3-9 つまるところは土か灰

 この最終選抜試験の、おそらくは総責任者であるニコラが前に出てきたということは、今から彼の挨拶が始まるのだろう。そうピーノは予測した。欠伸を我慢しないといけないくらい退屈なものでなければいいけど、と願いながら。


 百人を超える少年少女を前にして、ニコラが淀みなく語りだす。


「この場にいる大半の者は先の敗戦について聞き及んでいるだろう。セルジ平原における会戦のことだ。私の父であり総大将を務めていたヴィンチェンツォ・スカリエ将軍が討たれ、およそ四割ほどの貴重な兵力も失ってしまった。悲劇と形容する他ない敗北だ」


 もちろん私にも敗戦の責がある、と将軍の息子は胸へと手をやった。


「だが同時にこうも思う。あの圧倒的に不利だった戦場に、私と同等の力を持った者があと十人いれば、と。仮定の話でしかないが、どれほど劣勢であろうとも局面を引っくり返すことは容易かったはずだ」


 己の力に対する凄まじいまでの自信を平然と口にする彼の姿に、ピーノは思わず隣のエリオと顔を見合わせてしまう。


「私が、ひいては皇帝陛下が君たちに望むことはただ一つ。単独で一個小隊へと匹敵するほどの強き兵となってもらいたい。そのために帝国全土から選り抜かれた、資質ある者たちだからな。期待している」


 ここでニコラは再び敬礼する。

 しばらく沈黙が続いてから、盛大な拍手が起こった。あまり話の意味が理解できなかったピーノも、周囲に合わせて適当に拍手を送る。

 そのまま最終試験の開始へと移行するかに思われたが、しかし次にニコラがとった行動はまったくの予想外であった。


 彼は参加者の隊列へと近づき、白い手袋をはめたままながら一人一人と握手を交わしだしたのだ。

 挨拶の前に見せていた笑みとともに、時には親しげに相手の肩を叩いて。

 予期せぬニコラの行動に対し、あちらこちらで困惑気味にざわついている。

 もちろんピーノやエリオもその内の一人だった。


「いったい何がしてえんだ、あの兄ちゃん」


「さあ。こっちとしては早く始めてほしいんだけどね」


 順番はどんどんと進んでいく。注意深く観察していたわけでもなかったが、やがてピーノはあることに気がついた。

 ニコラから名前を訊ねられる者と、そうでない者とがいるのだ。

 ざっと数えただけではあるが、名前を訊ねられていたのは十人に一人といったところだろうか。


 このことをエリオに教えると、彼は「そういや、さっき順番が回ってきてたルカの野郎はどうだったんだろうな」と返してきた。

 あいつなら訊かれていなかったよ、とピーノも即答する。


 ニコラは二人の立っている場所までどんどんと近づいてきていた。握手を交わした人数ももう百人に並ぼうとしているであろう。

 そしてようやく、彼がピーノたちの前へとやってきた。


 他の参加者たちに倣い、まずピーノがおずおずと手を伸ばす。

 差し出されたその手をしっかりと握り、ニコラは人好きのする笑顔を向けてきた。彼の手はノルベルトよりはやや小さいが、軍人らしく骨ばっている。

 次はエリオの番だった。どうやらこのまま名前を訊ねられずに終わりそうだ、とピーノが内心で考えていた、そのとき。


「君たち、〈シヤマの民〉を知っているんだね」


 いきなりニコラがとんでもないところへ切り込んできた。


「まさか、ぼくらの会話が聞こえてたの? あの距離で?」


 驚き過ぎたあまり、ピーノは素っ頓狂な声を上げただけでなく、慣れない敬語も使い損ねてしまった。せっかくノルベルトから教わっていたというのに。

 それでもニコラに気にした様子はない。

 人より少しばかり耳がいいみたいでね、と右目を瞑って応じる。


「よすぎだろ」


 握手をすませたエリオはいつも通りのぶっきらぼうな口調だ。

 元から彼にそのあたりの期待はしていない。エリオの分も頑張らねば、とピーノはどうにか敬語を織り交ぜていく。


「あの、その、〈シヤマの民〉の人たちとは偶然出会って親しくなったんです。といっても一緒にいたのはほんの少しの時間だけ、ですけど」


 そんなぎこちなさが伝わってしまったのか、ニコラからは「楽にしてくれていい」と声を掛けられる始末だ。

 なら仕方ない、とさっそくピーノはあきらめてしまった。結局はエリオと二人、似た者同士なのだ。


「その褐色の肌、あなたも〈シヤマの民〉なの?」


 気になっていたことを思い切って質問してみる。

 不躾ともとれる問いだったにもかかわらず、ニコラはにこやかな表情を変えない。


「私の母があそこの出でね。機会があれば話してあげよう」


「うお、やっぱりそうなのか!」


「このこと、ユエ婆ちゃんやハナに教えてあげたいね!」


 興奮気味に反応する少年二人を交互に見遣りながら、ニコラが言う。


「では、君たちの名前を教えてもらいたい。いいかな」


 ピーノとエリオはほぼ同時に頷き、それぞれの名を告げた。

 さすがにニコラ・スカリエは参加者の名前と情報を事前に把握していたようで、「ドミテロ地域からやってきたんだね」と受ける。長旅を労う言葉も添えて。


 ピーノたちは隊列のかなり後方に位置していたため、程なくしてニコラによる最終試験参加者全員との握手は終了した。

 試験開始前の挨拶にしては少々長く、あまりに丁寧すぎる振る舞いといえた。本番はここからだ。

 ピーノとエリオの二人だけでなく、この場にいた全員が「やっと今から始まるのだ」と考えていたことだろう。

 しかし、直後にニコラの口から発せられたのはその真逆の内容であった。


「では、これにて新部隊創設に伴う最終選抜試験を終了とする」


 隊列の中を割って歩いて戻りつつ、非常によく通る声で彼は告げた。

 当然、難関であろう試験に向けて気持ちを高めていた参加者たちからは、困惑に満ちたざわめきが起こる。誰もがニコラの意図を測りかねていた。

 だが本当の衝撃はこの次に待っていたのだ。


「先ほど名乗ってもらった者たち、すなわちダンテ・ロンバルディ、セレーネ・ピストレッロ、トスカ・ファルネーゼ、カロージェロ、リュシアン・ペール、ユーディット・マイエ、フィリッポ・テスタ、オスカル・リトリコ、ヴィオレッタ・クアリアレッラ、エリオ、ピーノ、アマデオ・ヴィルガ。以上の十二名を合格者とし、現時点より私の指揮下に入ってもらう」


 といっても当面は正規の兵士ではなく研修生扱いだがね、と続けた。


「そして帝国全土から集まってくれた諸君、本当に御苦労だった。この結果に釈然としない者も大勢いるだろうが、私が今しがた、接触することによって見させてもらったのは君たちの身体の内に眠る力だ。原初の強さだ。その潜在的な限界だ。

 ただしそれは君たちに優劣をつけるものではないのだと受け止めてほしい。土が違えば咲く花だってまた大きく異なる。君たちがそれぞれに適した場所で大輪の花を咲かせることを、私は心より願う。またいずれ、どこかで会おう」


 我らが帝国へ、愛と忠誠をこめて。あまりにも早すぎる総括の最後をニコラはそう締めくくった。

 もうこれ以上は何も行われないのだと理解せざるを得ず、呆然とした面持ちの参加者が一人、また一人と踵を返して会場から去っていく。

 皆一様に重い足取りなのは、まだこの結果を受け入れられないからなのだろう。

 それは合格とされた側のピーノやエリオにしても同じだった。


 大半の参加者は不承不承ながらも、そのようにしてニコラの指示に従ったわけだが、たった一人だけは握り拳を震わせていまだその場に立ち尽くしている。

 ルカだ。


「ありえねえ……」


 ピーノとエリオが見つめる先で、彼は絞るように吐きだした。


「こんなの、ありえねえ! 何でおれが落とされなきゃならねえんだ! 試験らしい試験もなく落とされて、どう考えたって納得できるわけねえだろ!」


 絶叫がアローザの曇り空へと吸いこまれていく。

 その様子を見て、受付にいた名簿を持った方の軍人が慌ててニコラへと駆け寄った。

 何ごとかを耳打ちされたニコラはわずかに表情を歪める。

 そして大きく両手を広げ、再び笑みを浮かべてルカへと声をかけた。


「ああそうか、たしか君はルカ・パルミエリだったな」


 これまで彼が見せていた感じのいい笑みとはまったく異なる、嘲るような笑みがそこにあった。


「いくら皇帝陛下の御厚情による支援をいただいているとはいえ、軍という軛から逃れられぬ以上、パルミエリ商会の息子を無下にも扱えまい。君からはまるで才能の煌めきを感じないが、是非にと望むのであれば合格でも構いはしないさ」


 どのような組織でも落ちこぼれは付きものだからな、と言い切ったニコラに、むしろ周囲が凍りついてしまう。

 ピーノとエリオも例外ではなかった。

 それでも彼自身はどこ吹く風だ。乾いた声で続けて言う。


「一つだけ助言を贈らせてもらおうか。ルカ・パルミエリよ、覚えておくといい。今までの人生で君が『これこそ力だ』と信じていたものなどすべて無意味だ。すべて。私の下で居場所を得たいと願うのならば、命を最後の一滴ひとしずくまで燃やし尽くす覚悟を決めなさい」


 人生の行きつく先など所詮は土か灰だよ、とニコラはルカに背を向けた。

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