3-10 海の話

 燻製の肉をパンに挟んだだけの昼食をせわしなく終え、選抜試験を突破した一行はさっそくこの日のうちに新都ネラへと向かうことになった。

 その際、ニコラ・スカリエからは二つの選択肢を提示された。

 彼とともに自ら馬を駆って行くか、荷馬車の台へ荷物同然に積まれて行くか。

 どのみちピーノとエリオに選択の余地はない。彼らには馬に騎乗した経験などないからだ。

 羊だったら幼い頃に乗ってるのに、と悔しがるピーノの相手はさすがのエリオもしてくれなかった。


「ははっ、糞にも劣る田舎者様ときたらまったく笑わせてくれるぜ。馬にも乗れないようじゃこの先だってたかが知れてるなあ」


 そんな暴言を吐いてくれたのはやはりルカだった。

 まぐれ野郎どもが調子に乗るんじゃねえぞ、という捨て台詞を残して、彼は他の乗馬組とともに颯爽と去っていく。

 あれほどニコラからきつく言われたにもかかわらず、まるで堪えていないように見えるのは大したものだ、と皮肉交じりにピーノは思う。


 残された荷馬車組は総勢六名。

 ピーノとエリオに加え、姓を持たないカロージェロ、あのノルベルトよりも大柄な少年アマデオ・ヴィルガ、逆にピーノと同じくらいの背丈で線も細い少年オスカル・リトリコ、そして近寄りがたい雰囲気を漂わせている少女トスカ・ファルネーゼ。

 顔をしかめてカロージェロが「何じゃあいつは」と口にした。


「だいたいな、おれは馬なんぞようわからん。舟に乗って魚しか獲ってこんかったからな」


 ニコラのような褐色というわけではないが、非常によく日焼けしており、相対する者へ精悍な印象を与える少年だ。

 へえ、とエリオが応じる。


「カロージェロっていったっけ、おまえのところにはそんなにでかい川があるんだな。舟が出せるくらいの」


「阿呆。海じゃ、海」


 あきれた様子でカロージェロが答える。

 ピーノとエリオは顔を見合わせ、「海って何さ」と声を揃えて彼に訊ねた。

 ドミテロ山脈の、それもごく一部の地域だけで育ってきた彼らは海を知らない。今回の長旅でも目にする機会はなかった。


「これはまた、何とも哲学的な問いだねえ」と傍らで笑ったのはアマデオだ。

 下級貴族の出である少年なのだそうだが、その体躯の立派さゆえに乗れる馬が限られてしまう。そのためにピーノらと同じく、荷馬車組へと回っているのだ。


「海は、おれも見たことがない。でもうちの親方から聞いた話じゃ、めちゃくちゃ大きい水場らしいぞ。自分の目で確かめないと信じられないくらいに」


 もう一人の少年オスカルは目を細めてそう語る。

 それを聞いてエリオが満面の笑みを浮かべた。


「何だよそれ、とんでもなく面白そうな場所じゃねえかよ」


 しかしすぐさま「阿呆」と不機嫌な声が飛んでくる。カロージェロだ。


「海はな、それはもう恐ろしいもんなんじゃ。常に注意を払っておかんとすぐに機嫌が変わって荒れ狂いよる。いつだって死と隣り合わせよ。見たことのないおまえにゃ想像つかんかもしれんけどな」


「あー、そういうところは山と同じだ」


 ピーノの相槌に、アマデオとオスカルがそれぞれの反応を見せた。


「やっぱり自然相手に暮らすというのは厳しいものなんだねえ。君たちはずっとそういう生き方をしてきてるんだなあ」


「ふうん。生まれてこの方、街で暮らしてきたおれにはわからんぜ。でも、ちょっと羨ましくはある」


 アマデオやオスカルの言葉に、嬉しそうなエリオが「そうかよそうかよ」としきりに頷いている。

 そして彼はまたカロージェロへと話を向けた。


「なあ、いつかその海ってやつを見に行ってもいいか? もちろんおれらの暮らしているところにもぜひ遊びに来てくれ」


「それは別にかまわんぞ」


 無愛想にカロージェロが答える。


「ただ、うちに来ても魚しか出せるもんはないからな」


「充分すぎるよ」


「だよな。海ってのがそんなにでけえんなら、きっと魚だってでかいだろうし」


「単純なやつらじゃ。ま、でかい魚ももちろんおるよ」


 満更でもなさそうなカロージェロの口振りに、ピーノとエリオが頭上で手を叩き合わせて喜びあう。


「楽しそうだなあ、その話に僕も加わらせておくれよ」


「あ、おれもおれも」


 アマデオとオスカルも頼んでくるが、そんな彼らへ返事をしたのはカロージェロではなくエリオだった。


「おう、来い来い。どーんと来い」


「おまえがそれを言うんか。もちろんええけども」


 ろくな寝床がないのはさすがに勘弁してくれよ、とカロージェロが言い添えた。

 だがはしゃぐ五人の少年たちへ、場違いなほどに冷静な声がかかる。


「ちょっとあなたたち。随分と盛り上がっているようだけど、さっきから御者がずっとこちらを睨んでいるのに気づいていないの?」


 一人だけ輪から外れていた少女、トスカ・ファルネーゼだ。

 肩にかかる程度の亜麻色の美しい髪に、きりっとした目鼻立ち。一瞥しただけで明らかに貴族階級の娘だとわかる。それも相当に上位の。


 確かに彼女の言う通り、腕組みをした御者が今にも怒鳴りだしそうなくらいに顔を紅潮させて、きつい視線を送ってきていた。

 慌ててアマデオがみんなを急かす。


「おっと、これはいけない。早く乗ってしまおう」


 一同揃って荷馬車へと駆け寄り、体の大きいアマデオ以外は次々に乗りこんでいく。しかしピーノのすぐそばにいたトスカだけは、何か気になることがあるような素振りで少しためらっていた。


「どうしたの」


 訊ねるピーノだったが、トスカはふいっと顔を逸らしてしまう。

 そして明後日の方向へ視線を遣ったまま、彼女が言った。


「ねえ。さっきの話、わたしも仲間に入れてもらってもかまわないかな」


 よく見ればトスカの頬もほんのり赤く染まっている。

 不器用そうで、でも素直な人なんだな。そうピーノは好感を持った。


「もちろん。ぜひ」


 荷台に足を掛け、トスカへと手を差し伸べながら快諾する。彼女もピーノの手を拒むことなく握り返した。二人は共に荷台へと乗りこむ。


「よおし、僕が最後だな」


 六人目となるアマデオが勢いよくその巨体を預けてきたため、馬車は大きく揺れて牽引役である二頭の馬たちも驚いてしまう。

 トスカと一緒に荷台上で転がったピーノは仰向けとなって空を眺める。そこには少しばかりの晴れ間がのぞいていた。

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