自称平凡少年の異世界学園生活

木島綾太

【始まりノ章】 出会いは唐突に

第一話 銀髪少女の世招き

 人生には様々な分岐点がある。



 その際に、人はそれぞれの選択を迫られる。



 何を為して何を失い、何を得るのか。



 物が重力によって落下する現象と同じ、自然の摂理である。



 ──だが。





「……うぅ」

「…………え?」





 銀髪の少女が道路の真ん中に倒れている、という光景を自然のものだと思うのは無理があった。













 春休みも終わり、晴れて高校二年生となった俺ことあかつき黒斗くろとは、大人気MMORPGである『ファンタジー・ハンター』をプレイしていた。

 今日は休日で、数少ない友達から遊びに誘われたり、アルバイトの予定が入っているわけでもない。

 なので一日ずっと家に引き篭もって、ゲーム三昧という夢のような時間を過ごしていた。

 こんな生活をしているが、決して引きこもりではない。


「ふぅ……」


 目線をノートパソコンから外して、顔をゴシゴシと揉む。

 放置されたノートパソコンの画面には、晴れ晴れとした青い大空にクリア達成と、フィールド解放を祝福する『Congratulations!!』が浮かび上がっていた。

 激戦が起こっていたと想像できるポリゴンの残骸が破片となり、空中で無数の煌めきを反射している。

 煌めきの中心地で佇むのは、片手に大剣を持つ【KuroTuki】というアバターのみ。

 『ファンタジー・ハンター』で使っている、自分のアバターだ。


「いよっし、イベント討伐完了!」


 勢いよく体を持ち上げ、キーボードを操作してそそくさと戦利品を整理する。

 見慣れた問いかけのウィンドウを見て、迷わずYESを選択。


「……んっ、メール? 運営からか?」


 一息ついてログアウトしようとした俺の手が、メールBOXにある赤いアイコンを見て止まった。

 ちらりと、壁掛け時計を確認する。

 時刻はちょうど五時過ぎ。

 近くにある主婦たちの戦場スーパーのタイムセールへ赴くにはまだ時間がある。

 確認するや否や、運営からのメールか、数少ないフレンドからしかこないメールBOXの、差出人不明と表示されたメールを開く。

 それには……。


『君は生まれてくる世界を──』


 ……あれ? どっかで見たことあるな、これ。

 そう思い、しばらく脳内検索を掛けて、ゆっくりと呟く。


「これ……ダメなやつじゃね?」


 何故かはわからないが、言い知れぬ悪寒が背中を走ったため、スパムメールだと結論付けて、ゴミ箱に捨てた。


「やれやれ、またこういうメールが届くようになってきたか……。怖いなぁもう」


 ログアウトして、ノートパソコンの電源を切る。

 机の隅に置いた財布を手にして立ち上がり、畳まれたチラシを広げて獲物を確認。


「鶏肉にカレー粉に鯖缶にキャベツ、卵と牛乳とカップ麺が安くなる……。行かねばならぬだろう、常識的に考えて」


 わざわざ私服に着替えるのも煩わしいと思い、学校指定のジャージの上着を羽織り、俺は拳を握り締め、


「さてと……」


 死地へと歩む兵士の如く、重々しい足取りで部屋から玄関に向かう。

 後ろ手で鍵をかけて、目標へと走る。


「俺は絶対に勝ち取るぞ! 待っていろよ、主婦ども……!」




 ガサガサ……、ゴソゴソ……。

 食材がパンパンに詰まったビニール袋を両手に、俺はホクホクとした笑顔で鼻歌を歌いながら歩いていた。


「ふーふふーん、ふふふ、ふーふふーん」


 卵が割れないように器用にスキップしながら、家路へと急ぐ。

 オレンジ色に焼かれた空が、道に映る影を長く長く引き伸ばしていた。


「今日はツイてるな〜、全食品フルコンプできたのは非常に助かる。見たか、獲物に飢えた主婦どもよ」


 勝利に満ち足りた声が、人通りの少ない道路に木霊する。

 夕日とは反対側の空に、財布から羽根が生えた軍資金が飛んでいく幻影が見えた気がした。

 道路から石塀に遮られた民家からは、楽しげな家族の笑い声と料理のいい匂いが風に乗って運ばれてくる。


「早速帰って作らなきゃな〜」


 両親が共働きで家を空ける事が多く、中学生に上がる頃には自炊も覚えなくてはならないという意図もあったせいか。

 この年の男子高校生には珍しいと思われる、家庭料理なら手軽に作れる程度の家事能力は身につけている。

 ……まあ、動機は料理出来る男子ってモテそうじゃね? というやましい考えだったのだが、次第に試行錯誤を繰り返している内、料理のレパートリーが増えてくると自然に楽しくなってきたのだ。

 今では完全に、趣味以上の領域へと到達している。

 ビニール袋に詰まった食材を再確認し、豪勢な夕食にしようか、と献立を考えながら歩く。

 意識だけを集中させて、どんな料理を作ろうかと。

 だから、だろうか。

 集中して研ぎ澄まされた知覚が、横を通り過ぎた何かの違和感に気づいた。

 日常生活において、普通は遭遇しないような違和感。

 夕日に反射した輝きに、首を傾げて振り向く。


「……うぅ、……お腹空いたぁ……」

 (銀髪……ロリ……だとぉ!?)


 その視線の先には、誰もが目を引くような銀髪のロングを地面につけて、小柄な体を投げ出している幼女がいた。

よく見ればドレスのような服装をしており、子供向けの服ならそういうのもあるか、などと納得しながら幼女を見つめる。


 (何故こんなところに幼女が倒れて……いや、それよりも『お腹空いた』と言っていたな? ということはつまり……)


 うつ伏せの状態から絞り出された、救いを求めるような声に、俺はコンマ三秒ほど考える。

 そして全てを悟った俺は、幼女の隣にしゃがんで、ビニール袋の中から取り出した鯖缶を幼女の脇に置いて、


「それじゃ」


 短く別れの言葉を残して、立ち去ることにした。

 面倒事を過度に背追い込むのは自滅につながる。

 ここ数年で学んだ知識だ。

 故に、見ず知らずの幼女が倒れていようと、必要最低限の手助けをするだけに留めておけば、無駄に首を突っ込むことなく、無駄にケガをして病院へ搬送されることもない。

 このパーフェクトな妥協案に隙はないはずだ。

 ……だが、


「──いや違うよね!? 普通そこは助け起こすとかそういう行動するところじゃないの!? ていうか助けて!」


 鋭いツッコミと共に、小さな手にしては妙に強い力で足首を掴まれた。

 地味に痛い足首を見下ろすと、まるで猫のような金色の瞳を持った幼女と目が合う。

 可愛いけど、貞子みたいで超怖いんですが。


「どうした幼、ゲフン……少女よ」

「今幼女って言いかけたよね? 絶対言おうとしてたよね!?」

「気にするんじゃないよ。若いのにそんなことで一々突っかかってると、将来素直になれなくなるぞ」

「もう充分素直に助けを求めたんだけど!? なのに缶詰め渡されて『それじゃ』じゃないよ! せめて缶切りくらい渡して!?」

「なに? 鯖缶だけじゃ足りないと申すか。仕方ないなぁ……」


 俺はやたらと噛みついてくる幼女に、余ったお金で買った食パン一袋を手渡す。


「ほら、これならいいでしょ?」

「おおっ、確かにこれならパッサパサの舌触りに体中の水分を抜かれながらもお腹を満たすことができる! ……ってそういうことじゃない!」

「食パンを愚弄する気なのか……。それともおにぎりとマヨネーズの方が良かったか?」

「違う、そうじゃない! というか根本的に話が違うことに気づいて!?」


 太腿にしがみつきながら、涙を目尻に溜めている様子に罪悪感が湧き上がってきた。

 マズイ。もしこんな所を近所の噂好きの田中さんに見られたら、社会的に死んでしまいそうな気がする……!


「おかーさーん、外で誰か泣いてる声がするよー?」

「あら、何かあったのかしら? ちょっと見てくるわね」


 石塀の向こうから田中さんの声が!? そうか、ここ田中さんの家の近くじゃないか!

 ヤバイ。そろそろ空腹も限界なのにこんな事してる場合じゃない。

 俺は縋りついている幼女を引き剥がし、肩を掴んで言い聞かせる。


「おい幼女、俺はこのまま仲の良い主婦友達に幼女誘拐の容疑で警察を呼ばれる訳にはいかないのは分かるか? というか分かれ。高校二年生になって早々、また警察のお世話にはなりたくないんだ。……腹が減ってるなら俺の家で食っていいから、頼むから泣き止んでくれ。マジでもう、警察の兄ちゃん達に迷惑をかけたくないんだ……!」

「う、うん。なんだか並々ならない焦りの気持ちが伝わってきたから、大人しくしておくわ……」

「よし、じゃあ行くぞ」


 二つの買い物袋を片手で持ちながら、幼女を連れて我が家へと急ぐことにした。

 ……でも傍から見たら、知り合いでもない幼女に声かけて家に連れ帰ろうとしてるクソ野郎だよな、今の俺。




 家に帰宅し、早速調理の準備を始める。

 買ってきた食材を切って炒め、鍋に入れて煮込む。

 その都度、空腹を訴える少女に食パンを与え、口が乾かないように牛乳を渡して調理を再開する。

 しばらくして、テーブルが埋まるほどの料理を作り上げてやった。

 目をキラキラと輝かせている少女に苦笑しつつ、作りすぎたかな、なんて心配をしていたのだが、どうやら俺は少女の胃袋を甘く見ていたようだ。


「はぁ、ごちそうさまでしたっ。美味しかった〜」

「冷蔵庫の大半が、消えて無くなった……だと?」


 寧ろ足りなかったのだ。

 最初に出した食パンと牛乳、そして山ほどの料理を数分で食べ切った少女のおかわりに戦慄を覚え、とりあえずお腹いっぱいになればいいだろ、と考えて冷蔵庫の中身まで使用した結果、暁家の冷蔵庫の中身が一夜にしてすっからかんになった。

 今は性懲りもなくデザートを要求する少女に青筋を立てながら、冷凍庫に入っていたカッチカチのカップアイスを手渡す。

 堅いアイスの表面に金属製のスプーンを突きたてようと悪戦苦闘する少女に、思わず黒い笑みが浮かぶ。


 (でも……こうやって食卓を囲んだのは、いつ以来だったかな)


 久々に誰かと、一緒に食事ができて楽しいと思えた。

 両親と二ヶ月くらい前に夕食を囲んで以来か。

 記憶を探り、仄かに緩んだ頬を、頬杖をついて隠す。照明が照らすリビングに、暖かい雰囲気が流れる。

 さて、お腹も満たせたし、ようやく会話ができる状況になったはずだ。


「なあ、少女よ。君は一体、どうしてあんなところで倒れていたんだ?」


 アイスを含んだ口をもごもごと動かしている少女に話を聞く。

 こんな小さな子が一人寂しく倒れていたと考えるには、親とはぐれたか迷子の二択だけだと思ったからだ。

 問われた少女は、スプーンをくるくると回しながら。


「アイスのおかわりを!」


 少女に拳骨を落とした。

 涙目で頭を押さえながら呻いている少女に、両手でその頬を握る。


「おかわりを、じゃないんだよ。ウチの家計が大変なことになるだろう。というより、知り合いでもない少女に何故そこまでしなくちゃいけない?」

「はっへほひひぃふはほふ!」

「ここではリン……、人の言葉で話せ」

「むにょお!?」


 ぐりぐりと頬を弄られているせいで、少女は意味不明な悲鳴を漏らす。

 ……ちょっと楽しくなってきた。

 数秒ほど柔らかい肌を堪能した後、唸る少女を解放する。

 赤くなった頬をさすっている少女に、再度問いかけた。


「それで、どうして行き倒れてたんだ?」

「うぅ……、道に迷っちゃったのよ」

「迷った? 親はどうした?」

「え!? えーと、ちょ、ちょっと用事があって、一人で行かなきゃいけない場所があるのよ」


 なるほど、初めてのお使いって感じか。


「大まかな場所、というか住所はわかるんだろう?」

「場所も住所も知らないわ。知ってるのは、その家に住んでいる人の名前だけよ」


 どんなチャレンジ精神してるんだよこの少女は。


「ちなみに、なんて名前の人の家だ?」

「えっと……暁煌斗こうとと暁黒奈くろなって名前の人なんだけど」


 少女が告げる名前に動揺して、コーヒーカップに伸ばした手が少し止まった。


「……よかったな、探す手間が省けたぞ」

「どうして?」

「ここがお前の探している二人の住んでいる家だからだ」


 俺の言葉に、少女は明るい笑顔を見せる。


「それじゃあ……」

「でも、タイミングが合わなかったな。──父さんと母さんは、ここに住んでないんだ」


 何の仕事をしているかは知らないが、今ごろは世界中を駆け巡っているのではないだろうか。

 海外から近況報告の手紙と、地元民と撮った写真が送られてくるので元気にはしているらしい。


「どこにいるのかわかんないけど、連絡すればすぐ来てくれると思うぞ。電話しようか?」

「ああ、違うわ。用があるのはあなたの方なのよ」

「……俺に? 期待を裏切るようで悪いが、俺にできることなんて何もないぞ」

「一つくらいはあるでしょう?」


 どこか挑発するような言い方に、俺は目を細める。

 確かに一つだけ、俺でもできることがある。

 ただしそれが立派なものだなんて考えはない。

 スーパーマンみたいな両親の間に生まれた俺は、普通平凡平均的で取り柄のない子供。

 大抵のことは何でもこなせる両親に強い憧れを抱いていたからこそ、友達よりもまず親に勝ちたいと願望を持ってしまった子供だった。

 親に勝ちたいが故に、自然と動きを観察したり真似てみたりと試行錯誤を繰り返していた。

 その繰り返しの末に。数年生きてきた中で一つ、自分だけの得意なものを見つけた。

 ずばり、ゲームだ。

 格闘ゲームから射撃ゲーム、ロールプレイングゲーム、ボードゲームなど多岐にわたるジャンルにおいて、俺は誰よりも上回っていた。

 しかし、こんなことを立派に思えるわけがない。

 こんなもので俺を理解されても困るし、万人に受け入れられるようなものじゃないからだ。

 俺は肩を竦め、コーヒーを口に含む。


「というか、そんな風に言うってことは、君はウチの両親と知り合いなのか?」

「ええ。旧知の仲よ」

「……へえ」


 両親の知人となれば、母さんの父が営む武道場の師範と、父さんの知り合いである、帽子を深く被った顎髭の濃いおじさんくらいしか知らない。

 思考を凝らす俺に、少女は笑みを崩さず、にこにことあどけない表情を見せる。

 ……この少女、一体何者だ?

 子供らしい一面もあるのに、年上を相手にしているような気分になる。

 …………そういや、こいつの名前聞いてないな。


「なあ」

「んっ、何?」

「名前と年齢、出身地を教えてくれない?」


 しん……、と静まり返るリビングに、時を刻む針の音だけがいつも通り進んでいく。

 やがて針が一周したくらいで、金の瞳が揺らいだ。


「私はイレーネ、セラス・イレーネ。年齢は数えるのを止めたからわかんないけど、数百は超えてるんじゃない? 出身地は……ってなにやってるの?」


 少女もといイレーネは意気揚々と話し始めたが、俺は受話器を手にとって、とあるところに電話をかけようとしていた。


「ああいや、ちょっと警察に……」

「ちょちょちょ、待ってお願い! 嘘じゃないから! 全部本当のことだから!」

「大丈夫大丈夫、頭を治してくれる腕の良い医者を紹介してくれるはずだ」

「勝手に頭のおかしい子に認定されてる!?」


 受話器が小さな手によって取り上げられた。

 ぜぇぜぇと息を切らすイレーネは、やがて決心したように話し始める。


「……あのメールさえ読んでくれれば、こんなまどろっこしいことしなくてよかったのに。……さっきも言ったように私は数百歳を超えてる、と思う」

「ロリバ……なんでもない」


 いま話していることが嘘かはわからないが、とりあえず振り上げられた平手をくらいたくないので、言いかけた言葉を飲み込む。


「それでなんだけど、黒斗くんは私が異世界の出身だと言ったらどういう反応って待って待って!!」


 再度受話器に手を伸ばそうとすると、イレーネは慌てて受話器を取り上げようとしてきた。

 やばいよこれ、かなり頭がおかしい子供だよ。

 通報しなければ俺が危ない。


「真面目に聞いてよ……」

「サーセンっした」


 しかし泣きそうになっている顔を見て、ふざけ過ぎたと反省の意を込めて土下座する。

 数百年は生きている──嘘だと思うが──と豪語する割にはメンタルが弱いな。


「いい? これから話すことに嘘偽りはありません。だからちゃんと聞いてください、わかった!?」

「はい」

「えらく素直になったわね……」

「捻くれていいのか?」

「勘弁して……」


 何回も話の腰を折るのも気が引けるので、おとなしくイレーネの言葉に耳を傾ける。


「私は異世界から来た女神よ。君の両親とは、君が誕生していない頃からの知り合いなの」


 正座を崩さず、頷く。


「若い頃の二人には、私達の異世界に来てもらったのよ。こちらで起こった問題を解決してもらうために。身勝手に招き入れたというのに、彼らは事の次第を話すと、問題を解決すると快く引き受けてくれたわ」


 イレーネはジュースの入ったコップを持ちながら。


「紆余曲折あって、彼らは死んでしまうんじゃないかと思うような傷を負いながらも、世界を救ってくれた。世界を救ったら、後は元の世界に戻るだけ。……なのに、世界の意思は二人の帰還を拒んだ」


 張り詰めた空気に変わる室内で、イレーネは一つ、ため息を落とした。


「世界は彼らを望んでしまったの。英雄の如き行動を示した彼らに、ずっとこの世界にいて欲しい……と。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった」


 思い出すように、照明が付いた天井を見上げる。


「二人はようやく帰れると思っていたのに、私が巻き込んだせいで、あんなことになってしまったから。でも、二人は笑って許してくれた。『帰りたいけど、この世界で人生過ごすのも悪くない』って」


 俺の頭に、不意に両親の顔が思い浮かんだ。

 あの二人はいろんな技術を持っていて、俺の思うかっこいい憧れだ。

 今でもそれは変わらない。

 そこで一つ、気づいた。

 二人がいろんな技術を持っていたのは、異世界に行ったのが原因ではないか、と。


「そんな二人の寛容さに、思わず泣き出してしまったわ。神の威厳も何もかもかなぐり捨てて、二人の人生をめちゃくちゃにしてしまった自分が、嫌で仕方なくて。二人は慰めてくれたけど、それでも許せなかった」


 小さく微笑むイレーネはコップを呷る。


「そしたら急に、二人は世界の意思に喧嘩をふっかけた。なんでそんなことをって聞いたら、『『俺の(私の)友達を泣かせたから』』……って」


 二人なら言いそうだ、と呟く。


「培った力を最大限まで出し切って、二人は成し遂げたのよ。人間として最大級の偉業を成し遂げた二人に、世界の意思はようやく認めたわ。自分の行いは、今まで世界のために尽力してくれた二人を戒める行為だって。そして、戦いで傷ついた身体を癒してから帰還させることになって、数日が経ったある日、驚愕の事実が判明したの」


 急に困ったような表情になる。

 外はもう暗く、月が真上に昇るほどの時間が経っていた。


「…………君のお母さんが子供、つまり黒斗くんを身籠っていたことがわかったの」


 ……あ?


「どうやらかなりはっちゃけちゃったみたいでねぇ、君のお父さん」


 ……はぁ。


「そのせいでもう大混乱よ。実はね、概念が異なる世界で子供を成してしまった場合、両親の概念は元のままなんだけど、生まれてくる子供がその世界の概念因子を取り込んじゃって、書き換えられてしまうの。因果と輪廻によって完全に固定されているから、簡単に変更することができない。もし変更すれば、赤ん坊の黒斗くんは負荷に耐えられなくて死んでしまうから。当然、頭を抱えたわ。私もだけど」


 ……ふむ?


「黒奈と煌斗は喜んでたけど、こちらとしては複雑な気持ちよ。残酷な真実を教えるべきか否かの選択を迫られたからね。でも様子がおかしい私に気づいて、問い詰められて、結局教えてしまったわ。……二人の子供は、こちらの世界で生きなければならなくなってしまった、と」


 どこか遠い目をしたイレーネは額に手を当てながら、小さく息を吐いた。


「教えた途端、二人は悩みだしたわ。どうにかして黒斗くんと元の世界で過ごせないものか、何か方法はないか、と。悩みに悩んだ末に導き出した結論は、世界の意思に期待の目線を送ることだったわ」


 結局他人頼みってやつじゃないですかー、やだー。


「困り果てた世界の意思は妥協案を出したわ。『子供が十分成長したらこちらの世界に渡ってもらう。目安は、君達くらいの年になったら』。この案を二人は渋々といった様子で承諾してくれたわ。同時に、後悔もしていた。でもすぐに立ち直って、『生まれてくる子が困らないように、知らないところは教えて、家族で楽しい生活を送って、目一杯時間を使って一緒にいよう』って意気込んでいたわ」


 ……確かに。あの二人は自分にどんなことがあっても、すぐに駆けつけてきてくれた。

 今はどこかに行っているが、家にいた時間の方が多かった気がする。


「そして二人はこの世界に帰ってきた。帰ってからも、度々連絡は取り合ってたわ。黒斗くんが生まれて、賑やかで楽しくて、聞いてるこっちが嬉しくなってくるくらい幸せそうだった」


 イレーネは苦しそうにしながら。


「でも、それも今日で終わり……。これで繋がるのよ、私がここに来た理由が……。それは──黒斗くんをこちらの世界に招くこと。私はその案内人」


 無表情で聞いていた俺に、イレーネは深く頭を下げる。


「ごめんなさい。何から何まで、三人には迷惑をかけて……。こっちの事情をあなたに押し付けて、急にこんなこと言って、本当に──」


 謝罪の言葉を紡ごうとした時、下げた頭に手を置いて優しく撫でまわす。


「わわっ!?」

「そんなに萎縮するなよ。確かにそんなこと言われて、こっちも気持ちの整理がつかないけど、なんとなく理解できるし、納得できる部分もあった」

「え……」


 疑問で埋め尽くされてるような顔に、俺は微笑みながら答えた。


「父さんと母さんは、俺がわからないことを聞いた時、本当に正直に答えてくれた。いつだって頼れる二人は、俺のために悩んでくれたし、俺のために必死にもなってくれた。家族同士の絆っていうのを大切にしてくれて、俺にそれを、長い時間をかけて教えてくれた」


 だからこそ、同じ立場に立ってみたくて、自分を磨いた。


「ようやくわかったよ。父さんと母さんが、俺に対して度が過ぎるくらい過保護な理由が。分かったと同時に、嬉しかった。俺はそんなにも愛されてるんだなって」


 届くことはなかったけど、後悔はしていない。


「俺は、世界に誇れるような親を持ってるんだなって。……二人が聞いたら恥ずかしいだろうけど、俺にとっては大切なことだ」


 家族で体験した、たくさんの出来事があった。

 家族で楽しんだ、たくさんの思い出があった。


「嘘偽りはないって言ったよな? なら、俺は信じるよ。父さんと母さんの昔話とか、知り合いでなきゃわからないからさ。だからイレーネの話を聞いて、まあ……、決心がついた」


 ハッと顔を上げたイレーネの瞳を見つめて。


「帰るよ、俺がいるべき世界に。この世界に未練がないとは言わないけど、違う世界とか楽しそうだし、新しい第二の人生みたいで心が躍る。それに、見てみたいんだ」


 俺は心の底から湧き上がる思いを告げる。


「父さんと母さんに『この世界で人生過ごすのも悪くない』とまで言わせた世界を、この目で」


 二人がそんな風に言う世界はさぞかし新鮮で、初めて見るようなものだらけだったのではないか。

 見たこともない人たちがいて、見たこともない動物がいて、見たこともない建物があって、それぞれが均衡を保った黄金比の世界。

 きっと心惹かれるようなものばかりで、驚きと喜びが溢れそうになるだろう。


「この場所で一生を終わらせたい願望はあった。けど、そんな面白い話を聞かされて、黙っていられるわけがない」


 ここが分岐点だとして、右が正規のルートだとしたら、俺は迷わず左を選ぶ。

 その方が未知の発見がありそうだから。

 ここは、そういう決断の場所。


「く、苦しいことも、辛いことも、悲しいこともあるのよ? この世界には二度と戻って来れない。それでも?」

「そんなこと言ったらこの世界だって同じさ。どんなとこ行っても、必ずそういうことは起こる。だったらそれ以上の楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことで全部包み込めばいい。二度と戻って来れないのは……、割り切るさ」


 イレーネの泣きそうな声に、俺は堂々と、正面から正直に答えた。


「いいか、もう一度言うぞ?」


 撫でる手を止めずに。


「俺は、俺がいるべき世界に帰る。イレーネが謝ることなんてないんだよ。これは俺たち家族が起こした事態で、家族で選んだ選択だ。後悔なんてしてないさ」


 撫でる右手を暖かく、目尻を拭う左手は優しく。

 イレーネの目線と同じ位置に顔を近づけ、笑顔を向ける。

 不思議とイレーネも、自然と相好を崩していた。

 そんな雰囲気のリビングに、零時を告げる電子の鐘の音が響き渡った。




 民家の屋根の上で、月が二つの影が照らしている。

 一つは両足を伸ばして両腕を後ろについた俺。

 一つは暗闇に映える銀の髪を風になびかせ、幻想的な印象を感じさせるイレーネ。

 俺が『せっかくだから、朝焼けの空を見させてからにしてくれ』と提案したので、空がよく見える屋根に登って、星を見上げながら話をしたり、空いた時間を利用して、世界についての説明を聞いていた。

 時に笑いながら、時に切なくなりながら。

 楽しい時間はすぐに過ぎてしまい、もう東の空は白んでいた。

 深蒼の空を、明彩な輝きで塗りつぶしていく様子を見ながら、立ち上がる。


「綺麗だよなぁ……」

「確かに、綺麗ね」


 俺たちは向かい合い、東の空を背景にしたイレーネが何かを呟きだした。

 それは俺を帰すための、神にしかできない秘儀。

 仄かに輝く金糸が絡みつくように空間を踊り、俺の周囲を埋め尽くす。

 詠唱しているイレーネの声を耳にしながら、静かに目を閉じる。

 瞼に焼きついた鮮やかな記憶を呼び起こされ、思わず笑みが溢れた。

 数少ない友人と見に行った花火大会。

 家族や近所の人まで巻き込んだ焼肉パーティー。

 海や山で不便ながらも賑やかに過ごしたキャンプ。

 勿体無いくらいの、大切な思い出。

 俺はそれを、自分の意思で、この世界に置いていこうとしている。

 薄情だと言う人もいるだろう。

 でも、俺はそこまで言ってくれる人たちを裏切ってまで、瞼の先にいるイレーネの言葉を聞いて、帰る決意をした。

 イレーネはそういう人が出たら何とかするわ、とは言っていたが、それは記憶の抹消か、俺という存在自体を無かったことにするかのどれかだろう。

 もしかしたら、父さんと母さんの記憶からも、俺は消えてしまうのだろうか……。

 いずれにせよ、もうこの世界には戻れない。

 やがて、イレーネの詠唱が終わる。

 仕上げとして、俺が最後の言葉を発すれば、帰ることが可能だ。

 閉じていた目を開き、真正面に広がる明朝の光を浴びながら、こちらを見つめる三つの視線を受け止める。

 イレーネの背後に、朝日を反射する黒髪を手で押さえている女性と、その傍らに茶髪の癖っ毛が特徴的な男性の二人が立っていた。

 俺の心に大きな幸せを詰めてくれた存在が、そこにいる。

 二人は静かに微笑んでおり、そこに寂しさはあるが、悲しみはなかった。

 数瞬ほどそのままでいて、そして俺も、同じように微笑みを返す。

 そして。


「いってきます」


 いつもと同じ朝を迎えるように。


「「──いってらっしゃい」」


 二人もまた、言葉を返した。

 近くて遠い、そんな言葉を。


 そして。


 幾千もの金閃が煌めき、世界を変えていく──。




 光の残滓ざんしが残る中、両の手を胸の前で握り締める。


「……いつの間に来てたのよ、コウトにクロナ」


 振り向きざまに名前を呼ばれた二人は、互いに見合った後、肩を竦めて答えた。


「ウチの子供が、自分の考えで胸って、家から出ていったんだ。それを親が見送らなかったらダメだろう?」

「あの子は向こうでも生きていけるわ。必要なことも大切なことも、私たちが出来る限り教えたからね」


 自信満々にそう答える姿は、いつ見ても変わっていない。

 少なくとも私はそう思った。


「……私も行くわ。これ以上この世界にいると、涙脆くなっちゃいそうだし」

「「それはいつも通りでしょ?」」

「ほんっとにそういうとこは似てるわね……」


 二人のそんな言葉に、がくりと肩を落とす。

 私は呆れながら簡素な鍵を取り出して、何もない虚空へ突き刺した。

 神だけが使用を許可された、世通よどおりの鍵。

 空間が綺麗に割れて、眩い光を放出する。


「イレーネ、ほら」

「?」


 帰ろうと足を踏み入れる直前、クロナに呼び止められて振り返ると、小さな紙袋を渡された。

 カサカサと乾いた音を立てるその中身は、クッキーだ。

 私がクロナから初めてもらったプレゼントと、同じもの。


「黒斗のこと、よろしく頼むわね?」

「俺からも、よろしく頼むわ。あいつ、昔の俺らみたいに無茶するからよ。誰かが見てないと危ないからな」

「……任されたわ」


 友人が頭を下げて頼み込んでくるのだから、しっかりと応えなければいけないだろう。

 自身と二人の間に結んだ約束を抱いて、私は世界の門を通った。




 世界は広い。

 故に新しい発見に満ちている。


 少年の門出を祝福しよう。

 少年の人生を盛り上げよう。


 歩み続ける先の未来。

 少年は、それを見る資格がある。


 さあ、歩んでいこう。

 ──新しい物語を。

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