第16話 相続人
車は東北自動車道を北上する。
「ところで、どなたが社長の跡を継がれますか?」
その声に、杏里の視線が泳いだ。そうしてルームミラーの中で小夜子のものと交わった。
「父さんと母さんは死んだばかりなのよ。そんなことを急に言われても……」
向日葵が棘のある返事をした。
「SETの株式の60%は社長と副社長名義です。その株を相続する方が、SETの実権を握ることになります。早く次期社長を決めて役員たちの動揺を抑えないと、那須専務のようにインフェルヌスの側につく役員が増えるでしょう」
「社長を決めたくらいで社員の動揺が抑えられるでしょうか? 専務はファントムに脅かされたと言っていました。誰でも命は惜しいと思います」
杏里が答えた。
「確かに、お嬢様のおっしゃる通りです。身の安全が確保できないと、安心して新社長の指示に従うこともできないでしょう。しかし、その問題には対抗策があります」
「本当ですか?」
「ええ。研究所についてから説明します」
「だとしても、私たちは子どもです。会社の経営などできません」
「それで亡くなられたご両親が喜ばれるでしょうか?……社長が決まらないと、様々な契約を締結するのにも、銀行決済を行うのにも支障をきたします。社長が亡くなっても会社は生きているのです。SETには、関連会社を含めれば90万人の社員がいます。彼らの生活がかかっているのです。……社長が会社を作られた時は25歳。その時は何もなかった。20年以上の時を経た今、各部門の専門家が沢山います。杏里お嬢様は
小夜子が諭すように話した。
「そうね。お姉さんが社長をすればいいわ」
「向日葵、無責任なことを言わないでちょうだい」
向日葵をにらんだ。
「決めるにしても、わからないことが多すぎます。小夜子さん、会社が置かれた状況を教えてもらえますか? 特にインフェルヌスとの関係について」
「わかりました」
小夜子がうなずく。
「インフェルヌスから共同技術開発の打診があったのは3カ月前です。インフェルヌスのバイオテクノロジーは進んでいて、宇宙空間で生物が一定期間生き延びられる可能性を示唆していました」
「真空状態で、ということ?」
「私はデータを確認していませんが、役員会の議事録を見るとそのようです。SETは発電以外にも、ロボットとバイオテクノロジーの研究開発も行っています。副社長は、120億を超えた人類を飢えさせないために、それらの技術が必要だと考えておられました。……インフェルヌスは生命工学にすぐれた研究理論とデータを持っているようです。しかし、それらの研究を実用化するためには、莫大な費用や生産設備が要ります。インフェルヌスは、わが社の資金や設備をあてにして話を持ちかけてきたのです」
「それでは、断る理由がありませんね」
「ええ、問題は理念と目標にあったのです。インフェルヌスは、先端技術業界が連携し、既存の世界体制を組み替え、新秩序を作り上げようというのです」
「パーティーで父も話していましたね?」
「はい。現在の国家単位の支配態勢をなくしてしまうこと。つまり、世界統一ということです」
「それって、世界征服?」
向日葵が後部座席から身を乗り出した。
「そうかもしれません。インフェルヌスは、戦争とテロの原因となる今の国家体制は地球環境を破滅しつくすと言います」
「世界征服は論外だけど、環境破壊を食い止める対策が必要だという意見には賛同するわ」
杏里は正直に言った。
「インフェルヌスの提案はもう一つありました。宇宙への進出です。生命工学を利用して惑星エウロパで住むことのできる人体を開発して製品化しようというものです」
「人間を製品化?」
嫌な話だ、と思った。
「技術は使う人間によって神にも悪魔にもなります。宇宙空間で生存可能な人体開発という発想は、副社長の意に沿いませんでした」
「パパの哲学に反したのね」
「でも、インフェルヌスとファントムは、どういう関係なのかしら?……平和とか秩序とか言いながら、ファントムのやっていることといったら、テロそのものよね」
杏里は、どうしても分からなかった。向日葵も同じだろう。
「パパとママは、どうして殺されなければならなかったの?」
小夜子が一息置いた。
「秩序を求めるインフェルヌスとテロを行うファントム。関係はよくわかりません。でも、ファントムが既存の世界秩序の上でぬくぬくとしている富裕層や政治指導者、宗教家たちを葬り去り、インフェルヌスが新しい神を定める。そう考えれば、2者の行動は矛盾しません」
「ぬくぬくだなんて……」
向日葵が不快感を口にした。
車が高速道路を降りる。
「新しい神って、どういうこと?」
「世界を一つにするには、既存の神を超えた神が必要だというのがインフェルヌスの主張です。……調査の結果、インフェルヌスの背後に〝スピリトゥス〟という存在があることがわかりました。それがトアルヒト共和国の独裁者と関係があるようです。トアルヒト共和国の国家思想、あるいは神が〝スピリトゥス〟なのかもしれません。私にはよくわかりませんが、そうした懸念があってインフェルヌスの申し出を拒絶したのです」
「それで殺された。……従わなければ殺すなんて、テロそのものじゃない」
胃袋から絞り出すような向日葵の声。それに対して杏里が優しく正す。
「従わなければ殺すという行為は、時の権力者こそ行いがちなことよ。……小夜子さん、社長は役員の中から選んでも良いのでしょ?」
「勿論そうですが、それでご両親の理想が実現できるでしょうか?」
「いっそ、小夜子さんが社長になったらどうかしら。父の理想をよく承知しているし」
「それはいけません。人には器というものがありますし、権力には正当性というものが求められます。私は社長の器ではないし、役員たちの目には社長としての正当性がないと映るでしょう。社内がごたごたする原因になります」
「私たちだって、社長の器などではありません」
「おふたりとも、社長や副社長の性格をよく引き継いでおられます。社長になられても、創業者の2世として役員は納得するはずです」
杏里は返事をせず、窓の外に眼をやった。景色の半分は雪に覆われている。薄らと向日葵の顔が映っていた。
国道をそれた車は田舎道を東に向かう。周辺には農家が点在しているだけで街灯もなかった。走っている車もない。
「小夜子さん、こんな場所に研究所があるの?」
「ここなら、産業スパイがうろうろしていたら住民の目に留まります」
車は山の南斜面にへばりついたような農家の敷地に入った。農業用の大きな倉庫があって、シャッターが自動的に開いた。
倉庫内に車が停まる。
「ここが……」
車を降りた向日葵が、何の変哲もない倉庫内に目を走らせた。
「こちらに」
小夜子に誘われ倉庫を出た。庭に並んだセンサーライトが足元を照らした。
母屋の引き戸を開けると、土間の奥の茶の間で老夫婦が茶を飲んでいる。
「シンゴさん、アサさん、こんばんは。シンゴさん、外をお願いします」
小夜子がハイヒールを脱ぐ。姉妹は小夜子の後に続いた。
「杏里お嬢さまと向日葵お嬢さまだね。よう、いらっしゃった」
シンゴさんとアサさんが、皺くちゃの顔に皺を増やして歓迎した。それからシンゴさんは土間におりると、老人らしくない勢いで出て行った。
「どうかしたの?」
向日葵が眼でシンゴさんの背中を追った。
「尾行されていないか、見回りに行ったのです。シンゴさんとアサさんは、ここの管理者なのです」
小夜子が教えてくれた。
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