第2話 妖夢②

 そういえば毎度、この洞窟の入り口に差し掛かると船頭が布をつけていた事思い出した。よくこれで舟を漕げたものだ、と美雨は感心する。


「ここは、神聖な場所なんで嫁御寮よめごりょうしか立ち入れません。私らは、お姿を見るのも禁忌とされていますので。お返事はいりません」


 美雨に上がるように促すと、船頭は深く頭を垂れて小舟を漕いでいく。これが夢でなければ、あまりの恐怖で追いすがる所だが、赤い鳥居の前までくると、美雨は階段の上をじっと見つめた。

 人工的に作られた石の階段は、陸まで続いているのか、超自然的な回路のように思える。

 階段の先に、虹色のキラキラした光の屈折のようなものが見えた。あの先に行ってしまうと、夢の世界から戻れなくなってしまいそうな気がして、美雨は背筋が寒くなった。

 不意に背後で何者かが海から上がってくるような水音がし、心臓が飛び跳ねた。


(さ、魚かな……? こ、怖い。後ろをふりむけないよ! はやくっ、目が覚めて!)


 美雨は心臓が口からでてしまいそうなくらいに緊張した。ふりむかず、そのまま裸足になって、あの階段を駆け上がれば助かるのだろうか。

 あの鮫のような魚は、陸にはあがれないはずだから、大丈夫だと判断した美雨は、正体を確かめるために、ゆっくりと後ろをふりかえった。


(――――っっ!!)


 海から上がってきたのは、全裸の男性だった。銀色の長い髪を濡らし、背中に赤いヒレのようなものが見えたような気がする。

 水が滴り、うなだれていても睫毛まつげや、眉の形から、眼前の異形が美しい人だと言う事はわかる。

 もしかして、この人は人魚なのだろうかと目を離せずにいると、男性はゆっくりと立ち上がった。だが、美雨の想像とは異なり、みるみるうちに銀色と黒色の鱗は紋付袴もんつきはかまの羽織姿へと変わっていく。


「貴方、だれ……なの?」

「美雨。待っていた。夢通うのもこれが最後。偶然ではなく、全ては必然……。そのときがきたら貴女も理解するだろう」


 静かで穏やかな低音の声は、恐怖よりも安堵感がある。厳かな気配を纏う男性が美雨の元までくると、その身長の高さに驚いた。

 百九十センチほどあるだろうか、ぼんやりと綺麗な顔を首が痛くなるほど見上げる。

 不意に、自分の右手を丁寧に取られると彼の口元に寄せられ、人差し指をペロリと舐められ痺れるような甘い快感を感じた。


 ✤✤✤


「――――!!」


 美雨は目覚ましのアラーム音と、なんだか不気味で淫靡な夢のおかげで、飛び起きてしまった。可愛いうさぎ型の目覚まし時計は、セットした六時半で止まっている。

 美雨は体を伸ばし、大きな口を開けて欠伸をした。

 

「変な夢、みたなぁ。初めてあの先まで行ったけど……。私、ゲームのやりすぎなのかな」


 顔を洗い、洗濯機のスイッチを押すと準備を始めた。癖毛のセミロングの髪を整えて薄くメイクする。

 あの夢は子供の頃から見ているが、あの続きはどう考えても、課金制のゲームアプリによくありそうな展開だった。

 美雨は、専門学校やバイトに行く前に、暇つぶしで、恋愛ゲームをしている。

 将来は絵を描く事を本職にしたいと思っているので、乙女ゲーや、ソーシャルゲームのキャラデザインを学んだり、友達と話を合わせるために遊んでいる。

 それでも、時々お気に入りのいわゆる推しキャラができて、攻略に夢中になったりする事もあるのだが。

 けれど、現実の恋愛に関してはあまり関心はない。

 

『いいなぁ、巨乳の幼なじみがいてさ。付き合えばいいじゃん。陽翔はるとなら楽勝じゃね?』

『あー、美雨か。最近話してねぇな。確かに巨乳だけどさ、あいつは大人しいっていうか。なんか話してても、大人しいし暗くてつまんないんだよね。それに顔がタイプじゃない』

『ああ、でもあの子一途そうじゃん。一回だけでもやれば?』

『あいつ、俺の事が昔から好きでさ。後から面倒くさい事になりそうだからいいわ』


 恋愛の事を考えると、高校三年生のあの日、下校時間に陽翔を迎えに行って、偶然聞いてしまった、嫌な記憶がフラッシュバックする。

 美雨は溜息をついて電車の座席にもたれると、窓に当って流れ落ちる雨粒を見ていた。


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