは違い、暖かい手の温もりが肌を通して伝わってくる。
赤らめた笑顔が眩しくて目を開けられない。
さっきよりも遠い位置のはずなのにこっちも恥ずかしくなってきた。
「ふふっ……あなたのそんな顔、久しぶりに見たかも」
「っ!?」
しばらくの間ずっと揉んでいたメガテンは学園長の言葉にハッと我に返り、俺の頬から手を離した。
むぅ、名残惜しい。
若干赤くなった頬をさすっていると、メガテンが両手を握り締めて深呼吸していた。
祈るように深呼吸してるから胸が、胸が……。
「まぁあれは放っておいて……少し、いいかしら?」
「?」
メガテンの胸を羨ましそうに見ていた学園長が自分の胸板を確認してから、堂々と胸を凝視していた俺に声をかけた。
俺は何を聞かれるんだろうと思い、居ずまいを正す。
もちろん視線は学園長に向けている。じゃないと失礼だからね。
二人の間に静寂が訪れる。
目と目が合い、規則正しい呼吸だけが間合いを飛び交う。
そして、
「もう一回触らせてくれない?」
「さっさと用件を言ってくれよ」
両手をわきわきさせる学園長に、俺は速攻でツッコミを入れた。
「で、何か申し開きはありますか?」
「正直悪かったと思ってるわ。ごめん」
「ごめんで済んだら自警団はいらないんですよ!」
「じゃあどうしろって言うのよ!?」
「この人にさっきのことを謝ってください! 私も謝るので!」
「えー……、素直にごめんなさい」
「いや、大丈夫だけど」
「……えっと、私もすみませんでした。便乗してしまって」
「あなたなら許せる」
「え?」
頭を下げる二人に俺は頭を掻きながらそう言った。
今もそうだが、彼女らはいったい何がしたかったのだろうか。
学園長は確か話をしたくて会いに来たと言っていたはずなのだが、どうして俺の頬を揉みしだき、今はこうして萎縮しているのだろう。
正直な話、こうして美女二人と同じ空間にいるだけで、俺の心理的ストレスが大変なことになっている。
そろそろ吐血しても不思議じゃないくらいだ。
というかね? そろそろ知っておかなければいけない事があるんですよ。
「なぁ、今更だが自己紹介しないか? 名前を知っておいた方がいいだろうし」
「「あっ」」
おい、明らかに俺より年上だろあなた達は。
どうしてそんな初歩的な事に気づかなかった。
「そうね……じゃあ、私からかしら」
少しも悪びれる様子もなく、学園長はそう言うと一歩前に出る。
「私はアーミラ・フレン。この学園の頂点に君臨してる一番偉い人よ。気軽にフレンって呼んでちょうだい」
「はい。次の方、どうぞ」
「ちょっ、冷たくない? ツッコミとかないの?」
自分の行動を振り返ってみてください。
普通に堂々と答えてくれたけど、あなたの行動でだいぶ時間が潰れてるんですよ、いきなり俺のほっぺたを弄るから。
それに俺は悪意が三割、好奇心が七割くらいの気持ちで聞いてる。
これが悪意が一割、好奇心が七割、奇策が二割くらいにならないと鋭いツッコミとかは入れません。
距離の測り具合を見ない限りはね。
それにしても、やはりここは学園なのか。
あながち保健室というのも間違いではなかったらしい。
「えっと、私はミィナ・シルフィリア。この学園の保険医兼教師を務めています」
「どうも。素晴らしい名前ですね」
「あ、ありがとう……?」
「ねぇ、シルフィと反応違いすぎない? ていうかこれただの面接じゃない?」
メガテンさん、じゃなかった。ミィナさんはあなたと違って良心的な癒しだからだよ。
あの目を見たまえ。まるで聖母のような後光が差している上に神々しささえ感じるではないか。
しかもどんな
そんなミィナさんに癒されないとか、そんな人がいたら俺が神に変わってお仕置きを下してやろう。
的確かつ勝手に脳内妄想でツッコミを入れていると、二人の視線が突き刺さってきた。
……ん? ああ、俺の番か。どうしよう。
ネタに走ろうかな?
でも最初にコケるのはきつい。
しかも最初からボケをかますほどの勇気は持っていない。
仕方ない。幻の選択肢、普通に自己紹介でいこう。
「俺は……あー、アカツキ・クロト。なぜかは覚えてないけど、森で寝てた遭難者だ」
「もう少しマシな紹介はなかったの?」
「ない。というかそれ以上に話すことが無い」
名前のアクセント的にもこんな感じでいいんだよな? 俺は肩書きも持ってないから遭難者でいいはずだから、うん、これがベストだ。
自分の内心でうんうん頷いていると、俺の自己紹介にツッコミを入れた学園長がピクリと眉を動かした。
「アカツキ……? ……まさか、ね」
「?」
思わせぶりな発言、俺じゃなかったら見逃しちゃうね。TRPGだったら心理学振ってるね。
だが俺はあまり
それにあまり踏み込んだ発言をすると大変な事になるかもしれない。ソースは俺。
だから俺がここですべき仕事は、聞き上手として会話の流れを良くする事だ。
「ところで、聞きたい事があるんだろ? 何が聞きたいんだ?」
「ああ、そうだったわ。実は──」
俺が今までの流れをぶった斬り、会話を促す。
そうすると学園長は咳払いをして、話し始めた。
「二週間くらい前から、近辺の動物や森林への被害が
「どんな被害が?」
「草食から肉食まで大小問わずの野生動物がいなくなってたり、小さな害虫や木の実も無くなっている。挙げ句の果てには樹木が折られていたりとか、不自然なものが多い」
「もしかして、局地的に荒らされた部分があり、倒木があった場所などが怪しい……か?」
「ええ、そうよ。調査したところ、人為的なものであるという事だけが判明していて、他は綺麗さっぱりわからないわ」
「……」
なるほど。それで何か知ってるかもしれない俺へ聴取しに来たってわけか。
だったら話したほうが友好的な関係を結べるかもしれない。
「……俺が知っている事もあまり多くはないぞ」
「察しがいい子は好きよ。それにこちらとしては、手がかりになる事であればなんでもいいのよ」
情報の定義を狭めるんじゃなくて、敢えて広くする事で根っこから掘りかえすように探るつもりらしい。
さすがは学園長といったところだろう。
ふざけてるようでしっかりしてる。
これは余計な混乱を招くような話題は避けて、この人が欲しがっている重要な部分だけを伝えることにするべきだな。
「俺が言った倒木があった場所。立ち寄った時には何もいなかったが、つい最近被害にあったらしいな」
「それで?」
「とてもじゃないが、人がやったようには見えなかった。かなり太い幹を抉るように折るなんて、そんな事が出来る人間を俺は知らない。それに、木の断面に透明な粘着物が付着していたのが気になった」
「!」
俺が一通り話し終えると学園長は腕を組み、何かを考え始めた。
次はどう話を切り出そうかと悩んでいると、今度はミィナさんが問いかけてくる。
「ほ、他に何かありませんでしたか?」
「そう、だな……。不自然だと思ったのは、木の実とかが無くなってるにもかかわらず、野草が多く見られたって事かな」
「あとは? 些細な事でもいいんです。何かありませんでしたか?」
どこか言動の端に焦りが見え始めてきたミィナさんは、俺の言葉を聞くや否や詰め寄ってきた。
その様子は得体の知れない何かに追い詰められているような気迫さえ感じる。
俺にはミィナさんが何故そこまで必死なのかが分からなかった。
「シルフィ、少し席を外してもらえるかしら」
俺が対処に困っていると、学園長さんがミィナさんにそう言った。
「ですが……!」
「あなたの言い分も分かる。けど、ここは私に任せて」
「……わかりました」
渋々と了承したミィナさんは踵を返すと、そのまま扉を開けて出ていってしまう。
背中越しに見えた悔しがるような表情に、俺は動悸が早まるのを自覚した。
出ていった様子を確認した学園長は腕を解いて、ベッドの脇に備え付けられた椅子に座る。
「ごめんなさい。彼女はこの件に思うところがあってね。精神が不安定になっているのよ」
「……それは俺のせいもあるのか?」
「近からず遠からず、ね」
まじかよ。あんな絶世の美女に嫌われたら立ち直れなくなっちまうよ。
「で、彼女を退出させた理由はそれだけか?」
「あなたがお困りのようでしたので」
「気の利く美人だな」
「あら、お世辞かしら?」
「いや、本心だ」
「……」
思わず本音が漏れた。
父さん譲りのこの癖はどれだけ矯正しても直らないようだ。
流れるように言ってしまったが、引かれてないだろうか?
「えっと、つい本音が……」
「い、いや、問題ないわ」
本当に? 顔を背けてますけど、耳まで真っ赤になるくらい
「まったく……、学園長ともあろう私の調子を狂わせるなんてね」
「……まさか今まで言われた経験がなかった、とかじゃないよね?」
「いい言われたことくらい、あああるわよ!」
や、やっぱり怒ってるじゃないか……。
「もう……話が一向に進まないじゃない」
「逆に何を話そうとしてたんだ?」
俺がそう言うと彼女は膨らませた頬を緩め、クスッと笑い、自分の膝に手を置いて身を乗り出してくる。
「気になる?」
「気になる」
小悪魔のようにいじらしく笑う彼女は、糸のように細めた目で俺を見つめる。
さっきの恐怖がまだ抜けていない俺はしばらく目を合わせなかったが、ついに黒の瞳と紅火の瞳が交差した時、
「私ね、実は個人的だけど君に興味があるの」
彼女は心底楽しそうに微笑みを浮かべながら、ウィンクする。
裏側が怪しすぎるその微笑に、ぞくりと鳥肌がたった。
「君の話をシルフィから知らされた時、面白い子だな、って。それにシルフィと普通に接しているから、これは運命じゃないかって思えてね」
俺は無意識に息を止めていて、呆然としていた。
得意げに話す彼女は指を一本立てて、自らの唇に添える。
「薄々感づいてはいるでしょうけど、シルフィは男性恐怖症なのよ。あの子の種族の特性上、仕方ないといえば仕方ないんだけどね。彼女の耳、見たでしょう?」
「あ、ああ。普通の人のような耳ではなかったが……」
面白いだ運命だと急に言われて、しどろもどろになりながらも受け答えはしておく。
緩く巻かれた包帯が、強く首を絞めつけているような感覚に襲われ、何気ない動作で首もとに触れる。
「シルフィはエルフの中でも特に人との関わりを持った事がなくて、同性なら特に問題なく会話もできるし触れ合えるのよ。でも、異性相手だとある程度の距離がないと触れるのはおろか、会話すらままならなくなっちゃってね。仕事だと割り切ってるみたいだけど」
じゃなかったら保険医なんて務まらないしね、と彼女は付け加えた。
あの耳だからもしかしたらとは思っていたが、やはりミィナさんはエルフらしい。
「友人としてはもう少し積極的になって欲しいかな〜って思ってるんだけど、難しいみたいなのよ」
「ふむふむ」
「この先もずっとあの調子じゃ、いい男が寄ってきても結婚できない女になってしまう。それだけは避けてあげたい」
「ミィナさんへの熱い風評被害が……」
「そこで君に目をつけたってわけ。シルフィが遠慮なく話し合えて、さっきみたいに触れるくらいの君なら、いずれシルフィを完璧な対応がデキる女に仕立て上げられる! と思ってね?」
「……つまり?」
自分の思惑が当たって調子を取り戻してきた俺は、キラキラと期待の視線を向けてくる彼女に、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
彼女が話し始めたあたりから、その背後に不穏な気配が
だからこそ早く次の言葉を聞きたくもあり、頬を伝う汗に不安が混じり、直感にしたがって催促するように聞き返した。
「
上体を元に戻し、胸ポケットに指先を入れる。
カラカラに渇いたのどが気になり、唾液をごくりと飲み込む。
そこでちょうど、自然に、唐突に。
「──アカツキ・クロトくん。君、うちの学園に入学しない?」
名刺を差し出されると共に、勧誘を受けた。
嫌な汗が止まったのはいいが、やはり面倒事の匂いがする。
さっきから感じる不安の正体はこれだったのか。
「えっ、と……俺を納得させる理由あるか? あったら説明してほしい」
俺は名刺を受け取りながら、唐突な勧誘理由を聞く事にした。
「いいわよー。結構長いけど」
「じゃあ箇条書き三行で」
名刺に描かれた凛々しい表情と名前、そして国家共同型冒険者育成学園《ニルヴァーナ》と書かれた文面を読み、長いという単語を聞いた瞬間彼女の言葉を遮った。
彼女は面白くなさそうに首をカクンと落とし、しかしすぐに立ち直って、机にあった真っ白な紙に筆を走らせる。
彼女は考える素振りもなく説明を書いた紙──これまた見たことがない文字だが、問題なく読めるようになっている──を目の前に持ってきた。
・シルフィの恐怖症を克服させてほしいから。
・上記述のために大義名分が必要だから。
・私の退屈しのぎのための人材が欲しいから。
「これでいい?」
用紙をずらして顔を覗かせる彼女は、にこやかに笑う。
この人、目的のために手段を選ばない理由を本当に三行で説明しやがった。
「もしあなたが入学してくれるなら特待生という形で手続きを行い、シルフィのクラスに編入。そのあとは恐怖症を治すようにしてもらいながら楽しい学園生活を送ってもらうわ」
しかも補足説明まで入ってきた。
ツッコミどころ満載なのだが、気になる部分だけ聞いてしまおう。
「その、特待生ってのは?」
「特待と銘打ってはいるけど、それほどたいしたことはないわ。というより、普通の生徒よりも酷な待遇になる。一身上の都合や何か問題があった場合、または理由があって学費が払えない人のみ特例としてこの制度が課せられるのよ。特待生となった生徒は学費免除と実績のために地域住民や教師、そして私が定期的に出す依頼をこなさなければならない、ってね」
それは特別待遇じゃないだろ。
特別に良い待遇じゃなくて、特別に悪くなるからなんとか出来るように設けられた待遇だろ。
「ちなみにこの制度を導入した生徒は今までいない。つまり、もしあなたが入学するというなら、あなたが最初の一人となるわけね」
「……」
前例が無いなんて絶望すぎる。
楽しい学園生活のビジョンが見えない。
「安心しなさい。国家として存在しているニルヴァーナは全生徒の身分を確立し、不測の事態が起こった場合最大限の補助を行うわ。ただ、学費に関しては親切心でどうにかなるものではないから、さっきも言った通り依頼をやって実績を重ねないと退学になるから気を付けてね? 依頼に関しても必要な道具の準備が自己負担なのはもちろん、学費を免除するに見合った難易度の依頼が出されると思ってちょうだい」
「マジかよ……経費で済ませたりは?」
「信用も信頼もない相手の資金援助なんてするわけないでしょ」
異世界に来た一般人にはレベルが高すぎませんか。
「どう? 納得してくれた?」
「そんな絶望的な条件並べられて納得する方が無理あると思うんだが……、まぁ大体納得できた」
「物分りが良くて助かるわ。で、答えは」
「入学する」
「……即決ね?」
俺が入学についてすぐに決断したのが、彼女は意外な判断だと思ったらしい。
確かに早いとは思う。だが俺の状況を思い出してほしい。
無職。無一文。無住所。家無し。
俺にこれ以上何を無くせと言うんだ?
それだったら生き残れる可能性の高い選択肢を選ぶに決まってるだろ。
「
「そう……それじゃあ歓迎するわ、アカツキ・クロト」
彼女はそう言うと立ち上がり、手を差し伸べる。
俺は迷わずその手を握り返し、これから起きるだろう波乱の日常に思いを馳せた。
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