第25話 創造主

 SETの社葬の後、日本のファントムは影をひそめた。杏里は、いずれファントムは現れると確信していたが、政府は、武装警察がファントムを駆逐したと発表した。


 聖獣戦隊ユニバースに加わった千紘は訓練に励んでいた。もともと運動神経の良かった彼の成長は早く、半月ほどで向日葵と同等にNRデバイスを使いこなすようになった。


 リンクボール・ルームにアサさんが顔を見せる。


「緊急のメールが届いたよ」


 アサさんがメモリーチップを差し出した。地下の研究所のネットワークは、ハッキングから守るために外部から完全に独立している。


 インターネットの利用はアサさんかシンゴさんの頭脳を経由して行われる。彼らが電子的にも物理的にもファイアーウオール機能を果たしていた。もし、シンゴさんがハッキングで乗っ取られるようなことがあれば、アサさんがシンゴさんを物理的に破壊することになっている。


 日常的なメールならアサさんが個々の端末に転送するのだが、その日は、膨大なデータを含んだメールのためにメモリーに入れて運んで来たのだ。


「ウイルスの心配はないよ。インターネットなんて途中で覗きこまれるかもしれないのに、福島クルミ博士は無防備だ。注意しておいた方がいいよ」


 アサさんが姑のように言った。


 天才は時に世事せじうとい。クルミもSETの専用回線を利用しなかったのだ。


「そ、そうね。今度、注意しておくわ」


 杏里はたじたじと応じた。


 メールは、ファントムに関する報告だった。膨大な文章と腕の構造モデル、細胞の電子顕微鏡写真、細胞を作るたんぱく質の構造図などが収められていた。


「私にも見せて」


 二つのリンクボールのハッチが開き、向日葵と千紘が姿を見せた。2人のNRデバイスはそれぞれの学校で授業を受けている。


 杏里の視線は千紘に向く。見てはいけないと思っても、ついつい彼に目が行ってしまう。やはり男性の肉体は見慣れない。


「……分析結果によると、ファントムはキマイラね。それも、普通のキマイラじゃない」


 報告書の結論部分を読んだ。


「……複数の生物の遺伝子を結合して作られた人工生命体らしいわ。大型スクリーンに映すわね」


 ファンクションキーにタッチして壁の大型モニターに映像を送る。


「いったい誰がそんなことを……」


 小夜子がつぶやいた。


「こんなことができるのは、ユリアナ・トトぐらいだろうと書いてある。トアルヒト共和国出身。生きていれば35歳。16歳から25歳まで、アメリカで生命工学を学んでいた天才らしいわ。もっとも、可能性であって、確実な話ではないということだけど」


 画面をスクロールする。


「クルミ博士と同じぐらいの年齢ね。それでユリアナ・トトのことに思い至ったのかもしれないわね」


 小夜子が応じた。


「これを見て、ユリアナ・トトの写真よ」


 4人は壁のモニターに映し出されたユリアナの上半身の写真に目を凝らした。栗色の長い髪は緩いウエーブをつくっていて、とがった顎が特徴的だ。黒い大きな瞳には少女のようなあどけなさがある。両肩に触れるように別人の肩が写っているので、集合写真からの切り抜きだろう。


「大きなダイヤ。金持ちの娘なのね」


 向日葵が白衣の胸元に光るクロスを指した。その十字架が虹色に輝いているのは十五粒のダイヤが光り輝いているからだ。


「本物のダイヤならね」


 千紘が水を差す。


「生きていれば35って、ユリアナは死んでいるの?」


 ページが進む。


「ワシントン医学大学院遺伝子工学研究室を離れ、それ以降の消息は不明」


 彼女の業績が記載されていた。


 24歳で免疫的に不可能と言われていた異種間の遺伝子を接合してキマイラを作り学会に発表。その時に創られたのがラットとタコの遺伝子を利用した陸上でも水中でも生きられる哺乳類の受精卵。


 その結果、世界中の科学者と宗教家から倫理的な批判の対象になり、メディアはバッシングに走った。


「……あぁ、私にも記憶があります。当時、私は高校生でしたが、連日ユリアナたたきのニュースが流れ、ユリアナが記者会見で泣いていました」


 小夜子が言った。


「私も思い出した。そんな映像を見た記憶があるわ」


 幼いころに見たニュース映像が浮かんだ。それは優しかった両親の姿と結びついていて、胸を激しく締め付けた。


 ユリアナは帰国したと思われるが、その後に論文の発表はなく、公の場で姿が確認されたこともない、とクルミのコメントがあった。


 小夜子がユリアナの写真に画像を戻した。


 杏里は、モニターに映る美女の姿を脳裏に焼き付けた。それが、直面する敵の開発者かもしれないからだ。彼女に出会ったら、私は殺すのだろうか?……亡き両親を思った。


「キマイラの製作者がわかったところで、ファントムを倒せるわけじゃないよ」


 千紘の乱暴な言葉が悲嘆の海に溺れかけた杏里を救った。


 映像がファントムの腕の断層写真に変わっていた。


「ファントムの遺伝子は人間と昆虫のものが主で、他にカメレオンとタコの遺伝子の一部が見つかったらしいわ。腕に骨格はなく、外皮が骨格の代わりをしている。昆虫に近い構造だということです。内部の圧力を変えて外皮の硬度や形状を変えることができ、皮膚からはカメレオンの色素胞しきそほう内と同じ透明ナノ光結晶が見つかった。……体温は、おそらく25度前後。生活環境と近すぎて熱センサーで捕捉するのは難しいだろうということです」


 小夜子が文字を読みあげた。


「昆虫やカメレオンの遺伝子が組み込まれているのなら、低温下での行動は苦手じゃないかしら?」


 杏里は推理した。


「それはないよ。葬儀の日は寒かったけれど、それでも強かったからね」


 千紘の言葉に、向日葵が大きくうなずく。


「手の持ち主は、女性らしいわ」


「女性?」


 あの時の相手が、女性だったと知って驚いた。子孫を増やす女性が、何故、他の命を奪おうとするのか……。そう考えると切なくもあり、憎くも感じた。


「とても女には見えなかったな」


 腕立て伏せを始める千紘。


「メスということ?」


 向日葵が抗議でもするように千紘の背中に乗った。


「女性かメスか。それは人間かそうでないか、ということかしら?」


「それならメスだ」


 千紘が断定する。


「見た目は人間だけど」


 向日葵が釈然としない思いを言葉にする。


「遺伝子の一部は人間。外見や行動は人間。中身や能力は人間の規格外。それを人間と考えるかどうかということね」


 小夜子がまとめる声は、ひどく冷たいものに聞こえた。


「人間の規格って何よ。姿かたちだって、遺伝子だって、人類が全部同じだというわけじゃないでしょ?」


 向日葵の声が尖っていた。


「骨格がないんだろう? 脊椎せきつい動物じゃないなら、人間じゃないよ」


「ヒロの意見はざっくりしすぎ。それじゃ、サルも犬も人間と同じじゃない」


「ファントムは明らかに人間と同じ高度な思考をする。脊椎はなくてもサルや犬より人間だわ」


「思考力が人間を判断する基準なら、量子コンピューターだって人間になる。シンゴさんやアサさんをみてみろよ。彼らの思考は人間と違わないよ」


「オスとメスの区別があるなら、繁殖できるということですね」


 小夜子が新たな視点を持ち出す。


「シンゴさんとアサさんが?」


 向日葵が目を丸くした。


「葬儀の場には、別のファントムがいた。それがオスなら……」


「いやだ、えっち」


 向日葵が頬を染める。


「何を想像したんだ?」


 千紘が笑った。


「増えたら大変よ」


 杏里はリンクボールに入り、SET本社にいる白虎とデータリンクした。


「どうしてユリアナは、ファントムを作ったのかしら?」


 小首をかしげる向日葵を千紘が笑う。


「決まっているじゃないか。ファントムを使って、自分をいじめた連中に復讐するためさ」


「男は単純ね」


 向日葵が笑った。

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