3-12 十三人の少年少女
九人の少年たちがぞろぞろと一階へ下りていくと、給仕らしき身なりの若い男によって食堂まで案内された。
彼の話では、残る四人の少女たちが揃い次第、朝食の用意をするとのことだ。どうやらもうしばらく空腹と付き合う必要があるらしい。
備え付けられた簡素な机が六卓。少年たちは適当に散らばっていくが、そんな中エリオが包帯だらけのルカの首根っこをつかむ。
「おいルカ、おまえはこっちだ。しばらくピーノに近づかねえよう見張らせてもらうぞ」
そう宣言し、強引に同じ食卓へと引っ張っていった。
もちろんルカのことだから反発はしているものの、怪我をしているのもあってかさすがに昨夜ほどの勢いはない。
そんなやり取りを見ていたアマデオがエリオへと話しかけてくる。
「ははっ、また大喧嘩されちゃかなわんもんなあ」
「よく言うぜ、止める気もなかったくせに」
「あんなに一方的になるとは思わなかったからねえ」
アマデオにはまるで悪びれる様子がない。
そこへ漁師の息子、カロージェロも加わってきた。
「ようし、朝メシを食いながらそいつの説教じゃ」
「いったい何の説教だよ、おい」
首を傾げるエリオへ、カロージェロは口の端を上げて答える。
「決まっとるわ。我が儘放題に振る舞いたいんなら、それ相応に強くならんと滑稽なだけじゃってことを懇々と諭すのよ」
やる気満々らしいカロージェロが両拳の骨を鳴らす。
「うるせえ、余計な世話だ。せっかくの朝食が不味くなっちまう」
毒づいて断るルカだったが、不意にエリオから顔を触られたため「あいたっ」と反応してしまった。
「やっぱりな。どうせ口の中が切れてて、ろくに食えやしないだろうが。やせ我慢ばっかりしやがってよ」
「ならこいつのは他の
「じゃあ僕が多めにいただいてもいいかなあ」
口々に勝手なことを話している三人へ、とうとうルカも痛みを堪えて叫ぶより他になかった。
「どいつもこいつも、ふざけたことばかり抜かすんじゃねえ!」
しかし大きな声を出すと再び「あいたたた」と呻いてしまう。
おとなしくしていればいいのに、とその怪我を負わせたのが自分であることをほとんど失念して呆れ半分の眼差しで眺めていたピーノへ、後ろから「ちょっといいかい」と話しかけてくる者があった。
振り向くと、そこには先ほど食堂のことを教えてくれた少年が立っていた。
「やー、昨日の夜はすごかったね。君、見た目によらず武闘派なんだもの」
最初に受けた印象よりは幾分軽薄さを感じさせる物言いだ。
「おれはフィリッポ。フィリッポ・テスタだよ」
よろしく、と手を差しだしてきた。
ピーノも名乗り返してその手を軽く握る。
流れのまま二人で同じ食卓の席に着いたそのとき、ようやく四人の少女たちが支度をすませて食堂内へと姿を現した。
その中の一人、最も長身であり片目を長い前髪で覆っている少女に駆け寄っていったのはオスカルだ。
「心配したぞヴィオレッタ、昨日は大丈夫だったのか」
「話しかけるなって……気分は悪いし全身が痛い……」
「いつの間に馬なんか乗れるようになったのか、さすがヴィオレッタだと感心してたのによ。まさか初めてだとは誰も思わねえだろ。無茶ばっかりしやがって」
「根性無しが偉そうに……泣き虫オスカルの分際で」
入口に最も近い席で突っ伏して、胃のあたりをしきりにさすっている彼女をオスカルが気遣うも、当のヴィオレッタという少女は邪険に扱う。
どうやら二人は以前からの顔見知り同士らしい。
「彼女、実は馬に乗った経験なんて一度もないのにどういうわけか乗馬組へ入っててさ。それはもう、道中すごい形相で必死に食らいついてきてた」
よくここまで無事にたどり着けたものだよ、と同じく乗馬組のフィリッポが遠い目をしながら説明してくれた。彼らもなかなかに大変だったようだ。
背の高いヴィオレッタの後ろから、昨日荷馬車でともに揺られたトスカがピーノを見つけ、わずかに表情を崩す。
彼女はそのままピーノたちがいる机へとやってきた。
「おはようピーノ」
トスカは真っ直ぐにピーノの目を見つめてくる。
そんな彼女に少し戸惑いながらもおはよう、と返事をする。
傍らのフィリッポはそんな二人に対し、にやにやしながら茶化してきた。
「あれー? おれには挨拶してくれないの?」
「あなた、誰?」
真顔で切り返すトスカに、軽いフィリッポもさすがに傷ついてしまったらしい。
自らへ言い聞かせるように呟いた。
「そうか、別行動だったからだよな……」
改めて彼はトスカへ名乗るが、迷わずピーノの正面へと着席した彼女からは「どうも」という情のこもらない言葉しか返ってこなかった。
そしてまたもう一人、絹をまとっていかにも貴族然とした身なりの、見るからに気の強そうな顔立ちをした少女が近づいてくる。
胸の前で腕を組んだ彼女は傲然と言い放つ。
「トスカ。あなたともあろう人が、どうしてそのような下々の連中と親しげに言葉を交わしているのかしら」
「ん、下々?」
フィリッポが自分を指差す。
「あら。ちゃんと自覚はできているようね」
せせら笑うような少女の言葉に、饒舌なフィリッポも面倒事の匂いを嗅ぎとったか、肩を竦めただけですませてしまう。
またこういう手合いか、と隣でピーノもうんざりしている。ただしフィリッポと同じく口にはしない。
だが彼女への非難は別の方向から飛んできた。
「よく言うぜ、妾の娘がよぉ」
食卓の上に両足を乗せている、非常に態度の悪い少年だ。
それでも少女はまったく怯まない。
「妾腹であろうが何だろうが、我がピストレッロ家は代々、皇帝陛下への拝謁を認められた名家です。ちなみにトスカのファルネーゼ家もそうね。翻ってあなたの家はどうだったかしら、ダンテ・ロンバルディ?」
ダンテと呼ばれた少年は痛いところを突かれたのか、「ちっ」と舌打ちしてそのまま黙りこんでしまった。ただし、踵を卓上に叩きつけはしたのだが。
彼に代わって口を開いたのはなぜかトスカだった。
「でもセレーネ。今のランフランコ二世皇帝陛下に代替わりされて以降、実力主義を標榜なさって階級や身分によらず謁見をお許しになっているそうよ」
「ちょっとトスカ、あなたどっちの味方なの?」
うって変わって慌てふためいているセレーネと、あくまで感情を表に出さず冷静沈着なトスカ。傍から見ているとこれはこれで面白い。
案外セレーネも単純なだけで、そう嫌な人ではないのかもしれない、とついピーノは思ってしまう。
そのまま話題が移ればよかったのだが、どうやらダンテという少年もルカ並に強情で、融通の利かない性格らしい。
「けっ、どっちにせよ妾の子は妾の子だ。ろくでもない血が混じったような女に貴族面されたんじゃ、おれたちの品位まで下がっちまう」
聞き捨てならない暴言をまたも言い放ったのだ。
そんなダンテへ反論したのは、妾の娘と罵倒されたセレーネでも、彼女の友人と思しきトスカでもなかった。どういうわけかヴィオレッタだ。
「おい、そこのボンクラ……。妾、妾って連呼してるがよ、妾の娘で何が悪い。生きてて何が悪い」
真っ青な顔をしているにもかかわらず、ゆらりと立ち上がったヴィオレッタが低く響く声で語りだした。
「そんなこと言いだしたらな、あたしなんて場末の娼婦の娘だぜ。父親の顔もわかりゃしないし、おまけに母上サマはちょっとでも気に入らないことがあれば娘を殴る、屑みてえな女ときたもんだ」
そう自嘲してから彼女は右目を隠している髪をかき上げた。そこにはもう生涯消えないのであろう痣が広がっている。
「だけど周りを見てみろよ。そんな屑から生まれた女と、皇帝サマにも会えるような家柄のお嬢サマと、本妻の息子ってだけが取り柄の粋がったボンクラとが一緒くたにされてるんだぜ? どうにも愉快すぎる話じゃねえか」
あと武器商人のところのお坊ちゃんてのもいたっけな、お情け合格の。
そんな彼女の発言に、流れ矢に当たった格好のルカが文句を言いかけるも、すぐエリオによって口を塞がれてしまう。
鬼気迫るヴィオレッタの独白は続く。
「あたしはあのどうしようもない、みじめでクソったれな場所からとうとう逃げだせたんだ。ははっ、ざまあみろだよ。自分にどういう才能があるのかなんてまったくわからないけど、選んでくれたあのニコラってやつには心底感謝してる。あたしは今からここで生きていく。自分のすべてを、ここへ賭けるつもりさ」
思いの丈を吐きだし終えて、倒れこむように腰を下ろした彼女はまたぐったりとしている。オスカルが心配そうに声をかけるも、適当に手を力なく振ってあしらわれるだけだ。
突然、食堂内に拍手の音が鳴る。
「その覚悟、実に素晴らしいな。ヴィオレッタ、君のような人がいるのであれば、この寄せ集めでしかない集団の将来にも少しは期待ができるというものだ」
拍手の主である少年へと一斉に注目が集まった。
「まったく、家柄を鼻にかける連中というのは、決まって自分の頭で考えるということを知らないとみえる。身分だの何だの、ここではまるで意味を持たないことくらいそろそろ理解してほしいものだがな」
「リュシアンてめえ!」
槍玉に挙げられたことへダンテが激高し、同じくセレーネも鋭く睨みつけている。だが暗い眼差しをしたリュシアンという少年に臆した様子など微塵もない。
「やれやれ、どう説明すればつまらない考えで凝り固まった頭でもわかってもらえるのか。そうだな……たとえば君はどう思う、ユーディット?」
誰ともつるむことなく単独で席についていた四人目の少女、ユーディットが不機嫌そうに表情を歪める。
いきなり話を振られたことを快く思っていないのが露骨に現れていた。
「性格悪いね、あんた。それをわたしに訊く?」
「君だからこそだ。直近の二年間において、ウルス帝国によって攻め滅ぼされた地域の出身は君と私だけだからな」
ピーノたちが暮らしていた地域は七年と少し前に帝国の支配下となった。
祖父や両親は対応に追われていたが、まだ幼かったピーノ自身の当時の記憶は曖昧になってきている部分も結構ある。
既に成長していたリュシアンやユーディットとは事情が違う。
二人は生まれ育った国の消滅を経て、何を思いながらウルス帝国軍の新部隊養成のための場にいるのだろうか。
「わたしはあんたみたいに軍人の家系だったわけじゃなし、別にどうだっていい。この場にいるのだって結局は流されているだけ。ただ、気づいていない人が多いようだからこれだけは伝えとくよ」
そう前置きしてユーディットは皆の方へと向きを変え、居住まいを正した。
「家柄がどうとか、妾の子だとか、そういうのってそもそもがずれていて無意味な議論なんだよ。ここに連れてこられた時点で、もうわたしたちには強くなるしか道はない。いずれは戦争の真っ只中へ放りこまれるわけだから。
弱いままなら死ぬだけだし、強くなってもさらに強いやつと出くわしてしまったら死ぬ。運が悪くても死ぬ。逃げだそうとしてもたぶん死ぬ。どこまで続くかもわからない綱渡りをこれからさせられるんだよ。真っ逆さまに落ちることなく最後まで無事渡り切れるのなんて、いったいこの中に何人いるんだろうね」
しん、と食堂内が静まりかえる。
彼女の問いかけに答えられる者は誰もいなかった。
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