使命

@gotchan5

第1話

その日も仕事を終えると、いつも立ち寄る居酒屋へ向かう。

カウンター六席とその後ろの小上がりには四人用の座卓が二卓、ママが一人で切り盛りしているその小さな居酒屋は、その日も常連客で盛り上がっていた。

私の仕事は、終わりが遅い。その日も店の玄関を開けたのは十一時を回っていた。

「はい先生、お帰りなさい」

私は塾で子供たちに数学を教えている。

ママが声をかけると、賑やかに話していた常連客達も皆こちらを向き、それぞれ会釈したり握手を求めてきたりする。

ほぼ常連客だけで成り立っている田舎の居酒屋でのよくある光景だ。

カウンターに一席だけ空いていた左隅の席に座る。

生ビールを頼み、出てきたビールをジョッキの半分ほど飲んだ。

ああ、これで今日も一日無事終わった。

お通しをつまみに残りのビールを飲み干すと熱燗に切り替える。

それが私流の飲み方だ。

熱燗を一人手酌で猪口に入れ熱いまま口へと持っていく時、私はえもいわれぬ幸せな気持ちになる。

うん、これでいい。

隣では土木の現場で働く人が話している。

「いや、最近は腰も痛くてさ。いつまで続けられるんだかね」

「そう、もう無理はできんな、お互いに」

土木の現場でも高齢化が進んでいるらしい。彼らは六十をとうに過ぎているが、未だに造成工事の現場で働いている。

今年の異常な暑さの中も、炎天下、外仕事をしていたという。

「先生んとこは定年はないんかい?」

「定年はないですね。小さい個人塾ですから」

「そうかい、そりゃいいね。いつまでも働ける」

彼らも定年までは比較的大きな土木の会社にいたようだ。定年後再就職した口だ。

彼らの話は、時々、かつて自分たちが作った道路の話になる。

あの道路は自分たちが作ったんだという時の顔は、少し誇らし気に見える。

いい仕事だと思う。

自分たちの仕事が形になり、その道路や堤防ができることで誰かが、いや多くの人が助かる。

私は猪口を口に運んだ。

「でも、先生は冷房利いた部屋で仕事だろ? それは羨ましいわなあ」

皮肉には聞こえない。純粋にそう思っているのは人柄でわかる。

それほど彼らは善良なのだ。

「ええ、まぁ。そうですね」

「夏の炎天下の外仕事はきついよ。俺らもそうだけど外回ってる営業さんも今年の夏は死にそうな顔してたよ」

「そうでしょうねぇ」

私はずっと今の仕事をしているわけではなかった。

外回りの営業経験もある。だからその酷さは(今年の夏ほどではないにしても)、少しは分かるつもりだ。

だがそれは言わない。

この町へ来て五年になるが、私は少し周りに心を閉ざして暮らしている。

それでも周りとの関係は良好だと思う。

最初私がこの町へ来た時、いったいどんな人間かと興味を持った地元の人達も五年経った今は、ただ塾の先生だという事で受け入れてくれたようだった。もう詮索するのは飽きたのかも知れない。

二合徳利で二本ほど飲み、他愛のない話をし、串焼きを二本ほど食べて帰路につく。

それが日課だった。

その日もいつもの日課をこなして会計を頼んだ時、店の玄関が開いた。

「一人ですけど、あの、いいですか?」

男が入ってきた。

初めての客のようだ。

「どうぞ、良いですよ」

とママ。

歳の頃なら三十前後と言ったところだろうか、いやもう少し若いかな、童顔で年齢を想像しにくい感じの風貌だ。

「先生、ちょっと待ってて」

「ああいいよ、先にお客さんやって」

どうせ後は帰るだけだ。

ママに促され少し前に空いたカウンターの席にその「新顔」は座った。

ママからおしぼりを受け取り、ビールを注文してから周りを見回している。

メニューでも探しているのか。

会計を待ちながらぼんやりそっちを眺めていた私と目が合った時、彼は、ハッとした表情をし、何か言いたげに見えた。

私は軽く会釈し考えたが前に会った記憶はない。

ずっと前に会った事があるのだろうか、だとしたら少し困った事になる。

嫌だな、この感覚は。

会計を済まし、私はそそくさと店を出た。

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