第56話 人として終わる悪魔の薬

 それから1月後、アレクトラさんが珍しくヴァロに会いに来た。高等部から中等部の棟にある教室まで来るには、それなりに移動が大変なので、行き来する事自体が滅多に無いのだ。

「我が弟ヴァロよ。用事がある」

あれ?コンモドゥスとの契約婚約者関係に何かあったんじゃないのか?

てっきりその件で俺に話があるのかと思ったのに。

……家でいつでも会えるヴァロに何で学園での用事があるんだ?

「姉上、いきなり何であるか?吾輩はご覧の通りに読書で忙しいのである」

俺とレクスも忙しかった。

「僕も予習中です」

「俺だって体を鍛えたい!」

「ええい!貴様ら、黙って付いてくるのだ!」

アレクトラさんは俺達3人を誰もいない教室まで連れて来て、誰もいないか確かめた上で戸締まりまでしてから、

「……クロエ嬢の件である」


――何があったって言うんだ!?

幸か不幸か、まだ『クロエ嬢を手紙で呼び出して焼く』と言う犯罪行為は起きていない。

明日にとうとう実行するぞって計画内容を、首謀者達が和気あいあいと今さっき話していたからだ。

「クロエ嬢の出身元であるアカデメイア学園には平民向けの学科として『商業科』等があるのは知っているか?」

「何が……あったのであるか」

俺やレクスまで顔を強ばらせたのは、今までに無い程にアレクトラさんがとても険しい顔をしていたからである。

「『商業科』の平民の生徒達の間に、『魔幸薬』と言う恐ろしい薬物が蔓延っていたようだ」


……嘘だろ。

『魔幸薬』ってカインがエヴィアーナ公爵を操った後に、作らせて流通させた麻薬じゃねえか。

『とても幸せになれるし一時的に魔力が増大する代わりに使用すればするほどに人間として終わる』って説明の悪魔の薬だった。

俺も、カインも、この世界ではそんな麻薬の製造はおろか――存在について想定さえしていなかったんだ!


 『いや……まさか「ディーンに関してだけじゃなかった」のか。カインが行うべき悪事をカインがやらなかったから、何かの力が働いて……』

この世界に悪魔の薬を生みだした。

『あり得るな。俺がいなくなってもこの世界から邪悪が根こそぎ消えた訳では無い。それほどに人間は愚かしくて醜い生き物だ』

『だからって……ふざけるな!』


俺はウルトラハッピーエンドが良いんだ。

俺の完全なエゴで俺がすがりついている希望で俺の祈りじみた願望だから、誰が何が相手でもこれだけは絶対に譲らない。

譲れないんだ。

たとえ俺が世界と全人類の怨敵に回ったとしても。

『……ジン、貴様は……』


 「……彼らから、他の科へ……特に平民の生徒達の間に流行り始めた直後に、この由々しき事態にトロイゼン公爵家が気付いたそうだ。すぐさま調査に乗り出し、ヤヌシア州に製造拠点と流通組織の根城がある事までは突き止めた」

「ヤヌシア州……エヴィアーナ公爵が執政官の……」

つまり『貴族派』の中にいる、もしくはエヴィアーナ公爵が関与している、あるいはその両方。

アレクトラさんは頷いて、口の形だけで言った。

『このリュケイオン学園にはエヴィアーナ公爵の息子(庶子の一人)が通っている。クロエ嬢の狙いは彼であろう』と。

ヤツは俺達の1学年上だ。

それで、クロエ嬢は貴族派の令息相手にばかりハニートラップを仕掛けていたのか。

何か裏があるとカインもデボラも言っていたが……まさか、こんな形で分かるとはな。

「姉上……どうしてそれを?」

「費用は幾らでも持つから解毒剤を開発できないかとトロイゼン公爵家の女当主から直々にお声がかかったのだよ」

忌々しそうにアレクトラさんは首を振った。

「禁断症状の中和剤はどうにか作れた……だが一度でも使用すれば依存性は一生涯続いてしまう」

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