第3話 公爵邸にて

 王都のレンスター公爵邸。

 ノックの音にレンスター公爵リューウェインは、ペンを動かす手を止めないまま言った。


「かまわん。入れ」

 

 書斎の机には書類の束が積まれている。

 入ってきたのは執事長のエドモンドだった。


「リューウェイン様、ご婚約の件はいかがでございましたか?」

 

 公爵はにこりともせずに答えた。


「とりあえず考えてみるとの事だ。当然だがな」

「確かにそうですな」


 公爵はペンを置いてエドモンドの方を振り向いた。


「噂とは違うかもしれない」

「派手好きで遊び好きの男好き。よく聞くのはそういう噂ですな」

「その通りだ」


 公爵はしばしの沈黙のあと、言葉を発する。

「もう少し様子を見てみなければわからんさ。それに彼女が実際はどんな人間だろうと関係ない」

「なるほど」


「所詮は政略結婚だ。キングストン家とレンスター家が婚姻関係を結ぶ。それだけだ。それよりも……」

「他に何か気になられる事でも?」


「よくわからんのだよ」

 自信にみちた彼らしくもない、少し困惑したような声だった。


「彼女は元々魔法は使えない。目覚めた聖女の力も失った。そうだな?」

「はい、左様でございます」


「普通どんな人間でも、魔力を少しは持っている。それはこの世界を構成する根源だからな」

 

 公爵は机の上のグラスに目をやる。

 エドモンドはうやうやしく水差しからグラスに水を注ぎ、公爵に差し出した。


「彼女には、魔力が全くなかった」

「それは……」


「私も驚いたよ。何かの間違いなのかと何度も確認した」

「そのようなことが」


「これについてはわからん。専門の魔術師に聞いてみるべきかもしれん」

「このところ色々騒がしゅうございますからな。隣国のアングル王国でも我が国でも」


「彼女の素性は、はっきりしている。力を隠して私に近づく動機もないし、私を害しても彼女の利益にもならんだろう」

「ではなぜ」


「考えられる事は二つだ。彼女が全く魔力の要素を持たない、極めて珍しい人間であること。もう一つは……」

「もう一つは?」


「彼女が私を、いやこの国の誰をもしのぐ強大な魔力を持っている場合だ。私の魔力を完全に遮断できるほどのな」

「そんな事がありえるのでしょうか?」


「もしそうだとするなら、彼女の魔力は古の大聖女や大魔導師に匹敵するだろう。あるいは我々よりも神々に近かったという伝説の……」

 

 公爵はかぶりを振った。


「よそう。結論を出すには情報が少なすぎる。ただの偶然、ごく珍しい現象なだけかも知れぬからな」

「いつもながらの冷静なご判断とご見識、感服つかまつります」


「世辞はいい。引き続き情報の収集につとめ、何か気づいた事があればいつでも言ってくれ」

「了解いたしました」


 エドモンドが退室した後も、リューウェインはしばらく執務机に座り、物思いにふけっていた。


(キングストン公爵令嬢、ロディーヌ……か)

 

 彼女に婚約を申し込んだのは、もちろん愛していたからではない。

 王族や高位の貴族にとって結婚とは政治の延長であり、恋や愛の延長線上にあるものではない。

 それはこの時代の常識だ。 


 あのキングストン家の、あの女の娘だ。

 それだけで価値がある。

 

 だが彼女がキングストン家の事業を取り仕切っているというのは、本当なのだろうか?

 にわかには信じられない。


 リューウェインは一族や国王からも、結婚はまだかとせっつかれていた。

 隙あらば名門レンスター家とお近づきになろうという女性たちに、うんざりしていたというのもある。

 

 どうせなら、誰もが否と言えない家柄で、一番評判の悪い女と結婚してやろう。

 そういう天邪鬼あまのじゃくな思いもあった。 

 

 結婚なんて、誰としようと同じだ。

 そう思ってもいた。


 この婚約が何を意味するのか。

 彼女がリューウェインに何をもたらすのか。

 この時点ではまだ不透明なままであった。



◆◆◆◆◆


 

 ロディーヌは自室でぼんやりと物思いにふけっていた。


 母が亡くなってから間もなく、二人の人物が家にやってきた。

 全てが変わってしまったのはそれからだ。


 一人は二十代の若い女性。

 もう一人はロディーヌより少し年下の女の子。


「お前の新しいお母さんのサーシャ。そして妹のコルデリアだ」

 

 父の言葉は十歳になったばかりの少女にとって、受け入れがたいものだった。

 

 コルデリアの父はロディーヌの父でもあるという。

 ということは、母が生きているときから、父親には母以外の女性がいて子供がいたという事だろうか?

 

 戸惑うロディーヌに対して二人は


「はじめまして。これからよろしくねロディーヌ」

「あなたがお姉ちゃん?よろしく!」

 一応はにこやかに挨拶した。


 だがすぐに本性はあらわれた。

 その親子は派手好きでわがままなところがそっくりだった。

 

 どうやら義母の実家は資産家であるらしかった。

 父親も義母には頭が上がらなかった。

 

 義母も妹も家の事は何もしなかった。

 使用人に任せきりだった。

 ロディーヌの事もじきに使用人同然に扱うようになった。

 部屋も離れの納屋に追いやられた。


 実のところ、キングストン公爵家の雑事の多くはロディーヌが行っている。

 家事だけでなく、薬や香料の製造にいたるまで。

 とはいえ、ロディーヌの言う事を聞かない使用人達も多かったが。

 

 父や義母はほとんど関知しない。

 だが感謝される事もない。


 母の影響か、ロディーヌも花や薬草の栽培、特にバラの栽培が好きだった。


『母さんはいつかこれを大勢の人に届けたいの、ロディーヌ』

 香油、香料、様々な病気に効く薬。

 それらを沢山つくって皆に届ける。

 それが母の夢だった。


 ロディーヌはそんな母を尊敬していた。

 母のようになりたいと思っていた。 


 ロディーヌがとりとめのない思考に身をゆだねていると、扉を叩く音がした。


「ロディーヌ様、あの……よろしければ少しお時間をいただけましたら」

 それは侍女のメアリーの声だった。


「ええ、いいわ。どうぞ入って頂戴」

 そういってロディーヌは彼女を部屋に招き入れた。

 

 メアリーは黒のワンピースに白のエプロンドレスという仕事着だった。

 少しためらったあとに口を開く。


「今回のレンスター公爵からの婚約申し込みの件、ロディーヌ様はお受けになるおつもりですか?」

 

「そうね。そうするのも一つの選択かもしれないわね」

 ロディーヌは少し考えてから答えた。

 

「ロディーヌ様がお決めになったのなら、私が何も言う事はございませんが」

 メアリーの口調がいつものように、はっきりとしたものになる。

 

 元々明るく社交的で、気さくな人柄だ。

 引っ込み思案なロディーヌは、メアリーの明るさに随分と助けられていた。


「レンスター公爵様にはよくない噂もございますわ。残忍冷酷だとか、ひどい女嫌いであるとか」

「それは私も聞いた事はあるわ。でも噂は噂よ。私がどんな噂を流されているか、あなたも知っているでしょう?」


「ええ、本当にひどい噂ですわ。ロディーヌ様のように真面目で使用人思いの方があんな……」 

 ロディーヌの返答に、メアリーは怒りを抑えられない口調で言う。


 そして少しの間のあと、再び言葉を続けた。

「誰がそんなもの流しているか知っていますけどね!まったく!」

 

「別にすぐ結婚するという話ではないし。そういう事も含めて、私なりに見極めるつもりよ」

 ロディーヌはそんなメアリーの怒りを鎮めるように、穏やかに話しかける。


「まぁロディーヌ様がそうおっしゃるのなら」

 メアリーは自分を納得させるように呟いた。

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