3章 スカリエ学校の子供たち
3-1 辺境より
日々その表情が移り変わる景色とともに自分の人生がある。山間の地で暮らす少年ピーノにとってそれ以外の生き方など想像さえできなかった。
いつでも笑顔を絶やさない母と非常に無口な祖父、そして二十頭以上の羊。これがピーノの家族のすべてだ。
見渡すかぎり山麓と森しかないような辺鄙な土地であり、まだ彼はここから外に出たこともない。
そうはいっても大陸を揺るがせている戦争の影響を受けないわけにはいかなかった。人間もろくに住んでいない辺境とはいえ、この地がウルス帝国の統治下にあるからだ。
大陸に覇を唱えるべく、ウルス帝国がレイランド王国をはじめとする諸国を相手取って戦端を開いたのは七年と少し前のことだった。
そのときまだこの地はある小国の領土だったが、猛烈な勢いをみせた帝国の侵攻によってあっという間に飲み込まれてしまう。
ピーノの父も間接的には戦争のせいで命を落としている。
ウルス帝国による街道の敷設事業に駆りだされ、不運にも落石事故に巻きこまれてしまったためだ。
同じく労役に従事していた仲間たちを身を挺してかばってのことだという。
訃報を届けに来た役人から夫の死について聞かされた母は、「あの人らしい」と笑いながら泣いていた。
幼いピーノには何もできなかった。慰めることさえも。
それでも羊飼いとしての暮らしにさしたる変化はなく、祖父に日々鍛えられ早くも一人前と扱われているピーノにとって、父の死さえすでに過去のものだと受け止めていた。
祖父が口癖のように言っている通り「生きるも死ぬも自然の一部」なのだから。
「おうピーノ、何か面白そうなもんでもあったかよ」
つつがなく一日の仕事を終え、日が傾いていくのを丘の上からただぼうっと眺めていた彼へ声をかけてきたのは、近隣に暮らすエリオという同い年の少年だった。
羊飼いのピーノと木こりのエリオ、二人の性格は正反対といってよかったがどういうわけかすこぶる馬が合う。
血の繋がった兄弟よりも兄弟らしい、そんな二人だ。
振り向いてピーノは淡々と答える。
「別に。陽もそろそろ沈むなあって、それだけ」
「要するに相変わらずの日々ってか。つまんねえなあ」
心底からの言葉であるのを裏付けるかのように、エリオが表情を歪めながらピーノの隣へと並ぶ。
彼のこういった飾らぬ率直さは、ピーノにしてみれば自分が持ち合わせていないものであり、少しだけ羨ましくもあった。
しかし、この日はいつもの日常とは様相を異にした。
「──もしかしたら、そうでもないかも」
山間を縫うような道とも呼べぬ細道に、荷車を何台も押している集団がいるのを視界の片隅に捉えたのだ。
もう少し目を凝らしてみれば彼らが立ち止まっているのもわかる。
「本当かよ!」
勢いこんで辺りを見渡したエリオだったが、すぐに「おれに見えるはずもないか」と諦めかけてしまう。
「おまえの目とおれの目とじゃ比較にならねえもん」
「大丈夫、たぶんエリオにも見える距離だと思うよ」
そう告げてピーノは目線を下へと落とすよう手で誘導し、崖といっていいほどの急斜面を下っていくらか進んだ先を指差した。
「ほら、あのあたり」
「あの辺は先日の大雨でぐちゃぐちゃになってたところじゃねえか……おっ」
「見つけた?」
「いたいた。ありゃあたぶん、進めずに困ってやがんな」
「うん、ぼくもそう思う」
相槌を打つピーノの傍らで、エリオは首をこきりと鳴らす。
「なら話は早い。いくぞ」
言い終えるよりも前にエリオが急斜面へと身を投げだした。あっという間に彼の姿がピーノの目の前から消えてしまう。
ざああっ、という土を削る音が次第に遠ざかっていくのを耳にしながら、ピーノは「嘘でしょ……」と呟いた。
エリオがみせたあまりの躊躇いのなさに幾分呆れていたのだ。
以前、二人が興味本位で真夜中の山を探検したことがあった。
双方の家族全員が寝静まってからのことだ。
森の奥深くで暮らし日中にはめったに現れない大きな獣とも遭遇するなど、なかなかに心躍る体験であったのをよく覚えている。
しかしその後、帰宅した彼らは待ち構えていた大人たちによってしこたま怒られる羽目になる。存命であった頃のピーノの父が声を荒げたのは、後にも先にもそのときの一度きりだ。
一方のエリオは「親父め、容赦なく殴りやがって」と腫れた頬をさすっていたが。
「はあ、じいちゃんと母さんにまた心配かけるなあ」
ため息をつきながらも、ピーノにはこのまま引き返すなどという選択肢は存在しない。
エリオの後を追い、崖のごとき切り立った斜面へ足を踏みだす。
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