第一話 魔法

 淡いブラウンのロングストレートヘア。泣きぼくろの子。

 今でこそ彼を評する言葉はいっぱいあるが、ざっくりと解釈してしまうのであれば、彼は自他共に認める立派な『女装男子』だった。

 そう。学生服を着ないこの中学校の風土は、彼――都留夕日(とる・ゆうひ)の日常をそういう風に一変させたのである。

 とはいえ、そんな彼も小学生の段階では怖いものがいっぱいあった。

 合唱では声変わりが来ても変化しなかった声のせいでソプラノ枠のまま声を張らなければならず、いつだって女子たちの隣。トイレや放課後はいつも同性の子に――つまり男子にだが、毎日『おんな男』とからかわれた。挙句、外見について、女子たちにすら女子並みに可愛いと言われ、プールで肌をさらすことも次第に怖くなりプールの日は休んだ。

 しかも親には、そんな言い分に負けていたらもっと噂されるよ?などと言われる始末。

 すべてがコンプレックス。自分がもっと今の自分じゃなければいいのにと、何度も呪った。それは、彼にとっての苦悩だった。

 だが、小学校卒業を控えたある日のことだ。

 熱で寝こんでいて、視界もモヤがかかってたその日。呂律も回らないまま、ある人と、ある会話をした。

「なんでこうなんだろうってさ」

「こうって?」

「嫌いだよ、皆も、自分も。何が『眼福』、何が『おんな男』。なりたくてこうじゃないっての」

「嫌、なんだね。女の子みたく思われるの。憧れ?みたいに思われるの。私はね、ドジなんだ。それに、運動音痴。あと、いつも気づくのが遅いの。今でもそうなんだけど、無理して改善するよりね、受け入れちゃった。へへ」

 だったらなんだ。

 こうして生まれてしまったことを受け入れろと?無理に決まってる。

「不思議なんだよ?受け入れるとね、なんとなく次の道が見えるの。それもね、自分だけの道が」

 ふぅん。あっそ。

 ところで、アンタ……。

「ってあれ?誰もいない。っく、頭いてぇ」

 夢だったような、現実だったような。

 あの声、聞き覚えあるような。はて、どこで聞いたんだろうか。

 都留は寝室をゆっくり出ると、階下のリビングまでうなりながら歩いた。見渡しても誰もいないことがわかり、それをいいことにキッチンに向かう。

 冷蔵庫から麦茶ボトルを取り出すと、コップに注いで飲んだ。

 受け入れる?意味が分からない。それまで感じたことのない感覚だったし、知らない言葉だった。

 このままでいいとは思わないけど、どこをどう進めば、道があるだろうか。こんな自分に。

 こんな自分に?

 しばし都留は沈黙した。そして、これが受け入れてないということなのかもしれないと思い直した。

 体調が回復してきた翌日。自分の何がどう嫌なのか、自分の何がどういいのか、かみ砕いてみる作業をはじめたのだった。

 紙に書いては捨て、書いては捨て。でもいつもシンプルな答えしか出なかった。本当は紙なんかいらなかったのかもしれない。でもその作業が都留には必要だった。馬鹿だからじゃない、心でかみ砕くために。

 まるで、魔法にかかったみたいな、都留自身ですら振り返るとドン引きするくらいの素直っぷりだったが。――きっと連日続いた熱のせいだ。

 自分の嫌な部分、女っぽいところ。

 でも整形するほどか?と言われると心のどこかで、この自分は捨てられないという声が聞こえた。ギリギリのギリギリではあったものの、それが正直な気持ちなんだろう。

 では、どうする。このままズルズルと過ごすのか。

 変わりたい。変えたい。自分と、あの奇異の目たちを。

 でもどういう風に。何も浮かばない。

 それはそうか。変わると言っても一概に思いつくものじゃない。

 しかし都留の中では、これは好転の気づきだった。

 ふと、夕方からのゴールデンタイムのテレビを見た。番組は相変わらず怪物をうつしている。人間ぽくない人が集まってるように見えることが多いのだ。外見もあるが、中身も。

 ちょっと軽蔑していた世界だが、今は鼻で笑えるくらいには余裕があった。

 極端にはなるが――これが、らしさなのだろうか。

 一度きりの人生を、どう生きる?

 もう否定してかかりたくない。自分を、そして誰かを。

 手始めに、ファッションと化粧の勉強にかかることにした。出歩くということ、それはどこか余所行きの自分になる、ということだ。おそらく、その自分に違和感があるから皆受け止められないんだ。女らしいか、男らしいか。せめて、その結論を出してやろうじゃないか。

 誰にも自分を否定させない。そして自分も誰のことも否定しない。要するに、そういう生き方をつかむために、物の見方を変えたのだった。

 人生は、嫌いとか憎しみとかで回すには燃費が入り(いり)すぎる。紙に書いてわかったのはそれだけだが、それが正解だったと『女装男子』の道を選んだ都留は改めて思ったのであった。

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