幕間

夢見るトスカ

 新都ネラの外れにて、ニコラ・スカリエに率いられた十三人の少年少女たちが皇帝への拝謁を許された。そこから三年の月日を遡る。

 当時はまだ帝都であったアローザにあるファルネーゼ家の邸宅、その本館から狭く長い廊下を渡った、離れとでも呼ぶべき部屋で十一歳の少女が目を覚ます。


 少女トスカは夢を見た。

 赤い髪の毛の少年が炎に包まれる夢を。

 背中にひどく汗をかき、気がつけば胸を掻きむしるようにして彼女は上体を起こしていた。とても恐ろしい夢だった。


 全身を燃やされていた赤毛の少年とは会ったことがない。だがこれまでに一度だけ、彼はトスカの夢の中へ登場している。

 以前の夢は海辺が舞台であった。

 とても穏やかな表情を浮かべた彼の横顔を、トスカが飽きもせずじっと眺めているのだ。

 その視線に気づいた彼がはにかんでしまうところで、静寂に満ちた夢が終わった。

 残念だな、もっと見ていたい夢だったな、と彼女が思うのは生まれて初めての経験だ。本来なら夢などろくなものではない。


 トスカの夢はいわば予言だ。

 十年近く前になるだろうか、当時の皇帝であるランフランコ一世の葬儀を夢に見た彼女は両親にそのことを語った。暗鬱な気分になりながらも、父と母に伝えなければという義務感に駆られてのことである。

 だが話を聞かされた両親はともに青ざめ、「絶対に他の人には言ってはいけない」と娘をきつく戒めたのだ。


 三日後、トスカの夢は現実のものとなってしまう。

 毒を盛られたランフランコ一世はそのまま帰らぬ人となり、皇帝殺害の首謀者として捕らえられたのは第一皇子である長男だった。

 彼は迅速に処刑され、皇位を継いだ第二皇子がランフランコ二世を名乗る。


 以来、両親はトスカを遠ざけた。実の娘に対して怯えたのだ、と今ならわかる。

 持ち合わせているのは貴族という地位だけの凡俗な人たちだから、それも仕方ないのだと。

 しかしまだ幼かったトスカは寂しくてたまらなかった。身の回りの世話をしてくれる使用人はいても、誰も彼女の話し相手になどなってはくれない。

 そんなときに赤毛の少年との夢を見たのだ。

 海を眺め、穏やかな潮風に身を任せている幸福な時間。現実への希望を失いかけているトスカが恋い焦がれてしまうのも無理はなかった。


 ただひたすら、彼の面影だけを夢に求める日々が続く。

 大きな戦争が始まる夢を見た。とても綺麗な女性が演説する夢を見た。遷都のための強行工事で事故が起きてたくさんの人が死ぬ夢も見た。

 だけどどの夢にも彼はいない。


 何年もかかってようやくまた出会えたのに、とトスカはきつく自身の両腕を抱き締めながら呻いた。

 そして彼女が心を決める。

 このまま見過ごすわけにはいかない。

 何もせず、待ち受けている未来へ恐れを抱くだけの自分にはなりたくない。

 変えるのだ、未来を。自分自身を。


       ◇


 体のいい厄介払いだったのだろう。

 新たに創設されるという部隊への選抜試験に参加してみたい、とトスカが申し出た際、両親は諸手を挙げて賛成した。


「それはとても素晴らしい考えだ。今の皇帝陛下は男女も信仰も階級も問わず、有能な者を重んじる方だからね。ぜひ帝国のため、そして我がファルネーゼ家のために尽力してきなさい」


 そんな父の言葉には、ほんのわずかにも心を動かされはしなかった。

 このままいけば彼女は選抜試験に合格するだろう。

 そういう夢を見たのだ。丘の上でトスカを含む十三人の少年少女が腰を下ろし、教官と思しき褐色の肌をした男を緩やかな弧となって囲んでいた。彼のことは知っている。新部隊創設の責任者、ニコラ・スカリエだ。

 和やかな空気が流れており、あの赤毛の少年もその場にいた。


 もちろん、そんな夢に頼らずとも選考試験を突破できる自信はあった。

 トスカとしてもこれまで合格に値するだけの努力はしてきたつもりだ。

 基礎体力の向上に剣術の習得、薬学にも関心を示し、馬術だってそこらの軍人になら引けをとらないほどに上達した。


 厳しい研鑽の日々を送ってこられたのは、セレーネ・ピストレッロという少女と知り合えたのも大きかっただろう。

 同い年で、ファルネーゼ家とも遜色ない名門の家柄であるピストレッロ家の娘。ただし妾腹の。

 セレーネは優秀にして高慢で、でもどこか単純で、そして常に自身を追い込むように努力し続けることのできる人であった。

 生まれの不利を嘆くことなく、彼女自身の力のみを頼りとしていたのだ。

 目標とするべき存在を得て、トスカが見据えるこれからの道筋もより確固たるものとなっていった。


「わたしの力で、あの炎からきっと彼を救ってみせる」


 スカリエ邸での最終選抜試験を翌日に控えた夜、誰にともなくそう呟いたトスカは眠りに落ちる。もはや何の夢も見ることはなかった。

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