第23話 神楽殿の幻①

 悪樓に連れられて、秘密の細道から神社の表まで戻ってくると、美雨は神楽殿の横に設置された、桟敷さじきまで案内される。まるで平安時代のような畳があり、衝立ついたてのおかげで、村人からは、こちら側が見えないように配慮されていた。

 畳には座布団が二枚敷かれており、向かって上座の左に悪樓が座り、その右にならぶようにして美雨が座る。美雨は、下着を履いていないことに違和感を感じて、ソワソワしたものの、衝立が村人から自分を隠すように、囲われているのが救いだった。美雨は、内心ほっと胸を撫で下ろす。


(悪樓さんと、待ち合わせしてた訳じゃないのに。でも、結局すぐに見つけちゃったし。私、悪樓さんのこと意識しすぎだよね)


 友だちと過ごすのは楽しい。

 けれど悪樓と共に居るのはもっと楽しい。

 悪樓と離れると、彼と思い出を共有できないことを寂しく思い、無意識に悪樓の姿を探してしまう。同じ空間にいないと、美雨は自分の半身が居なくなったような寂しさを感じた。

 美雨に兄弟は居ないが、もし双子が居たとしたら、このような感覚だろうか。

 安心できる場所を、一度知ってしまうと、それがなかった頃の自分がどう過ごしていたのか、全く想像ができない。

 悪樓は、この島の網元ゆうりょくしゃのようだし、彼にしかできない重要な職務も、たくさんあるだろうと思う。昨日だって、安心して眠るまで美雨の側にいてくれた。

 いつでも一緒に過ごしたいなんて、子供っぽくて、相手を束縛してるみたいだ。そう思った美雨は、恥ずかしくなった。

 

(悪樓さんの優しさに甘えて、依存してるみたい。良くないよね。こんなこと口にしたら、重い女だって思われちゃうかも)


 美雨が、ちらりと悪樓を見る。

 彼女の視線に気付いたのか、悪樓はあいかわらず優しい眼差しでやんわりと微笑む。出逢って何日もたっていないのに、もう何年も共に過ごしたような、安心感のある彼に、自然と美雨も笑顔になった。

 穂香が言うように、恋愛をそんなに『難しく』考えなくても良いのだろうか。人間ではないかもしれない、と思えるほど不思議な雰囲気を持つ悪樓でも、ただ、心のままに自分の直感を信じて、従えばいい。

 出逢ったばかりの人に好意を持ったとしても、何度も夢で見た相手なのだ。

 非現実的ではあるが、穂香の助言通りこの運命を信じたいと美雨は思った。


(私、悪樓さんが好き)


 心の中でそう意識した瞬間。

 シャン、シャン、シャンと三回神楽鈴が鳴る音がして、二人の巫女が礼をすると舞台からけていった。なんとなく、現実に引き戻されたような気がして、美雨は背筋を伸ばす。


「美雨、いよいよ小嶌神楽が始まる」

「は、はい」


 奏者が龍笛りゅうてきを吹き、三の鼓がポンポンと美しい音色を立てると、神楽殿の舞台の袖から、白無垢しろむく姿で神楽面を被った演者が、扇を前方に向けながら入ってくる。

 そして、数人の男性が神楽歌を歌った。

 古い言葉で、歌の意味は分からないが、緩やかなテンポで舞うその姿は、雅だった。そして、神楽殿から手のない龍……魚だろうか、それを支える人たちが現れる。ふと、それを見ていた悪樓が口を開いた。


「――――昔々、吉備の国の穴海に恐ろしい龍魚が住んでいた。それは、船を一隻いっせき飲み込むほどの、巨大な悪神ものだったという」

「あ……それ『水底から君に愛を込めて花束を』の冒頭に書いてありましたね」


 昨日の今日で、読書はあまり進んでいなかったが、古代の神話をモチーフにしているようだったので、興味深く感じていた。

 日本のみならず神話や伝承は、美雨の好きなゲームや漫画のテーマにされることが多く、彼女もそのような伝承や神々に惹かれ、そういったイラストを描いていた。しかし、それとは別に、なぜか美雨はこの神楽から目が離せず、じっと魅入ってしまう。

 白無垢の女面を着けた演者の周囲を、龍魚が遠巻きに、ぐるぐると回り始める。


「そうか。その龍魚は穴渡神あなわなたりのかみ呼ばれ、人々に恐れられた。彼の者は朝廷に逆らったので、まつろわぬ神となった。ともかく悪神とされたので、いつの頃やら、誰が始めたのか分からぬが、人身御供ひとみごくうが捧げられるようになった」

「人身御供……?」

 

 生贄として、あの花嫁は海に投げられたのだろうか。

 そう聞けば日本の闇の部分、人柱の歴史を物語った恐ろしい神楽を見ているような気がする。けれど美雨は、凛とした音色と歌で舞う演者から目が離せずにいた。

 演者たちは、音に合わせて緩やかにその場で回り、龍魚は人身御供となった女面の演者と距離を縮めるように舞う。

 花嫁が扇を水平にゆっくりと動かすと、それに付き従うようにして、きらきらと光る雫が空中に流れる。

 まるでスローモーションで水流を眺めているようで、美雨はあまりの幻想的な光景に目を見開いた。それを皮切りに、まるで水中に気泡が浮かぶように、突然現れた水球が次から次へと神楽殿から、天井に向かって上がっていく。

 さきほどの前座のように、村人から歓声は上がらず、皆には見えていないかのようだった。


(――――何?)


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